第227話 ツーリング(7)



 エクレールほどの大都市になると、緊急時に要人が脱出するための隠し通路が用意されていることがある。


 もちろんそのルートは、限られた人間のみが知る極秘事項となっている。


 これが万一漏れたら、逆に暗殺者などが苦も無く都市の重要施設の内部に侵入してしまう危険があるからだ。



 ミングア南西の森深く。朽ち果てた石像をずらして天板を外すと、聞いていた通り地下通路へと降りる階段があった。


「……聞いた時は耳を疑いやしたが……どうして依頼人はこんな通路を知ってやがるんですかねぇ、団長。賢王パトリックの下、磐石と言われるユグリア王国も、中は意外と腐ってる、てぇ事っすかね」


 今は使われていないエクレールから要人を脱出させるための秘密通路の一つで、エクレールを起点に北のミングア南西の森へと続くこのルートを介して、南、即ちエクレール湖方面へと抜ける通路に繋がっている、との情報だ。


 恐らくは土属性の魔法使いによって整備されたと思われる通路は、二輪魔導車を押しても十分進める広さがある。


「依頼人の正体を詮索するなと言っただろう、ジル。……ちっ、キーとなる魔道具がなけりゃ動かねぇ作りか?」


 魔導車をあれこれ触りながら答えたレオも、この依頼にカピオーネ子爵が関わっているであろう事は当然予想がついている。だが口にはしない。



 傭兵団『翼』へ直接依頼を出せるパイプを持つクライアントは多くない。そのうちの一つが、今回の依頼人である『ブルーブラッド』と名乗る団体だ。


 むろん正式な呼称ではないだろうが、これまでも何度かそう名乗る団体から、機密情報の収集や、怪しげな物品の輸送などの依頼を受けたことがある。


 そしてその報酬は、どれも難易度に比較してはっきりと破格だった。


 末端の団員たちは楽に稼げることを呑気に喜んでいたが、団の幹部連中はむしろ危険だから関りを避けるべきだと進言してきた。


 その底の見えない資金力も、各国に及ぶ任務の内容からしても、一傭兵団が対等に商売できる範疇を超えている。


 レオも当然その危険性は十分認識している。


 ブルーブラッド高貴な血などという仮称にも虫唾が走る。


 だがレオは敢えて踏み込んだ。


 これまでの依頼はいわばお試しだろう。


 実力は勿論だが、傭兵団『翼』が依頼人の秘密を守れるのか、信頼に値するのかを計っているのだ。


 恐らくは、正体を詮索するようなことがないか監視もついていた。


 翼はまだクライアントに信用されているとは言えないだろう。


 だが、今回の突発的でハイリスクな依頼は、これまでの依頼と毛色が明らかに異なる。


 大陸に名高い王国騎士団を出し抜き、この依頼を完遂できれば、『翼』の名は世界の裏側でゆっくりと広がるだろう。



「団長は、やつらを信用しているのですかい?」


 ジルは遠慮気味に気になっていたことをレオに問うた。


「俺が、やつらを?」


 レオは心底意外そうな顔をしたあと、皮肉気な笑みを浮かべた。


 年中日に焼かれて、浅黒く染まった両の腕をじっと見つめる。


「……俺達には身分も学歴も、国籍すらねぇ。世界のルールの外側にいる俺らみてぇな奴らは、力がねぇとすぐに切り捨てられる。踏み躙られ、殺されちまうんだ。虫けらみたいにな。ジルには嫌というほど分かってるだろ? ……ルールを変える――」


 ぞっとするほど静かで、だが揺るぎない声が、朽ちた地下通路に響く。


「やつらはその為の、ただの踏み台だ」



 ◆



「さて、俺たちも行くか」


 アイルさんが指揮を取るため駐屯所を出ていった五分後、俺はピスに声を掛けた。


「い、行くってどこへ行く気だアレン。アイルさんにあれだけ釘を刺されたんだぞ?」


 ピスが慌てて止めようとしてくるので、俺は苦笑を漏らした。


「そちらへ参戦するつもりはないさ。俺たちはウィルッカ子爵が言っていた、例の土砂災害現場へと続くルートを見に行こう。実行犯とは別に、黒幕につながるヒントが何かあるかも知れない。……引っかかってるんだろ?」


 ピスはアイルさんが出た後も、机上に置かれた地図を難しい顔で睨んでいた。恐らくは、心に引っ掛かりがあって、見落としがないか考えていたのだろう。


 ピスが言葉に詰まったので、俺はさらに続けた。


「別に杞憂ならそれでもいい。ここでぼけっと待ってても仕方がない。デュー師匠は、捜査が行き詰まった時は足を動かすのが大事だと言っていた。俺たちの大切な魔導車が盗まれたのに、こんな所に籠って悶々と考え込んでても気が滅入るばっかりだ」


「いやいや、籠るもなにも俺たちはさっき帰ってきたばっかりだし、アイルさんが出動してまだ五分くらいしか経ってないぞ?」


「そう、俺たちの青春が五分も無駄になったんだ。そう言えばテスバ山地の湧水を湛えるエクレール湖は、貴重な水草の宝庫らしいぞ? 春に水中でオレンジの花が咲き乱れるという、有名なエクレールバイカが見ごろなんじゃないか? せっかくだから、捜査のついでに見ておこう! 人生は短い!」


「いやいや、これだけ事が大きくなってるのに、俺らがそんな遠足気分で――」


「あくまで捜査だ! ピスが怪しいと言うなら何かある! そう信じて捜査しなきゃ、見つけられる手掛かりも見つけられないぞ? じっちゃんの名にかけて、必ず犯人を捕まえる! そうだろう? さすがはピスケス・ラヴァンクールだ!」


「……なんでじいちゃん?」



 ◆



 ティムとクルシナが消された足跡を慎重にたどり森の奥へと進むと、朽ち果てた古い石像があり、その横に木製の天板があった。


 周囲の痕跡は、石像がごく最近ずらされ、土を被り植物に覆われていた天板が開かれた事を示唆している。



 副官のクルシナが慎重に板を外すと、地下へと続く階段が現れた。



「動くな! そこにいるのは分かっている!」


 クルシナが地下に向かって叫ぶ。


 返事がない事を確認したティムは、剣と盾を構え、ゆっくりと、だが堂々とした足取りで階段を降り、そして顔を顰めた。


 眼前には、延々と伸びる地下通路と、細い魔導車のタイヤ痕がある。


「なんということだ……方角からして、恐らくはエクレールから緊急時に要人を脱出させる為の秘密通路だろう」


「な、なぜそのような騎士団すら把握していない極秘事項を賊が?! まさか――」


 ティムは厳しい顔で目を細めた。


「…………理由は犯人を捕縛してからじっくり調べれば良い。私はこのまま賊を追う。クルシナは状況をアイルに伝えよ! ウィルッカ子爵にこの秘密通路がどこに通じておるか確認し、出口を至急押さえよ!」


「はっ!」



 ◆



「追っ手だ。……一人、だが随分速い。恐らくは王国騎士団員。それもかなりの使い手だな」


 レオは今進んできた真っ暗な通路内を振り返り、淡々とそう言った。


 こうした一本道の地下道などは、かなり気配が通りやすいのだが、ジルにはまだ何の気配も感じ取れない。だがレオがそういうからには間違いないだろう。


「……さすがは天下のユグリア王国騎士団ですね。あれだけ慎重に痕跡を消したのに、もうここまで迫られるだなんて。……団長でも手に負えないんですかい?」


 ジルに問われ、レオは首を傾げた。


「そこまでは分からねぇ……が、分の悪い賭けになりそうだ。しゃあねぇ、ちと危ねぇが、崩すぞ」


 レオはそう言って通路を補強している柱と梁をいくつか強引に引き倒し天井に剣を突き刺した。


 ボロボロと通路が崩れ始めた所で距離を取る。


「ジル」


「あいよ!」


 ジルが右手に持つ杖から火球が三連射され、通路が大きく崩れ始めるのを確認した二人は先へと急いだ。



 ◆



「逃げられましたか……」


 対策本部に帰還したティムのその浮かない表情を見て、アイルは状況を悟った。


「うむ。可能な限り気配を押さえて追跡したが、まだかなり距離のあるところで地下道を強引に崩された。やはりかなりの使い手で間違いないだろう。敵ながら状況判断も早い。土砂を撤去する事も不可能ではなかったが、新たに崩す方が遥かに早い。後方からの追跡は困難と判断した。出口は押さえたか?」


 ティムにそう問われ、今度はアイルが顔を顰めた。


「それが……ウィルッカ子爵はその様な秘密通路は知らない、と申しております。知っていれば事前に情報提供をすると……」


 ティムがギロリとウィルッカ子爵を睨むと、子爵は半泣きの体で抗弁した。


「ち、誓って本当です! しかもそのような重大な通路の情報を賊に渡すなど……あり得ません!」


 そこへアイルに呼び出されたカピオーネ子爵が入室してきて、開口一番こう言った。


「見え透いた嘘をつくでないわ! 要人脱出用の秘密通路など、エクレールを管理するウィルッカ子爵家、それも当主クラスしか知るはずが無いじゃろう。我らの必死の捜査を無駄にしおって! さっさと出口の情報を出せ、この国賊が!」


 ウィルッカはカピオーネの目を見て、その奥に僅かに嘲笑の色がある事に気が付いた。


「貴殿まさか――」


「まさか、なんじゃ? よもや前王の命にてカピオーネ家よりエクレールを引き渡した際に、引き継ぎに漏れがあった、とでも主張するつもりではあるまいな?! そのような王命に反し、発覚すれば反逆罪に問われかねん事を、当時の状況からしてもするはずが無かろう! もちろんわしもその通路に関する情報など先代からは一切聞いておらん。そもそも、旧カピオーネ伯爵領が割譲されてから何十年の月日が経ったと思っておる! その間ずっと秘密通路の存在に気づかなかったとすれば、いつでも都市内部に賊を招き入れ、エクレールが陥落しかねん状態で管理しておった無能領主であると自分で主張しておるも同然じゃ!」


 カピオーネの主張にウィルッカは何かを言いたげに口を動かし、だが言葉を呑んだ。


 誰がいつ作った通路かを証明するなど不可能だろう。


 であればカピオーネ子爵の主張通り、最終的な責任は都市を管理するウィルッカ子爵家に帰結する。


 ここで証拠もないのにカピオーネ子爵を疑う様な発言をすれば、ますます状況は不利になる。


「…………今は犯人を捕える事が先決です。賊がエクレール内部へと入るメリットはない。であればエクレール以外にも出口があり、そこを目指すと考えてまず間違い無いでしょう。維持管理も有りますし、流石にそれほど長大な通路とは思えません。とにかく包囲の輪の外に逃さぬよう、エクレールを中心に、三重の警戒ラインを再度構築中です。間に合えば良いのですが……」


 ティムは一つ頷き、本部を見渡してから首を傾げた。


「……アレン・ロヴェーヌ君は……あの二人はどうしている?」


 アイルは本部に待機していた隊員に目をやった。


「は! アイル様が出動された後、お二人は例の土砂災害現場を見に行くと言って、すぐさま出て行きました! 何やら、エクレールバイカが見頃だろう、などと言い始め、群生地の場所を詳しく聞いて、いそいそと……」


 土砂災害現場と聞いて、カピオーネ子爵がピクリと眉を動かす。


「まるで遠足気分ですね……そう言えば、二人は興味深い推理をしておりました。今思えばこの状況すら読み切っていたかのような――」


 アイルはアレンとピスの二人が内通者の可能性、初日の警察の捜査状況などから土砂災害現場のあるルートを怪しんでいた事を説明した。


「もし秘密通路の出口が土砂災害現場の近郊に通じているとしたら……」


 話を聞き終えたティムは、顔を大いに顰めた。


「……馬を用意しろ。二人が危険だ! 追うぞ!」


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