第260話 昇竜杯(2)
時は昇竜杯初日の開始時刻の少し前まで遡る。
「やはりキャスティーク皇子は出席されない、との事です。興味がないとおっしゃって……」
昇竜杯の会場、その皇帝の控室でロザムール家の使用人より報告を受け、ギライはいらいらと舌打ちをした。
「ふんっ。本音は才能溢れる同世代達が集結する場に出て、自分と比較されるのが嫌なのであろう。何たる軟弱さよ……」
会場警備の責任者をしているギライは、何事も計画通りに進まないことを嫌う。
末弟キャスティークは学院卒業前でまだ継承権はないし、ただでさえ家格の低かった実母に早世され、何の
ちなみに、
いずれにしろ皇帝ラウールは才気煥発と評判のアリーチェなどに対する態度とは違い、その真面目温厚と言われる末弟に興味を示した事は、ギライが把握している限り一度もない。
長じて傑物と噂になっていた、同腹の兄も病で失った悲運の男ではあるが、帝位争いからはすでに脱落しているとすら言える立場だからこそ、利用価値があるとギライは考えている。
アリーチェが帝位争いに参戦すると明言した以上、少しでも勢力を拡大したい。
立場上中々大手を振って交流できる場はないので、この機会に多少強引な手を使ってでも陣営に引き入れようと画策していたのだ。
「いかがなさいましょう、陛下」
「…………放っておけ」
控えの間の最奥に掛ける皇帝は、心底興味なさそうにそう言った。
◆
各国の招待客が揃ったとの連絡を受けて、皇帝ラウールをいざなうため、ギライは一団を先導して会場へと入った。
専用のコンコースからスタンドへと出て、ギライはすぐにその存在に気が付いた。
ユグリア王家を守護する、揃いのシルバーのマントを身に纏っている事で有名なユグリア王国騎士団の近衛軍団。
そのマントに、大陸中から畏怖の念を集めるドスペリオル家の髑髏の家紋が刺繍されたものを羽織った男が、音に聞く近衛軍団長、ランディ・フォン・ドスペリオルだろう。
だがギライの目を引いたのはその男ではない。
随行者の数が制限されている超VIP席に似つかわしくない、もう一人の明らかに若年の男は、シルバーではなく漆黒のマントを羽織っている。
そして何より、その顔には離れ目の男が虚な目で皮肉げに唇を歪めている、不気味なお面をつけている。
…………あれがアレン・ロヴェーヌ。この私をこけにした若造――
気に食わないことに、各国から派遣されている使節団も、食い入るようにその男の存在を意識している。自分の到着に気がつかないほどに。
「ごほんっ」
ギライは一つ咳払いをして注目を引いてから、ユグリア王の十メートルほど後方の上段に控える二人に向かってゆったりと歩いた。
「……貴殿がランディ殿か? 私はこの会場の警備を預かるギライだ」
そう言って差し出された手を、ランディがそっと握る。
「ランディだ。お初にお目にかかる」
たっぷり五秒も握手をする間、各国が固唾を飲んで様子を見守る。
帝国にとって、ドスペリオル家当主は目の上のたんこぶなどという言葉では済まされない。
長い長い歴史の中で、言うなれば帝国建国前から常にロザムール家の行く先を阻んできた、不倶戴天の敵なのだ。
両者が手を離すと、皆の視線は自然アレンへと向かった。
すでにギライ皇子がアレンを暗殺しようと襲撃を仕掛け軽くあしらわれただの、いやアレンは命からがら逃げ出し身を潜めただのといった、それぞれに都合の良いように歪められた噂話が各国の間を駆け巡っている。
因縁のある両者がこの後どのようなやり取りをするのか、その一挙手一投足まで見逃すまいとして注目していると言える。
だがギライは、お前と自分では格が違うとでも言いたげにアレンとは目も合わせず、明後日の方向を見ながら独り言のように呟いた。
「ふんっ。……そう言えばどこぞのドブネズミがこそこそと我が国内部を嗅ぎ回っておったようだが、このギライの目が黒いうちはこのオリンパスに隙などない。命が惜しければ身勝手な行動は控えることだ」
この警告を受けて、アレンは震えた。
その様子を見たギライは気をよくして踵を返し、段を半分ほど降りたところで振り返りもせず低くこう警告した。
「――次はない。私が寛大で良かったな」
「……くくっ」
アレンはつい吹き出した。
◆
「……命が惜しければ、身勝手な行動は控えることだ」
ギライ皇子とやらは、やたらと高圧的に、どこか演技がかった調子でそんな事を言ってきた。
ただ楽しく観光しただけなのに、これはいったいなんの冗談だ?
そもそもの始まりは身勝手な理由で命を狙われた事なのに、なぜその犯人に身勝手な行動を控えろなどと説教されるのだ。
まさに
グラフィアさんがやたらと小物だと強調して陰口を叩いていたが、思った以上にずれている。
俺は怒りを通り越して、むしろその演技がかった大物感の演出が面白くなっていた。
咳払いの登場シーンから始まり、いちいち動きがクサいのだ。
俺もそういうノリは嫌いではないが、ここまでやり切る自信はない。
だが流石にここで笑ったらやばいことくらいは、前世TPOのやかましい日本で育ったのだから分かる。
一度そういう方向に見えてしまうと、いちいちマントをたなびかせるだけで面白い。
俺が笑いを堪えて震えている事に気がついたランディさんが、首を小刻みに横に振りながら『絶対に笑うな』と訴えてくる。
笑うなと言われれば、笑いそうになるのが人間だ。
だが、俺は耐えた。前世はTPOのやかましい日本で鍛え上げられたのだ!
ギライ皇子は足元を見ずに視線を前方に固定したまま階段を下りていき、その中程で迫力のある声で決め台詞を吐いた。
「――次はない。私が寛大でよかったな」
その気持ちよさそうな背中が、とある歌劇団のスーパースターのようで、俺はつい風魔法でかっこよく皇子のマントをはためかせる演出を加えた。
「……くくっ」
ランディさんが天を仰いだが、これはしょうがないだろう。
まるで寛大に許したかのようなセリフだが、この皇子の手の者が俺を血眼になって探していたのは間違いない。
単純に、それでも俺を捕縛できたのはジャスティン先輩だったというだけの事だ。
あれだけの人数を考え無しに投入したのだから、ここにいる全員が気がついているだろう。
なぜその事を無かった事にできると思うのか、まるで意味がわからない。
やる事なす事ズレにズレている。
「…………何がおかしい?」
まさか全部ですと答える訳にはいかないので、俺はなるべく神妙な声で答えた。
「いえ……俺が迷子になったばかりに、皇子にご迷惑をお掛けして申し訳ありません。お詫びと言ってはなんですが、一ついい事をお教えします」
俺がそう言うと、皇子は片眉を上げた。
「君ごときが私にものを教えられるとは思わんが……聞こうか」
「ギライ皇子はこのオリンパスのスラムにいる『悪童』をご存知で?」
あの子供を喰い物にするクソ野郎の事は、後でアリーチェさんあたりにチクろうと思っていたのだが、面倒だからもうこの人でいいや。
俺がそう思って話を切り出すと、ギライ皇子とやらは顔に演技がかった失笑を浮かべた。
「くくっ。スラムだと……?」
「ふんっ! 第一皇子であらせられるギライ皇子が、スラムの事など知るわけがなかろう!」
横から何やら使用人っぽい、だが仕立てのいい服を着ている男が鼻で笑いながら抗議してくる。
まぁそりゃそうだろうな。
噂には聞いていたが、実際に見て回った俺から見ても、この国の上流階級と一般国民の分断は酷いものがあった。
もっとも、俺は他国の政治理念に口を出したいわけではない。
「…………うっかり迷子になった俺は、たまたまその男に出会いました……。『衝撃的な悪の天才』に――」
俺がついギライ劇場に当てられて、空を見ながらそう言うと、VIP席はざわめいた。
だがすぐに静まり返った。
「くくっ。くっくっくっくっ」
一人の男の笑い声がこだましたからだ。
さっさと席につき、俺たちのやり取りなどまるで意に介していないかに見えた皇帝、ラウール・ラ・ロザムールが、実に楽しげに笑い出していた。
◆
「くくっ。くっくっくっくっ」
皇帝ラウールが笑う。
先程までギライ皇子をズレ
なぜ笑われているんだ……? 面白い事を言った覚えはまるでないぞ……。
「……ツラを見せろ、アレン・ロヴェーヌ」
鋭い眼光でそう言われ、俺は少し逡巡したが、素直にお面を取った。
やはり
口先だけではなく、たとえ断られても自分の我を通すという覚悟が当たり前のように滲んでいる。
ちなみにズレ男は、皇帝が俺の名を呼び話しかけたのが意外だったのか『なっ!』などと呟いて絶句している。
皇帝が何も喋らないので、俺は仕方なく口を開いた。
「……一見すると気のいい奴にも見えますが、顔を殴るのが挨拶などという、とんでもない奴でした。俺もぶっ飛ばされた。まぁやり返しましたが……悪童を甘く見ないほうがいい。あいつは……この国を根本からひっくり返そうとしている、本物の悪です」
な、何だか自分で喋ってても驚くほどの、思った以上に大事になりそうだ。
だが本人が言っていたのだ!
俺は『この国を根本からひっくり返す』ような『本物』の悪になりたいと。
確かにそれは大罪だ。
日本でも死刑となりうる罪を大別すると、『殺人』か、内乱や外夷誘致などの『国家への攻撃』の二つしかないと聞いたことがある。
ほんとか嘘かは知らんが、まぁそれほど国家に反逆するのは重罪だと、どこの国でも常識的に定められている。
だから嘘は言ってない。
ちゃんと『今日からお前が悪の天才だ』と公式に引き継ぎも済ませたんだ!
「ふんっ……実にくだらんな。たかがスラムの子供のお遊戯に――」
「邪魔だ」
哀れなズレ男が何事かを言おうとしたが、皇帝はそれを一言で遮った。
「……アレン・ロヴェーヌよ。お前はここで見ろ」
そう言って皇帝は、自分とパトリック陛下の間の、一メートルほどの空間を指差した。
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