第3話 仮初の街暮らし

 十日の旅を経てレイノールの街の外壁が見えてくると、俺は感慨深げに感想を漏らした。


「やっと着いたな。長い旅だった」


 修学旅行で京都に行った時でも二泊三日だというのに、九泊十日は長すぎだ。夕方から朝まではログハウスで過ごせるとはいえ、振動の激しい馬車には懲り懲りだ。


「そうですか? 私は旅をしていたという気がしません。むしろやしきにいるより快適だった気がします」


 そう言って馬車の窓を開けて外をみるリーファ。風に靡く彼女の髪からは、お手製のシャンプーとリンスの匂いがする。当たり前だが、現代クオリティのボディーソープ、シャンプー、リンスもなかったので、この十日間使ってもらったところ、出会った頃よりだいぶ綺麗になった。


「アキト様。この度は誠にありがとうございました。報奨のこともございますし、是非、辺境伯様にお会いください」


 そう言ってバートンさんは深く頭を下げてきた。まあ……特にあてもないし行ってみるか。でも、もともと俺のせいで護衛や従者の人が亡くなっていることだし、あまり多くを求めるのも気が引ける。


「報奨と言っても、ギルドの規定料金で十分だぞ? あとは住む場所を紹介してくれるとありがたい」

「まあ、アキトさんは私に魔法を教えて下さるとおっしゃったじゃないですか。お父様に頼みますから、私の邸に居てください!」


 いやぁ……どこの誰もと知らない歳の近い男を娘の近くに置く貴族は常識的に考えていないだろう。確か王太子妃候補だったはずだ。まあ、さっさと摘み出されても、あれだけ大きな街だ。何か仕事もあるだろう。

 内心でそう考えた俺は、改めて街の外観を遠目に見る。当たり前だが、ライエルデール辺境伯領の中心だというレイノールの街は、山の麓の街とは比べ物にならないほど発展している。

 宿場村から中世の街に来たような感覚ではあるが、新たな街での生活を思い、知らず知らずのうち心を躍らせたのだった。


 ◇


 街の門を顔パスで通り辺境伯の邸宅に着くと、バートンさんにより事情を知らされた使用人が急いで辺境伯を呼び寄せた。


「リーファ! 襲撃されたと聞いたが無事か!」

「お父様!」


 リーファのふんわりとした風貌からは想像できない強面の鍛えられた戦士のような見た目に思わず引いてしまったが、娘に抱きつかれ相好を崩す様を見るに、気の良い父親のようだ。

 やがて身を離したリーファは、俺のことを父親に紹介した。


「こちらのアキトさんに危ないところを助けてもらい、ここまで護衛してきてもらったのです。凄い魔法をお使いになられるんですよ!」


 リーファの言葉にこちらに気がついた辺境伯は、こちらに向き直り挨拶をしてきた。


「娘を助けてくれて感謝する。しかるべき謝礼を支払おう。私はアンガス・フォン・ライエルデールだ」

「冒険者をしているアキトです。とりあえずお嬢さんを誘拐しようとした者たちを生け捕りにしましたので引き渡します」


 そう言ってデイメンション・プリズンから気絶した誘拐犯をその場に出現させると、アンガスさんは驚いた表情を見せたが、すぐに我に帰るとそばに控えていた側近に命じて誘拐犯たちは連行されていった。


「リーファの言う通り、とんでもない魔法使いのようだな」

「そうなんですよ! アキトさんは私に魔法を教えてくれると約束してくださいました。是非、邸に住まわせてくださいませ!」


 それから捲し立てるようにして旅の間で使用した魔法を次々と話すリーファに、秘密にしてほしいという約束は父親である辺境伯には適用されないかと半ばあきらめつつ、当初考えていた通り下町の物件を紹介してもらうことにした。


「いや、街で住むのに適当な物件を紹介してくれれば十分です。その方が気軽に過ごせますから」


 しかし、リーファはとんでもないことを言い出した。


「そんな! アキトさんがいなくなったら美味しい料理や肌や髪のツヤが保てなくなってしまうではないですか!」

「えぇ……」


 そっちかよ! どうやら料理長にする話は本気だったようだ。不味いな、どっちもナノマシンがないとこの世界の人間に生産させるには難しいだろう。いや待てよ。


「料理は今いる料理人に覚えさせればいいし、リーファの年齢ならそのままで十分綺麗だろう」


 俺と同い年か年下の女の子が今から気にするほどかと思ったが、辺境伯はそうは思わなかったようだ。


「そういえば、リーファは常になく美しくなっているな。先ほど、髪から香る匂いも香油と違いしつこさをまるで感じさせないものだ」

「あー、そういったものが必要なら数年分くらい作ってあるので、今渡しますよ」


 ここに居れば確かに文化的な生活が送れそうだが、十五歳で専属料理人になるほど料理が好きかと言われるとそれほどでもない。作るのが好きな訳じゃない、食べるのが好きなんだよォ! というやつだ。


「そうか。そのようなものまで作れるとなると……バートン、執事アンソニーに伝えてアキト殿に先日立ち退かせた商会の店舗を下げ渡すように伝えよ」

「かしこまりました、旦那様」


 なんだか訳のわからないうちに住む場所ではなく店舗を渡されようとしているんだが、大丈夫だろうか。

 そんな不安が表情から伝わったのか、アンガスさんが気さくな笑みを浮かべて安心するように言う。


「心配するな! 娘を助けてくれた恩人に悪いようにはせん。それなりに便利な場所にある。住むにも、ここに来るのにも困らんぞ!」

「そうですか、ありがとうございます」


 まあ店舗でも自分で作ったログハウスよりはマシだろう。足りない設備は改築してしまえば良い。


 ◇


 それからリーファをここまで護衛してきた礼にと、昼食をいただいて茶のもてなしを受けたあと、バートンさんに下げ渡される店舗の場所まで馬車で送ってもらった。割とすぐに着いたが、これは……


「街の中央十字路の一角じゃないか!」

「その通りでございます。ここなら辺境伯様の邸まで十分とかかりません」


 中央十字路の四隅は文字通り四つしかない特等席だろう。辺境伯の家紋が着いた馬車から降りた俺の声に何事かと一斉に向けてくる商人たちの視線が痛い。


「ここにいた商人はどうした。有力な商会だったんじゃないか?」

「例の王太子妃争いで情報を漏らしたとして、旦那様の命令で退去させられました」


 まあ……いいか。別に店舗だからと言って一般向けに商売しなくてはならないという決まりはない。辺境伯にボディーソープとシャンプー、そしてリンスを卸せばそれでいい。確かに、ここなら買い物には困らないし便利であることに違いはない。治安も結界やバリアを張っておけば問題ないし、コンビニの前の家を借りたと思うことにしよう。


 開き直った俺はバートンさんに礼を言うと、その日からレイノールの街の中央街に位置する店舗に住むことにした。


 ◇


「賊は口を割ったか?」


 アンガスに問われアンソニーは聞き出した内容を報告する。


「どうやらレーデン子爵の差し金のようですが、裏で操っているのはファーブス侯爵かと。いつでも、トカゲの尻尾切りができるよう証拠は残していないでしょうな」

「はぁ……リーファを王子にくれてやる気はないんだがな」


 亡き妻の忘れ形見とも言えるリーファは辺境伯の一人娘だ。誰か婿を迎えねば、直系の血が絶えて分家から養子を取らねばならないではないか。その意味では、分家のいずれかが内通している可能性も捨てきれない。難しいことだ。


「それで、アキトの調査結果はどうだ」

「はい。山奥の出身のようで、数ヶ月前に冒険者登録をしてあっという間にAランク冒険者に上り詰めた実力者ということ以外は詳しいことは分かりませんでした」

「そうか。どれくらい強いのだ?」

「ギルドの記録が正しければドラゴンをソロで仕留めたとあり、Aランク試験は魔法だけでなく全ての評価項目で最高点を叩き出しています」


 それほどに強いのであれば、その気があればリーファやバートンを亡き者にすることなど造作もないだろう。それが無事にここまで送り届けたということは、アキトは信頼できるということだ。であるならば、通いで魔術の教えを受けるよりは娘のそばに護衛としてつけておく方が正解だったか。惜しいことをした。


 そう考えたアンガスは、アンソニーにアキトの取り込みを命じたが、当のアキトがそれどころではなくなるとは予想だにしなかったのである。

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