第252話 帝位争い(2)
屈強な二頭引きの馬車は、よく整備された石畳の道を、カラカラと音を立てながら小気味よく進んだ。
馬車から見える街並みは、書割なのではないかと思うほど人の気配が希薄で静かだ。
だが……。
俺は何の気なしに口にした。
「……流石は皇女様が乗る馬車ですね」
この馬車には皇女が乗っているにも関わらず、一見すると碌に警備が付いていない。
だが、風魔法でそのあたりを探ると、いかにも襲撃者が潜みそうな死角には、それなりの使い手と思われる人員がひっそりと配置され、要所はきちんと押さえられている。
この静けさも、もしかしたら彼女の為に交通規制か何かを敷いているのかもしれない。
「何が流石なのでしょう、アレン様?」
彼女にとっては当たり前のことなのだろう。
不思議そうな顔でそう聞き返されたので、俺は素直に称賛した。
「この警備の手厚さと気遣いですよ。我々の目に入らないように、確実に行く手の死角を押さえている。万全ですね! ほら、あそこの屋根の向こうに潜む警備さんなんて、いつでも動けるようにすでに弓に矢をつがえてますよ? すごい緊張感だ」
俺がそう言って遠い屋根に潜む警備員さんに手を振ると、警備員さんは慌てて出していた顔の上半分を死角へと引っ込めた。
するとなぜかアリーチェさんとグラフィアさんは、ひどく緊張した顔つきとなりお互いを見合わせた。
「……どんな索敵範囲してやがるんだてめぇ。リーチェ!」
「ええ。……それは警備ではありません。恐らくは刺客の類でしょう。狙いはおそらくお二人。わたくしもろとも殺すつもりなのか、私を犯人に仕立て上げるつもりなのかは分かりませんが……」
この冗談に俺は大笑いした。
「あっはっは! いやいや明らかに訓練された軍人の動きですよ? 人数も十や二十では到底ききません。白昼堂々とこれだけの人数を街中に投入して、暗殺もないでしょう。それも皇女様が乗る馬車に」
そう言って建物の窓からこちらを見ていた偉そうな人に笑顔で親指を立てる。
だがこの挨拶はフランク過ぎたのか無視された。
するとグラフィアさんはいっそう表情を曇らせてこんな事を言った。
「ちぃっ! よりによってギライの一派か! 相変わらず陰湿な野郎だな……反吐が出るぜ。どうするリーチェ? 仕掛けてくるとしたら恐らくは――」
「この先のマルティン広場。あそこならギライお兄様の管轄区なので人払いも容易で筋書きは思いのままでしょう。本気なら……分が悪すぎます。仕方がありません、商業区へ!」
アリーチェさんがそのように決断すると、御者は馬車を急旋回した。
それと同時に不穏な空気が周囲に立ち込める。
次の瞬間、斜め前方の死角から行く手を阻むように火球が飛んできた。
ジャスティン先輩は苦笑しながら馬車前方へ移動し、飛んでくる魔法を騎士団の特注マントで払いのけた。
「いやぁー、あれだけムジカさんに自重するよう念押しされて約束したのに、その舌の根も乾かないうちに帝国名物の帝位争いのど真ん中に首を突っ込むとは、恐れ入ったね……自重って言葉の意味知ってる?」
俺はうんざりした。
何なんだそれは……まだ帝都に到着して三十分で、挨拶して移動を開始しただけなんだぞ?
「何でそんな面倒そうな事に自分で首を突っ込むんですか……どう考えてもただ巻き込まれただけの被害者でしょう。そもそも何ですか、その帝国名物の帝位争いっていうのは……聞いた事もない」
そんな名物は観光ガイドには書いてなかったぞ!
馬車を引く馬を目掛け、死角から飛んできた矢を矢で迎撃しながらそう抗議すると、ジャスティン先輩は爆笑した。
「あっはっはっ! 確かに観光ガイドには載ってなかったね! いやぁそれにしても、飛んでくる矢を無造作に撃ち落とすだなんて……また腕を上げた?」
これは弓の腕というよりも、風魔法で『馬を狙え』と言う声と、矢を射る瞬間を捉えていたから出来た芸当だ。
流石に飛んでくる矢を見てから合わせるのは、先程のようなとろくさい矢でも無理だ。
「……ただのまぐれですよ」
説明するのが面倒だったので、取り敢えずそう答えておいた。
まぁ腕の方も、実戦続きで向上した気もするがな。
そこから、馬車を包囲しようと部隊を動かしていたようだが、深追いしてくる気配は無かった。
「第四皇女、アリーチェです。来賓を連れて商業区へ視察へ参ります。開門なさい!」
アリーチェさんが迫力のある声でそう指示を出すと、内外をきっぱりと分たれる重厚な門が緩慢な動作で開き始める。
開ききる前の門を押しのけるようにして、馬車は商業区へと飛び出した。
◆
馬車と荷物は御者に任せて、俺たちは商業区を歩いた。
あれほど静謐な雰囲気だった貴族区と異なり、この商業区はそれなりの人で賑わっている。
だがそれでも王都に比べると人は少ない。
観光ガイドによると、この区画に自由に入れる隷属階級、つまり一般庶民は、Cランク以上の探索者などに制限されているようだ。
それ以外の者は高い入場料を支払うなど、特別な手続きをする必要がある。
「追っ手は無さそうかな?」
「ええ、大丈夫だと思います」
目立たないように、騎士団のマントは脱いである。
「巻き込んでしまいすみません。……説明が必要ですね」
しばらく尾行を警戒して人混みを歩いたあと、アリーチェさんが視線を前に向けたままそう言うと、グラフィアさんは『皇女が簡単に謝るんじゃねぇ』と不満を漏らした。
だがアリーチェさんは小さく首を振って、帝位争いと現状について説明し始めた。
要点をまとめると次のようなものだ。
帝国では現皇帝の子が等しく継承権を持ち、必ずしも年長者が家督を継ぐとは限らない。
最も力があると認められた子が皇帝に指名される形で帝位を引き継いでいく。
この国を束ねていく権威を得るには、誰もが納得し、そして恐れるだけの力をみせる必要があるのだ。
そして、新皇帝と帝位を争った兄弟たちには粛清が行われる事が多い。
後継者の指名が為された後も、暗殺などの手段を用いて、帝位を横奪せんとする輩が現れないとも限らないからだ。
実際、そのような例は歴史上に数多くあるらしい。
帝位争いに敗れた者に待つ凄惨な運命を考えると、当然帝位を目指す皇子皇女は手段を選ばない血みどろの争いを繰り広げる事となる。
その器ではない者は、待ち受ける運命から逃れるために、オリンパス魔法学院を卒業すると同時に帝位争いから退いて、有能な候補者の下に付く事が多い。
現皇帝ラウールには六男四女の子がいる。
すでに次代を担う皇帝候補はある程度絞られており、第一皇子のギライ、第三皇子のファビオ、第二皇女のカタリーナが有力視されている。
長兄のギライはすでに38歳で、軍部に所属してすでに一定の発言権を有している。
そういう意味では、先に勢力を構築できる上の兄弟が有利と言えるだろう。
兄弟姉妹で血みどろの争いをさせるとは、何ともやりきれない話だ。
「なるほど……で、アリーチェさんは別勢力に属すると目されているから、そのギライ皇子から敵対視されていると」
俺がそのように聞くと、アリーチェさんははっきりと首を振った。
「私は、どこの勢力にも属しません。帝位争いに割って入ります」
覚悟を決めた目で真っ直ぐ前を見据え、アリーチェさんがそのように言う。
「ふんっ、それしかリーチェには選択肢がねえからな……」
グラフィアさんが次のように補足した。
人の下に付くには、アリーチェさんは優秀過ぎた。
魔力器官の発現以後、凄まじい魔力量の伸びを見せ、同じく火の性質変化を持っていた高祖マティアス・ロザムールの生まれ変わりとまで言われている。
頭脳の明晰さにも定評があり、母方の血筋もいい。
候補となる兄弟姉妹で唯一昇竜杯を制し、現皇帝からも露骨に可愛がられている。
そうなると当然、他の候補者にとっては煙たい存在となる。
「帝国民は強い皇帝を望む。もし誰かの下に入って生き延びたとしても、リーチェに皇帝になって欲しいっつう、民の待望論は燻り続けるだろうよ。必ず新皇帝にとって邪魔になる。そうなれば散々利用された挙句――殺される。間違いなくな」
なるほど。その命懸けのレースから降りたくても降りられないわけか。
皇帝も露骨にアリーチェさんを可愛がって見せるあたり、闇が深いな。
もしかしたら帝位を継ぐ事を期待しており、争いから降りられなくするために敢えてそう仕向けているのかもしれない。
親の期待を子に押し付けるなど、迷惑な話だ。実に気分が悪い。
俺なら即座に反抗期入りする案件だろう。まぁ俺には関係ないがな。
「……まぁ大体状況は分かりました。ですがそれは帝国の都合でしょう。そのために我々を殺したりしたら、例えアリーチェさんに罪をなすりつけたとしても王国は黙っていないと思いますよ? まず間違いなく、戦争の引き金になります」
王国からみたら、俺たち騎士団員が帝国の策謀で殺されたとしたら、犯人が誰かなど関係ない。
特に陛下に帯同している近衛軍団長である俺の伯父のランディさんは、烈火の如く怒り狂うだろう。
当然昇竜杯は中止、陛下は即座に国外脱出。
万一陛下にもしもの事があったりしたら――恐ろしすぎてその先の展開は想像すらしたくない。
「ふんっ。それがギライの狙いだろーよ。軍部に所属してるあの野郎は、戦争がしたくてしょうがねぇのさ。能力も人気もイマイチだし、他にポイントを稼ぐ場所がねぇ。お前らのアテンドを陛下に指名されたリーチェの不備を糾弾して帝位争いから排除しつつ、その尻拭いに戦争に出る。手柄を挙げたら儲けもん、失敗したらリーチェがへましたせいとでも言うつもりだろ。まったく、こそこそこそこそ、保険かけながら立ち回りやがって気に入らねぇ。次の皇帝として認められてぇなら、真正面からユグリア王国を叩き潰すぐらいの事を言えっつーんだよ!」
グラフィアさんは殺気を隠そうともせずそんな事を言った。
「……叩き潰されたら困っちゃうんだけどね。いいのかな、そんな内情をペラペラ喋って」
「ふんっ。内情なんてほど大それた話じゃねぇ。ただの個人の感想だ」
ギライだか何だか知らないが、その程度の器の人間が戦争など仕掛けても、制御できなくなって身を滅ぼすのが関の山だろう。
だがやたらと策を弄したがるやつや、すぐ目先の事しか見えないやつというのは一定数いる。
おバカの誰も幸せにしない行動に巻き込まれる世界はいい迷惑だ。
「私にはまだ帝位争いを勝ち抜く実力はありません。帝国十二旗の味方はグラフィアの生家であるインディーナ家だけですし、その他の支援者も数えるほどです。ですが――負けるつもりもありません」
アリーチェさんはそう言って不敵に笑った。
「……念のために言っておくけど、帝国に限らず他国の継承権争いに王国騎士団員が介入するのは厳禁だよ? いくらアレンでも流石にそれはないよね?」
ジャスティンさんが何かを期待したキラキラした目でそのように聞いてきたので、俺はキッパリと否定した。
少々腹が立ったのは確かだが、そんな事で他国の問題に介入などする訳が無い。
「俺に何のメリットがあってそんな事をするんですか……むしろアリーチェ皇女としてもいい迷惑でしょう。王国民の支援など大ぴらに受けたら、すぐに売国奴だ何だと責め立てられるのは目に見えてる」
するとジャスティン先輩は分かったような顔でこんな事を言った。
「そうだね、例えメリットがあっても、表から支援するのはやばすぎるよね」
裏も表もない……。
◆ 後書き ◆
いつもありがとうございます!
書籍三巻の内容に関する近況ノートを更新しています。
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