第229話 ツーリング(9)



「やつら魔導車からじわじわ離れてるみたいだ。レールゲーターも少しずつ減ってきてるし、そろそろ動こう。近づけばエンジン音でおそらくばれるから、タイミングとスピードの勝負だ」


 あのやばそうな男が次々に狩っているのもあるが、レールゲーターが苦手とする斜面移動を繰り返す事で、風魔法の範囲から外れる個体を制御できなくなって、群れは徐々に数を減らし始めている。



「あいよ」


「…………油断するなよ?」


「あいよ」


 やる気のない八百屋やおやのような返事をするピスがいささか気になるが、俺たちは奴らと魔導車の位置関係の逆側から魔導車へと近づいた。


 三台盗まれたはずだが二台しかないのは、すでに何者かに引き渡したか、もしくは全てを運び出すのは難しいと判断してどこかに投棄したからだろう。


 できれば俺が風魔法と組み合わせて乗る前提のセッティングになっている、特別仕様の機体を優先して取り戻しておきたいな……。


 別に秘匿などしなくても、あれが将来空を飛ぶための要素技術を開発している実験機である事など誰にも分かりっこないのだが、パーツに超貴重な素材が使われているため組み直すのが大変なのだ。



 魔導車めがけて、ピスがレールゲーターを躱わしながら最短距離を駆け上がる。


 すでに接近に気がついているはずだが、奴らはレールゲーターの対処に忙しいのか、動く気配はない。


 それどころか、こちらを振り返りすらしない。


 その様子を見て、俺の脳裏に嫌な予感が掠めたが、すでに引き返せるタイミングではない。


 あと魔導車まで十数メートル、というところまで近づいた最悪のタイミングで、あの年は若いが危ない雰囲気を放つ男が急に振り返り、一気に身体強化魔法の出力を上げ、ワニの濁流の上を飛ぶように駆けて来た。



 レールゲーターなど存在していないかのような、途轍もないスピードだ。


 その表情、立ち昇らせる気配には、先程までのどこか余裕を感じさせる温い雰囲気など微塵もない。


 ここでこちらをらなければ自分達が殺される――


 そう確信しているかのような、必殺の気配が俺とピスへと叩きつけられる。


「俺の踏み台になれ! アレン・ロヴェーヌ!」



 俺は半ば反射的に、少しでも時を稼ぐため鉄の矢を男に向かって放ったが、男はこれを苦もなく躱わす。


「ちぃっ! 誘い出された! 揺らすなピス! 狙いがつけにくい!」


「……あいよ!!!」


 俺は出来るだけ丁寧に走って欲しいとお願いしたつもりだったのだが、ピスは小山の様に盛り上がっている勾配を使って魔導車ごと宙へと飛んだ。


「なんだそりゃあ……」


 さすがの男も、ピスの非常識な機動を目の当たりにして、隙だらけの格好で驚愕の顔を浮かべている。今にもちびりそうな、ざまぁない顔というやつだ。


 くっくっく。


 やり過ぎだピス……! いきなり目の前が空になって、ちびるかと思ったぞ?!


 そもそもいくら浮いてる間は揺れが収まるとはいえ、こんな不安定な体勢から練習もなく弓なんて引けるか! というか転ばず着地できるのかこれ? 下手をすると着地の衝撃でぶっ壊れるぞ?


 俺はピスへの苦情を一旦呑み込み、覚悟を決めてバク宙の要領で魔導車から飛び降りた。


 男から見たらピスが制御する魔導車の死角になっており、降りた瞬間が見えづらいだろう。


 宙で改めて弓を引き、ピスの背中越しに男に狙いをつける。


 俺が飛び降りた事を感じたピスが、即座に姿勢を変えて『着地と同時に左へ切り返す』と背中でメッセージを送ってくる。


 一瞬早く着地したピスが、左へ切り返しすか否かの刹那のタイミングで、俺は隙を晒している男へと矢を放った。


 だが呆然としていた男はすんでのところでハッとなり、この矢も横っ飛びで交わす。


 真っ向勝負になったら明らかに分が悪い。ピスが生み出した、この勝負所で方をつけるしかない。


 瞬間、俺の脳裏に前世何も生きた証を残す事なく人生を閉じようとしていた、無機質な病院の天井がよぎる。


『ピッ、ピッ、ピーーーーーー』


 聞いたはずのない自分の心音が停止した証の音が耳に響き、同時に強烈な後悔の念が襲う。


 殺らなければ……殺られる――


 俺は沸き立ちそうになる感情を心の底に沈めて、鉄の矢を弓に番え、風向を逆風にコントロールしながら一本放つ。


 男はすでに冷静さを取り戻したようで、鉄の矢を頑丈そうな小手を活かして弾きながら立ち上がった。


 ちょうどそのタイミングで男に着弾するように、貫通特化であるマックアゲート製の鏃がついた矢を、『鳴き龍』、つまり低気圧追い風の環境下で放つ。


 風向が真逆に入れ替わり、鳴き龍の影響を受けた男が僅かに硬直する。


 風の影響で一の矢と比べてグンと速度を伸ばしたマックアゲートの矢は、咄嗟にさらに横へと飛び退いた男の右足を撃ち抜いた。


 だが男は地を転がったあとすぐさま立ち上がる。


「ジル!」


 と、そこで後ろに控えていた男の仲間と思しき一人が叫び声を上げた。


 そちらに目をやると、もう一人の仲間らしき杖を持った奴がレールゲーターに押し負けて今にも捕食されそうになっている。叫び声を上げた男もフォローするほど余裕はなさそうだ。


「ちぃっ!!!」


 俺と対峙していた男は迷う事なく踵を返す。だが足に矢を受けた事で、明らかに先ほどまでの速度がない。



 俺は隙だらけの男の背中を見て、一瞬逡巡したが、奴らの仲間を捕食しようとしているレールゲーターに向かって矢を放った。


 ギャアアアッ!


 矢は、レールゲーターの口内へと吸い込まれ、その個体は叫び声を上げてのたうった。


「…………なんのつもりだ?」


 やばい男が、感情のない顔で振り返る。


「ふんっ。あいつが死んだらただでは帰れない。だろ? 生憎あいにくお前みたいな危ない男に追いかけられて、喜ぶ趣味はないんだ」


 男が右足に刺さった矢を引き抜き、ギロリと睨みながらさらに問いかけてくる。


「……甘すぎんじゃねえか? 泣く子も黙るユグリア王国騎士団員様よ。……何が狙いだ?」


 俺は盗まれた魔導車へと跨り、キックスターターでエンジンを始動した。


「ふん。わざとらしく隙だらけの背中を見せていたが、お前を狙ってもどうせ躱わすだろう。この一台は、欲しいならくれてやる。こいつを抱えて、生きてこの国を出られるとは思えないがな」


 俺がそう言ってもう一台を顎でさして走り去ろうとすると、男は尚も引き留めてきた。


「待て! ……俺はレオ。レオポルドだ。苗字は…………ねぇ。ツラを見せろ! アレン・ロヴェーヌ!」


 バカなのか? なぜストーカー予備軍に顔など見せる必要があるんだ。


「断る。繰り返すが、危ない男に追いかけ回されて喜ぶ趣味はない」


 俺はアクセルターンの要領で方向を180度回転させながらレールゲーターを弾き飛ばした。


「行こう、ピス」


 今度こそ走り出した俺たちの背中に、レオとやらが声をかけてくる。


「……もう一台はミングア南西の森にあるキャンプから、南へ500mほどの、今は使われてない枯れ井戸の中だ! この借りは必ず返す。俺の名を忘れるな!」


「……お前こそ忘れない事だな。お前らの企みを完膚なきまでに叩き潰した男。ピスケス・ラヴァンクールの名を」



「…………何でだよ!」



 ◆



 レールゲーターは、アレン・ロヴェーヌとピスケス・ラヴァンクールとやらが走り去ると、それを追いかけるように瞬く間に数を減らしていった。


「すまねえ団長……あの矢は……いつでも俺は殺せるってメッセージでしたね……足を引っ張った」


 レオがいくらか残っている個体を掃討していると、ジルが近寄ってきて謝った。


「気にするな……ここまでの乱戦にされたら魔法士がきついのは仕方がねぇよ。ユグリア王国騎士団の魔法士は、ある程度近接戦闘もこなすらしいがな。魔導車こんなもんのために、お前の命を支払うほど俺の気前は良くねえ」


 ギンがレオの右足に傷薬を掛けて包帯を巻く。


「……あの魔導車での大ジャンプにはたまげましたね、団長。矢……躱せなかったんで?」


 ギンが遠慮がちにレオに問う。自分たちならともかく、レオがあの距離の、真正面から飛んでくるショートボウの矢を受け損なう事は、普段なら考えられない。いかに衝撃的な動きをする魔導車に気を取られていたとしてもだ。



「ああ、躱せなかった。何が起きたのかはっきりとは分からねぇが……恐らくアレン・ロヴェーヌが研究している風魔法とやらの効果だな。おふざけ魔法に見せかけて、新型帆船とやらの為に極秘裏に開発した魔法だとする説が王都でも主流だったが……まだ野郎には別の狙いがある。これは間違いねぇ」


 レオは目を細めてあの瞬間――いきなり風向が変わって冷たい風が吹き抜けた瞬間の事を思い出しながらそう答えた。



「しかし……天下のユグリア王国王立学園のホープどもは、もっと王道の優秀さを感じさせる奴らを想像してやしたが……それよりは、ネジがぶっ飛んでる奴らって印象でしたね……。アレン・ロヴェーヌと……ピスケス・ラヴァンクールっつったか」


「ネジ、ねぇ……」


 そう呟いたレオは、もう一つ、あのアレンとのごく僅かなやり取りの中で感じた事を思い出していた。


 初めて対峙した時から、レオはアレンの事を『こいつはまだ人殺しころしの経験がない』と見抜いていた。


 その一線を越えたやつと、越えてないやつは身に纏う匂いが明らかに違う。戦場で育ったレオは、人殺しの匂いに敏感だった。


 生きるか死ぬかの戦場で、そこには天と地の差がある。



 あの瞬間とき――


 自分の心臓に照準された矢が真っ直ぐに飛んできた時、奴は熟練の暗殺者アサシンの様に殺気を完全に消していた。


 だがその前に、確かに感情が沸き立つ気配があった。


 その時のアレンから当てられた気配を思い出し、レオの背がぞくりと震える。


 殺気とも違う。あれはもっと濃密な、『死』の気配そのもの。



 いわば死神の気配。


 自分があの時……奴に背を向けたのはもしかして――



「……そんな嬉しそうな顔しちゃって、負けを認めちゃってるんじゃあねぇですかい?」


 ギンが揶揄うようにそう言うと、レオは初めて自分が笑っている事に気がついた。


 赤く染まり始めた空へと目をやり、何かを反芻するようにして頷く。


「あぁ、俺の、俺たちの負けだ」


 そしてにやりと不敵に笑う。


「今日のところはな。……この借りはいつか返すさ。さぁ怖え騎士団様が現れる前に、魔導車土産を持ってずらかるぜ!」



 ◆



 俺とピスがレールゲーターの包囲網を何とか振り切ってエクレール湖の湖畔へと辿り着いたところで、馬に乗って駆けてくるティムさん、アイルさん二人の王国騎士団員が先導する中隊と行きあった。


「無事でしたか……。本当に良かった。何があったのですか?」


 アイルさんが、俺が取り返した二輪魔導車を見ながら説明を求めてきたので、俺は起きた出来事を淡々と説明した。


「何という無茶を……貴方達はエクレールの本部に帰還して待機です。クルシナが指揮をとっているので、今と同じ報告を。必要な手当てはクルシナがするでしょう」


「……あの、一人本当にやばそうな奴がいるんです。馬だと多分あの斜面は登れませんし、俺達が先導しますので……」


 俺がそう言いかけると、ティムさんは優しく首を振り、ピスの頭に手を乗せ、ハンドルを持つ手の指を一本ずつ、剥がすように開かせる。


 よほど強く握り込んでいたのか、それとも気持ちの問題か、ピスの手はブルブルと震えていた。


「君たちには休息が必要だ。いかに普段から苛烈な訓練を積んでいようとも、実戦と演習は違う。後は私たちに任せて欲しい。……よく生き残ったな。偉いぞ」


 アイルさんも優しく笑って頷く。


「魔導車部のお友達達が、エクレールへと来ていますよ。とても心配しています。早く顔を見せてあげてください」


 ……トゥーちゃん達、来てるのか。


 俺は魔導車を一台みすみす賊に取られ、皆に申し訳ないと思いつつも、トゥーちゃんの顔を見たいなと思った。


「……分かりました。ここから先はお任せします。お気をつけて」


 二人が優しい顔のまま踵を返す。だがばさりとマントを翻し、馬へと跨ったその瞬間、二人の表情は、気配はまるで別物へとなっている。


「賊を追跡する!」


 自分たちが、賊に後れを取ることなどあり得ない――


 駆け出したティムさんとアイルさんの背中からは、絶対の自信が、ユグリア王国騎士団の誇りが立ち昇っているように見えた。



「……俺たちもいこうピス。エクレールまで競争だ! 負けた方は罰ゲームだぞ?」


 俺がこう言ってピスの肩を小突くと、ピスは『はぁ〜』と気の抜けたように息を吐いた。


「上等だ……スピード勝負では負けねぇぞ、アレン!」



 ◆



 ティムとアイル率いる追跡部隊、そしてユグリア王国は、結果として賊を取り逃す。


 馬が使えない道なき道にレールゲーターが異常発生しており、ティム達が現場に到着するのが遅れた事、賊が通過したと思われる、災害現場を越える岩山の鎖場が切られていたこと、どうやらその先に逃走用の馬車が用意されていた事、そしてその先も、明らかに逃走の手助けをした内通者が国内にいたことなどが明らかになった。



 ユグリア王国が誇る王国騎士団を出し抜き、さらにあの・・アレン・ロヴェーヌと直接対峙し情報を握った傭兵団『翼』は、暫くの間、裏の世界で噂となった。


 だが彼らはその名に反し、地に潜り力をつける道を選択する。



 どこまでが計算で、どこからが運命の悪戯なのかは誰にも分からない。



 ただ一つ確かなのは、アレン・ロヴェーヌがこの時、盤外に一枚のカードを伏せたという事。


 オセロの四角の、さらに外側に伏せられたカード。


 その存在に気がついているのは、世界でピスケス・ラヴァンクールただ一人。


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