第237話 エリア81(5)



 シュタインベルグ石の山に向かって槍を突き刺したディオは、その手応えに顔を顰めた。


 土塊のような質感の凸凹とした体表面に、槍の穂先半分程は刺さるが、その内側に本当の皮膚とでも言うような膜があり、そこの硬度が極端に高い。


 硬いだけでは無く弾性があり、一定の深さまで沈み込んだ槍は鞠のように跳ね返される。


 この内側の膜を、自分の槍一撃で貫くのは厳しい。


 全力で突いた訳ではないが、初手の手応えでディオはそう察した。


 そして、穂先で傷つけた体表面への攻撃は、まるで相手に痛痒を与えていない事は、まるで意に介していない獲物の反応からも明らかだ。


 人間に例えると、爪先や髪の毛など痛覚の通わない箇所に攻撃を加えている感覚だろうか。


 どうだ? と、目で問いかけてくるイグニスにディオが首を振ると、イグニスは即座に頷いた。


 イグニスは目的に応じてバトルアックスなども使うが、最も得意としているのは徒手空拳での格闘術となる。


 もちろん今日は、この様な耐久力の高い巨大な敵が坑内に出現する事など想定しておらず無手だ。


 この場での討伐は不可能――


 言葉を交わす事なくイグニスとディオは最終目標を『撤退』へと定めた。



 ◆



 何なんだ、あの化け物は……。



 風魔法の研究に取り組んでからこちら、何だか俺は魔物運が悪くなっているような気がする……。


 闇狼やレールゲーターなどの、風魔法での索敵を極端に嫌う魔物達を引き寄せるのは自業自得の面もあるが、水中に風魔法は伝搬しないはずだ。


 今も退避のフォローの為にエリア81全体に風魔法をレーダーの様に張り巡らせているが、カエル達を刺激して引きつけるという事もない。


 つまりこの危機的な状況は、不運が重なっただけと思われる。



 とりあえず戦線を維持すべく、戦力の薄いところを弓とダガーでフォローしながら、先程最奥の作業員を救出していたパーリ君の様子を探ると、坑内の奥の方で立ち往生しているグループを順次吸収しながら出口へと向かっているようだ。


 パーリ君の槍は流石の威力で、落ち着いて対処すれば固有種のシュタインフロッシュに正面から当たっても苦にならないようだ。


 いつもはしつこいくらいに突っかかってきて不合理な行動をとるパーリ君らしからぬ、実に冷静な判断と沈着な行動だ。


 まぁ、『アレンのいないところでは、普通に頭もいいし腹も太いのに勿体ねぇな……』とか確かダンが言っていたし、こちらが本来の姿なのだろう。


 図らずも授業初日にパーリ君のメンツを潰してしまったからな……俺の知ったことでは無いが。



 シュタインベルグに対応しているイグニスさんとディオに目を転じると、動きからして討伐よりも足止めを優先している様子だ。


 隙を見て繰り出している攻撃は、効かないのか効かすつもりがないのか微妙な所だが、巨大ガエルは煩わしいハエを払うように大蛇のような舌を途轍も無い速度で縦横無尽にくねらせ振り回している。


 そして、あの二人が必死の形相でそれだけ受け寄りに対応しても、紙一重の攻防となっている。


 これは時間との勝負だな……。


 討伐の線が無くなったのであれば、俺の役目はパーリ君達のフォローに注力し、一団が最短でこのエリアを脱出する為のルートを確保することか。


 戦線維持から方針を変えた俺は、彼らが進む先がカエルで溢れて行き詰まらないよう、先回りしてカエルを間引いていく。


 ダガーでは魔力でガードした固有種は硬くて削り切るのに時間が掛かるので、邪魔になりそうなやつは予め離れた場所から無警戒の所に弓を射って仕留める。


 矢の数には限りがあるので、動き回りながら可能な限り回収していくが、カエル達はいくら仕留めてもきりが無いほどに地底湖から出てくる。


 ふと俺は首を傾げた。


 そもそも、この世界ではゲームのダンジョンのように、魔物が何処からともなく際限なく発生する、なんて事はないはずだ。


 とするとこのカエル達もどこかで卵が孵化し、徐々に成長した事になる。


 だが、こんな地下空洞に、この数の小ガエルとあの巨体を育て維持するだけの食物資源などあるはずがない。


 と言って、あれだけの巨体が、俺たちと同じようにレイド石の採掘現場を通過して、誰にも気づかれず地上とこのエリア81を行き来していると考えるのは無理がある。


 つまり、ここエリア81は最近発見された地下空洞ではあるが、この地底湖には外部と繋がる水路のような物が――



「ディオ!!」


 イグニスさんが叫び声を上げるのと、俺が異常を検知したのは同時だった。


 確認の為に目をやると、ディオがシュタインベルグの大蛇のように野太い舌に捕えられていた。


 ディオは身体強化を全開にして踏ん張っているが、呆気なく宙へと舞い上げられ、次の瞬間地へと叩きつけられた。


「ぐふっ……」


 ディオの口から鮮血が舞う。


 俺は即座に矢の残数とパーリ君の位置を確認し、唇を噛んだ。


 ……まだ動けない。


 俺が今持ち場を離れたら、パーリ君達がカエルの波に呑まれて――


 と、そこで入り口付近にごった返していた石工と探索者達に指示を出していたサトワが叫んだ。


「レン君はあちらのフォローに!」


 サトワはすぐに、俺がやっているパーリ君のフォローを変わるべく、腕の立ちそうな探索者の護衛二名に声を掛けて走り出した。


 素晴らしい全体観察眼と判断力だ。


 今はもう一線を退いているとはいえ、Aランク探索者にして探索者協会副会長の肩書きは伊達では無い。


「そちらは頼みます!」


 俺はサトワにパーリ君のフォローを任せて、化け物ガエルに向かって走り出した。



 ◆



「絶対に槍を離すな! 呑まれるぞ!」


「分かっ……とる……!」


 ディオは右手に槍を握ったまま、執拗に地に叩きつけてくるシュタインベルグの攻撃から身を守るべく魔力ガードで受け身を取っている。


 敵がすぐにディオを呑み込もうとしないのは、獲物がまだそのを離しておらず、確実に弱らせて体内からの反撃など出来ない状態にしてから確実に仕留めるつもりだからだろう。


 その事一つとっても、この敵が長い長い年月を生き抜いて、相応の知能を身につけている証左と言える。


「必ず助ける! 気をしっかり持てディオ!」


 イグニスがリスクを取って、巨大ガエルの舌の中程を抱えて力を込める。


 シュタインフロッシュの吸着する舌先の拘束を解くには、舌の中程を締め上げるのがセオリーとされている。


 一歩間違えれば二人とも巨大ガエルに呑み込まれかけない危険な行為であり、イグニスら木の幹をもへし折るほどの力を込めているにもかかわらず、ディオの拘束は解けない。


「ディオ!」


 そこにアレンが駆けつける。


「馬……鹿……逃げ……ろ。イグニス……ボンを……連れて……」


 必死に受け身を取りながら、ディオがか細い声でそう言うと、アレンはその顔を蒼白に染めた。


「…………勝ち逃げは許さない。 イグニスさん、五秒……いや、三秒でいい。その舌の動きを止めて下さい」


 アレンは些細を語らなかったが、イグニスは即座に応じた。


「任せろ! うぉぉぉおおおお!!!」


 イグニスが地に両手をついて、ディオを捕らえている舌の中程に両脚を絡めて締め上げる。


 相撲と違い、両の手を地についていいブフウには、こうした多様な技が存在する。


 それでもディオの拘束は外れないが、更に魔力を供給しようと舌の動きが止まる。


 アレンはイグニスが挟み込んでいる舌の中程のすぐ隣に右手を添えた。


「ウインドカッター」


 次の瞬間、アレンが手を当てている大蛇のように野太い舌からシューッ! と音を立て湯気が立ち昇り始める。


 急激に水分が失われ、野太いヌルヌルとした舌が、細く渇いたミイラのような質感へと変化すると同時にアレンは左手でダガー振り上げた。


 その何気ない一振りは、シュタインベルグの舌を半ば千切れかけの状態にまで至らしめた。


 拘束が外れたディオ、イグニス、アレンの三人が即座に敵に対峙する。


「おいレン……今のは何だ?!」


「……風魔法レベル1……ウインドカッタ――」


 ゲゴッ!!!!


 俺の呟きをかき消す様に、シュタインベルグが喉を鳴らす。


 先程までは、アレン達を纏わりつくハエのように捉え、敵としてすら認知していなかったシュタインベルグは、その目に憎悪を光を宿していた。



「……の、出来損ないです……」

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