MAID×MAID

石油王

第1話

宮下美波(みやしたみなみ)――。彼氏いない歴=年齢の独身女。ワガママお嬢様(自分より十歳下)に仕えしメイドとして日夜汗水垂らして働いている。

普段は温厚な性格で笑顔を絶やさない、母性溢れるメイドを演じている。


「おい、そこのメイド」

「はい、なんでしょう〜」

「ご飯はまだか?」

「今、コックの方が急いで作っておりますので——」

「遅い。代わりにお前が作れ」

「はい⁉」


私はいつもお嬢様の横暴な指示に従わなければならない。少しでも抵抗したら、メイドの職を外される。メイドと見せかけの愛想以外なんの取柄のない私はメイドを外されると確実にニートになる。以前、二十もの会社を全て一次選考で落とされた私にはここしか生きる場所がない。


「ちなみに料理のメニューは?」

「タコ焼き、タコ抜きで」

「それはもはやタコ焼きではなく生地の塊になりますが……」

「アン? 文句あんのか?」

「いえ、何も!!」

「じゃあ、すぐ作って来い」

「はい……」


お嬢様の凄みのある声に気圧され、泣く泣く生地の塊を作る羽目に。

毎回毎回そうだ。長年、お嬢様の言いなりになる毎日。この金持ちの屋敷しか生きる場所がないが、代償に個人の尊厳を失う。屋敷ではお嬢様とその両親以外の人は全員、飼い殺しオーケーの家畜だ。メイドは総勢十名。うち八名は無断欠勤が続いているため実質、自分合わせて二名しかいない。そりゃあ、ブラック企業になるわけだ。


「ああ〜、ムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつく——」


厨房へ向かう道中。周りに聞こえないぐらいの声量で不満をぼやく。


「よし。今日も帰ったら、たくさん愚痴ろ」


実はメイドをする傍ら、こっそりSNSをやっている。主に拠点はツイッター。裏垢で日々の不満を書き連ねている。ツイッターのDMやたまに開くネットの掲示板では度々、匿名の人物と不毛な舌戦を繰り広げたりもする。所謂、ネットでしかイキれない典型的なクズ。誰にも見せれない裏の顔である。

ま、ネットでどれだけクズでも現実でちゃんと聖母を演じ切れば問題ない。この先、裏の顔がバレることはないだろう。


「おはようございます、宮下さん」

「あ、おはよう〜、美々花ちゃん」


厨房にはおぼんを持った少女が立っていた。彼女の名は雪宮美々花(ゆきみやみみか)。最近バイトで入ってきた新人ちゃんだ。男顔負けの高身長スタイルで、お嬢様の趣味で指定のメイド服ではなく執事の格好させられている。中性的な顔立ちも相俟って誰がどう見ても美男子。しかも物覚えが良いため、任された仕事は完璧にこなす。だがしかし、彼女には唯一欠点がある。それは——、


「そこ邪魔です。早く退いてください」

「あ、はい……」


誰に対しても無愛想で態度が悪い。どんな時でもむすっとした顔。敬語は辛うじて使えるもののいつも口調がきつい。思ったことは全て口に出す性格で人を怒らせる天才だ。


「宮下さん、布団のシーツに何かこぼしましたか?」

「どこの布団のことかしら?」

「お父様の部屋の布団です」

「ああ、多分紅茶だわ。コップに残ってたのが零れちゃったのかも〜」

「チッ」

「ええっと今、舌打ちした?」

「チッ」

「二回も⁉」


相手が年上の先輩でも容赦しない。舌打ちは日常茶飯事。いくら注意しても直そうとする意志が見られない。

たとえ仕事ができたとしても礼儀が無ければこの屋敷では働いていけない。ご主人の堪忍袋の緒が切れるのも時間の問題だろう。


「宮下さん」

「なーに?」


せっせと料理を作るコックの横でタコ焼きセットを準備していると、また美々花に声を掛けられる。


「ちょっと耳貸してください」

「ん?」


耳をこちらに持って来いと手招きされた。意図がよく分からないが取り敢えず、彼女の口元に耳を近づける。


「昨日のツイート見ましたよ」

「んっ⁉」


美々花は一言、耳元でそう呟いた。衝撃の一言に私は何も飲んでないのにむせかえる。

もしかしてコイツ、私の裏垢のこと知ってるのか——。いやいや、それは有り得ない。ここは冷静にしらばっくれよう。


「な、なんのことかな~?」

「とぼけても無駄ですよ」

「な、ちょっ……⁉」


美々花は私の手を強く引っ張り、厨房を出る。そのまま誰もいない個室に連れていかれた。


「——ひえっ⁉」


美々花は私を奥の壁まで追い詰めて大胆に壁ドン。ポケットからスマホを取り出し、ある画面を見せてきた。


「これって貴方の裏垢ですよね?」


パッと自分の裏垢のアイコンが目に入る。ここ数日の恨み辛みのツイートが映し出された。


「私はツイッターなんかしてないよ~。こう見えてSNSに疎いから~」

「この写真を見ても自分ではないと?」

「へ?」


恨み辛みのツイートの次は私が昨日気まぐれで上げた料理写真を見せてきた。オムライスがいつも以上に美味しく出来上がり、嬉しくてつい裏垢に投稿したヤツだ。


「な、なんか美味しそうなオムライスだね~。センスある〜」

「そのオムライスの横に置いてあるスプーンをよく見てください」

「うん?」


言われた通り、銀色に光り輝くスプーンを見る。どこもおかしい所はないはずだが——。いや、あった。スプーンの丸い部分に肌荒れした女の顔が映っている⁉


「スプーンに映っているのってスッピンの宮本さんですよね?」

「違う。ここまで年寄りじゃない」


ガチトーンで否定する。こんな目に精気がない女は知らない。今の私とは全くの別人だ。そうに違いない。裏垢がバレた焦りより自分が知らない間に老けてしまったことに衝撃を受け、虚しく現実逃避する。


「そこまで落ち込まなくてもいいのでは?」

「は?」

「顔バレしたことで意外とこの人、美人だったんだとプチバズりしてますよ」

「えっ、それマジ?」

「マジのマジです」


続いて画面に映るのはハッシュタグ『ブラックで働くメイド』(私の裏垢名)で検索され、出てきたツイート。「いつもクソツイートしてるくせに正体はただの美人かよ。勝ち組じゃん」とか「この美人ヌけるわ~」とか「ちょっと熟してる感じが好き」とかほとんどが女に飢えたオタク共によるセクハラ発言だった。これが顔バレした末路か。


「認めるんですね?」

「なにが?」

「この人が貴方であることを」

「あっ」


スマホの画面を齧り付くように見ていた私。時すでに遅しだが一応、距離を取る。


「一先ず、昨日上げた写真を消しましょう。お嬢様に見つかる前に」

「そ、そうだね~」


慌てて自分のスマホを取り出し、その場で写真を削除する。ついでに過去の写真も何枚か削除した。すでに写真を保存してまたツイッターに上げようとする輩はいると思うが、その時は全部悪質なコラ画像だと噓を吐けばいい。ネットリテラシーのないお嬢様ならそれで騙せる。


「これからどうするんです、裏垢?」

「暫く大人しくした方がいいかな~」

「それは残念。いつも楽しみにしてたのに」

「もしかして、私のフォロワーさん?」

「さあ、どうでしょう」


あからさまにはぐらかされた。再び、美々花の顔が至近距離まで近づいてきた。


「でも、ガッカリしましたよ。普段は笑顔で優しい貴方があの裏垢の人だったとは」

「え、あっ、うん……」

「自分の腐った本性を隠して良い子を演じてきたなんて卑怯ですよ」

「く、腐った⁉」


腐った性格をしているのは自覚していたが、改めて人から言われると胸が痛む。


「このことお嬢様にチクろうかな」

「ウソ、それはノー‼」


思わずゴクンと喉を鳴らす。壁と密着する背中が三十路の脂汗で濡れる。


「お嬢様にバレたら即クビになっちゃう」

「そうなったら無職になりますね」

「うんうん‼」


私は首を激しく縦に振る。美々花はニヒルな笑みを浮かべ、私の全身を舐めるように見る。


「宮下さん、ボクと契約を結びましょう」

「契約……?」

「絶対に破ってはいけない契約です。破った瞬間、お嬢様にチクってクビ確定です」


美々花の生暖かい吐息を間近に受ける。細長く伸びた指が僅かに私の唇に触れる。


「——キス」

「へ⁉」


唇から手を放し、自分の前髪をかき上げて真っ白な額を露わにする。


「一日一回。ボクのおでこにキス、してください……」


美々花は片手で前髪を上げたまま、恥ずかしそうに顔を背ける。それは常に無感情だった彼女が初めて見せた表情だった——。






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