第261話 昇竜杯(3)



 あれだけ楽しみにしていた昇竜杯の初日。


 俺はとんでもない場所で白目になっていた。


 ロザムール帝国を統べる皇帝、ラウール・ラ・ロザムールが、何を血迷ったのか『お前はここで見ろ』などと、各国の元首やその代理が居並ぶVIP席の最前列になぜか俺をいざなったからだ。


 もちろんそんな立場にないとか、任務中だとか色々言い訳を並べて、何とか回避しようと試みたが、すべて無視され、あっという間に俺の席が設置された。


 俺が助けを求めてランディさんを縋るように見ると、ランディさんは力強く頷いてこう言った。


「きたか……アレンの双肩には何十万、何百万という民の命が掛かっておる。頼んだぞっ」


 頼むなっ!


 何だこれは新手のいじめか……敵国の皇帝の前でげろ吐くぞ……。


 そもそも昨日まで俺は、その辺のダフ屋でチケットを買って、ホットドックでも食いながら一観光客として気楽に観戦しようとしていたのだ。


 それがジャスティン先輩に発見され、強引に連れ戻されたので、まぁ監督として選手に『根性出せ』的なそれっぽい声援を送るのもありか、などと仕方なく気持ちの整理をつけた。


 にも拘わらず、今日になっていきなり騎士団としてVIP席で陛下を守護するランディさんの補佐を頼む、などと命じられた。


 たった一日で落ちるところまで落ちたと思っていたのに、最後の結末は皇帝と陛下の間のポールポジションで観戦だと? 何の罰ゲームだという話だ。



 すでに一年の競技が始まっているが、全くもって集中できない。


 白目を剥いて空気に徹している俺を挟んで、こんなやり取りがなされているからだ。


「ラウールよ。わざわざアレンを座らせたという事は、ようやく話をする気になった、という事か?」


「お前と話すことなど何もない。折り合える訳が無いのだからな」


「……なぜ無益に民の血を流す必要がある? 我々が手を握れば、大陸の平和も夢物語ではなかろう?」


「くくっ。つかの間の、見せかけだけの平和は、な。だが次代は? その次は? これまでの和平がその後何をもたらしたのかを、ロールディオン王国を滅ぼしたお前らが忘れたとは言わせんぞ」


「……あの国は、圧政に耐えかねた民が立ち上がり、自ら今のジュステリアへと生まれ変わったのだ」


「お前らから見たらそうだろう。だが滅ぼされた側はそうは思わん。少なくともお前らの支援がなければ、あの時点で滅ぶ事は無かった」


「しかし――」


「人にも国にも敵が必要だ。敵がいないと堕落し、腐敗し、そして滅びる。お前と俺とでは考え方が違う。国同士の思想も全く違う。話すだけ無駄だ」



 全くもって集中できない!


 重いのよ!


 もっと楽しんでいこうよ! 選手頑張ってるんだからさぁ!


 俺は心の中でそのように念じていたのだが、その怨念も虚しく陛下はあっさりと俺を話に巻き込んだ。


「……アレンに聞きたい事とはなんだ?」


 陛下にそのように問われた皇帝が、好戦的な、苦み走った笑みを俺へと向ける。


「……キャスティークが挨拶代わりにお前を殴ったというのは、本当か?」


 ……キャスティーク? 確か悪童はキャティと呼ばれていたから、悪童の本名か……?


 何で皇帝があんなスラムの小物の名前を知っているのだろう?


 もしかして反乱分子として、すでにマークされていたのか。……まぁ確かに、身体強化の出力などからして伸びしろはかなりのものがありそうだったが。


 ……わざわざ俺がちくるまでも無かったか。


 終わったな、悪童。


「えぇ、いきなり魔力をたっぷり込めた拳で問答無用にぶっとばされました。下手をしたら死んでましたよ。その上『男の握手は顔面パンチ』などと常軌を逸したセリフを平然と言い放っていました。あいつは頭のネジがぶっ飛んでる」


 俺は先生にいいつける小学生のように、少々話を大げさにしつつ念のため追い打ちをかけた。


 すると皇帝は実に愉快そうにしばらく笑ってから、こんな風に聞いてきた。


「くくっ。くっくっくっくっ。……なぜ敵を育てる?」


 …………今の話を聞いて、いったいなぜ俺が他国の反乱分子を育てているなどと曲解するんだ……。


 さすがズレ男ギライの父ちゃんという事か……。


「わ、私が育てる訳が、ないじゃないですか。あいつは勝手に育っていましたし、これからも勝手に育っていきますよ。『悪の天才』、悪童キャスティーク。全くもって危険な男です」


 俺は嫌疑をきっぱりと否定して、かつ危ない奴だと再度警告してから、妙な言質を取られないように『おっドルだ!』などと話をそらした。


 しばらくドルの競技を見ていて、あいつの変態チックな制御力の異常さに会場がざわめき始めたところで、さして興味のなさそうに競技を見ていた皇帝が再度話しかけてきた。


「…………あいつは強いのか?」


 やっと昇竜杯を見る気になったのか……。


 そしてあいつは俺がある意味一番羨む男だぞ?


 皇帝から見たら正直まだ実力は大した事が無いと思うが、はっきり言って伸び代の塊だ。


 ここらで軽くかましておけば、スカート捲り研究部の悪名も少しは沈静化するかもしれない。


 俺はVIP席に陣取る皆に聞こえるように、少しだけ声のボリュームを上げた。


「……あいつは体外魔法研究部『鬼の副長』、ルドルフ・オースティン――」


「ドル~けっぱれ~! けっぱれドル〜!」



「…………ただのごぼうです」



 ◆



 ドルめっ!


 ドルめドルめドルめぇぇぇい!


 何をやり切った顔で、爽やかにスタンドに手なんか振っているんだ?


 鬼の副長が暫定二位で満足してどーする!


 しかもよく聞くと、ドルを応援するために駆けつけたと思しき女の子の懸命な声援は、一人や二人ではないぞ?


 前からうすうすは思っていたが……あいつはいつの間にか……あちら側の人間になったのか?


 ララなど感極まったように、目に涙を浮かべながら拍手を送っている。


 わざわざ応援のために駆けつけた恋の魔術師には、どう考えても仕事はなさそうだ。



 俺はいったい何をしているんだ……。


 こんな所で『万の命』がその双肩に掛かるなどと無茶苦茶を言われて、偉い人に囲まれて正座して……。碌に試合も楽しめない……。


 ふと気がつくと競技は三年の部にまで進み、スタート地点で気品溢れる所作でストレッチをしているお姫様が目に入った。


「……あぁ、……やっぱり気品が違うなぁ」


 ついそのように遠い目で現実逃避の言葉を漏らすと、皇帝は実に楽しそうに、こんな事を言ってきた。


「くくっ。狙いはやはりリーチェか……。巫女が欲しければ力で奪いとれ。全ての一族を屈服させ、五人の姫を人柱に捧げさせた、かつての神眼通しんげんつうのようにな」


 ひ、人柱だと……? ご先祖様アイオロスは一体何をやらかしたんだ……?


「……何の話か――」


 さっぱり意味がわからないと言おうとしたところで、アリーチェさんの競技が始まり、同時に地鳴りのような轟音と歓声が響く。


 4364!

 4336!

 4402!


 アリーチェさんは途轍もない魔法の構築速度で、ターゲットを次々に薙ぎ倒していく。


 無造作に構築しているように見えるが、その純度、つまり破壊力ダメージスコアも他の選手から頭二つは抜けている。


 流石はあの王立学園で首席を取ったプリマ先輩を抑え、昇竜杯を二連覇しているだけの事はある。


 4426!

 4458!

 4513!

 4593!


 それでも限界はまだ先にあったらしく、アリーチェさんの両の手から放たれる炎の威力がいや増していく。


「いいぞ〜放火魔〜! 流石は皇女様だぜ!」


「気に入らないもの全てを燃やしつくすお姫様〜!」


 …………き、気のせいか……?


 今自国の皇女の事を放火魔などと呼んだ不届きものがいたような?


 あの気品溢れるお姫様に対して何たる無礼――


「はぁぁぁああああ!!!」


 そんな事を考えていると、競技中のアリーチェさんが気合いのこもった雄叫びを上げた。


 …………ま、まぁ全力で競技に臨んでいるんだから、お姫様でも腹の底から声くらい出すよね。


 ちょっと目がいっちゃってる様に見えるけど、多分煙のせいかな?


 4671!

 4768!

 4836!

 5002!


 競技も終盤に差し掛かり、アリーチェさんはさらに速度と威力を増していく。


 まだ魔力に余裕があるのか、明らかにターゲットが立ち上がる前から無茶苦茶に魔法を放っており、もはや競技場そのものが燃えているようだ。


 そして自らが放ったその炎を見る眼には、どう見ても狂気としか言いようのないアブない光が宿っている。


 5133!

 5680!


 アリーチェさんは最後のターゲットをこの日の最高スコアで薙ぎ倒し、競技を終えた。


「「放・火・魔! 放・火・魔!」」


 会場からは大興奮の放火魔コールが巻き起こる。


「…………お黙りなさい」


 だがアリーチェさんがいつもの気品溢れる声で会場を制すると、会場はピタリと鎮まった。


「……燃やすわよ?」


 そして狂気溢れる目でそう付け加えると、会場は再び大爆発した。



 ◆



「くっくっ。……お前がかつてのアイオロスと同様に覇道を歩むと言うのならば、どんな手を使ってでもユグリア王国ごと叩き潰す。だが――」


 最後のアリーチェさんの競技を見終わった皇帝は、さっさと立ち上がりコンコースへと向かって歩きはじめた。


「ロザムール帝国は……我がロザムール家は戦士の家だ。もしお前が数多あまたの屍を踏み越えて、この大陸に覇を唱えるとしたら――リーチェは喜んでその身をお前に捧げるだろう」


 皇帝はそう言い残し、かっこよくマントをはためかせながら消えていった。


 スタンドからは終わらない放火魔コールが響きわたり、火を見ると性格が逝っちゃう系お姫様は、ふと気がつくと逝っちゃった目のままこちらに好戦的な微笑みを向けている。


 隣でパトリック陛下が深い深いため息をついて、ボソリと『ほぼ……宣戦布告だな……』などと呟く。


「……ズレてる」


「ん? 何か言ったかアレン?」


 俺は天に向かって吠えた。


「何もかもがズレてるぅぅううう!!!!!」



 ◆ 後書き ◆


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