第231話 ディオとの再会
「お、王都の狂犬だぁぁぁ!!」
よく知らないが顔は見たことがあるおっさんが、ドラグレイドの協会支部中に響き渡る声で叫ぶと、支部中の人間が一斉に視線を投げかけてくる。
だが、さすがは探索者の平均レベルの高さは王国内でも一、二を争うとされる支部だけあって、好奇心とわずかな疑念がない交ぜになったようなその視線には、値踏みするような色があるだけで取り乱すような奴はいない。
むしろ叫んだおっさんが、王都から遠征中の外様なのだろう。
「ほう? あれが噂の『狂犬のレン』か……」
「あぁ、王国の最年少Bランク昇格記録を塗り替えたっていう……」
「王都でアコギな商売をしてたロッツ・ファミリーの事務所に単身乗り込んで、構成員から会長まで全員ぶちのめしてから消息不明って噂だったが……生きてたのか。何しにドラグレイドに来たんだ……?」
「確か、挨拶がわりにあの『
俺が死んだ魚のような目で根も葉もある噂話を聞いていると、ディオが近づいてきた。
俺が『狂犬のレン』などという物騒かつ不本意な通り名で呼ばれた時にぴくりと眉を動かしたが、特に戸惑う様子などはない。
むしろその仏頂面には僅かに嬉色が浮かんでいるようにも見える。
ディオはロヴェーヌ家の使用人ではない。
形式的にはディオはロヴェーヌ領を拠点とする一探索者であり、母上はたまに依頼を出す領主夫人に過ぎないという事だ。
受験のために王都へのぼる際に世話になった時も、俺を主家筋として崇めよう、などという敬意は無かった。
むしろ初めの頃は、地元で放蕩息子として有名だった俺を侮蔑し、遠ざけられていた感すらあった。
本人としてもロヴェーヌ家に仕えているつもりはさらさらないのだろう。
母上の話では、すでにリングアートの家名も捨てており、あくまで任意の探索者として今でも母上に忠義を尽くしてくれている、との事だ。恐らくは、ロヴェーヌ家の財政面や母上の心理的な負担まで考慮して、自らその形を選んだに違いないとも。
俺はあくまで探索者レンとして探索者ディオに近づいて、真っ赤な革鎧に守られた左胸を小突いた。
「久しぶりだな、ディオ。Bランクに昇格したのか? ……あの時ボコボコにされた借りは忘れてないぞ?」
俺がニヤリと笑ってこう言うと、探索者支部にざわめきが走り、ひそひそと噂を交わす声が聞こえる。
「あれから一年か……いい目をするようになったな、ボン。わしも、この一年でさび付いていた技と体を一から磨き直した」
「ははっ!」
俺は思わず声を出して笑った。
今でもたまに、あの時のディオとの槍の稽古を脳裏に浮かべながらシミュレーションをする事がある。
あの学園で鍛えられ、優秀なクラスメイト達と切磋琢磨することで、この一年で自分の実力がかなり伸びている手ごたえもある。
だが悔しい事に、まだあの時のディオに勝てるビジョンが掴めていない。
そのディオが、
どうやら簡単に借りを返させるつもりは無いらしい。
「……天に愛されていたはずのあのお方の、止まってしまった時が――」
目を細めて俺を見ていたディオは、その仏頂面に万感の思いを染み渡らせるように、静かに笑った。
「ゆっくりと……動き出す予感がしたのでな」
今度は俺が目を細めさせられる番だった。一年前のあの時、その実力と余りにもちぐはぐな、亡霊のような雰囲気を滲ませていた男は、全身から生気を立ち上らせている。
「……聞こえてくる噂は、まるで暴走列車のようだったがな」
「ははっ!」
俺は思わず声を出して笑った。
ただの苦笑だ。
「レン君。到着されていたのですな」
俺がディオと目線だけで旧交を温めていると、支部の奥からサトワが出てきた。相変わらず気のいい公務員のような温和な雰囲気だが、その身のこなしには隙が無い。
「あぁサトワさん。すみません、到着がぎりぎりになりまして……」
そう言ってぺこりと頭を下げると、サトワは手を振った。
「いえいえ、立て込んでいるという噂は聞いておりました。ですが、此度の依頼にレン君は不可欠。これは延期せざるをえないかと気を揉んでおりましたが……無事到着されて何よりです。ところで此度の依頼は三人に指名依頼を出しているのですが、そのうちのお二人がディオさんとレン君です。お二人はお知り合いだったので?」
さも意外そうな顔でそう確認して来たが、サトワは探索者協会の副会長だ。当然ながらディオがロヴェーヌ領を拠点にして、実績を積んできた事は把握しているだろう。あるいは知り合いの線も考えていたはずだ。
まぁ俺の正体を知っているサトワに、探られて困る腹など別にないし、ディオとしても母上の正体が広く認知された今となっては、取り立てて隠す意味はないだろう。
しかしディオと同じ依頼を受けることになるとはな……。磨き上げた槍の腕とやらを確認するが楽しみだ。
ディオの方も知らされていなかったのか、一瞬驚いた顔を浮かべたが、すぐに口元に楽し気な微笑みを湛えた。
「……知り合い、というほど交流はありませんが、俺の体に槍の間合いを叩き込んでくれた、恩人のようなものですね」
俺がそう説明すると、サトワはにっこりと笑い、そういえば隣で突っ立っていたパーリ君は、眉をピクリと動かした。
「お二人がお知り合いなのであれば、パーティの連携面の向上に期待が出来ますな。そうそう、此度の依頼はディオさんのAランク昇格査定も兼ねられる事になります。どうか頑張ってください」
Aランクへの昇格試験は、確かAランク探索者の資格を保有する協会幹部が指名依頼を出し、直々に査定することで行われる試験だ。
合格率などは分からないが、そもそもBランク探索者の数はCランク以下のそれと比べ極端に少ないので、昇格査定対象の依頼を受けること自体が非常に狭き門だ。もちろんその依頼の難易度はAランク以上となる。
「……わしは自分の仕事をするだけだ。ところで三人に指名依頼を出しているという話だったな? もう一人のメンバーは誰だ?」
ディオは淡々とした口調で残りのメンバーについて確認した。
「あと一人はこのドラグレイドを拠点に活動するAランク探索者のイグニスさんに指名を出しています。ご存じですか?」
サトワがこう言うと、聞き耳を立てていた周囲の探索者がざわめいた。有名人なのだろうか。
「『
ディオはどうやらその名を聞いたことがあるらしい。
「どういった人なのですか、そのイグニスさんという方は」
当然ながらドラグレイド所属の探索者など一人も知らない俺が首を傾げると、サトワが簡単なプロフィールを教えてくれた。
「イグニス・ラファドール。
ブフウというのは、特にドラグーン地方で盛んに行われている古来から伝わる格闘技だ。
手の平を地に着いてもいい相撲のようなルールで、狩猟の安全と成功を祈る儀式的な要素が残る点も相撲に似ている。
ロヴェーヌ子爵領でも幼年学校では授業に取り入れられていたから、俺も幼い頃に経験したことはある。
俺が首肯すると、サトワは続けた。
「イグニスさんはドラグレイドのブフウ大会で五十年ぶりに五連覇を果たし、『
ブフウは年に一度ドラグレイドで大会が行われる。
その優勝者には古い言葉で獅子を意味する『アスラン』、準優勝者には象を意味する『ザルーン』、ベスト4には馬を意味する『ツァガ』といった具合に、活躍度に応じて動物の名の称号が送られる。
確か
俺はそのイグニスさんとやらに興味を持った。
何やら凄そうな称号だの顔役だのは、この際どうでもいい。
俺の琴線にガッツリと触れたのは、ムート石材店の大番頭を務める、という点だ。
出来ればこの度のドラグレイド滞在を機に、サトワから受ける護衛依頼だけではなく、実際に鉱物採取の依頼を受けておきたいと考えていた。
その為に、わざわざ王都から自分の鉱物採取用具をこの協会支部宛に送ってある。
王都で出会ったとある鍛治師に鍛えてもらった、マイつるはしを振るわない事には帰れないと考えていたのだ。
職人の世界はいわゆる徒弟制度が取り入れられている場合が多い。
物の本によると、石材を切り出す石材採取の世界もこれに準じ、初めは
会社のオーナーは別にいるかもしれないが、実力主義の職人世界で頂点にまで登り詰めたイグニスさんは、その世界で酸いも甘いも乗り越えた職人の頂点に違いない。
「……時間がありません。今すぐにでも挨拶に行って、今日のうちにイグニスさんの呼吸を、タイミングを、可能な限り知りたい」
石を掘るつるはしを振るうのにタイミングもクソも無いかもしれないが……もしかしたら石にも呼吸があるかもしれないではないか。
いや、ロマン的な意味で是非あってほしい。出来れば奥義のようなものもあれば最高だ。
春休みの予定を詰め込みすぎて、時間に追われている俺が切羽詰まった顔でそう言うと、サトワは一瞬虚を突かれたような顔をしたが、すぐに笑顔になった。
「流石はレン君、どれだけの成果を積み上げようとも油断や慢心とは無縁ですな。いや、実に頼もしい。本日イグニスさんは、稼働中の採石場で最も危険な『エリア81』の現場に入っていると連絡を受けています。これから参りましょう」
「本当ですか?! ありがとうございます! 支部に送っておいた荷物を引き取ってきます!」
「……わしも同行しよう。連携面の確認は勿論、ボンがどう成長したのかも見ておきたい」
ディオはすぐさま同行を申し出た。
ふっふっふ。つるはしを振るうのは初めてだが、イメージトレーニングはバッチリだ。俺のつるはし捌きを見て腰を抜かすなよ?
俺は大急ぎで王都から送った荷物の引き取りカウンターへと向かった。
「おい!! 俺もいる事を忘れるな!!!」
すっかり存在を忘れていたパーリ君が、スキップでカウンターへと向かう俺の後頭部に向かって声を張り上げた。
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