第4話 イェシ

 イェシ、イェシ。

 やさしい声がわたしを呼び、暗闇のなかで目覚める。

 エウドキアがランプをかかげ、わたしを片手で揺さぶり起こしたのだ。

 かわいそうに。そんなに泣いて。また恐ろしい夢をみたの。

 彼女の空のいろの瞳に、長く黒いまつげが翳をつくる。

 ええ……。

 袖で頬を拭う。ランプを台に置き、彼女はささやく。

 そっちで眠ってもいい?

 わたしはこくりと頷く。彼女はやわらかくほほえみ、わたしの寝台に入ると、わたしを抱き締める。

 からだがつめたいわ。

 ……あたためて。

 わたしが息を吐くのを、彼女が口づけで受け止める。あたたかい舌が入ってきて、わたしは目を閉じる。わたしの乾いた口のなかを、彼女の唾液が満たす。それを飲み、彼女にすがりつく。彼女はわたしの頭のうしろに手を当て、おさなごにするように撫でる。わたしの涙を舌で舐めとり、こめかみや額に口づけし、またぎゅっと抱き締める。

 ごめんなさい。起こしてしまった。

 いいのよ。どうせもうすぐお祈りの時間だし。

 ……ありがとう。いとしいひと。

 ふふ、と彼女は笑う。

 わたしもあなたが大好き。愛欲に溺れているなんて知れたら、院長に追い出されるかしら。

 そんなこと……起きない。だってみんなしているもの。あるいは、していたか。

 院長も?

 ええ。いまはそうじゃなくても、わかいときに、わたしにとってのあなたのようなひとがいたでしょうよ。――わたしの光である婦人たちよ、なんて言いながら。

 パンを節制して、日暮らし籠を編み、詩編を読み上げても?

 そうよ。

 エウドキアはくすくす笑う。その声が心地よくて、わたしは彼女の蜂蜜いろの肌――丸い鼻や、細い鼻すじや、そばかすの散った頬に口づけする。沙漠に湧く澄んだ泉のような目のそばにも。

 西のくにの、山々のなかで育った彼女は、異教徒が強姦して生まれたむすめだ。蛮族は金の髪や青や緑の瞳を持ち、ローマの街々を破壊した。おさないうちに巡礼に加わり、そのままシリアの、この修道院に入った。母おやの顔はよく覚えていないという。めずらしくない話だ。修道女たちのなかで、そういった境遇の者は多い。傷を負った者、立ち上がれないほどの深手を負った者、そこから生まれいでた、烙印を押された者――

 主は貧しき者とともにおられる。貧しい者はさいわいである――……

 うすい寝間着のうえから、彼女がわたしの肩に口づけする。甘い感触に、からだの芯が甘くうずく。

 ……イェシ、服を脱がせてもいい?

 ええ。

 すぐにうなずく。彼女が、ずるずると裾を引き上げ、両手を上げたわたしのからだから引き抜く。にっこり笑う。

 きれい。あなたは黒くてうつくしい。

 気恥ずかしくて、わたしは口を曲げる。

 ……エウドキアのほうがきれいよ。

 なつめやしの実の房のような胸、……

 彼女はうっとりと言う。雅歌によく出てくることばだ。わたしの乳房に指先で触れ、そっとさする。

 ……谷間の睡蓮?

 わたしは彼女の頬に触れる。女は魅入られたようにじっとわたしのからだを見つめ、頬を赤くする。

 そうね……。こことか。

 わたしの耳に舌を入れ、すこしずつ舐める。

 ん……キア……

 わたしはもどかしくて震える。彼女の手をとり、わたしの胸をつかませる。微細な快楽が、耳からからだの芯に響く。彼女の湿ったてのひらが、そっとわたしを撫でる。敏い場所を指でつまみ、親指の腹でこすられて、わたしはあえぐ。彼女の舌が下りてきて、顎を伝い、首筋を吸い、鎖骨をねぶる。歯をあてずに、つまんでいた場所を口に含まれ、わたしは彼女の頭にすがりつく。指ではできない、ぬめった感触に眉を寄せる。唇が音を立て、彼女の手がわたしの太腿を滑る。わたしは脚をひらき、彼女の指を受け入れる。かたちを確かめるように、彼女の指の腹がわたしの花弁を撫で、押す。それだけで、粘ついた水音が立つ。

 キア……キア……。

 イェシ、すごく濡れてる……。

 わたしはいたたまれなくなって、両手で顔を覆う。

 みだらな女よ。

 エウドキアは息を漏らすように笑い、手を動かし続ける。わたしは甲高い声を上げそうになり、唇を噛む。彼女がわたしの口元に口づけし、あふれた唾液を舐めとり、また唇に口づけする。わたしは彼女にしがみつく。背に爪を立てる。彼女の指、やわらかくほそい指が、わたしのなかを撫で回し、そのたびわたしは背筋がぞくぞくして、快楽が思考を塗りつぶす。

 ただ彼女を抱き締めて、荒く息をつく。

 エウドキア……あなたが好き……。

 わたしもイェシが好き。

 かろやかに返されて、わたしはほほえむ。

 わたしがみだらだから?

 彼女はころころ笑う。

 そういうところも好きよ。怖い夢を見たのに、あんなに濡れて。

 だって、忘れたかったから……あなたを満たして。あなたのなかにわたしがいれば、わたしは憩えるもの。

 イェシ……。

 彼女はほうっと息を吐く。すぐに口づけが雨のように降ってくる。

 キア……。

 あなたがそう言ってくれてうれしい。大好き……大好きよ……。

 せつなげな顔をして、彼女はわたしを見つめる。そんなふうに思い詰められて、わたしはこころが痛む。でも、それだけの存在になれたことがうれしい。口を開けて、口づけをねだる。彼女はすぐに応えてくれて、わたしたちは互いの感触に夢中になる。彼女の服をもどかしく引き剥がし、蜂蜜いろの肌をおおきく露わにさせる。にぶいランプの光に浮かび上がる、なめらかでしっとりした肌を、わたしは目で、てのひらで感じ取る。

 青々とした若葉のようなむすめの時分は過ぎて、お互いに腰や乳房にはたるみがついて、その豊穣がこのうえなくいとおしいと思う。汗ばんだ背をさすり、わたしの腰にまたがった彼女の乳房を口に入れ、さっきしてもらったお返しをする。

 ……ん……イェシ……あ……

 声を漏らす彼女の口に唇を合わせ、舌で貪りながら、手を下ろして、彼女の臀を揉みしだく。やわらかくてたまらない。彼女はわたしに抱きつき、

 もっとひどいことをして。

 と嘆願する。

 わたしは笑う。こういうときの「ひどいこと」は、痛みや苦しさを伴わないことなのだ。ただ、彼女をめちゃくちゃにする行為。

 彼女とくるりと体勢を入れ替え、寝台に彼女の肩を押しつけ、潤んだ瞳で見つめられながら、わたしは彼女の脚をおおきくひらかせる。エウドキアはからだがやわらかい。蛙のような不格好な姿勢で、曲げた膝が寝台につけられて、もっとも感じやすい場所がてらてらと光るのが見える。彼女の太腿に指を当て、脚のあいだに頭を埋めて、わたしが谷間の睡蓮だと思う場所に口づけする。ひ、とエウドキアが息を飲む。角度を変えて、なんども口づけする。彼女はあん、あん、とあられもない声を上げて啼く。あふれ出る蜜をすすり、飲み干し、舌でこすり上げ、泉を覆う花弁や、その上の鮮やかな快楽をもたらすつぼみをいとおしむ。

 ああぁん、イェシ、イェシ……

 彼女がわたしの頭をつかみ、せわしなくこすって、彼女の髪とは違う、すぐちぎれてしまうわたしの髪をかきまぜる。

 ん、んう……っ

 あえぎは泣き声が混じる。彼女は快楽が極まると涙を流すことがある。わたしはつぼみをつよく吸う。彼女は唇を噛んで、必死に声を抑えながら高くのぼりつめる。



 鐘の音とともに起き出し、祈り、歌い、食べ、働く。世俗にいたときは、それ以外のことに煩わされることが多かった。父の権力、母の悲しみ、命の不安――……

 わたしはここからはるか南に行った土地、紅海の交易で栄えるアクスム王国で生まれた。父は街道沿いに土地を持つ領主で、自分の屋敷に仕えていた貧しい生まれの母に手を着けた。正式な妻のいる父は、母を農村に戻し、たまに穀物を送ったり、領地を巡回する際に呼びつけたりする以外、わたしたちを放置していた。村でも主の教えは広まりつつあり、母もその教えに深く帰依していたが、自分の境遇がそれとはおおきく食い違うことにこころを痛めていた。

 叔父の家のそばに小屋を建て、そこにわたしと暮らし、叔父に与えられた畑でテフを育てていた。しかし、わたしたちは村に居場所がなかった。ふしだらな女、その私生児――わたしたちはそう思われていたのだ。教会からの帰り道、石を投げられたこともあったし、実った畑を荒らされたこともあった。叔父の目の届かないところで、母が男たちに連れ去られた。ぼろぼろになって家に帰ってきた彼女は、高地にある村のはずれの崖から身を投げて死んでしまった。

 叔父は父に嘆願して、わたしをかれのもとに送ろうとした。わたしは十歳になっていて、もっとおおきくなれば母と同じような目に遭うかもしれず、そうでなくても、わたしの存在はかれの重荷になっていた。

 父は――わたしはかれにいちどだけ会ったことを覚えているが、すらりとした体躯に、鼻筋が通り頬のこけた典型的なアクスム人の容貌で、ひとときだけ情を移した農民の女を哀れに思ったのか、顔をゆがめてわたしを見た。屋敷の牛小屋に数日だけ寝泊まりさせられ、そのあと、巡礼の一行に加わってイェルサレムへ行くように、と父の伝言を伝える女中に言われた。路銀と首にかける銀の十字架を与えられ、わたしは旅立った。教会で聴いた聖なる都をこの目で見られることはこころ躍ることだったが、母にはもう会えず、父と知らされた人物には突き放されたので、祈って暮らすことのできる修道院に入ることは、道々すでに考えていた。

 イェルサレムは、無数の聖堂に荘厳された街で、わたしは入る聖堂のすべての装飾に魅了された。モザイクやフレスコの綾なす聖なる像。主やマリア、天使、聖人たち。金銀のきらめきを持つ香炉や十字架、洗礼漕。聖職者の持つ杖や戴く冠。焚かれる乳香や没薬の、こころが天にのぼりそうになる香り。わたしは祈った。どうかわたしを、悲しみから解き放ってください。道に逸れたことで生まれたわたしを、あなたのもとへ飛んでいく霊的な鳥としてください。

 ひとびとの話すシリア語はひとつも理解できなかったが、巡礼団の長にかけあって、どこかの女子修道院へ紹介してもらえるよう頼んだ。

 そうして、わたしはここに来て、エウドキアに出会い、彼女と同じ僧房で眠ることにした。シリア語を学び、文字を習い、写本の絵や文字を書くことを自分の労働とした。未明に目覚めて祈り、わずかなパンを食べ、彼女の手を握ることができて、わたしは満足だった。わたしはよく、眠る前に彼女のすがたをパピルスに描いた。エウドキアはそれを見てにこにこし、やがて頬を赤くして、描いてくれてうれしい、と言った。彼女以外にはだれにも見せられないけれど、わたしは彼女に見せることだけでこころが温まった。写本のように、たいせつに扱われ、繰り返し読まれる絵ではないけれど、わたしの一番いとしい自分の絵は、そういった彼女の絵だった。

 しかし、彼女は冬の日、腹痛で倒れて、脚のあいだからたくさん血を流し、苦しみながら死んでしまった。

 子どもを産まない女、修道女たちは、しばしばそういった病で突然死ぬという。わたしは呆然とした。母のように道を逸れて子を産んだ女も、エウドキアのようにまっすぐな道を進んだ女も、結局苦しんで死ぬのだ。いったい、命とはなんなのだろう。聖書を読誦しても、答えを返してくれるはずの文字をほとんど理解できなくなった。修道院の日課をこなすことができず、寝付いているか眠れずに寝台にうずくまっているかで、同輩の読み上げる詩編も、声を揃えて歌う聖歌も頭を素通りし、からだの一部のように思っていたペンや筆を取ることもできず、とうとうわたしは修道院を無断で出て、冬で草一本生えない荒野をさまよった。夜は砂の上に寝転がり、空に満ちる星々を見上げた。

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