第215話 リアンクール男爵領(1)



 リアンクール男爵領は、七槍連峰セブンスピアのドスペリオル地方側、山塊北部の中央付近に領地を持つ。


 その保有する領地自体は広大だが、魔物が手強く居住に適した場所もごく僅かなため、財政的には全く裕福とは言えない。


 むしろ山中に点在する、大した納税もない集落を取りまとめているだけで、領としては収益より支出の方が多いだろう。


 山を手入れして集落を維持することは、魔物の異常発生などを予防する効果が見込まれるので、王家やドスペリオル家からも一応補助金が出ている。


 それでも足りず、家業の畜産業などで稼いだ資金を投入して補っているので、リアンクール家の領主業は、寧ろ慈善事業に近いと言える。



「ララ姉ちゃいるー?」


「今日も絵本読んでけれ〜」


「あ、ずりーぞ!

 ララ姉ちゃは今日はおらと剣の稽古さする約束してんだ!」


「はいはい。

 じゃあ先さソクラだぢに絵本読んで、その後皆んなで剣のお稽古するべさね。

 タモツは絵本聞がねえの? あんなに好きだったのに」


 ララが笑いかけるとタモツと呼ばれた少年はぷいっと横を向いた。


「おらはええ。

 もう飽ぎだし、女向げの絵本読んでだら、強ぇ男になれねがら」


 その妙に背伸びをした様子にララは苦笑しつつ、『じゃあ待ってでね』とだけ伝えて、車座になった幼年学校入学前の子供達に、自身のコレクションから絵本の読み聞かせを始めた。


 ちなみに、リアンクール領には幼年学校がない。


 なのでこのあたりの子供達は、領地が隣接する子爵領にある幼年学校に、親類縁者などを頼って下宿しながら通うのが通例だ。


 この読み聞かせには、幼年学校入学前に、村の子供達に最低限の素養を身につけさせる目的もある。



 読んでいる絵本の内容はありきたりなものだ。


 とある貧乏貴族がその美しい娘に目をつけた悪い伯爵に騙され、没落寸前にまで追い込まれる。子爵の娘であるヒロインは、家を守るという条件と引き換えに、豚のように肥えた伯爵に連れていかれる。

 ヒロインは連れられた先でも酷い待遇を受けるのだが、そこに偶然現れる男が美しいヒロインの境遇に憤慨し、男は伯爵からヒロインを救い出すために八面六臂の活躍をし、伯爵をけちょんけちょんに打ち負かす。互いに愛を誓い合った後、実はその正体が王子様である事が明かされ、妃として召されてめでたしめでたし、というのが本日の物語である。


 初めから王子の身分を明かせば穏便に解決しそうな気もするが、それは言わないお約束だ。


 ララは子供の頃から、この手のお姫様が登場するプリンセス系の話が大好きだった。



 ちなみに、ララも旧街道沿いのクノワ子爵領にある幼年学校に通ったのだが、成績がずば抜けて優秀であった為、九歳からは噂を聞きつけた近隣の大貴族、ネルソン伯爵のサポートも受けつつ、質の高い教育を伯爵領でうけた。


 もちろんネルソン伯爵も、ボランティアでララをサポートしたと言うわけではなく、自分自身でララの器量を見極めた上で、見返りの期待できる投資のつもりでサポートをしている。


 ネルソン伯爵としては、出来ればラベルディンの名門貴族学校で、騎士養成コースに進学して欲しいと考えており、ララには何度も進路の見直しを薦めたが、ララはネルソンと出会った頃から王都へ進学したいと明言しており、この点は頑として譲らなかった。


 彼女には、絵本に出てくるプリンセスのように綺麗な子とお友達になったり、いつかは物語に出てくるヒロインの様に、『真実の愛』を探すロマンスに巡り会いたいという夢があり、そのためには王都に出なくてはならないと考えていた。


 誰もが笑うしかないその夢を、ララは決して口にはしなかったが、彼女自身はもちろん、子供の頃からララに寄り添いその心中を察していた父親もまた、決してその夢を笑う事はなかった。


 聡明な親子である。


 ともあれ、ララの父親であるリアンクール男爵とネルソン伯爵が幾度か話し合いの場を持ち、王都進学の条件は王立学園に合格する事、それが成せなかった場合はラベルディンの貴族学校に進学する事を条件に、何とか折り合いをつけた。


 そして昨春。


 ララは見事王立学園に、しかもAクラスでの合格を果たす。


 ドスペリオル地方にはアンチ王立学園の貴族も多く、ネルソン伯爵もどちらかと言うとその気質があったので、ララの合格にその胸中は複雑だったが、そこまで結果を出されては黙るしかない。



 それから一年――


 優秀な人材をみすみす中央に送ったとして、貴族仲間に白い目で見られていたネルソン伯爵を取り巻く環境は一変していた。



 ◆



 コモリ村にあるリアンクール男爵家の宅邸。


 帰省の間、午前中の日課になっているコモリ村の子供達への手習い、剣を使った体外魔法の指導を終えたララの前には、物凄い数の写真が並べられていた。


 にこにことコレクションのカードを自慢する子供の様にお見合い写真を広げているネルソン伯爵を前に、ララは顔を引き攣らせている。


「……ネルソン伯爵。昨日も申し上げましたが、わたくしはまだお見合いをするつもりは……」


 ネルソン伯爵はこれを片手で制した。


「分かっておる分かっておる。ララの言い分はわしも理解した。慌てて縁談をまとめ上げよう、などと強引な事をするつもりはない。だがわしにも縁談を預かった立場があるし、ララにとっても、どの様な縁談が来ておるのかを早くから把握しておく事は悪いことではあるまい」


 そう言って、いかにも眉目秀麗な子爵家や男爵家の男たちの写真を次々に指しながら、その立派な経歴や人柄を説明していく。


 ララは溜息を何とか飲み込んで答えた。


「分かりましたわ、ネルソン伯爵。資料には目を通しておきますので、今日のところはお引き取りを」


 ララが喜ばずとも、興味くらいは示すだろうと踏んでいた伯爵は、その取りつく島もない返答に首を傾げた。


「……もしやそなた、王都に想い人でもおるのか?」


 いきなりそう問われ、ララは耳を僅かに赤く染めて慌てて手と首を振った。


「おお、想い人なんていねだす」


 うっかり客人の前で訛り言葉を出して、ララは慌てて扇子で口元を隠した。


「…………言っておくが、ここに並べたのは婿としてリアンクール男爵家に入っても良いと言っておる人間だけだ。あの学園に通う将来を約束されたも同然の者で、そんな人間がいるとは思えんがな……。

 そもそも、そなたが当主の座を親類にでも譲って、他家の嫁に入ると言うのであれば、わしもさらなる良縁を紹介できるぞ? 何ならわしの末息子のサニーはどうだ? 歳は二十歳と少し離れておるが、ドスペリオル家に騎士として仕えており、中々に見どころがあると思うが……」


 昨日何とか断った息子との縁談話をあっさりと蒸し返されて、ララは流石にうんざりした。


「私は昨日説明した通り、リアンクール領を継ぎたく考えておりますわ。……実は昨夜よりドンコ村に旅人がいらしていると先程連絡がありまして、リアンクール家の当主としてご挨拶に伺わなくてはなりませんの。ですので、この話の続きは明日以降にでも」


 ララが物語に出てくるお姫様のような口調でこう言うと、ネルソンは眉間に皺を寄せた。


「あの寒村に旅人だと? 捨て置けばよかろうそんなもの。どうせララに取り入ろうとやって来た不届者か、間諜の類に決まっておる」


 ララは首を振った。


「いえ、どうやらその昔、ムー婆様ばばさまとご縁があった方の様で、旅の途中に数十年ぶりにわざわざお立ち寄り下さったそうですの。その気品溢れるご令嬢……今はそれなりにお年を召しておられると思いますが、その方のお話は何度もムー婆様よりお聞きしておりまして、ぜひお会いしてみたいと思っておりましたのよ」


 ララがそう言うと、ネルソンは眉を顰めた。


「あの化石婆かせきばばの知り合いだと? それは益々油断ならんな……。いずれにしろこのタイミングで来たという事は、ララの評判は耳に入っておるだろう。わざわざこちらから出向かなくとも、この館に向こうから訪ねてくる」


 ララは再度首を振った。


「今回はアポイントも無く訪ねたので領主家への挨拶は差し控えたい、知人の墓参りだけ済ませたら直ぐにでもこの領を出立する予定とのことです。ご心配なさらずとも、私は明日以降であれば時間がありますわ」


 尚もごねるネルソンをその場に押し留め、父に後を任せてララは強引に座を辞した。



 ◆



 ララが馬を駆ってドンコ村へと入ったのは夕刻だった。


「あ、ララ姉ちゃだー! 遊んで遊んで〜!」


 馬を降りて門をくぐると、たちまち村の子供達が集まってくる。


「わだすはお仕事あるから、また今度ね。ムー婆さとお客さんはまだいる?」


「ムー婆さはお客さんと、お墓さ行ったからもう暫ぐしたら帰ってくるんでねかな。はあ、コモリ村の奴らはええな……いつもララ姉ちゃに遊んで貰えて」


 問われた子供はそう答えつつ、不満げに口を尖らせた。


 チラリと村長宅のうまやを見ると、立派な馬が繋がれている。


 この時刻にまだ出立していないとなると、今晩はドンコ村に泊まっていくのだろう。


 ララはほっと息を吐き、答えた子供の前にしゃがんで頭を撫でた。


「じゃあお客さん帰ってくるまで遊ぼ? 何して遊ぶ?」


 ララがそう言うと、子供達からわっと歓声が上がった。


「おら、かくれんぼしたい!」

「陣取り〜!」

「虫取りしたい!」

「都会ごっこ!」


 一斉に叫ぶ子供達に、ララは『じゃんけんじゃんけん』と言って笑った。


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