第263話 襲撃



「ずれてる! 誰も彼も、何もかもが、ずれにずれにずれている! ドルもそう思うだろ!?」


「…………アレンから見て皆がずれてるって事は、アレン一人がずれてるってのと同じ意味なんじゃ……」


「誰が相対性理論の話なんてした! いいかドル! ホットドッグを手に持って指笛でも吹きながら、気楽に観戦するはずだった観光客の手の平に、気が付いたら数十万人の命が載っていたんだぞ! 知り合いをうっかり褒めただけで世紀末覇者に認定されたんだぞ! どう考えても時空が歪んでいるとしか思えない!」


「……じ、時空が歪む? …………分かった分かった、確かにずれてる。全部ずれてる。分かったからそろそろ寝かしてくれ」


「そうだろう! ね、寝るだと!? バカ! ゴボウ! 勝手に未来へ飛ぶな! これから監督として最初で最後の――」


 と、この様にアレンの部屋で二人が客のいない漫才を繰り広げている所に、強くドアがノックされ、ドアの外でプリマが叫んだ。


「起きてますか監督! 大変です、マーティン君が――」


 アレンとドルが慌てて外に出ると、そこには目に涙を溜めたプリマがいた。



 ◆



「ギ、ギライ様! マーティン・ガバナンティス襲撃の件でお話が!」


 ギライは側近のクーナが入室するなり開口一番叫んだその報告の意味が分からず、わざとらしくため息をつき、落ち着いた動作で紅茶を飲んだ。


「……何時だと思っているのかね、まったく騒々しい。いったい何の話をしておる。報告をする時は要点を整理してから来い。何度も同じ事を言わせるな」


「も、申し訳ございません。迎賓館に滞在中のユグリア王国二年代表、マーティン・ガバナンティスをギライ様直属のフレイン小隊が襲撃した件でお話が……」


 その要点が整理された報告を聞いたギライは、やはり何を言われたかさっぱり解らず再度問い直した。


「ふ、フレインがユグリア王国の……? 何の話だ?」


 クーナは疑念の目をギライへと向けた。


「は? …………ご存じないので? 被害者は昇竜杯の運営事務局のIDを着用した女とフレインに伴われ、第四魔法修練場へと向かい、そこで待ち構えていたフレイン小隊と戦闘になり、重傷を負った模様です。被害者は自力で小隊の囲みを突破し、たまたま他国の一行に助けを求め、フレインはそのまま逃亡しています」


 ギライは手に持っていた紅茶のカップを取り落とした。


「な、なんだそれは……。知らん。わしは何も知らんぞ! 何かの間違いでは無いのか?」


 クーナは顔を歪め、首を横に振った。


「フレイン本人が警護として付き添い現場へと移動した事は、多数の目撃者がおり間違いありません。何より第四修練場でフレイン小隊の約半数、十余名が返り討ちにされており、倒れていたところを捕縛され、上の命令でやったと罪を認めていると……。フレイン本人の行方は分かっておりませんが、恐らくすでにマリラード宮殿から脱出した可能性が高いでしょう。が……彼の所持品であるナイフなどの物証が多数現場に残されているようで……この状況を、ギライ様が知らぬ存ぜぬで押し通すのは……流石に……」


 クーナがそう言って力なく項垂れると、ギライはしばらく呆然とした後、いきなり激昂した。


「…………フレインめ! あれほど目を掛けてやったというのに裏切りおったな! 知らんもんは知らん! どうせアリーチェあたりの謀略に決まっておる! いや、この際真実などどうでもいい! 急いで根回しをして、アリーチェに罪を――」


 そこでギライの私室のドアが、きぃと小さく軋みながら、ゆっくりと開かれた。


「……仮に何者かの謀略であったとして――」


 入室してきた蛇のように目つきの鋭い男は、ギライが言葉を呑んだのを確認して静かに告げる。


「――迎賓館の内部で、他国の昇竜杯出場者にけが人を出した責任は免れませんよ? 警備責任者のギライ皇子」


 男は、ロザムール帝国正規軍の軍服に、赤の腕章……銭形模様の蛇革で作られた特徴的な腕章を巻いている。


 その腕章は、皇帝直属の軍警察、いわゆる勅令憲兵のシンボルだ。その捜査権限は皇帝以外の全てに及び、当然皇族も対象となる。


 いわば皇帝の重要な権力基盤の一つであり、そのあまりの権限の強さ故に忌み嫌われ、それと同じだけ恐れられている。


「き、貴様はマムシ!」


 男は三白眼で下から覗き込むように、ギライの目をきっかりと捉えている。


「……しかも容疑者は、つい先日他国の騎士を杜撰な手法で暗殺しようと目論んだギライ皇子に、長年つき従っていた部下だ。……ご同行願います」


「こ、こんなものはアリーチェ辺りの謀略に決まっておるだろう……。いや、もしかしたらユグリア王国の自作自演の疑いすらある。この程度の事で、わざわざ勅令憲兵隊の隊長が出張るな、マムシ。皇帝の権威に響きかねん。貴様と私はこれまでも程よい関係で、うまくやってこれた。わかるなマムシ」


 ギライは額に大量の汗を掻きながらも、何とか平静を装ったが、男はにこりともしなかった。


「……この程度の事? 『昇竜杯出場者』に、我が国の軍人が迎賓館内で襲撃したのですよ? 戦士階級の者が、卑怯な手段で。これは外交使節に手を出したに等しい、タブー中のタブーです。ユグリア王パトリックは激怒しており、今すぐにでも出ていきかねない剣幕との事です。当然他国も軒並みユグリア王国に同調し、騒ぎ出している」


 男はゆっくりとギライへと近づく。ギライはだらだらと汗を掻いているが、蛇に睨まれた蛙の如くその場から一歩も動けない。


「ま、待て! 本当に心当たりがないのだ! そうだ、取引をしよう! 私が皇帝になった暁には――」


 マムシの手がぬるりと延びギライの腕を掴む。次の瞬間、ギライの肩からごきりと嫌な音が響く。そのままギライは床へと叩きつけられた。


「ぐあぁぁぁああ!」


「……私の主人は生涯一人。皇帝、ラウール・ラ・ロザムールのみです。そもそも勅令憲兵への贈賄は死刑ですよ?」


 男はうずくまってうめき声をあげているギライに冷たく言い放った。


「……この場で殺しても問題はないのですが、すでに即刻首謀者を逮捕して然るべき処置を取った事を他国にアピールせねば、収まらない所まで来ているのですよ。もとよりあなたには何も期待していませんが……せめて最後くらいはこの国の役に立って頂きます」


 男が手を挙げると、同じ腕章を巻いた人間がどこからともなく現れ、尚も言い訳を続けるギライを引っ立てていった。


「さて」


 マムシと呼ばれた男は、部屋に残され、がたがたと震えるクーナに息が掛かる程に近づいて、耳元で囁くように警告した。


「あなたの本当の・・・あるじに伝えておきなさい」


 ぴたりとクーナの震えが止まる。


「――何をどう利用しても別に構いませんが……次、皇帝に頭を下げさせたら……我が君が不問としても、私は許しません。警告しましたよ?」


「…………。」


 ハンズアップしてこくりと頷いたクーナの目を暫く覗き込んでいた男は、やがて踵を返して部屋を出ていった。



 ◆



「やぁみんな。心配をかけて済まないね」


 マーティン先輩の部屋へと急いで向かったところ、気丈にも先輩は笑顔を見せた。


 だが胸から肩にかけては痛々しく包帯が巻かれている。


 ムジカ先生が付き添っていたようで、現時点で分かっている事を簡単に説明してくれた。


 先輩は、初日の昇竜杯の事前魔力量測定の道具に不具合があったかもしれないので、再測定させて貰いたいと打診を受けて呼び出されたようだ。


 少し変だなとは思ったが、係のIDも付き添いの警護の騎士もどうみても本物で、従うしかなかった。


 複数国の立ち会いの元再測定するとの事で、魔道具が煌々と灯る修練場へと入ったら、いきなり灯りが落とされ、帝国正規の軍服を身につけた、小隊規模の賊に襲われた。


 訳もわからないまま何とか反撃して、怪我を負わされつつも必死に囲みを突破して脱出したら、たまたまファットーラ王国の一行が通りかかったので、助けを求めたら賊は諦めた。


 そのまま気を失って、気がついたらここで治療を受けていたとの事だ。


「それで先輩……怪我の方は大丈夫なんですか?」


 俺が遠慮気味にそう聞くと、先輩は少しだけその表情を曇らせた。


「あぁ、さっき騎士団所属の聖魔法士が派遣されてきて、治療してくれた。流石の腕前だね。でも……肋骨の骨折箇所が悪くてね……。少しずつ経過を見ながら治療するしかないから、しばらく安静だと言われたよ。ごめんねプリマ先輩、ドル。せっかく名前を売るチャンスなのに、明日のチーム戦は出られそうもない」


 プリマ先輩は優しく首を振った。


「マーティン君は悪く無いです。万が一にも治療で内臓や魔力器官を傷つけたら大変ですから、ゆっくり休んでください」


「ええ。一番悔しいのは先輩だって分かってますから。……それにしても、小隊に襲われてよく無事でしたね」


 ドルがそう言うと、マーティン先輩は難しい顔をした。


「う~ん……二人、近接で手強いのが混じっていてね。あれは多分……王国でいう近衛騎士団員クラスだった。正直厳しいと思ったから、無事に脱出できたのは自分でも意外だった。と言うよりも、初めから怪我をさせるのが目的だったんじゃないかな。本気で他国の目も厭わず開戦覚悟で殺すつもりなら、陛下やアレンをターゲットにするはずだしね」


 先輩の指摘に沈黙が流れる。


 確かに、もし本気で殺すつもりなら、その状況で生き残るのはいくらマーティン先輩でも至難の技だろう。


 計画も余りに杜撰であり、これでは犯人を捕まえてくれと言っているに等しい。


 自国の宮殿内で殺すつもりなら、もっと確実で、一目につかない手段があるだろう。


 随分ときな臭い話だ。


「何が目的なんでしょう……」


 プリマ先輩がそう呟き、皆がう~んと首を捻った所で部屋のドアがコンコンとノックされた。


「ムジカ? カタリーナよ。今回の件の首謀者が捕縛されたから、その報告と謝罪に来たわ。開けてもらえるかしら?」


 カタリーナ……確か帝位争いをしている第二皇女とアリーチェさんが言っていたな。


「…………皆さんはここに座っていてください」


 淡々とした口調でそう言って立ち上がったムジカ先生を見て、俺たちは思わず息を呑んだ。


 その声音には、横顔には、隠す気の無い怒気がありありと浮かんでいる。


 ムジカ先生が……生徒が何をしても決して怒ることのなかったムジカ先生が、めちゃくちゃ怒っている。


 母上やゴドルフェンとはまた違う迫力……何というか、絶対に怒らせてはいけない人が怒っているという迫力がある。


 見ているだけで背中に冷たい汗が流れる。


 ムジカ先生はドアを開けた。


「久しぶりねムジカ。言いづらいのだけど……事件の黒幕は兄のギライで、すでに憲兵に捕縛されたわ。詳しく説明したいから、中に入れてもらえるかしら? 被害者の子にも直接謝罪したいし……」


 そう言ってカタリーナさんが戸を潜ろうとしたところで、ムジカ先生が両手杖をブンと振り、その行く手を阻んだ。


「……話はここで聞きます。謝罪は皇帝から陛下へしていただければ結構です。……貴方達帝国は信用できない」


 そう言ったムジカ先生の背中は、まるで我が子を背後に庇うバリーバライオ獅子ンのように、途轍もない迫力に満ちていた。

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