第226話 ツーリング(6)



 俺とピスがエクレール駐屯地内の本部に合流してから一日が経過した。


 犯人はまだ捕縛出来ない。


 馬車で通行できる街道は全て何重にも交通規制を掛けているので、すでに包囲の外に取り逃している可能性は低いだろう。


 最も有力な手掛かりは、俺たちが追っていたアドから東に向かった怪しげな馬車の情報だが、その足取りはラパンの町を南下した先にあるミングア近郊で見失っていた。


 もちろん、ミングアを含めそのルート上の町は屋内屋外を問わずエクレール駐屯軍によって徹底的に調査されているが、発見には至っていない。


 今は郊外の森や山中などの怪しい場所をティムさん自らが現場で指揮を取り、しらみ潰しに当たっている所だ。


 俺たちは自由に動いていいと言われたので、魔導二輪車にニケツして怪しそうな場所を適当に走り回っていたのだが、目ぼしい情報は得られず、一度エクレールの対策本部へ情報共有のために帰還した。



 ◆



「この短時間でそれだけの範囲を回られたのですか……? 驚くべき機動力ですね……。しかし……これだけ人を掛けて未だ発見できないのは少々予定外です。ただのネズミではありませんね。どこか郊外の山奥にでも隠れているのであれば、その内に炙り出せるとは思いますが……」


 アイルさんは卓上に置かれた真新しい地図を見つめながら、厳しい顔で腕を組んだ。


 この地図は、ココが立ち上げた王立学園地理研究部が考案した手法で作られている精緻な地図で、紆余曲折あって現在は国家事業として整備が進められている。


 地図製作に必要な測量魔道具をフェイが開発した関係もあり、ドラグーン地方は比較的整備が進んでいて、この軍事的にも要衝の地であるエクレール近郊はこの新地図が網羅されている。



 テーブルに広げられたその地図には、アドの街を中心に30㎞、50㎞、100㎞、200㎞の半径で円が引かれ、その円と交差する馬車が通行可能な街道は漏れなく検問が敷かれていることが一目で分かる。


 その他にも、現在ティムさんがしらみ潰しに当たっている馬車が隠せそうな場所や、どこにどのように部隊が配置されているのかも瞭然だ。


 この地図ができる前の田舎の地図と言えば、地図職人が勘と経験で書いた、この村からその村までは大人の足で二時間弱、などと注釈が入っているだけの、いい加減極まりないものしかなかったが、その戦略的な価値の差は説明するまでもないだろう。


「それにしても……地図という地味な分野に莫大な予算人員を掛ける程の価値があるのか……私を含め、ほとんどの者が疑問を持っていたと思います。実際に見て使わないと、物事の本質は分からないものですね」


 どうやらアイルさんは、この新しい地図の評価を上方修正したらしい。


 まぁ地元の情報は大体頭に入っているだろうし、莫大な金をかけるなら装備品などを少しでもよくしたいと考えたくなる心情は分かる。


 だが、これほど精緻な地図があれば、部隊運用の緻密さに雲泥の差が出るのは当然だ。


 さらに視覚化される事で一目で全体像が把握でき、個人個人の認識に齟齬が生じにくいなど、軍運用という観点だけでもメリットは非常に大きいだろう。自身の庭と言えるエクレール近郊ですらそうなのだ。


 アイルさんが真面目な顔でそんな風に考えを述べると、ウィルッカ子爵が物欲しそうな顔で呟いた。ちなみにカピオーネ子爵は、警察捜査の陣頭指揮を取るとかで、初めに顔を合わせて以来この本部には顔を出していない。


「いや、素晴らしいものですな。これがあれば我々の領地経営や開発にどれほど有用か……せめてこの近辺の地図だけでも下賜して貰えませんかなぁ」


 アイルさんは即座に首を横に振った。


「軍事機密に設定されていますので、閲覧は可能ですが保持は暫くの間、難しいでしょう。この地図が万一敵国に漏れれば、我が国の防衛に重大な懸念が生じます。でしょう、事業を立ち上げたアレン・ロヴェーヌさん?」


「な、何と! この事業もアレン・ロヴェーヌ殿の発案でしたか! いや、そのお歳で何をどうすれば――」


 ウィルッカ子爵がすかさずおべんちゃらを言い始めたが、スマホの地図アプリがどこにでも連れて行ってくれる世界の記憶がある俺からしたら、驚くような事は何もない。


 アイルさんの言っている意味も分かるが、せっかくまともな地図が整備されつつあるのに、軍事機密などになっては地理という学問の発展が阻害されてしまう。



「……地理研究部は、この事業も含めて友人のココが率いています。俺は部の立ち上げに手を貸しただけです。それに、この『基盤地図』はただの入り口です。俺もココも、この程度のものはさっさと世に出して進歩を促すほうがいいと考えています」


 ココとはすでに様々な構想を話し合っているが、いずれにしろまず基盤となる正確な地図がなければお話にもならない。


 俺がそう説明すると、横で聞いていたピスがやれやれと首を振った。


「……また軍事機密かアレン。地理研なんて、確か入学間もないころ、まだ皆の関係がぎこちない時期にココとアレンの雑談が盛り上がって、そのままノリで立ち上げた部活だろ? あんな段階で、挨拶がわりに軍事機密を仕込んだのか? …………何だか驚かなくなってきてるな俺……」


 ……よく覚えてるな、そんな事。


 確かに俺はあのカナルディア魔物大全を編纂したカナルディア家出身のココに興味を持ち、休み時間のたびに話しかけていた。


 皆が引くほど話しかけていた。


 むしろ人見知りの本人が一番引いていたが、いくらココが困惑しててもお構いなしに話しかけまくったら、ポツポツと自分の言葉を返してくれるようになった。


 だがその返答がさらに俺の好奇心を刺激するものだから、話が無制限に広がり、あるとき話が地図の話横道に逸れて勢いで地理研を創部する事になった。


「ふん、こんなものを機密にして後生大事に隠そうとしても、その有用性が認知されればどうせ広がるさ。まぁそれでいい。地理という学問の真の面白みは、この地図が完成したその先にある。地理情報学が発展するためのキモは、地図と情報の重ね合わせにあるからな」


 ココとはその辺りについてすでに何度も議論を交わしている。


 いつかココの情熱は、ピスの度肝を抜くだろう。


 俺がその未来を想像してくっくっと笑うと、ピスは死んだ魚のような目を細めて顔を引き攣らせた。


「…………何考えるのか分からないが、とりあえずココが気の毒だ……。それにしても……地図と情報の重ね合わせか。アイルさん、少し思いついた事が有るんですが、捜査初日・・、早い時間の警察隊の配置は分かりますか?」


「えぇ、当然情報は共有されていますが……現在ではなく、初日の、それも警察だけでいいのですか?」


 ピスが頷くと、アイルさんは手元のファイルを確認しながら地図と部隊を模した駒を使って説明し始めた。


 説明を聞いたピスは、しばらく顎に手をやって地図を見ていたが、やがてエクレール湖の湖畔をぐるりと回り、南のテスバ山地を越えヴァルカンドール地方へと抜けるルートを指差した。


「なぜこのルートはガラ空きなんですかね?」


 ピスがそう言って首を捻ると、ウィルッカ子爵が答えた。


「ああ、数年前にそのテスバ山道を少し進んだ先で大規模な土砂災害がありましてな。ちと復旧が困難で、まだとても馬車などが通行できる状態ではありません。そのせいで優先順位が下げられたのでしょう」


 すかさずアイルさんが補足する。


「軍でも現場の状態は認識しています。もちろん最低限の押さえ部隊は配置しています」


 だがピスは尚も難しい顔で地図を睨みつけている。


「……なぜこのルートに着目を?」


 アイルさんにそう問われ、ピスが言いにくそうにしていたので俺が補足した。


「……ピスは内通者の存在を疑っているのですよ。仮に内部に協力者がいたとしても、軍の動員は計算外でしょう。であれば、注目すべきは初日の早い時間の警察の動き。つまり当初予定していた警察の捜査では見落とされる様に仕組まれている可能性が高いという事です。そして、仮に警察だけで捜査していたとすると、確かにこのルートには穴がある。まぁその先の道が塞がっていれば無意味ですがね」


 ピスが慌てて俺を膝で突く。


「あ、あくまで想像の話です」


 アイルさんはふむと地図をみていたが、やはり首を振った。


「警察の捜査方針にまで通じている内通者、ですか。あまり考えたくはない事ですね。……いずれにしろ、仮に賊が現場を通過できる手法を持っていたとして、この包囲網を掻い潜りそのルートまで辿り着くのは不可能なように思います」


 アイルさんの説明によると、エクレール湖畔まで出る街道は勿論、馬車の通れない生活道や畦道、河川にまで警戒網を敷いているらしい。


「…………そうですよね。すみません、素人が混乱させるような事を言って」


 ピスがそう言って頭を下げたところで、伝令兵がやってきて声を張り上げた。


「ティム様より伝令です! 犯人の疑いのある怪しい痕跡をミングア南西の森で発見! ティム様が追跡を開始! アイル基地司令は至急援軍を派遣して森を包囲せよとの事です! なお、ターゲットはかなりの手練れの可能性があるので警戒されたし、とのことです!」


「おぉ! さすがはティム様ですな! ここまでくればもはや犯人を捕縛したも同然でしょう」


 ウィルッカ子爵は呑気にそんな事を言ったが、アイルさんはその表情をはっきりと曇らせた。


「ティムさんが警戒するほどの使い手、ですか。……私が直接現場で指揮を執ります。遭遇即戦闘になる危険がありますので、あなた達二人は森に近づかない事。いいですね?」


「……ピスはともかく、俺は仮とは言え騎士団員の端くれですよ? 多分お役に立てると――」


 俺がそのように反論しようとすると、アイルさんは思いがけず強い目でこれを制してきた。


「あなたの実力は様々な方面から聞き及んでいます。特にデュー・オーヴェル軍団長仕込みの索敵魔法は、此度の現場でも必ず役に立つでしょう。ですがだめです。ティムさんがこの場にいても、同じことを言ったはずです」


 俺とピスがその有無を言わさぬ迫力に口を噤んだのを確認したアイルさんは、ふっと表情を緩めた。


「あなたの言う『この国の未来』が何を意味するのか……ティムさんが聞きませんでしたので、私も敢えて聞きません。ですが、将来この国を支えるあなたたちは『この国の未来』そのものです。あなた達を失ってまで取り戻すべき品などない。私はそう思います」


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