第214話 旧街道



 ラベルディンからルーン川を渡り南下し、七槍連峰セブンスピアと呼ばれる山塊を越え、王国南東部にある広大なドラグーン地方を貫き、遥かファットーラ王国へと伸びる古い田舎街道がある。


 その昔セシリアが死出の旅を覚悟して、ディオと共に当てどもなく南下した街道だ。


 ラベルディンが往時の権勢を誇った頃は、恐らくは商人などの往来で賑わっていただろう。


 だが、ユグリア王家がルーンレリアに王都を構えて千余年。


 王都を起点に新道や鉄道の敷設などが進んだ事も影響して、この旧街道は田舎に行けば落石や雑草の処理も満足に為されないほどに寂れている。


 アレンとロヴェーヌ夫妻、そしてゾルドの四人は、ラベルディンを立ちこの旧街道を南へと馬車で進んでいる。


 セシリアが若き日の旅を懐かしんでいるのを聞いたアレンが、ラベルディンからは旧街道を馬車で行こうと提案し、ベルウッドもこれを支持したからだ。


 因みにローゼリアは、魔道具士としてラベルディンにある塔に興味を持ち、研究のために残ることにした。


 ドスペリオル家が手配した馬車は、道幅が考慮された一頭引きの小型のもので、そのデザインも無骨なものだが、据え付けられた馬車馬は筋骨隆々の大陸北部が原産の種で、鹿毛かげの毛並みは太陽に照らされてピカピカに輝いている。


 生来の魔物種ではなく、魔物化したルーンシープなどと同様に長い時間をかけて体内に魔石を育んだ個体で、目玉が飛び出るほど高価だ。


 セシリアは遠慮しようとしたが、フレーリアから『私とバルディからの結婚祝いです』と亡き父の名を出されては受け取らざるを得ない。


 その馬車は現在、七槍連峰を越えるため、ゾルドが御者を務めながら山道を進んでいる。


 馬の力強さに加えて、アレンが風魔法で稀に出現する周辺の魔物や動物を追っ払っているので、すこぶる快調なペースと言えるだろう。


 この魔力循環による魔物や野生動物への威嚇を、アレンはすでに呼吸をするかのように無意識下で行える。


 馬車の屋根部分は水平になっており何の装飾もないが、このサイズの一枚板で、雨を問題にしない素材となればその値段は推して知るべしだろう。


 本来は周辺を警戒する護衛などが、あぐらをかいた姿勢で座る事が多いスペースだが、アレンはここにのんびりと寝転んで、欠伸をしながら本を読んだり、地図を見たりしている。


 広々とした屋根の上が好きだということもあるが、キャビンではベルウッドとセシリアが二人の世界を広げており、思春期の子供としても、もちろん元三十六歳日本人の記憶の面からも、居たたまれなくてとても同じ空間にはいられない。


 アレンはパタリと本を閉じて、ゾルドに声をかけた。



 ◆



「ん〜! 飽きてきた……。手綱を代われ、じい」


 俺はゾルドに御者の交代を要求した。


「へっ? いえいえ、これは使用人である私の仕事ですぞ。……簡単そうに見えるかも知れませんが、馬の制御には慣れが必要です。練習するならもう少し広い場所で、出来れば小さな馬から始めた方が宜しいかと」


 ゾルドはそう断ってきたが、俺は強引にその手綱を奪った。


「心配するな、馬車の操作ならトニーに教わって練習した事がある」


 トニーというのは、アメント火山の中腹にある温泉地、メント村に向かう途中でガイドを務めてくれた、気のいいおっちゃんだ。


 あのおっちゃんがお勧めしてくれた温泉宿『月や』の風呂は、控えめに言って最高だった。


 挨拶する暇もなくメント村を出てしまったが、いつかお礼を言いたいものだ。


「トニー? …………確かに様になっておりますな。ですがよろしいので? 周辺の魔物の警戒はぼっちゃまが務めると言って、護衛を雇うのを取りやめましたのに。馬の制御に気を取られて魔物の襲撃を許した、などとなりましたら本末転倒ですぞ?」


「ふん。警戒は御者をしながらでも問題ないし、なによりこの馬車には母上が乗っているんだぞ? ……お前も随分俺の風に慣れてきたし、な? 肝の座ったやつだ」


 俺がそう言って馬車を引く馬へと語りかけると、馬は『ブルルッ』と返事をする様に嘶いた。流石はドスペリオル家が用意した馬だけの事はある。


 当初の予定では、時給1250リアルの高給で稼いだ金にものを言わせて、ラベルディンで腕のいい探索者を雇い、道案内を任せながら護衛任務のイロハを見て盗もうか、などと考えていた。


 だがラベルディンにある協会支部へ顔を出したところ、たまたまあの輸送任務で一緒になった、チャゴーラさんという探索者がいた。


『お、おめえはアレン・ロヴェーヌ! ラベルディンにきてたのか! まさかおめえがセシリア様の子供だったなんて――』などと大声で叫び、支部内は騒然となった。


『何のご依頼でいらしたのですか?!』とか、『俺はBランク探索者のルキアです! 三年先まで暇なので指名依頼受けれます!』とか鼻息の荒い人間に囲まれて、とても探索者『レン』のライセンスなど出せる状況では無くなった。


 俺は、『ラベルディンには墓参りに来たのですが、チャゴーラさんがもしいれば、と思い協会に立ち寄りました。お礼が言いたくて。先日の任務ではお世話になりました』とか適当な事を言って、すぐさま支部を退散した。


 別にアレンとして依頼を出しても良かったのだが、山越えをするとはいえ街道は一本道だし、何となく皆の目つきが怖かったのだ。


 俺が支部を出た後に、『くう〜チャゴーラてめえ!』『お前に礼を言うために立ち寄っただと?!』『コロス!』とか言われてもみくちゃにされている様子だったが、仕事を出さなかったぐらいでなぜ皆あんなに怒っていたのだろう……。

 ラベルディンは不景気なのか?



 暫くゾルドと雑談しながら馬車を走らせていると、後ろから母上が声を掛けてきた。


「アレン? 自ら馬車を御しているのですか? あなたの何にでも挑戦しようとする姿勢には感心させられますね。そろそろ昼食休憩にしましょう」


 俺は手頃なスペースのある、見晴らしのいい丘の上で馬車を停めた。



 ◆



 七槍連峰セブンスピアの名前は、ラベルディンから見て象徴的な七つの頂上ピークに由来する。


 その峻厳な頂上の一つ、ラパストラ山は、魚を突くモリのように三つのピークがすぐ近くに連なっている変な形をしており、東側のピークが一番高いそうだ。


 俺たちはそのラパストラ山のピークを仰ぎ、眼下にルーン川流域の広大な平原を望みながら、昨夜泊まった宿場町で調達したサンドイッチを食べた。


 気持ちのいい風に吹かれながら、ピクニック気分でパンを頬張っていると、母上は無造作にこんな昔話を始めた。


「私はあの旅の途中、この辺りで一度命を落としそうになった事が有ります」


「母上が命を……?」


 過去の病気の話を聞いた今となっても、死に迫られる母上の姿というのは、俺には全く想像がつかない。


 滅多に自分の過去を語ることの無い母上の話は、こんな内容だった。



 死を待つばかりの自分が、わがままで始めた旅で贅沢をすべきではないと考えていた母上は、庶民同様に乗り合い馬車を利用したり、南へ向かう商人にわずかな謝礼を払いながら、ゆっくりと馬車の旅をしていた。


 ある時、このセブンスピアと呼ばれる山塊の村々を回る行商人に出会い、遠回りになっても構わないのであれば、乗せてもいいと言われた。


 目的のある旅では無かったので、母上とディオは同乗を申し込む。


 殆ど物々交換に近い商いをする、盗賊にも相手にされないと自嘲するような貧乏商人だったが、この山々に点在する集落の生活を支えている事に誇りを持っている。


 そんな年老いた男だった。


 ある日、母上は山中を移動中に体調を崩して高熱を出した。


 運悪く急な雨が降っており、老人は母上を気遣い、荷物を整理して幌の中で横になるように言ってくれた。


 ディオもまた、母上の看病のため幌に入っている時、事件は起きた。


 雷雨の音と、馬車の振動音で、全長八メートルもある地竜じりゅうが接近している事に気がつかず、馬車はもろに地竜の体当たりを受けて横転した。


 恐らくは、母上が横になるスペースを確保するために、日持ちのしない食料類を山中に捨てた事が、あまり人前に現れない地竜を引き寄せたのだろうとの事だ。


 慌ててディオが外に飛び出したが、地竜は凄まじく強く、当時のディオではとても太刀打ちが出来なかった。


 母上は熱で朦朧としながらも何とか身体を起こし、横転した荷台から剣を腰に外へと出た。


 ディオはすでに、槍を杖に何とか立っているような状態だった。


 地竜はその瞳孔を縦長に細めて暫く母上と睨み合っていたが、咆哮をあげて森の中へと去っていった。


 だが、その商人の老人は、馬車が横転した際に全身を強く打っており、近くにある村にいる、薬師の老婆を頼れと言い残して、その場で息を引き取ってしまった。


 母上とディオは、老人から教わったその村に向かって激しい雨に打たれながら歩いた。


 辺りが暗くなり、森の中を迷いながらも、何とか深夜に村までたどり着いた母上は、そこで気を失ったとの事だ。


 ディオがお嬢を助けて欲しい、何でもすると村の入り口で懇願すると、その薬師の老婆は、深夜にやって来てドスペリオル侯爵家の者だ、などと平服で名乗る正体不明の訪問客を、村に入れるように指示した。


 そこから母上は三日ほど昏睡状態になったものの、老婆の薬と看病のお陰もあり何とか一命を取り留めた、との事だ。



「……では、俺がこうして生まれて来たのは、その老商人とムーさんという薬師のお陰ですか。……お礼に行かなくてはいけないですね」


 俺がそのように提案すると、母上は寂しそうに首を振った。


「ムーは、当時すでにかなりの高齢でした。私の命の恩人であるその商人のコルはもちろん、ムーも恐らくはすでに亡くなられているでしょう。それにあなたは、ドラグレイドで仕事があるのでしょう? その村まで足を伸ばすと、五日は旅程が伸びます。簡単に約束を違えては、信頼に関わりますよ?」


 俺は頭の中で旅程を逆算した。


「……五日なら多分間に合うと思います。こいつのお陰で、ここまでは随分と順調に来てますからね」


 そう言って、ドスペリオル家から宛てがわれた馬の首をポンポンと叩いた。


 馬はヒヒンッと答えた。


 可愛い……名前つけちゃおっかな。フレーリアさんはプレゼントだって言ってたし。


 山奥に隠れ住まう、幻の薬師一族……


 いや、幻なのかも薬師の一族なのかも知らないが、そのロマン溢れる響きに俺の胸は高鳴った。


「さぁお礼参りに行きましょう! そのドンコ村へ! なぁムー」


 俺が勝手に死んだ(と思われる)薬師の名前を馬につけて首を撫でると、ムーは俺を無視した。



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