第234話 コミカライズ連載開始記念SS パーリの記憶



 出会った日の事は鮮明に覚えている。


 父の仕事に同行して、初めてドラグレイドへと連れてこられたその日。


 窮屈な余所行きの服に身を包んで、ドラグーン侯爵邸の庭園で遊んで待っているように促された俺は、当時まだ4歳のフェイ様に出会った。


 今思えば、申し合わせた上で引き合わされたのだろう。


 中庭には他にも歳の近い子供が十名前後いた。恐らくはドラグーン地方の有力者貴族の子供達だっただろうが、誰がその場にいたのかはあまり覚えていない。


 それぐらい、フェイ様は一人だけ際立ったオーラを放っていた。


「君、名前は? 一緒に遊ぼ?」


 両親がいなくなり、庭園の入り口付近で不安な気持ちでつっ立っていた俺に気がついたフェイ様は、優しく声を掛けて手を引いてくれた。


「ぼ、僕はパーリ・アベニール、四歳です」


 俺が緊張に震える声でそう言うと、フェイ様はにっこりと微笑んだ。


「初めましてパーリ。私はフェイルーン。あなたと同じ四歳よ」


 その気品に満ちた笑顔は、四歳の俺にはひどく大人びて見えた。


 こんなに綺麗な子がこの世にいるのかと、ぼーっと見つめる俺を見て、フェイ様は屈託なく笑った。


 その日は何をして遊んだのかもよく覚えていない。


 はっきりと覚えているのは、初めての場所と人を相手に酷く緊張し、委縮していた自分。


 そんな俺に侮るような視線で高圧的な言葉を投げかけてくる、少しばかり年上の子供。


 そして、その年上の相手にも全く気後れする事無く、さり気なく俺を守ってくれるフェイ様の凛とした姿。


 ただただフェイ様の優しい声と笑顔だけが鮮烈に記憶に残っている。



 ◆



 それから数ヶ月後。


「パーリ……近頃は特に槍の稽古に身が入っているな? なにかあったのか?」


 アベニール伯爵家の夕食で、父は俺に問いかけた。


 ドラグレイドから帰ってからこちら、自分でも不思議なほどに力が溢れ、槍の稽古に打ち込んでいた。



 俺は手に持っていたカトラリーを置いて、真っ直ぐに父の目を見た。


「……フェイルーン様を守れる、強い騎士になりたいのです。いえ、父上のように、この国を守れる強い騎士になりたい」


 まだほんの子供ではあったが、俺は真剣にそのように両親へと告げた。


 母と一度目を見合わせた父もまた、カトラリーを置いて真剣な顔で俺を見た。


「フェイルーン様のお側付きの騎士か……それは皆がなりたいと思う仕事だから、とても大変だ」


 頷き、続きの言葉を待つ俺に父は微笑んだ。


「だが……このまま一生懸命努力したら、パーリならなれる。わしと、ピオラの子なのだからな」


 嬉しかった。


 俺はその言葉を信じて、その後もより一層槍へと打ち込んだ。


 稽古が苦しいと思った事は一度もなかった。



 たまに父の仕事に同行してドラグレイドへと行き、フェイ様と言葉を交わすことが何よりの楽しみになった。



 ◆



 八歳の春。 俺は地元アベニール領にある幼年学校へと入学した。


 当初はフェイ様が通う予定のドラグレイドにある学校に入る予定であったが、母が強く反対したためだ。


 反対理由は、メリア・ドラグーン侯爵の跡を継ぐ有力候補と目されていたフェイ様の父であるアビオン様が政争に敗れ、失脚していたからだ。


 経緯を見れば政敵である親戚筋に嵌められた疑いが強いが、生き馬の目を抜く貴族社会においては結果が全てだ。


 ましてや千を超える貴族家を束ね、他地方の大貴族と渡りあわねばならない侯爵位の跡目争いにおいて、脇が甘かった、などという言い訳は世の同情すら買わない。


 当然ながら、アビオン派の貴族の筆頭と目されていたアベニール家も、大変難しい立場に立たされていた。



 俺がこの状況下で強いてドラグレイドへと進学などしても、反アビオン派に潰される。

 それは向こうの思うつぼであり、フェイ様の為には決してならない。

 今は中立を装いつつ耐え、徐々に力を盛り返すしかない。


 そのようにドラグレイドへの進学を諦めるように母が促してきても、俺は頑として聞き分けなかった。


「旗色が悪くなると、途端に主を掛け変えるのですか……? それが騎士たる者の道ですか?」


 貴族世界の怪奇なやり取りも、多くの領民を抱える責任も苦悩も何も知らない子供が、そのように正論を述べて母を困らせた。



 最後には父が私室に訪ねてきて、初めて俺に頭を下げた。


「わしが不甲斐ないばかりに……すまん」


 常に自信と精力に溢れていた父が初めてみせる弱々しい姿を見て、俺はドラグレイドへの進学を諦めた。



 ◆



 幼年学校入学から二年。


 その日の事も鮮明に覚えている。



 ドラグレイドにあるドラグーン家が運営する貴族学校付属の幼年学校に、ドラグーン地方の優秀な子供が集められるイベントがあった。


 久しぶりにフェイ様に会える――。



 約束(といっても、勝手に俺がドラグレイドの幼年学校に進学すると宣言していただけだが)を違えた俺を、フェイ様は許して下さるだろうか。


 それまでに申請した面会申し込みは全て断られていた。



 今回のイベントでは武を競う試合もある。


 この日の為に努力してきた。強くなった自分を、やっとフェイ様に見せられる。


 期待半分、不安半分で参加した俺は、フェイ様の現状に愕然とした。



 現侯爵の孫であり、ドラグーン宗家の直系であるフェイ様は、貴族はおろか庶民の同窓生からすらいない者・・・・として扱われていた。


 誰も近づかない。話しかけない。目も合わせない。


 参加者で埋められた会場では、まるでルールでそう定められているかのように、フェイ様の回りだけがぽっかりと空いていた。


 教師も、親族も、誰一人としてその異様な光景を咎める者はいない。


 そしてフェイ様は、その空間の中で一人ずっとニコニコと笑っていた。



 フェイ様の顔に張り付けられているその笑顔は、幼き日に記憶した屈託のない笑顔とは程遠いものだった。


 その笑顔を指差して、遠くで馬鹿にして笑っている奴らがいる。



 その許しがたい光景を見て、俺は激しく後悔した。


 やはりどんなに反対されようとも、ドラグレイドへと進学するべきだったのだ。


 主が一番困っている時に目を背けておいて、お側に居らずして、何のための騎士か――



 俺はフェイ様へ謝罪するために、真っ直ぐに近づいた。


 こちらに気が付いたフェイ様が僅かに首を横に振った気がしたが、俺の足は止まらなかった。



「やぁパーリ、久しぶりだね。落ちぶれたを笑いに来たのかな?」


 フェイ様は、俺が言葉を発する前に、ニコニコと笑った顔のままでこう言った。



「……フェイ様、申し訳――」


 俺がすかさず謝罪しようとしたら、フェイ様はけたたましく笑った。


「きゃはははっ! そういうのはいいよ。何年も顔すら見せていなかった人間が、急に現れて同情し始めてもね。それに―― 僕は別に現状を憂いていない。ちょっと学校の外が忙しくて相手をしてらんなくてね? とにかく、自分の事は自分でするから、パーリも自分の事を精々頑張って? くれぐれも――」


 そこまで言ったフェイ様は、笑顔を消して氷のように冷たい目で俺の胸をドンと突いた。

 まだ魔力器官は完成途上の歳だが、俺はその余りの威力に吹っ飛ばされて頭を打った。



「……僕の邪魔をしない方がいいよ? 虫けらのように潰されたくなければ、ね。きゃははは」



 そう言って、悠然と会場を出て行った。



 ……ショックだった。


 別人のように変わってしまったフェイ様を見るのも、一番苦しい時に側にいられなかった自分にも。


 そして何より、フェイ様を護る為に鍛え上げてきた筈なのに、フェイ様にとって、自分はまだ護られる側だという事にショックを受けた。



 会場には、フェイ様の態度を非難する声と、俺に対する同情の声が渦巻いていた。



 ◆



 それから一年で、フェイ様は家中の評価を引っくり返した。


 まずは手始めとばかりに、幼年学校での立場を180度裏返した。


 ちょうどあのイベントのあと頃から、王立学園も優に視野へ入る学力と魔法の才能……特にドラグーン家にとって特別な意味のある、魔道具士としてずば抜けた才能が噂になり始めていた。


 それまで幼年学校で全く目立つ事の無かったフェイ様は、ある些細なきっかけを契機に容赦なく辣腕を振るい、あっという間に学校内部の旗色を塗り替えたそうだ。


 それまでの底辺からあっさり急浮上とあって、「器が違う」と強く世間に印象付けたが、侯爵家の跡目問題が背景にある以上、簡単であったはずがない。


 どれほどの辛酸を舐めても笑い続け、入念に下準備を行なった上で、薄氷を踏む思いで一気に仕掛けたに違いない。


 ともあれ、メリア様は自分の子供には侯爵位の務まる人間がいないと漏らしており、『孫』へとバトンを渡すつもりなのではないかと密かに噂されていた最中だ。


 たかが幼年学校内の出来事とはいえ、世間の耳目を大いに集め、噂を聞きつけた有象無象がすり寄ってきたようだ。


 その後も、辛くも維持していた両親から引き継いだ自派閥に加え、自身の才を利用しようとすり寄ってくる輩を取捨選択しながら逆に取り込み、勢力を着実に盛り返す。


 時には両親を追い落とした元凶とすら言える仇敵とも手を結び、だが取り込まれる事無く対等な関係を築いた。


 フェイ様は、貴族としての器を示した。



「あの時は悪かったね、パーリ。僕もまだ子供だったからさ」


 勢力が確立して、堂々と面会できるようになった際、フェイ様は釈明一つせずに俺に謝った。


 俺は首を振った。


 あるいは入念な下準備を台無しにされたくないがための行動かもしれないが、いずれにしろ護られたのは俺の方だ。



「……私は、何があってもフェイ様を護れる騎士になります」


「ありがとうパーリ。よろしくね?」


 やっとそのセリフだけを絞り出した俺に、フェイ様はニコニコと笑った顔のままそう言った。



 ……フェイ様は間違いなく「あの学園」に進学するだろう。



 そうなると、ドラグーン地方内に留まらない、おびただしい数の有象無象がフェイ様にすり寄り、貶めようとする輩も多いに違いない。



 その時こそは――



 俺は再度頭を下げて、固く誓った。


 ……必ずフェイ様のお側で、俺がこのお方をお守りする。


 そしていつかもう一度、あの庭園で初めて見たフェイ様のように、屈託のない笑顔を俺に――。



 ……この時の俺はまだ知らない。


 この俺の決意を粉々に打ち砕く、途轍もない男が同じドラグーン地方のど田舎で、静かに牙を研いでいる事を。


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