第218話 リアンクール男爵領(4)
「ごめっ。ララ姉ちゃっ。おら、約束破ってっ、一人で村さっ出てっ」
タモツは嗚咽をこぼしながらララに抱きついた。
ララは優しく笑って首を振った。
「謝らねでええ。姉ちゃの事、心配してくれたんだべ」
タモツを強く抱きしめて、血が流れている頬をそっと撫でる。
「よぐ生ぎででくれだね。頑張ったね。偉かったよ、タモツ」
そう言って、もう一度ぎゅっとタモツを抱きしめ、ゆっくりと振り返る。
ララはタモツを庇いながら、そっと背に負った両手剣に手を添えた。
そこへ森の奥から、さらに成体したリギーネがもう一体。しなやかな足取りで現れ、全身の毛を逆立てた。
「「シギャーーー!!!!」」
「ひぃっ!!」
その迫力に、思わずタモツは尻餅をついた。
ララが剣を抜き放つと同時に、成体のリギーネ二匹がララに飛びかかる。
ララは一体の牙を辛くも掻い潜り、もう一体の胴を切り上げた。
だがその針金のような毛と分厚い皮は、異常なほど防刃性能が高く、斬撃が通らない。
逆にその膂力に剣を弾き飛ばされそうになるのを、何とか魔法の出力を上げていなす。
「く……! ……何にも心配いらねがらね、タモツ。姉ちゃがタモツの事は必ず守る。そしたらすぐに助げが来てくれる。ララ姉ちゃの、しったげ強ぇ友達が……」
木々の間から、さらに一回り大きく、立派なたてがみを蓄えたオスの成体リギーネが現れる。
それを険しい顔で睨みながら、ララは力強く叫んだ。
「きっと……絶対、来てくれる!」
◆
俺は風魔法を駆使して、索敵範囲に潜んでいる子がいないかを確認しながら走った。
雲が出て月を隠し、辺りは一寸先も見えぬほどの闇だが、風魔法によるアクティブソナーで周辺地物を把握している俺にとって、光量はあまり関係がない。
森の木々が深く邪魔なので多少やりにくいが、直径百メートルほどの範囲を面的に
だが見つからない。
焦りがジリジリと募る。
ララが真っ直ぐに渓谷の方へと向かった、その後ろ姿が脳裏をよぎる。
確信は無いだろう。
だがララは、捜索対象はそこにいると、説明不能な予感めいたものを感じているように見えた。
こちらの捜索を打ち切って、早期にララへの合流を目指すべきか……?
そんな考えが一瞬頭をよぎったが、俺は結局自分に与えられた仕事に専念することにした。
『勘』というのは諸刃の剣だ。
確かに、説明不可能な発想がふと頭をよぎり、論理的な思考では辿り着けない正解を導き出すことはままある。
だが、その予感めいたものが全くのはずれで、作戦全体を窮地に晒すことも、残念ながら多い。
俺がしょっちゅう『風任せ』に動くことが原因だが、リスクを取れる状況か否かは流石に考える。
……ララも、合理的に考えれば
例えあちらが正解で、何か異常が起こっていたとしても、少なくとも俺が合流するまではララなら何とかしてくれる。
俺はそう信じて淡々と、だが確実に迷子の捜索を漸進させた。
◆
「ごめんっ、なさいっ。許してっ、ララ姉ちゃ。ごめんなさいっ」
タモツはララの後ろで震えながら、嗚咽を漏らしている。
すでに眼前の光景――
辺りが暗すぎて、山育ちで比較的夜目の効くタモツにも、ララに何が起こっているのかはよく見えない。
辛うじて分かるのは、リギーネの成体は次々にその数を増やし、今は八匹前後にまで増えている事。
そして、嬲られるようにリギーネの爪によって刻まれている憧れの人は、自分を見捨てれば逃げ切れる可能性があると言う事だ。
ララが着用していた婦人用の乗馬服はすでにボロボロで、滲んだ血で色が変わっている。
このままではいずれ限界が来ることは、子供の頭で考えても明らかだった。
ララは助けが来るような事を言っていたが、そんな者がこんな闇夜の森へ来るはずがない。
つまり、間違いなく自分は助からない。
タモツは、本当はもっと早くに言わなくてはならなかった、だがどうしても口に出す事が出来なかった言葉を搾り出した。
「おらのっ、事はっ、もういいから! ララねぇちゃだけでも逃げでっ!」
タモツに対して、これまで一切の不満を見せず優しく励まし続けてきたララは、初めてその顔を厳しくした。
「諦めんでね! こんなもんは、ピンチでもなもねえよ?」
ララは腰にある鞭を使うべきか一瞬迷ったが、首を振った。
鞭を振るうには背に守っているタモツと、距離を取る必要がある。それは余りにもリスクが大きい。今何よりも優先すべきは、タモツの安全。
ララの頭に、どんなに厳しい状況でも、鼻歌でも歌いながら打開しそうなあのクラスメイトの顔がよぎる。
彼なら、こんな時に何と言ってこの子を励ますだろうか。
「……笑お、タモツ。本当に強い男の子は、苦しい時ほど笑うべさ!!! ……だべ、アレン」
タモツは泣きながら、無理矢理口角を上げた。
◆
全体の半分ほどの索敵を終えたところで、俺の耳はララの馬であるポコの蹄が地を叩く音を捉えた。
ほっと息を吐こうとした所で、ポコが
さらにネコ科っぽい小さな魔物何匹かに取り付かれていることに気がつき、慌てて駆け寄った。
俺が駆け寄ると、小動物は逃げ散った。ポコは無数の爪痕を体につけている。
その姿形や狩の特性などから類推して、恐らくはリギーネの幼体か……確かセブンスピアに広く分布していたはずだ。
……何があったのかは大体予想がついたな。
「助けを呼びに来たのか? 頭のいい奴だ」
俺はポコの首筋をポンポンと叩いてやった。
「後は任せろ!」
そう言って、離れた場所で様子を伺っていたリギーネの幼体を、風魔法で思いっきり威嚇する。
奴らは今度は真っ直ぐに逃げ出し始めた。
後をついて行けば、そちらに本命がいる事だろう。
◆
ララの姿を捉えた所で、木々の隙間を縫うように牽制の矢を放つ。
リギーネ達は一斉にララから距離を取り、こちらを振り返った。
「なかなかキツそうだな、ララ。待たせた」
俺は風魔法で牽制しながらララの側まで走り寄った。
魔法でかなり強めに威嚇しているので、現在リギーネ達のヘイトは完全に俺へと向いている。
『グルルルッ』と唸り声をあげ、今にも飛びかかって来そうだ。
俺の姿を認めても険しい顔で剣を握り、リギーネを睨みつけていたララは、俺が隣に立つと同時にほうっと息を吐き、首を振った。
「……予想していたよりも随分と早かったですわ。流石ですわね」
「ああ、ポコが知らせてくれたんだ。本当に頭のいい馬だな……。よっ! 助けに来たぞ」
そう言って、保護対象のタモツ君の頭をポンと叩くと、彼はぐちゃぐちゃに泣いていた涙を引っ込めて、掠れた声を出した。
「な、なして、そんた遠足みてな雰囲気で……」
「俺とララの二人がいれば、後はもう遠足みたいなもんだ。一人でお前を確実に護りながら戦うのはきつい。後ろの崖を盾にして足を殺して戦わなきゃならないし、抜けなくなるリスクのある突き技も使えないしな。ララ、俺が全部やっちゃっていいのか?」
俺が弓に矢をつがえながらこうきくと、ララは首を振った。
「いいえ、この子達は生かしておくつもりですわ。リギーネは魔物肉を好み、滅多に家畜を襲いませんし、この規模の群れが消えると、すぐに他の魔物が増えて森が乱れます。最悪の場合、性質の悪い魔物を呼び寄せる可能性もあります。もちろん、人間の味を覚えてしまったのなら処分せざるを得ませんが……」
そう言って、ララは腰に吊ってあった牧羊鞭を握った。
次の瞬間――
真っ直ぐに俺を見て唸り声を上げていたリギーネ達は、一斉にララへと体を正対させて、臨戦態勢を取った。
ララが身に纏う空気は明らかに一変し、俺の背中にも嫌な汗が流れる。
「アレン? タモツさ連れて少し離れでて?」
ララはその可愛らしい唇を薄く歪め、空中で『パンッ』と鞭を鳴らした。
俺は慌ててタモツ君を抱え、ララから距離を取る。
ララはそれを確認してゆっくりと崖から前に出て群れに近づいていく。
「……あだがだの為にも、人間の怖さ叩ぎ込んでけるがらね。このラーラ・フォン・リアンクールが――」
群れのボスと思しきたてがみの立派なリギーネは、次の瞬間ララの鞭の先端に脚を絡み取られ、崖に向かって叩きつけられた。
「ギャウッ!」
「直々さ躾けてやるべさ!」
それを合図に、他のリギーネ達が一斉にララへと襲いかかる。
空からはいつの間にか雲が晴れ、血のように赤い下弦の三日月が、微笑むように浮かんでいる。
静謐な夜の淵淵渓谷に、ララの『ホレホレホレホレ!』という謎の掛け声が木霊した。
◆
無事
分岐地点でポコを連れた母上が丁度こちらに向かって来ており、合流できた。
「無事確保したのですね。よかった」
ララの背中で眠っているタモツ君を見て、母上は安堵の息を吐いた。
「ええ、見たところ命に別状はありません」
母上は一つ頷き、『このまま村まで送って行きましょう。皆心配しているでしょうから』と言ったので、俺たちはそのままコモリ村へと足を向けた。
村周辺では篝火が焚かれ、放牧域を中心に、必死の捜索が行われていた。
「おーい!」
ララが元気よく手を振ると、村人達が集まって来た。
簡単に経緯を説明しつつも、タモツ君の手当てを優先するため、真っ直ぐにリアンクール男爵邸へと向かう。
毒の魔力分解もままならないであろうタモツ君は、すぐにでも手当てしないと傷口から容体が悪化する危険がある。
門をくぐると、ララの父親と思しきダンディなおっさんが飛び出して来た。
「ララ! タモツ! よく無事に帰った! 流石はララだ! お前はこの村の誇り……こちらのお二人はどなたかな?」
「例の姫様と、その息子のアレンですわ、お父様。タモツの捜索に快く協力してくれたばかりか、アレンにはリギーネの群れに追い詰められて、命の危ないところを助けて頂きましたの」
ララが俺たちを紹介すると、リアンクール男爵は一瞬驚いたように目を見開き、次いで目を細めて俺と母上を交互に見たかと思うと、楽しそうに笑った。
「わっはっはっ! 見たところララと同い年くらいだろう? その歳でララの危難を救うとは……実に頼もしい。我が娘と、我が領民を助けていただき、領主として感謝の言葉もない。どうかこれからも我が娘と懇意にして欲しい」
俺は差し出された右手を握り返した。
「えーっと、アレン・ロヴェーヌと申します。失礼ながら、この辺りがリアンクール領だということすら知らずに、たまたま伺ったのですが、実はララとは――」
そこで、玄関の引き戸が『バーン』と開け放たれた。
「それ見た事か! 何も知らずにたまたまやって来て、うっかり命を救った挙句すでに呼び捨てだと?! 何がアレン・ロヴェー……ヌ…………くん? ……君の名前が?」
自己紹介の途中で母屋から身分の高そうな男が興奮状態で出てきて、念入りに名前を確認し始めたので、俺は訳もわからずこくりと頷いた。
「……何が『それ見た事』なのですか、ネルソン伯爵。久しぶりですね。
母上は男……ネルソン伯爵とどうやら面識があるらしい。
男は油の切れたブリキ人形の様にギギギと振り返り、母上の顔を見てそのまま静止した。
いつまで経っても復旧しないので、俺はとりあえずララの親父へ自己紹介を続けた。
「えーっと、ララとは学校のクラスメイトでして。いつもお世話になってます」
「なんと! 例の姫様の息子とララが、あの王立学園でたまたまクラスメイトとは……これは不思議な巡り合わせよのう」
「ううう、宴じゃ〜!!!!」
ネルソン伯爵は、いきなりガッツポーズを決めて天に向かって吠えた。
いや、疲れたから帰る……。
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