第216話 リアンクール男爵領(2)



 ドンコ村は深い山中にポツリとある小さな集落だった。


 俺たちが街道沿いの宿場町で案内を雇って向かい、到着したのは夕刻だ。



 村の門前で来意を告げると、門番をしていた初老の男は、その昔母上が滞在した時の出来事を覚えていたらしく、俺たちは快く村に迎え入れられた。



 意外な事に、すでに亡くなられていると思われたムーという名の薬師は存命だった。


 この世界は魔素の影響か、前世に比べて長命の者が多く、見た目も年齢に比して若々しい。


 寮母のソーラなど九十近いという噂だが、まだ現役バリバリで研究者をしているしな……。


 もっとも、長いのは生来の寿命であって、魔物災害や病気、紛争などで命を失う者も多いため、平均寿命という意味ではそれほど長くは無いだろう。


 それにしても……ムーというお婆さんは、目が開いているのかどうかも判別できないほど深い皺をその顔に刻み、それでも足は達者そうだし、薬師としても現役だというから恐れ入る。


 つい脳裏に『妖怪』の二文字が浮かんだほどだ。


 母上の命の恩人に失礼極まりないが……。



 ◆



わたくしの事を覚えていてくれて嬉しく思います。貴方ムーと、この村の皆のおかげで私は生きながらえ、家族を得ました。遅くなりましたが、感謝の気持ちを伝えたくこうして立ち寄りました。あの時私の命を救ってくれ、ありがとうございました」


 村長宅へと通された俺たちは、母上の言葉と共に深々と頭を下げた。


 ムー婆さんの他に、彼女の孫という村長夫妻が同席している。


「ひょっひょっ。お互い壮健そうでなによりじゃの、姫様。相変わらずの気品だすの、ひょっひょっ!」


 ムーさんは糸のように塞がった目を、ほんの僅かに開いて破顔した。


「私は姫様ではありません。当時も、もちろん今も。ドスペリオル家からは出た人間です。そう説明したと思いますが……?」


「ひょっひょっ! そういう事ではねだすな。姫様は生まれながらの姫様だすな。ひょっひょっ!」


 どうやらムー婆さんの中では、姫様かどうかはメンタル面で決まるようだ。


「セシリアさんならいつでも歓迎だす。このドンコ村が今もあるのは、貴方様のおかげだすから」


 村長さんが懐かしそうにこう言うので、俺はどういうことかと聞いてみた。


「あん時、この村の近ぐに運悪く地竜じりゅうが居着いてしまいましてね。魔物の生態系がぐちゃぐちゃにかき回されてすまい、生活がまんまならなくなっていだす。戦争が終わったばっかしで騎士団にもドスペリオル軍にも余裕がなく、どしても人の少ないこの辺りは優先順位が後に回されて、もうほぼ見放されてるような状況だったのだす」


 村長さんの話によると、体調が持ち直した母上とディオは一月ほどこの村に滞在して、村民の護衛をしたり、近隣の魔物の間引きなどを行ったらしい。


 母上が村に入ってからまもなく、魔物の活動が落ち着き始めたのは、おそらく地竜が母上を嫌って移動したからだろう、というのが村長の見解だ。


「若い者は、この村にドスペリオル様にゆかりのある者が来て守ってくれたと話すても、その若い娘を地竜が恐れて逃げ出すたと話すても信じねですが、わしらはそう信じてるのだす。そんぐらいあの時のセシリアさんは、今のお優しそうな姿からは想像もつかないほど迫力がおありですた」


 村長はそう言って懐かしそうに目を細めた。


 いくら何でも眉唾物だが……俺は横目で母上をチラリと見た。


「……当時の私の力からすると、地竜が私を恐れたと言うのは妥当ではないでしょう。ただ、もし村に現れたら――」


 母上はそう言って、顔色を白く染めて気配を絶った。


「差し違えてでも仕留め、商人コルの仇を討つ。そのつもりではありました」


 その横顔を見て、俺は何となく地竜の心情を察した。



 その後、様々な話を聞きながら、俺たちは村長宅に泊まらせて貰った。


 途中でここドンコ村が、リアンクール男爵領……つまりクラスメイトのララの実家が治めている村だという事に気がついたが、俺はその事は黙っていた。


 普段は王都で過ごしているリアンクール家の当主ララは、今たまたま隣村に戻っており、『いっぺとてもめんこい女の子』なそうだが、ご挨拶も丁重にお断りしておいた。


 夏休みにダンの実家に顔を出した時も、やたらと噂でおもちゃにされたからな……。まぁあの時は、ダンの親父が周囲にある事ない事喋りまくった事が原因だろうけど。



 ムー婆さんは魔物由来の素材をメインに扱う薬師だそうで、親父は興味の赴くままに明け方まで話し込んでいたらしい。


 年寄りに徹夜をさせるな……。



 ◆



 翌朝、俺は村の主力産業だという畜産業を村長夫妻に紹介してもらった。


 親父は元気に早起きをして、周囲の山を見て回ると言って母上と散歩に出かけたし、商人コルの墓参りに同行予定のムー婆さんが昼前まで寝ていたため、暇だったのだ。


 この村ではツノを持つヤギや羊、カモシカなどの有角獣を、上手く天然の地形と可変式のフェンスを活用した広大な放牧域に放し飼いで育てているらしい。


 食用肉や羊毛、毛皮などは勿論、まれに魔物化する個体の角は高価な薬の原料として利用できるらしい。


 さらに家畜が村周辺の草を食べると見通しが良くなり、虫や小動物を集まりにくくし、結果として魔物や害獣などの被害が減る。


 村の防備は気休め程度の木柵で覆われているに過ぎないが、その周りにある放牧地がいわば緩衝地帯となる事で、村の安全性を高めているそうだ。



 ムー婆さんが昼前に起きだしてきたので、俺たちは昼食を済ませてから、母上の命の恩人である旅商人コルの墓へと向かった。


 コルさんは、故郷がどこなのか、家族があるのかなど何も話さない、どこか陰のある人だったそうで、仕方なくドンコ村から近い七槍連峰セブンスピアの頂上の一つ、パシュラ山の山頂へと続く道の途中、広大な山々が見渡せる場所に墓を据えたそうだ。


 地元の人に淵淵渓谷えんえんけいこくと呼ばれる切り立った絶壁の上に、苔むした石墓が置いてあるだけの墓だ。


「……あの時コルが命を失い、この辺りの村を巡る商人がいなくなり困ったでしょう。代わりの商人はすぐに見つかったのですか?」


 母上が尋ねると、ムー婆さんはわずかに首を傾げた。


「さてどうだったすかなぁ。暫くの間は、村から近ぐの町まで薬やらなんやらを売りに行っでたような気もするけれども。……姫様は十分に義理を果たしてから行かれますた。気に止む必要はねだすな」


 暫しの沈黙の後、母上は淡いピンクがかった白い小さな花を盛った竹籠を、その墓前に手向けた。


 朝の散歩でおやじと摘んできたそうで、ツツザクラという名の花だそうだ。


「コル……あの旅の途中、あなたが好きだと教えてくれた、春に小さな花をつけるという山草は、これであっていますか? 夫のベルが、私の頼りない記憶をもとに探してくれました。……私はあなたの事を、決して忘れません」


 母上を助けてくれた事への感謝はもちろんだが、その己の損得に捉われない生き方には敬意を払うべきだろう。


 親父もゾルドも神妙な顔で祈りを捧げている。


 暫し祈りを捧げた後に、母上は寂しそうな笑顔で振り返った。


「アレン。父の墓前でしてくれたあの風魔法を、コルにも捧げてくれますか?」


 俺は一つ頷いて、感謝と尊敬の念を込めた風を舞い上げた。


 花が盛られた小さな籠には風を当てていないはずだが、ツツザクラは籠から一輪こぼれ、崖下にひらひらと吸い込まれていった。


 ……あれほど嫌いだったのに、何だか最近墓参りしてばかりだな。



 ◆



 コモリ村、リアンクール男爵邸の前庭。


 ララがドンコ村へ出かけた後も、この広い庭で村の子どもたちが遊んでいる。


 ネルソン伯爵は縁側から庭を眺めながら、正体不明の旅人とやらの応対を理由に、自分の要件を後回しにされたことに対するイライラを隠そうともせず、ララの父である男爵に愚痴を溢していた。


「全く、ララは自分の立場に対する自覚が全く足りん! このタイミングで数十年ぶりにドンコ村のような寒村に訪ねてくる旅人など、ララと繋がりを持ちたいという下心があっての事に決まっておるではないか!」


 男爵はまぁまぁと伯爵を宥めた。


「まぁまぁ、伯爵。ムー婆の話によると、くだんの旅人はムー婆が風邪の治療をした事を恩に感じ、命懸けで村壊滅の危機を救ってくれた方だとか。当時私はまだ幼く記憶はありませんが、いきなり旅立たれ大した礼も出来ていないと聞いております。であれば、現当主が顔を見せて、当時の献身に感謝の意を述べるのは、貴族の筋というものではありませんか」


 ネルソン伯爵はギロリとリアンクール男爵を睨んだ。


「まぁまぁ、伯爵……ではない! 父である貴殿がその様にぬるいから、ララの自覚が育たんのだ! そもそも当時二十歳にも満たない小娘が魔物災害から村を救った、などと言う話も大いに疑わしいのに……。よしんばそれが事実だとして、その恩を着せて何を要求するつもりか……」


 リアンクール男爵はいっそ、その娘はドスペリオル家にゆかりのある者らしい、という話をしゃべってしまおうかと考えた。


 だが目の前のネルソン伯爵を見て、やはり止めた。


 ネルソンは、ドスペリオル家を敬慕する気持ちが人一倍強い。


 ムー婆が言うには、その話は従者の言葉で、本人は否定していたとの事だが、あの気品からしておそらく本物……下手をしたら宗家筋までありえるとの事だが、まぁそれは大袈裟にしても、真偽が定かではないそんな話を聞かせて、万が一その話が事実と異なった場合、名を語ったとして烈火の如く怒り狂うだろう。


「その女だけがやって来て正直に、改めて縁を結びたいと願い出るのならまだ許せる。だが明らかに貴族が使うような馬車を引いて、家族連れで来ていると言うでは無いか! ご丁寧にララと同年代と思われる息子まで連れて!」


 まぁまぁ伯爵と、リアンクール男爵は宥めた。


「あまりに出来すぎておる! ララの帰省スケジュールはもちろん、あの妙に乙女チックなララの性格まで調べ上げて、運命的な出会いを演出するつもりに間違いない!」


 リアンクール男爵はまぁまぁ伯爵と宥めようとして、ふと不安になった。


 確かに少々出来すぎているような気がしたのだ。


 その気品ある令嬢が、数十年の時を経て品位を維持しているとは限らない。


 いつかララの、気の遠くなるほどの努力が身を結び、運命の出会いを果たしたのであれば、親として応援すると覚悟を決めていたが、それが仕組まれたものとなると話が変わってくる。


「……仮にそうだったとして、挨拶の言葉を交わしたくらいでどうなるものでも有りますまい。戻って来てから話をよく聞いて、必要なら助言を与えれば良いでしょう」


 リアンクール男爵のこのセリフを聞いて、ネルソン伯爵は『かぁ〜っ』と右手で顔を覆って天を仰いだ。


「分別ある大人の女でも、恋をすれば盲目的になる。あの頑固娘が『運命の人』などと固く信じ込んだら最後、わしらの話に聞く耳を持つと思うのか!」


 リアンクール男爵は恋をしたララの顔を頭に浮かべ、ついで顔を青くしてふるふると首を振った。


 そして――


 その真っ青な男爵の顔をこっそりと見て、これまた顔を青くしている子供がいる。


 先程女向けの絵本はもう読まないと宣言していた少年、タモツだ。


 彼は隣接するクノワ子爵領の幼年学校に昨年から通っている九つの男子で、下宿先から春休みを利用して帰省している。


 タモツは馬を駆って出ていったララの横顔を思い出した。


 その横顔は、憧れの人についに会えるという希望に輝いていた。



 ◆



 無事に墓参りを済ませドンコ村へと帰ると、そこにはララがいた。


「チャンスんだて、ビビッてねで攻めろポンナ! あ! これー! コンは年下ん子使って追撃接近攻撃すんでね!」


 ララは、陣取りと呼ばれる子供遊びをしているようだ。


 陣取りは、ある程度年齢や身体能力に差のあるメンバーが集まっても、それぞれに活躍の機会がある戦術性の高い遊びだ。


 同級生だけで十分な子供の数が確保できない山村などでは、何かと都合のいい外遊びと言えるだろう。


 ローカルルールも多いが、物凄く大雑把に言うと、サッカーと鬼ごっこと缶蹴りを足し合わせたような遊びになっている。


 最終的には敵方の陣として設定された柱などを陣破タッチすれば勝利だ。


 もっとも、さすがにどちらかのチームにララが入ったら勝負にならないだろう。ララは審判をしているようだ。


 俺は、それまで見た事もないクラスメイララトの姿に目が点になった。


 場違い感が尋常ではない、ドリルのように縦に巻いた髪を振り乱しながら、審判のくせに誰よりも走り声を張り上げ汗をかいている。


 ……あれはいったい誰なんだ……? いつも持っている、レースのハンカチーフはどこに消えたんだ……。


 俺の記憶によると、いつものララは、現実には存在しないはずの悪役令嬢の様な言葉使いで話し、手の甲を口元に当てて『ほほほ』などと笑っていたはずだが…………。


「ほれ、やればできるでねポンナ! これで面白ぐなってきた〜!」


 見てはいけないあられもない姿を、覗き見ている感が凄い……。


「ララ様、お客様の前だんてその辺にしといた方が……」


 村長にそう声をかけられて、ララはピキリと固まった。


 顔を背けたまま袂からハンカチを出してそっと汗を拭い、咳払いをして振り返る。


「こ、こほん。ようこそリアンクール男爵領へおいで下さいましたわ。わたくしは、当地を治めるリアンクール家の当主、ラーラ・フォン・リアンクールと―― ななな、なしてアレンがここに?!」


 挨拶の途中で俺の存在に気がつき、取り繕った声音を裏返したララを見て、俺はつい吹き出した。


 ララは常に一生懸命だし、いい奴だとは思っていたものの、どこか無理して自分を飾っている感じがあって、正直言って苦手意識があった。


 休日もお茶会の作法やら楽器演奏を習っていると聞いていたし、漠然と趣味が合わないと感じていたのだが……。


 今子供達と遊んでいたララは、実に自然体で、且つ楽しそうだった。ちび相手にあそこまで本気になれる奴は、そうはいないだろう。


「ぷっ! 遊びに来ちゃった。楽しそうだなララ、俺も混ぜろ!」


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