第236話 エリア81(4)



 地底湖から飛び出した途轍もない大きさの蛙は、その見た目の重量感通りにズンッと地を震わせて降り立った。


 姿形はシュタインフロッシュと同型だが、そのサイズは牛をも丸呑みにしそうなほどにでかく、先程パーリが相手をしていた個体とは比較にもならない。


 その目はブルーとブラウンのオッドアイになっており、後を追うように次々とシュタインフロッシ小ガエルュ達が上がってくる。


「ディオ!」


「ああ!」


 すでに動き出していたイグニスが声を張り上げると、ディオは一直線に巨大ガエルへと走り出した。



「な、何だありゃ……シュタインフロッシュにしてはでかすぎる。……あれじゃまるで……五百年前にドラグレイドに大災害を引き起こした、伝説のシュタインベルグ石の山――」


 ブルが呆然とそのように呟いたところで、巨大ガエルと目が合って硬直していた石工が叫び声を上げた。


「ひ、ひぃ〜、化け物だぁーー!!」



 地に降りてから悠然と喉を蠢かしていた巨大ガエルは、その声に反応するように喉を膨らませ、全長1メートルもありそうな水弾を途轍もない速度で打ち出した。


 それを見たイグニスが、一歩も動けない石工と水弾の間に間一髪のタイミングで飛び込む。


 ドンッ! っと重量感のある音を立てて水弾は弾け、左腕でガードの姿勢を取っていたイグニスは、数メートルも吹き飛ばされ地を転がった。


「「大番頭!!!」」


 石工達は、Aランク探索者であり、ブフウの絶対王者であるイグニスが地に転がる所など、想像すらした事がない。


 坑内はたちまちパニックに陥いった。


「痛つつ……何つう魔力密度だ」


 イグニスはすぐさま立ち上がり、パニックを鎮めるべく声を張り上げた。


「ぼけっとするな! 全員即刻退避だ! どう見てもSランクの魔物……恐らくは伝説のシュタインベルグだ! 本来なら即座に王国騎士団に討伐依頼が出される魔物だぞ! 奴は俺とディオで止める! 護衛とパーリはサトワさんの指示で退避のサポートに動け! レンは全体の支援だ!」


「……!」


 突如現れた巨大ガエルに反射的に足を向けていたパーリは、イグニスの指示を聞き足を止めた。


 口を真一文字に引き結び、奥歯を噛み締める。


 そんなパーリに、ディオが静かに背を向けたまま言葉を掛ける。


「奴を見て前に出られる心の強さは大したものだ。だが…………騎士の仕事とは何だ? お前は何のために槍を振ってきた? 手強い魔物を倒して、己の強さを誇示するためか?」



 パーリは迷いを晴らすように一つ頷いてきびすを返し、石工へと襲い掛かろうとしている手近なシュタインフロッシ小ガエルュへと襲い掛かった。


 それを確認したディオはイグニスへと声をかけた。


「ふんっ。あの目の色……ダブル属性持ちの変異種か……。二人でやれそうか、イグニス」


 すでにイグニスとディオは予め申し合わせていたようにアレンの射線を通す形で獲物を挟む形のフォーメーションを組んでいる。



「……やってみにゃ分からんが……坑内ここは条件が悪すぎる……。無理に討伐しようとは考えず、皆の退避を優先しよう――」


 その言葉とは裏腹に、イグニスが前に出る。


 シュタインベルグは先程よりも濃密な魔力を練り上げて、逃げ惑う石工達に向けてぱかりと大口を開けた。


 イグニスは魔法が射出される寸前に顎下へと潜り込み、両手を地についた体勢で顎を蹴り上げる。


 シュタインベルグの顎が僅かに跳ね上がられ、軌道が逸れたミサイルのような水弾が壁へと当たり坑内を揺らした。


「万が一ここで大魔法でも使われて、柱が折れて坑内が崩れでもしたら――全滅するぞ……!」



 ◆



 パーリは自分の近くに居たシュタインフロッシ小ガエルュを片付けた後、坑内に素早く目を走らせ、迷う事なく出口から逆の方向に向かった。


 イグニスが即座に全体に明確な指示を出したことで、パニックに陥る事態は辛くも避けたとはいえ、石工たちはもちろん、護衛の高ランク探索者たちの足も本能的に出口の方へと向かい、全体のバランスにまで意識が向いていない。



 自然、出口に遠い位置で仕事をしていた石工たちの護衛がいなくなり、湧き出てくるシュタインフロッシ小ガエルュに道を塞がれて身動きが取れなくなっている。


 パーリは最も出口に遠い場所で仕事をしていた石工達を取り囲んでいたシュタインフロッシュに近づき、背後から串刺しにした。



「援護する! ついて来い!」


「た、助かった! 固有種さえ何とかしてくれたら、普通のシュタインフロッシュなら俺達でも何とかなる」


 このエリア81で活動するベテランの石工たちは、ある程度戦闘技能も高い者が選ばれている。


 幸いな事に、湖から上がってくるシュタインフロッシュは、全てが手強い固有種と言う訳では無さそうだ。


 概ね体長一メートルを超えている個体が、本来土色の体に緑みが掛かっている固有種のようだ。ここの湖の水の影響を受けて、後天的に変異するのだろう。


 数で言うと全体の二割にも満たない、といったところだ。



 ――何のために槍をふるのか?

 ――騎士とは何か?


 ディオの言葉を反芻しながら、パーリは石工達を背に庇い、出口に向かって走った。


 いつかアレンが指摘した通り、愚直なまでに基本に忠実な槍。


 丁寧に構え、腰を落とし、敵を十分に引き付けてから槍を繰り出し、素早く戻す。


 対人戦においてはその美しさ故に読み易いという欠点があるが、無論メリットもある。


 アベニール家が数百年の時を掛け、磨き抜いてきた型。筆舌に尽くしがたいほどの反復訓練によって、その理想形を身につけたパーリの槍の威力は、その豊富な魔力量も相まって、尋常なレベルでは無い。


 先程は心を乱して不覚を取ったが、実力的には十分固有種のシュタインフロッシュにも対応可能と言える。


 槍を魔力ガードで塞がれても、焦ることなく敵の反撃を捌き、二の槍、三の槍を繰り出す事で、固有種を確実に屠っていく。


 パーリはちらりとアレンを見た。


 アレンは先程までの弛緩した雰囲気を一変させ、パーリの動きに呼応するように全体の薄い所をフォローしている。


 矢を節約するためか、基本的にはダガーで対処しているようだが、時折坑内を跨ぐように長距離の矢を放ち、危機的な状況にある箇所をフォローしている。


 この広大なエリア81内の状況を全て把握しているとしか思えない、途轍もない視野の広さだ。


 近頃はその索敵能力の高さに注目が集まっているが、決してそれだけで成せる事では無いだろう。


 この突如出現した切迫した状況下で、十全に力が出せる心。


『歳は関係ない。持っている人は、生まれながらに持っている』


 ディオの言葉がパーリの脳裏を掠める。



 パーリは奥歯を噛み締めた。


 本当は気がついていた。


 アレンは生まれながらに持っている。


 フェイ様のように、誰に笑われても、バカにされても、己の信念を貫き通す強い心を。


『自分の心を見つめられないと、お前は道半ばで死ぬだろう』


 ディオのセリフがパーリの心をチクリと刺す。


 本当はとっくに気が付いていた。


 自分はフェイとアレンあの二人とは違うという事を。だがそれを認めるのは怖かった。


 フェイ様の横に並び立ち、あのお方を支える資格を失ってしまいそうで。


 ――何のために槍をふるのか?

 ――騎士とは何か?


 ディオの言葉を反芻しながら、愚直に槍を振るう。


 ドラグーン家の情報部が調査したという、ディオ・リングアートの出自と、その生き様については、実は父から近頃聞いていた。


 父はディオを手放しで絶賛した。羨ましいとも。


 確かに凄いと、騎士の鑑だと思った。


 だが一方で、父がどれ程の苦労をしてこの国に貢献してきたかを見てきた自分としては、心に薄暗い気持ちが生じたのも確かだ。


 さらに、自分はそのニックス・フォン・アベニールの子なんだと、下らないプライドで反発する気持ちがあった。



 パーリはふと、つい先日までまるで見えなかった、自分自身の心の動きをはっきり認識できる自分に驚いた。


 あの人ディオの言葉は、不思議と凝り固まっていた自分の心の深奥を揺らす。


 アレンに出会って以来、蝕むように濃度を増していた心の霧が、ほんの少し晴れたような感覚を、パーリは確かに感じ取っていた。



 俺に足りていないもの。


 そして、今はまだ霧の向こうにある、未来の自分。



『この二つ名には、パーリはいつかその『鋼鉄の意志』をもって、『山をも貫く』ほどすげぇ男になるって想いが込められてんだってよ!』


 鋼鉄の意志で山をも貫く――


 パーリはその余りに荒唐無稽な高すぎる理想に、つい笑みをこぼした。



 アレン・ロヴェーヌよ――


 お前は出来る・・・と…………俺にならそれが出来ると言うのだな?


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