第228話 ツーリング(8)



「いやぁ〜水中の花吹雪というのは初めて見たよ。この世のものとは思えないほど美しい光景だったな!」


 俺は何とか雰囲気を和ませようと声を掛けたのだが、ピスは声を上擦らせてカンカンに怒った。


「何が花吹雪だ、おしゃれなこと言ってる場合か! この状況をどうするつもりだアレン!」



 俺たちは現在、エクレール湖周辺に棲息するレールゲーターという名前のワニの魔物に追いかけられている。


 それも一匹や二匹では無い。


 魔物暴走スタンピードさながらに、田舎道を走る俺たちを包囲するよう前後左右から溢れるほど湧き出てきている。


 なぜこんなことになったのか? それは俺にも分からない。


 はじめは本部にいた兵隊さんに教えてもらった、エクレールバイカの群生地に赴き、その美しい光景にピスと共に胸を打たれていた。


 だがそこに一匹のレールゲーターが泳いできて、あろう事か俺達を捕食しようと大口を開けた。


 水中に咲き乱れるエクレールバイカに見入っていた俺とピスは、すんでのところで身を躱し、その硬い皮にやや苦戦しつつもその個体を仕留めた。


 だが、かちゃがちゃと戦闘していたからか、その後二匹三匹と次々にレールゲーターが湖から上がってきて、これは相手にしていられないと慌てて魔導車に飛び乗って逃げ出した。


 そこで俺は、あわよくば追っ払えるかもと風魔法で威嚇してみたのだが、どうやらこれがレールゲーターの逆鱗に触れたらしく、山からも湖からも、どこにこんなにいたのかと聞きたくなるほど現れ始めた。


 しかし、風魔法による威嚇は集団で狩りをするタイプの魔物と相性が悪いな……。闇狼討伐任務の時もそうだった。


 もしかしたら、大気中の魔素や放出した魔力を介して何らかのコミュニケーションを取っており、それを掻き回されるのをひどく嫌う、などの共通の性質があるのかも……。



 今はレールゲーターの包囲網を潜り抜けるために、風魔法による広範囲の索敵を行なっているので、魔法を止めたくても止められない。


 包囲を抜けるために使っている風魔法が、新たなレールゲーターを引き寄せるという、完全に闇狼の時と同じジレンマに陥っている。


 つまり現状を招いた原因は完全に俺なのだが、全ては不可抗力であって、ベストを尽くした結果と言う訳だ。


 そう、全くもって誰も悪くない。


 俺はそう力強く自分に言い聞かせながら、左手にある傾斜のきつい斜面を指差しながらピスへと指示を出した。


「どうするも何も、ピスに何とか魔導車で振り切って貰うしかない。あ、そこらで左の斜面に上がれピス」


 そう言って左手を指差すと、ピスは傾斜のきつい斜面をちらりと横目で見て顔を引き攣らせた。


「こ、この斜面を二人乗りの魔導車で上がれだと? 簡単に言うな!」


「このまま真っ直ぐ行くと包囲されて死ぬ可能性がある。まぁまぁの確率でな。とにかくエクレール湖から流れ出している右手の川から離れて出てくる個体を減らさない事にはどうにもならない」


「死ぬだと?! 簡単に言うな!」


 ピスは決死の表情で、フロントを浮かして前輪を比較的段差が少ない斜面にかけた。


 すかさずアクセルを開けて強引に斜面を駆け上る。


 ポツポツと生えている低木と群がってくるレールゲーターの隙間を縫うように、魔導車は道なき斜面をジグザグに疾走する。


「おいこの状況も計算通りなんだよな?! そうだと言ってくれアレン!」


 いやいや、どんな神算だよ……。


 これはゲームじゃないんだぞ? わざわざ命懸けのピンチを演出する必要性がどこにあるんだ……。


 俺はあっさりと首を横に――


 振ろうと思ったが、この先にいる三人組に気がついて、ニヤリと笑った。


「ああ、全ては計算通りだ……名探偵ピスのな」



 ◆



「突き当たりやしたね、団長。確か依頼人の話だとこの辺りに……あぁ有りやした」


 ジルが壁を慎重に手で探ると、取っ手のような物が隠されていた。


「時間との勝負ですし、さっさと開けますぜ? さて、鬼が出るか蛇が出るか」


 レオが頷くのを確認したジルが魔力を込めながら引き戸を引くと、『ガコンッ』と何かが外れるような音がして、回転式の隠し扉はさらさらと砂を落としながら僅かに開いた。


 隙間から目をやり、変わった様子がない事を確認したジルが、慎重に扉を回転させる。


 そこは聞いていた通り、美しいエクレール湖を遠望できる小高い丘の中腹で、眼下には南へと続く田舎道がある。


 もっとも、この先は土砂で塞がれているとの情報だ。



 予定ではこの付近には捜査は及ばない筈だったが、軍が投入された以上、最低限の見回り程度は配置されているだろう。


「団長、こっちです」


 二人が周囲を警戒しながらそろそろと秘密通路から出ると、岩陰からギンが声をかけた。


 アドの町から盗み出した魔導車は三台。


 レオは状況からして三台すべてを運び出すのは難しいと判断し、一台はミングア南西の森にある枯れ井戸の中に投棄してきた。


 そうして潜伏や諜報能力の高いギンと一旦別れ、秘密通路の先の脱出路を確保しておくよう指示を出してあった。


「流石に仕事が早えな、ギン。こっちにあいにく追っ手が掛かってる。何ヶ所か地下通路を崩したから、通路側から追われる事はねぇだろうが……いけそうか?」


「へい。なかなかでけえ斜面崩壊でしたが、あの岩場を超えちまえば災害現場の向こう側に出られやす。手筈通り新たな馬車も用意されて――」


 と、そこでレオとギンがほぼ同時に岩陰に伏せた。慌ててジルも続き、気配を殺す。


 特徴的な魔道動力機関エンジンの音が徐々に大きくなってくる。



 次の瞬間、三人はそろって目を見張った。


 死角になっている急斜面の下から二輪魔導車が飛び出してきたからだ。


「う、嘘だろう」


 ギンが小さく呟く。もちろん彼らの常識では、断じて魔導車が走れるような斜面ではない。


「なるほど……『この国の未来』、ねぇ。すげぇ機動力だな。翼に欲しい」


 レオは少年のように目を輝かせた。



 三人とも岩陰で気配を絶っている。もちろん偶然誰かがやってくるような場所ではない。


 にも関わらず魔導車は真っ直ぐにこちらの方へと向かってきて、彼我の距離が二十メートルの所で停車した。明らかに自分たちを認識している。


 魔導車に乗っているのは、年端もいかない二人の少年。


 うち一名は悪趣味なお面を付けており、ユグリア王国騎士団の漆黒のマントを羽織っている。


 間違いなく王都で散々噂を聞いた、アレン・ロヴェーヌだろう。



「死にたくなければ魔導車を置いて、今すぐ消えろ」


 アレン・ロヴェーヌは開口一番そう言った。


 まるで魔導車さえ返せば見逃すかのようなセリフに、ギンとジルは顔を見合わせた。


 だがレオはくくっと喉を鳴らしてから、岩陰から悠々と姿を現した。


「まさかたった二人で現れるとはな。まぁ確かに、お前らほど使えるやつはそうそういないだろう。その年頃なら無敵かもな。だが……戦場で真っ先に死ぬのは弱えやつじゃねぇ」


 レオは愛用の長剣をぶんと振った。


 だがアレンはこれを無視し、いらいらと焦りすら感じさせる声で秒数をカウントし始めた。


「死にたくなければ消えろと言っている。あと三秒だけ待つ。一つ……、二つ……」


 レオが魔力を練り上げ、身のうちに抑えていた闘気を解放する。


「戦場ではお前らみたいに、驕り高ぶった奴らが、いの一番に――」


「もういい、勝手に死ね。ピス」


 アレンが声を掛けるとピスは魔導車を発進させた。


 エンジンが唸りを上げ、あっという間に走り去る。


「……ほんとに行っちまいやがった。何しに来たんだ……?」


 意味が分からなすぎてつい呆然とその背中を見送り、ジルが疑問の声を出したところで、三人の背筋がぞくりとする。


 次の瞬間、魔導車が現れた斜面側からガサガサとレールゲーターが這い上がってくる。


 一匹、二匹、あっという間に全てを洗い流す濁流のように、怪しく碧い目を光らせたワニが地を覆い尽くす。


 レオは初めてその表情から余裕を消した。



 ◆



「うわっ! あのやばい雰囲気出してたやつ、あのくそ硬いレールゲーターを簡単に切り飛ばしてるぞ。どんな泥棒だよ……」


 俺がそう呆れたように言うと、ピスは怒る気力もないとばかりに『はぁ〜』と気の抜けた声を出した。


「……これからどうするつもりだ?」


「そうだな……あんなやばそうな奴には出来れば近づきたくないが、いけそうなら隙を見て一台取り返そう。三台は乗って帰れないし、二台に分かれたら機動力がかなり上がるからレールゲーターも奴らも十分振り切れる。どうせもうすぐ発売されるんだ、アイルさんの言う通り、命を賭けてまで取り戻すべき物じゃない」


「……俺、散々命を賭けさせられて…………もうどうでもいいや……隙ってどうするんだ?」


「レールゲーターは、斜面ではいくらかスピードが落ちるみたいだ。そうと分かっていればそうそう包囲されることはない。こいつらを使って徐々にあのやばい奴が機体から離れるように誘導すれば何とかなるだろう。ちょっと数が増えすぎているようだし、間引きもできて丁度いい。働いてもらおう」



 ◆



 レオはジルとギンを庇いながらレールゲーターの濁流の中で奮闘した。


 辺りにはすでに数十のレールゲーターが死体となって転がっている。


 だが解せない事がある。


 飛びかかってくるワニ共を次々に斬り飛ばしているが、それでも群れのヘイトがこちらに向かう事はない。群れの大きな流れ、怒りのようなものが常に自分たち以外に向いている。


 その『目標』に向かって、濁流が右へ左へと向きを変えている。レオにはそう感じられた。


 魔力を集中して耳を凝らすと、わずかにあの魔導車の特殊なエンジン音が周囲から聞こえてくる。


「あの野郎……特殊な匂い袋か何かでワニどもを引き寄せつつ、方向性を誘導してやがるな。狙いは……俺たちを魔導車から引き離して奪還するつもりか」


 チラリと部下であるギンとジルを見る。


 短剣と盾で凌ぐことだけに注力しているギンはともかく、魔法士のジルはかなりキツそうだ。


「ジル。ギン。徐々に、魔導車から距離を取るぞ。奴らを誘き寄せる」


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