第2話
「早く、キスしてください。おでこが寒い、です……」
「——」
私は半ば放心状態で黙り込む。美々花は額を露出したまま、上目遣いで早くしろと訴えかけてくる。
目の前にいる女の子は一体、誰なんだ? 「キスしてください」とか額のことを「おでこ」とか言わないタイプでしょ。ギャップ萌えが過ぎて開いた口が塞がらない。
「まず、何故おでこにキスを?」
「して欲しいからです」
「全然理由になってない」
ズイズイと美々花の“おでこ”が私の唇に迫りくる。見た目のクールさとは裏腹に彼女のおでこはだだっ広く、ゆで卵を彷彿させるぐらい丸みを帯びている。触ればツルツルスベスベなのだろう。思わず彼女のおでこに手を伸ばしかけるが、慌てて後ろに引っ込める。
「別に触っても構いませんよ。むしろ、触ってください!」
「はひっ⁉」
美々花は強引に私の手を引っ張り、自分のおでこを触らせる。予想通りツルツルスベスベで癒される。なんかクセになる肌触りだ。若さゆえの潤い肌に私の笑顔に少し嫉妬が混じる。
「ホントにキスしていいの?」
「はい」
「まだ貴方と出会って一ヶ月しか経ってないよ?」
「はい」
「相手はこんなおばさんだよ?」
「はい」
「私はアラサーで、美々花ちゃんはまだ未成年だよ?」
「同姓なら歳なんて気にしないです」
「いや、でも私とは血が繋がってないし——」
「あからさまに時間稼ぎしないでください。早くしないと人が来ちゃいます」
このままなあなあにしたかったが、雰囲気的にそれは無理そうだ。段々、彼女の機嫌が悪くなる。
「あと十秒でおでこにキスしないとお嬢様にチクります。いーち、にー、さーん——」
「あああああ、ダメダメ‼」
もう考えるのは止めだ。ほぼやけくそで彼女のおでこに口付けする。ムードもクソもないが、今日はこれで勘弁してくれ。
「んんっ⁉」
私にキスされた直後。美々花は年相応の可愛らしい声を漏らす。肩をビクつかせ、ギュッと目を瞑る。
「キスされた後に目を瞑っても意味なくない?」
「あっ、これは条件反射で……」
男勝りのカッコイイ美々花ちゃんはどこでやら。すっかり乙女のような目つきで床にへたり込む。
「宮下さんの唇、柔らかくてちょっと暖かった、です」
「へ、へぇ~」
ここで私の唇の感想を述べられても反応に困る。両者とも顔を真っ赤にして目を泳がせる。
「「——」」
この後、何を話せばいいのか分からず、変に部屋が静まり返る。えも言われぬ気まずい空気が流れ、今すぐにでも部屋から抜け出したい気分になる。ちょうどその時、部屋の扉が乱暴に開かれた。
「おい、宮下。早くタコ無しタコ焼き作れ‼ 腹が減った」
全くお嬢様らしくないお嬢様が部屋に突撃。鬼の形相で仁王立ちする。表情は超不機嫌だ。
「てか、メイド二人で何やってる。私の命令を無視してサボりか?」
「いえ、決してサボりではございません‼」
私はお嬢様のドスの効いた声に恐れ慄き背筋を伸ばす。条件反射で深々と頭を下げた。
一方、美々花はむくりと立ち上がり、何事もなかったように部屋を出て自分の業務に戻る。上手く逃げられた。
結局、私だけお嬢様のお𠮟りを受ける羽目に。こんなのあんまりだ——。
■■■
あのキスから五時間ほど経過。窓の外から夕陽が差し込む。
お嬢様は習い事に行って屋敷にはいない。お嬢様のご両親はどちらもお仕事でいない。ちなみに二人とも職業柄、海外出張が多く、ほとんど屋敷には帰ってこない。
屋敷に誰もいない場合は部屋全部を大掃除しなければならない。お嬢様はハウスダウストアレルギーで少しでも屋敷に埃が溜まるとくしゃみと鼻水が止まらなくなり最悪、高熱を出す。
「宮下さん」
「んっ、美々花ちゃん⁉」
お嬢様の散らかった部屋を掃除していると、背後からぬるっと美々花が登場する。私は持っていたほうきを放り投げ、大量に積まれた本にめがけて尻餅をつく。
「すみません。驚かせてしまいましたか?」
「めっちゃ驚いた。マジで心臓に悪い。部屋に入る時は必ずドアをノックして‼」
私は半ば吐き捨てるようにそう言って、軽く舌打ちする。自力で立ち上がり、腰をさすりながらほうきを拾い上げる。
「それが宮下さんの素ですか?」
「え?」
「普段の穏やかな口調はどこに行ったんですか。しかも舌打ちなんてらしくないです」
「ええと、これは——」
やっば。無意識に裏の顔を出ちゃった。午前中に受けたお嬢様のお𠮟りがストレスになって猫を被るのを忘れていた。
美々花は明らかに狼狽する私を無表情で凝視する。
「ボクはわりと素の宮下さんは好きですよ。なんかいつもより親しみやすいです」
「え、あ、そ、そう?」
「はい。もっと汚い自分を“ボクにだけ”曝け出してください」
「ボクにだけ?」
「汚い宮下さんを独占したいです」
「え、ええ……」
吐くセリフの内容と表情が合ってない。感情を表に出さないまま変な独占欲を出してくる。私は戸惑いを隠せず、絶句する。
「もう、さっきから何言ってるの? 今のはちょっとイラッとして口調が強くなっただけ。気分を悪くさせたのならゴメンなさい」
「ちょっと待ってください」
逃げるように部屋から出ようとすると、美々花が私の手を掴む。後ろを振り返ると、どこにも行かせなよという目つきで睨まれてた。
「そんなに素の自分を出すのがイヤですか?」
「イヤというか、そもそも——」
「この期に及んでまだウソを貫き通すつもりですか?」
「——」
コイツは中々しつこい。何故、そこまで私の裏の顔に好奇心を持つのか分からない。無理やり握られた手を振り解こうとするが彼女の握力でねじ伏せられる。
「意固地で素を見せたがらない貴方に朗報です。まだ誰にも見せていないボクの裏の顔を特別に見せます」
「はい⁉」
「心配しなくても大丈夫です。勿論、これは宮下さんにだけ見せるものです。だから、ボクを好きなだけ独占してください」
「いやいや、全然意味わかんない。だいたい裏の顔ってなによ⁉」
美々花は再び、自分のスマホの画面を私に見せてきた。画面に映るのはお馴染みのツイッター。可愛らしい女の子のアニメアイコンでアカウント名は『ユキミミ♡』。プロフィールには『女子高生の裏垢。脚フェチのヤツかかって来い‼』とやけに強気なことが書かれてあり、下にスクロールすると女の子の脚らしきものが映った写真がズラリと出てきた。
「これはなに?」
「ボクの“美脚”です」
「びきゃく……?」
衝撃の事実にスクロールする手を止める。私は無意識に美々花の顔ではなくスラッと伸びた彼女の脚に視線がいく。
美々花は自分で見せておいて僅かに頬を赤らめる。
「これはボクの恥ずかしい裏垢です——」
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