第258話 アニキの唄



 視界の外から飛んできた拳を左頬にまともに喰らって、俺は掛けていた粗末なソファーごと後ろに吹き飛んだ。


 拍子抜けするほど敵意を感じなかったので油断していたのもあるが、その拳が余りにも鋭くて反応できなかった。何が起きたのか一瞬理解ができなかったほどだ。


 ……完全に悪童とやらの実力を見誤っていた。


 なぜこんな奴が、こんな所で子供相手にみみっちい商売をしているのかは知らないが、その拳の威力は、ライオとまでは言わないが、はっきりいってあのクラスメイトたちと遜色ないほどの水準にあったぞ?


 昔取った杵柄きねづかというか、ふとしたことで予備動作なく拳が飛んでくる姉上に可愛がられてきた俺は、半ば本能的に魔力ガードをしたが、普通のやつならまず間違いなく一発で失神KOされているだろう。


 いかにも小物臭い悪さ自慢は、|怪童とやらが戻るまでの時間稼ぎか。


「……何すんだ……あ?」


 手足に力が入ることを確認し、半ば反射的に立ち上がる。


 これも姉上に可愛がられてきた結果、体に染みついた動きだ。


 悪童こいつ一人でも厄介そうなのに、あの怪童とやらも恐らく相当やる・・。いつまでも寝ている訳にはいかないだろう。


 姉上なら容赦のない追撃が来るところだが、悪童とやらは動く気配はない。それは油断か、はたまた自信の裏返しか……。


 吹き飛んだソファーを盾にとりながら立ち上がると、悪童とその取り巻きはその目を驚愕に見開いた。


「キャティの……あの拳をもろに喰らって立った……」


「う、嘘だろう?」


 ……ちっ。恐らくはあのカエルの巣から生還した事で、逆に危険を察知する感度が鈍っていた。


 慢心していた、とも言えるだろう。


 一つ間違えたら命を落とすこの世界で――


 自分への怒りを抑えながら、状況を冷静に分析していく。


 ……油断はできないが、取り巻きどもはその立ち姿からしておそらく大したことは無さそうだ。きちんとした訓練を受けた人間の動きではない。


 強さを隠すのは訓練すれば誰でもある程度はできるが、素人の動きを演出するのは実は相当難しいからな。


 とすると、一番まずい展開は悪童と怪童の二人を同時に相手にする二対一。それに比べれば足手纏いを巻き込んだ乱戦の方が、まだこちらに有利だろう。


 しばらく驚いたように目を見開いていた悪童は、俺が首をコキリと鳴らして前に出ると、なぜか喜色を浮かべて笑いだした。


「ははっ……はははっ! 立つのかよ! あのタイミングで、全力でぶん殴ったってのに! なぁあんた、やっぱり本物のマッドドッグなのか!?」


「……俺は探索者レンだ。初めにそう名乗ったはずだ」


 俺は即座に首を振って否定した。


 マッドドッグなどという不愉快な二つ名を許容したことは一度もない。むしろ馬鹿どもベンザたちの象徴のように思われるのは、迷惑以外の何物でもない。


 俺がゆっくりと近づくと、悪童とやらは両手を不敵に広げ、なぜか殴ってくれと言わんばかりに左頬を突き出した。


「んん? まぁいいや……来いよ! 不意打ちなんて無粋なことをして悪かった。詫びに一発入れてくれっ! あんたが本物かどうかはそれで分かる」


 …………そんな誘いに引っかかるとでも思っているのか?


 まず間違いなく何かの罠だろうが……見え透きすぎて、逆に狙いが見えない。


 だが入り口は怪童に押さえられている。罠だろうと何だろうと、突っ込むしかない。


 俺は万全の魔力ガードで守られている左頬に向かって拳を振り上げ――


 小手調べに隙だらけに見える腹部へと左ひざを繰り出した。



「ぐぼはぁっ!」


 …………馬鹿なの?



 ◆



 悪童は俺が繰り出した膝を碌に魔力ガードもせずに受けて、呆気なく地に沈んだ。



 取り巻きどもが一斉に怒声を上げる。


「な、何すんだてめぇ!」


「『男の握手は顔面パンチ』だろうがっ!」


 なんなんだ、その気の抜ける意味不明なルールは……。


「知らんな、そんなローカルルール。一発入れろっていうから入れたんだ。決まりがあるなら先に言え!」


 俺は苦情を言ってきた取り巻きAと取り巻きBに、望み通り顔面パンチをくれてやった。


「い、いや、そりゃローカルルールじゃなくて、『アニキのうた』に書かれてた――」


「だからそれも知らねぇよ!」


 なんだその、なぜか知り合いのデブの顔がチラつく不愉快な書物は。


 俺は取り巻きCにも顔面パンチをくれてやった。


 油断するなと必死に自分に言い聞かせるが、言動があほ過ぎてつい気が抜けそうになるぞ……。


 そこで、出入り口付近で静かに成り行きを見守っていた怪童が動いた。


 身長は悪童と同じ170そこそこだろう。


 だがその横幅は全く異なり、はちきれんばかりに腫れあがった筋肉がたわみ、歩くたびに全身に巻かれた針金が軋んでいる。


 怪童は恐らく、先天性魔力器官肥大化症候群……通称『魔族の祝福』と呼ばれ、忌み嫌われている病に侵されている。


 その名の通り、体内の魔力器官が肥大していき、出力を制御できなくなる先天性の病気だ。


 なぜか名家の血筋に多いとされ、限界を超えて出力される魔力から自身の体を守ろうとするように、筋肉量も増大していく。


 魔破病などと同じく、魔素が原因で発病すると思われるこの世界特有の病で、その骨格では耐えられないほどに膨れ上がった筋肉が、内臓などに負担をかけ多臓器不全などを合併して亡くなるケースが多い。


 怪童が全身に針金を巻いているのは、古い時代の治療法を実践しているからだろう。


 筋肉の膨張を抑える効果は一定あるそうだが、根本的な解決にはならないし、何より全身の肉に針金が食い込むのは地獄の苦しみと言われる。


 まぁそんな事はどうでもいい。


「…………」


 まだ五メートル以上距離のある所で無言でとった怪童の構えの揺るぎなさは、明らかに専門教育を受けている人間のそれだ。


 そしてその身の内に秘められた魔力は、限界まで膨張したマグマ溜まりのように、途轍もないエネルギーを内包しているのを感じる。


 ヒュー、ヒューという苦し気な呼吸音が止まった刹那――


 腰だめに構えられた怪童の左の拳にみるみる魔力が集中していく。


 まるで発光しているのではないかと錯覚するほどの魔力密度を感じた瞬間、俺は目を閉じた。



 ◆



 怪童は、床が抜けるほどの踏み込みで一息に間合いを詰め、渾身の左正拳突きをアレンの顔面に繰り出した。


 両者が激突し、アレンは怪童の踏み込みの勢いそのままに、車に跳ね飛ばされたボールのように後方へと弾き飛ばされ、赤い丸薬が詰まったビンが並べられている薬棚へと突っ込んだ。


 怪童の勝ち――


「がはっ!」


 誰もがそう思った瞬間、怪童はそのまま膝から崩れ落ちるようにしてうつ伏せに倒れ、意識を失った。


 倒れた薬棚を蹴り飛ばし、下敷きになっていたアレンがガラガラと音を立てながら立ち上がる。


「いつつ……ただ観光したいだけの俺が、いったい何でこんな目に……」


 ぶつぶつと文句をいいながら立ち上がったアレンは、ふと思いついたように、付近に散乱している赤い丸薬を二、三粒拾って、悪童の口内へと押し込んだ。


「子供にこんなもん与えるな。これは全部お前が喰えっ! ったく……じゃあな」


 だが悪童がそこで息を吹き返し、アレンを制止した。実はこの赤い丸薬の正体は、品質が粗悪なただの回復薬だからだ。


 アレンに傷薬屋と呼ばれたベンザが何をどう勘違いしたのか、薬剤が高騰している王都で非合法の薬を金のない子供に安値で卸す商売を始めた事を参考に考案されている。


「ごほっごほっ! 待ってくれ! 俺は……俺もあんたみたいな男なりたいんだ。この国の腐った根っこを生まれ変わらせて、根本からひっくり返すような、本物に――」


 そういって悪童が指さした、先ほどまで薬棚で隠されていた壁には、魔王のように禍々しい男が中央に佇むポスターが張られており、『マッドドッグ ――衝撃的な悪の天才――』などとキツい厨二臭が漂うキャッチコピーがでかでかと書かれている。


 アレンはそのポスターをしばらく呆然と見ていたが、悪童の肩を力強く叩いて頷いた。


「……お前ならやれるさ、悪童。今日からあの称号はお前のもんだ。俺が認めたんだ……誰にも文句は言わせない。できる。自分を信じろ。自分が『悪の天才』だと事あるごとに口に出し、自分を追い込め。約束だぞ!」


 アレンは力強くそう言い残し、出口から悠然と出て行った。


 外からは、『さぁ観光に行きますよ、ポロ君、リゲル君! 腹が減ったので、とりあえず飯でお願いします! 量が多けりゃ何でもいいです!』などという、浮かれた声が聞こえてきた。



 ◆



 マリラード宮殿。


 供も連れずにひっそりと裏口から帰還した末弟のキャスティークに、待ち構えていたアリーチェとグラフィアが声を掛ける。


「おかえりなさい、キャティ。あなたに探して欲しい人が……どうしたのですか。神官を呼びますか?」


 何やら腹部を庇いながら不自然な態勢で歩くキャステークに、アリーチェは心配そうに声を掛けたが、彼は苦笑しながら首を振った。


「ちょっと……スラムで喧嘩をして。治したくない気分なんだ。心配してくれてありがとう、アリーチェ姉さん」


 優しすぎるところが難点だが、才能に恵まれて、ロザムール家の英才教育を受けているこの弟が、スラムの喧嘩でケガをするなどという事は、通常ならば考えられない。


 あるとしたら、その相手は同じくロザムール家で英才教育を受け、将来を嘱望されていたにも関わらず、民から忌み嫌われる病を得て、身分をはく奪されて犬猫のようにスラムへ堕とされた、アリーチェのもう一人の弟――


「……あなたとラティが喧嘩なんて、珍しいですね」


 黙り込んでいるキャステークに、グラフィアはいらいらと舌打ちをした。


「ちっ! 不細工な面をよけい不細工に腫らして返ってくるな、みっともねぇ。…………またあいつの所に行ってたのか? そろそろ終わった奴の事は忘れたらどうだ? あの病気じゃ、どうせそのうち碌に動けなくなる。いい加減甘さを消せ」


「グラ……言葉を慎みなさい。あなたもラティの事は認めていたでしょう。むしろ病を経て一番悲しんでいたのは、あなたではないですか?」


「…………ふんっ! 私はこいつの為に言ってんだ。陛下はきっとお見通しだぞ。大切だろうが身内だろうが、使えねぇもんをいつまでもうじうじ切り捨てる事ができねぇ奴が、この先この国を背負えんのか? ……ま、どうせ帝位争いからは尻尾巻いて逃げるつもりだろうが、それにしたってギライあたりに嗅ぎつけられたら、どんな因縁をつけられるかわかりゃしねぇ。あのカスに弱み握られて、手足のように使われてぇのか」


 グラフィアにそうまくし立てられたキャスティークだが、どこか心ここにあらずといった様子で反応がない。



 キャティは何度も反芻していた。


 地に倒れ伏した状態で眺めていた、その男の横顔を。


 ラティークが活動できる時間が長くない事は分かっていただろう。


 だが男は兄の、弟の俺からみても生涯渾身と言える拳を避けることなく、真っ向から対峙した。


 あの時……なぜか目を閉じた男は、兄が飛び込むよりほんの僅かに早く、まるで未来が見えているかのように動き出してその拳を躱し、右手の掌底でお手本のようなクロスカウンターを合わせた。


 まるで力感のない不思議な掌底で、事実激突した瞬間に吹き飛ばされていたが、そのぞくりとするほど美しく十字を描いた掌底は、膨大な魔力で守られていた兄の意識を一撃で刈り取った。


 その後、法の網を掻い潜る為に、あえて品質を落としている回復薬を『こんなもんを子供に与えるな』と説教された。


 既得権益なんかに配慮して大事な事を見失うなと、子供達に、そんな背中を見せるなと言われた気がした。


 そして、最後にかけてくれた言葉――


 大きい……。


 遠くから憧れていた男は、自分の想像を遥かに超えた男だった。


「……決めたよ、姉さん。グラフィア。俺は姉さんたちの陣営を後押ししない」


「「なっ!」」


「もちろん、ギライ兄さんや、他の誰につく気もない。俺は俺の信じた道を行く……この国の歪みを正すために。俺は……この国を根本からひっくり返す、『悪の天才』と呼ばれる男になる!」


 同じ母を持つ最愛の兄が宮殿を追われて以降、頼りなく揺れているように見えたキャスティークは、その揺るぎない覚悟を初めて言葉で示した。


 見るものを惹きつける、屈託のない笑顔はいつもと変わらぬまま。



 ◆ 後書き ◆



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