第262話 幕間 洋館と正座
帝都オリンパスからほど近い森の奥に、古い木造の洋館がある。
この森は、ロザムール家が皇族による狩りの訓練等に利用することを目的に保存している森で、帝都から馬で数時間という立地にも拘らず、開発はもちろん、探索者や一般人の立入りすら禁止されており、手付かずの森林が保存されている。
その古い洋館はそんな森の深部にあり、ロザムール家の保有にも関わらず庭は荒れており、外壁には蔦が絡みついている。
数代前の帝位争いに際して、当時の皇帝を弑逆しようとして逆鱗に触れた複数の子と関係者数十人が惨殺された凄惨な過去があり、それ以降は離れた場所に建てられた別の新館が利用されているからだ。
ときの皇帝が戒めとでもいうように、古い館をそのまま放置したため、館周辺は昼間でも薄暗いほどに荒れ放題となっている。
昇竜杯の初日が行われた日の夕方。
そんな人の近寄らない薄暗い洋館に、暗い火が灯る。
◆
「五人か……少ないな」
ハンチングを目深に被った男がそう言うと、筋骨の隆々とした老人がしゃがれ声で答える。
「仕方があるまい。皆が皆、お主のように暇ではない。それぞれに表の顔があるのじゃ。他国で気軽に出歩く事は出来んよ。特に今は、あらゆる国の間諜が蠢いておるからのう」
「ふん。……影どもを使っている俺とて暇ではない。では早速聞こうか……なぜ奴が皇帝の隣に座っていたのか。そして何を話したのかを」
そう言って一人の女に話を振る。
女ははいはいとVIP席での出来事を話し始めた。
「……報告はこんな所よ」
円卓の一角に腰掛ける、つばの広い魔女帽をかぶった声の若い女が報告を終えると、腰掛ける五人は沈黙した。
ややあって、対角に座る目深にハンチングを被った中年の男が忌々しそうに吐き捨てた。
「アレン・ロヴェーヌめ……。次から次に訳の分からん事をしおって……」
「相変わらず狙いが見えないわねぇ。やりづらい子……」
女は困ったように人差し指を顎にやった。
「……行方知れずになったと聞いて、てっきり『組織』に探りを入れてくると思い警戒しておったが……まさかの末弟キャスティーク。それも堂々と面会したことを報告するとは、予想外にもほどがある。……皇子は武の才はそこそこ、中身は平凡。そう聞いておったが?」
しゃがれ声の老人が肘をついて問うと、女は不思議そうに小首を傾げた。
「おかしいわねぇ……小さな頃から見ているけれど、挨拶代わりに人を殴る、なんて事ができるほど、見どころのある子じゃなかったはずよ。けどまぁ、マッドドッグとして会ったみたいだし、もう隠す気もないみたいね。探索者レンの正体は、アレン・ロヴェーヌ。まさか隠しきれるとは思っていないでしょう。そもそも隠す意味もよく分からないし」
「ふぅむ……。まぁキャスティーク皇子については泳がせるしかなかろう。恐らくは帝位争いの攪乱を狙ったブラフじゃろうが、アレン・ロヴェーヌと面識があり、少なくとも表向きは認め合う関係となれば、この先で使いどころがあるやもしれん。殺ろうと思えばいつでも殺れるしのう。それよりも問題はそのアレン・ロヴェーヌじゃ。のうゼスト?」
ゼストと呼ばれたハンチングの男が我が意を得たりと首肯する。
「その通りだ。猫殿や陰どもの情報を繋ぎ合わせても、やはり王国騎士団と連携している様子はない。そもそも情報を集めている気配すらない。色々と餌も撒いたが掛からんし、やる事なす事意味不明で、にも拘わらず影響力は増すばかり。その上、私が気が付くまで誰もあのドスペリオルの血を引く事実を知らなんだ。……あまりにも危険だ。下手をしたら我々の計画に重大な影響が出かねんぞ?」
ゼストが、大袈裟な身振りで自分の手柄を強調しつつそう言うと、年季の入った両手杖を抱える老婆が目を細める。
「……本当にラウール帝の読み通り、そいつの狙いは大陸の統一にあるのかねぇ?
老婆の指摘に全員が再び沈黙した。
むしろそうなれば狙い通りなのだ。十数年もかけた周到な準備を合わせれば、力をつけ過ぎたユグリア王国は容易く亡国への道を歩むだろう。
そして、そんな指摘を各国首脳の前でロザムール帝国皇帝から受けた意味は、あまりにも重い。
この先各国は、何かあった際すぐに『やはり』と思うだろう。
まさに筋書き通り。
だが――
これではまるで味方だ。
あの賢王と名高いパトリック王が、そんな事を許可するとも思えない。
「……本当に、やりづらい子。これ以上予測不能な動きをされても困るし……消す? ここで」
円卓に腰掛け、これまで沈黙を守っていた、フードを目深に被った男に魔女帽子の女が尋ねる。
フードの男は笑顔で首を振った。
「敵国へふらりときたり、わざわざ迷子になっただなんて噂を振り撒いたり、いかにも食べてくださいと言わんばかりだけど……わざわざ毒饅頭かどうかを試す必要はないよ。雇いの傭兵が井戸に投棄したという魔導車もやっぱり罠だったし、どうも僕たちを表に引きずり出そうとする意図を感じる。我慢比べだね。ゼストはもうトーモラに接触しちゃだめだよ?」
「……分かってるさ」
「……う~ん、でもせっかく国外に出てきてくれてるんだ。出来ればこの機会にもう少し情報が欲しいな」
魔女帽子の女は頷いた。
「……あの
「ふふっ。この国の事は任せるよ。……それにしても『何もかもがズレてる』、ねぇ。その最後にアレン・ロヴェーヌが叫んだという言葉は、どういう意味なんだろう?」
フードの男は微笑みながら皆に問いかけたが、誰も答える者は無かった。
◆
「……つまりその『悪童』が皇子とは毛ほども知らず、軽い気持ちでスラムのチンピラのボスに観光の許可を貰いに行ったつもりだったと。アレン・ロヴェーヌ」
今俺を厳しい視線で詰めているのは陛下に帯同していた外務官僚の偉いさんで、名前はビオラさんだ。
俺は陛下の居室の中央で正座をしたまま、力なく頷いた。
皇子がスラムでチンピラムーブをしてるだなんて、一体誰が予想できるんだ……。
「……すると悪童、もといキャスティーク皇子は、子供に非合法の薬を売りつけて薬漬けにして洗脳教育をするわ、話の途中でいきなり殴りかかってくるわ、挙げ句の果てには国家の転覆すら目論む、自他共に認めるとんでもない悪党だったので、良かれと思って報告したと。アレン・ロヴェーヌ」
お白洲に引っ立てられた罪人である俺は、正座したまま力無く頷いた。
「……そしてなんら他意もなく、綺麗なお姫様を気品があると褒めたら、なぜか我が国は大陸の統一を目指すと宣言したと曲解され、しかもそのお姫様は放火魔などと呼ばれている気品とは程遠い人物だったと。アレン・ロヴェーヌ」
正座した俺は、ぐるりと俺の周りを囲んだ偉い人たちに、白い目を向けられたまま力なく頷いた。
これについてはもはや怒りを通り越して笑いたくなるほどだ。
いったい誰がこの百万光年以上の距離がある曲解を予想できるというのか。
そんなものが大陸統一なら、こんにちはで宮殿爆破か? もはや挨拶すらできないぞ?
と、そこで腕を組み目を瞑ったまま話を聞いていた陛下が口を開いた。
「……そちの筋書きは分かった。まぁよい。あやつは再三の会談要請にも応えなかったし、あの場でもわしとの話し合いに応じる気はまるでなかった。一か八かで局面を動かしに行ったアレンの狙いも悪くはないし、もし動かなくても結果は同じだっただろう。アレンがアイオロス同様に大陸統一を目指している、などと強引に話を飛躍させたのは、周辺国に『ユグリア王国は国土を拡大する野心がある』と思わせるための、印象操作の意味合いが強いだろうしな」
「へ、陛下……」
俺は思わず涙ぐんだ。
どう考えても俺には一ミリの落ち度もないし、筋書きもへったくれもない。
だがそれでも、俺の発言がきっかけで戦争に突入して、何十万人もの人が亡くなった、などと言われたら後味が悪すぎる。
ビオラさんはまだ何かを言いたげではあったが、陛下がそのように総括してくれたお陰でいくぶん視線を緩めた。
「……まぁよかろう。では、わざわざ会いに行った悪童キャスティークの、本当の評価を聞かせて貰おうか。正直に言おう。国際情報部でもキャスティーク皇子については調査をしていたが、帝位争いという意味では完全にノーマークだった。ロザムール家の皇子としてはその才は平凡で、何より性格が善良すぎるという見立てだ」
俺はうーんと首を捻りながら、その印象を正直に語った。
「そうですね……確かに才気煥発というタイプではありませんでした。どちらかというと、奴と組んでいた怪童という男の方が、底知れない伸び代があったように思います。もっとも、こいつは明らかに先天性魔力器官肥大化症候群に罹患している兆候が出ていましたので、この先
俺がこう言うと、ランディさんは眉をぴくりと動かし、その顔を僅かに歪めた。
ビオラさんが顎に手をやり頷く。
「…………なるほど。恐らくその怪童の正体は、病死したとされているキャスティーク皇子の同腹の兄、ラティーク皇子。『魔族の祝福』は外聞が悪い。身分を剥奪されスラムへと放逐されたのだろう。それでキャスティーク皇子がスラムに通っている理由も見えた。その人となりもな。……キャスティーク皇子自体はやはり凡庸という事か?」
ビオラさんの質問に、俺は悪童の無垢そうな顔を、そして悪童を取り巻く奴らの顔を思い浮かべながら、ゆっくりと首を横に振った。
「何をもって凡庸とするか、でしょうね。……確かに悪童にはずば抜けた才能はないかもしれない。でもあいつには、人を入れる不思議な度量がありました。まぁ簡単に言ってしまうと、あいつの為なら死ねるという奴らが、この先わんさか出てきそうな予感がします。まったく……悪いやつだ」
俺がそう言って肩をすくめると、陛下はそのブルーの瞳をきらりと光らせ、豪快に笑った。
「がははははっ! なるほどのう。それは確かに、対峙してみなければ決してわからない、その者の本質だ。そしてそれは、帝王にとってもっとも重要な資質とも言える。わしも会ってみたいのう、その『悪童』に」
ビオラさんはため息をついた。
「笑い事では有りませんよ、陛下。敵です」
◆
アレンとビオラ達が退出した後。
「陛下……」
「……言わずともよい」
ランディが苦しげな顔で何かを伝えようとしたところ、パトリックはその顔を見て遮った。
「言いたくないのであろう? そちを信じておる」
ランディは一瞬逡巡したあと、独り言を言うように、壁に向かって呟いた。
「……怪童にも……奇跡が起きるやも知れません。我が妹、セシリアに奇跡が起きたように」
パトリックは、何かを思案するように長く沈黙した後、ため息をついた。
「……なるほどのう……。そして衝撃的な悪の天才は剣を手にする、か。……死をも厭わぬ
――アレンが、どうしてもその目で確認したかった事。
パトリックとランディだけは、アレン・ロヴェーヌの真意に辿り着いていた。
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