第235話 エリア81(3)



 薄暗い坑内のそこかしこでカーン、カーンと一定のリズムでつるはしが石を叩く音が響いている。


 俺が今振るっているのは『刃づる』と呼ばれる、最初に浅い溝掘りに使用する小型のつるはしだ。


 ゲームなどでよく見るつるはしは『両つる』という名前のようだが、両つるの先は尖った『点』の形状なのに対して、刃づるは先端部は縦に細長い『線』の形になっている。


 まずは刃づるで切り出す石の場所、基本の規格なら大体幅40cm、長さ1.2mの形に切り出せるよう溝を入れる。


 次に両つるで溝に沿って長方形に掘り進め、30cmほど掘り終えた所で横から底部に楔を八本ほど打ち込み、矢〆やじめという名の先端部が『面』になっているハンマーで楔を叩いて石を起こす。


 最後に柾切まさきりで両端を切り落として大きさを揃えれば石を切り出す石工の工程としては終わりだ。


 一本のレイド石を切り出すのに、おおよそつるはしを四千回振るう必要があり、ベテランの石工でも一日にせいぜい十本程度しか切り出せないらしい。



「……そんなに楽しいか?」


 イグニスさんは、戦闘には一切関与せず一心不乱につるはしを振るう俺を物珍しそうに見ていた。


「……ええ、楽しいですね。こういった地味な反復作業をしていると、不思議と心が研ぎ澄まされていく。分かりますか?」


 イグニスさんは、興味深そうに目を細め俺を真っ直ぐに見た。


「分からなくもねぇが…………レンはパーリとは逆に、歳の割に自分が見えすぎているな。妙な奴だ。弟子入りの件も、探索者でもブフウでもなく、つるはしの振り方を教えて欲しい、だからな……流石に予想外だ」


 俺はそれには答えず、一つ苦笑して道具を両つるに持ち替えた。


 流石にAランク探索者だけあって、イグニスさんは勘が鋭い。


 まさか転生者などとは思わないだろうが、余計な事は言わない方がいいだろう。



 一定のリズムで石を叩く音が、再び坑内に一つ加わる。


「…………どれ、貸してみろ。レンの顔を見てたら久々につるはしを振りたくなった」


 イグニスさんが俺からつるはしを受け取ると、近くにいる石工達が騒めいた。


 珍しい事なのか、手を止めてイグニスさんへと視線を向けている。


 イグニスさんは少しだけ左足を前に出してスタンスを取り、右肩上に軽々とつるはしを振りかぶると、刹那の時間静止し、真っ直ぐに振り下ろした。


 その描かれた軌道のあまりの美しさに、俺は半ば呆然となった。


 言葉で説明するのは難しいが、途中まで弧を描いていたはずのその軌道は、滑らかに円から真下方向の直線へと軌道を変えて、その力は余す事なく地に伝わった。


 コーンと甲高い音が坑内に響き、遠くの方で作業していた人達も一斉に視線を向ける。


 その後、石を叩いた僅かな筋肉の反動を活かすようにして軽々と右肩上までつるはしを戻し、また僅かな時間ピタリと静止して振り下ろす。


 力んでいるような様子はまるでなく、つるはしの重みを活かして自然に振っているように見える。


 にも関わらず、響く音からして俺が叩いていた時とは明らかに力の加わり方が異なる。


 そして、その動きは判で押したように正確で、僅かなぶれもなく繰り返される。


 だが石の叩かれる場所は少しずつ移動している。


 イグニスさんの足元をよく見ると、振りかぶる時の慣性を利用して、息をするほど自然に立ち位置を変化させているようだ。


 坑内にいる石工達も護衛も、全員がその息を呑むほどに洗練された動きと、響き渡る音色に釘付けになっている。



「…………とまあ、こんな感じだな」


 五分ほどつるはしを振ったイグニスさんは、照れたように笑って俺へとつるはしの柄を差し向けてきた。



「相変わらず、大番頭のつるはしの音は綺麗だなぁ。運がいいな、坊主。大番頭自らつるはしの振り方を教える事なんて、滅多にねぇぞ?」


 ひときわ年嵩の、石工達から親方と呼ばれている現場監督っぽい初老の男が近づいてきて、俺の肩に手を置いて苦笑する。


「ふん、おりゃ別に勿体つけてるわけじゃねえぞ、ブル。単純な作業ほど、口で伝えられる事には限りがある。何回振ったか。センスの差はあれど、結局はそれがモノを言う世界だからな」


「そりゃ分かってますが、こうして間近で見るだけで勉強になる事もあるでしょう。まぁずっと先頭走ってる大番頭には分からねぇかもしれませんね。ところで坊主……さっきから気になってたんだが、中々面白い道具使ってるな。銘は掘られてねぇみてぇだが、どこの会社の製品だ?」


 ブルさんは、俺の手にあるつるはしをまじまじと見ながらそんな事を聞いてきた。


「め、銘? えーっと、これは王都で鍛治師をしてる、ベムって人から買ったつるはしですが……面白い、ですか?」


 ベムは、俺が遊び半分で腕のいい鍛治師テンプレを探し求めている最中に巡り合った、王都東のスラムにいる野鍛治だ。


 野鍛治とは、農耕漁具や山林刃物、生活用品などを幅広く扱う鍛治の事を指す。


 リンドおやっさん曰く腕はいいとの事だが、偏屈で、隙を見せるとすぐ釣り銭をちょろまかそうとすると、りんごの子供達には嫌われている。


 もちろん名のある鍛治師ではない。


 俺はベムの仕事に対する情熱には敬意を持っているが、このつるはしもエリア81で活動するベテランの石工達が感心するような業物ではないだろう。


 なんせ魔鉄すら練り込まれていない、中古の安物だからな。


「ベム? 聞いた事ねぇな……。そりゃどう見ても量産品じゃなくて、坊主の手に合わせて鍛えた品だろう。音を聞きゃ丁寧な仕事してるとすぐ分かるのに、素材が普通の鉄ってのが気になってな。手間と腕に対して素材価格の釣り合いが取れてねえ」


 そりゃ聞いた事など無いだろう。王都のスラムで野鍛治をしているおっさんなど、ドラグレイドの職人が知るわけがない。


 それに……わざわざ王都から送った道具を褒められるのは嬉しいが、少々大袈裟じゃないか?


 確かベムは、先が折れた鋳造ゴミ品を暇な時に鍛え直した、とか言っていたし……。


「え〜っと、ベムは王都のスラムで野鍛治をやってる偏屈な職人なので、皆さんが知らないのは当然です。……このつるはしは190リアルで買った安物ですけどね。音がいいのはイグニスさんの腕がいいからなんじゃ……」


 俺が正直にこう言うと、ブルさんは怪訝な表情を浮かべた。


「す、スラムの野鍛治……? いやいや、俺が何年石切りやってると思ってやがる。そもそも見た目からして坊主のリーチと身体強化の出力に合わせた特注品だろう?! それを190リアルだと? どんな商売してるんだ、その鍛冶屋」


 ……どうやらベムは、俺のために丁寧な仕事をしてくれたようだな。


 250リアルでいい、なんてケチで定評があるベムが言うから、面白半分で値切ったりしてごめん……。


「私もいいですかな?」


 隣で興味深そうに話を聞いていたサトワがこう言うので、俺はつるはしを渡した。


 サトワは流石に様になった姿勢でつるはしを振り、コーンコーンとこちらもいい音を響かせて笑顔になった。


「……いい音ですな。硬すぎず、かと言って柔らかすぎない。ブルさんが言う通り、バランスも使い手の事をしっかり考えて作られている。レン君は、その鍛治師のベム殿を贔屓にしているので?」


「え、ええ。俺はまだ道具の良し悪しはそれほど分かりませんが、ベムの鍛治仕事への情熱が本物だと言う事は分かります。もういいおっさんで、スラムで金の無い人間を相手にずっと商売をしている職人ですから、そうそう日の目を見る事はないと思いますが……応援はしています」


 俺がこう言うとサトワはキラリと目を光らせた。


「ほう? レンさんの眼鏡に叶うほどの人材がスラムに……これは面白い話を聞けました」


「…………へぇ〜、スラムの貧乏人を相手に、ねぇ。俺は道具を選ばねぇ主義だが、そのベムって野郎には興味が出てきたな。次王都に行く時にでもツラを見に行くか。どこに工房があるんだ?」


 イグニスさんまでそんな食い気味に……。


 例によって嫌な予感を感じた俺は、慌てて話を逸らした。


「そ、そんな事よりどうですか、この石の呼吸にシンクロしたかのような完璧なタイミングは! 中々板についてきたと思いませんか?」


 俺がせっせとつるはしを振り始めると、三人は揃って俺に白い目を向けた。


「何が石の呼吸だ、それで誤魔化したつもりか?! 石を掘るのにタイミングもクソもねぇだろ。さっさと工房の場所を吐きやが――」



 ゲゴッッ!!!!



 そんな馬鹿なやりとりをしていると、エリア81に聞いたことのない不気味な鳴き声が響いた。


 サトワとイグニスさんの目が瞬時に戦闘モードへと切り替わり、鳴き声のした地底湖へと走る。


 風で湖面を走査すると、二つのギョロリとした目が僅かに飛び出している事に気がつく。


 その目を見た瞬間、俺は即座につるはしを放り投げ矢筒を背負った。


 次の瞬間、地底湖から途轍もない大きさ……牛でも丸呑みにしそうなほどでかい蛙の化け物が飛び出してきた。


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