第209話 古都ラベルディン(2)



わたくしの事を覚えているのですか? ……久しぶりですね、ディン」


 母上はそう言って口元を綻ばせた。



「……ディン様? こちらのお方々はどなたですか……?」


 年若い騎士が、母上の顔を見て静止している壮年の騎士に尋ねる。


「…………覚えております。覚えておりますとも。王都より生存の知らせが届いた時、私がどれほど喜び震えたか……。フレーリア様にすぐに伝えよ。お嬢が……セシリア様がお帰りになったと!」



 年若い騎士が指示を受け、慌てて邸内に走った。


「ディンはディオの従兄弟に当たります。ディオ同様、小さな頃からよく私たち兄弟に尽くしてくれました。今は、ディオに変わりリングアート家の跡を継いだと聞いています」


 ディオというのは俺が王立学園入試のために王都へと出る際に、親父が護衛につけてくれた槍使いだ。


 先日のランディさんとの話し合いの際話に出たので、元々はドスペリオル家に仕える準貴族だったということは俺も認識していた。


 母上がそのように紹介すると、ディンさんは目元をごしごしと拭って改めて右手を胸に当て自己紹介をした。


「申し遅れました、私はドスペリオル家に代々仕える、リングアート家当主のディン。ランディ様が陛下の外遊に同行して留守の間、ラベルディンの守護を仰せつかっております。セシリア様の夫であられる、ベルウッド・フォン・ロヴェーヌ子爵ですな。そして――」


 そう言って、俺に向かって弾けるような笑顔を向けた。



「ベルウッド様とセシリア様のお子である、アレン様とローゼリア様、家庭教師のゾルド様ですな。

 そのお年で、王立学園嫌いの多いこのラベルディンにまでその名を轟かすアレン様が、実は生きておられたセシリア様のご子息だと聞き、どれほど衝撃を受けたか……。

 先の大戦でバルディ様というしるべを失い、さらにセシリア様という光を失っていた我々が、どれほど勇気付けられたか……。

 事前にお知らせ頂ければ、すでに噂にはなっているでしょうが、民を正式な通達を出して盛大なパレードでお出迎え出来ましたのに……なぜご連絡もなくお戻りに?」


 そんな大袈裟な……。俺は顔を引き攣らせた。


 師匠から雲隠れするために、『いきなり帰っておばあちゃんを驚かそう!』などと、思いつきで提案して本当によかった……。


 俺が嘘をつくと、たちどころに見抜く母上にはじろりと睨まれたが、しばらく俺の目を見て『……まぁいいでしょう』とか言っていたのは、この展開を読んでいたのか……?



「え、えーと初めまして、ディンさん。なにやら大袈裟な噂が流れている様子ですが、実際の俺は大したことはありません。姉上にはいつもボコボコにされていますよ。賢姉愚弟けんしぐていというやつです」


 実際問題、ベルヌーイの定理はただの前世カンニングだし、武の天稟、という点では、姉上と俺では比較するのもアホらしい。


 もっとも、俺は別に世界最強になりたい訳ではないので、悲観しているわけではない。


 風魔法をとことん極めて、この広い世界を面白おかしく生きられればそれでいいのだ。


 俺が本心からそのように伝えると、ディンさんは目を丸くした。


「あ、アレン様が、愚弟ですと……?」


 俺が自信満々に頷くと、ディンさんは暫く呆然としてから笑い出した。


「ぷっ! くっくっくっ! ……ごほん。失礼。

 いや、笑いたくもなります。

 …………王立学園は、もちろん教育機関として優れた面もあるのでしょうが、それ故に力が集まりすぎる。

 時を重ね歪みが出た時に、この国そのものが腐敗に呑み込まれぬよう、歴代ドスペリオル宗家は、いわばブレーキ役として学園から距離を置いている面もあるのです。

 貴族家としては損な役回りを粛々と引き受ける主人あるじを誇りに想うと同時に、やれ誰が天才だの、世代の頂点は誰だのと噂が聞こえる度に、苦々しい気持ちになる……。我らが主人こそは最高だという気持ちがありますからな」


 そう言ってディンさんは、母上をちらりと見て、また俺を見て目に涙を浮かべた。


「あのセシリア様のお子であるアレン様が、学園何するものぞと暴れ回り、果てはそのお歳で王より勅命を受け、誰にも不可能と思える任務を完遂した。

 そんなアレン様が愚弟とは……。いやはや痛快としか言いようがありません。

 この地に溜まる千年の鬱憤が晴れる思いです」


 ディンさんが感無量な顔で『今の話を死ぬまでに何回話すことになるか』などと納得し始めたので、俺は慌てて静止した。


「た、ただの尾鰭のついた噂ですよ。あの輸送任務は皆の協力のお陰ですし、暴れ回った覚えも全くないので……」


「そのようなご謙遜を……。

 まぁ流石に、あのバルディ様ですら認めていた『百折不撓』ゴドルフェン様に、『俺の道を邪魔する奴は、誰であろうと叩き潰す』と喧嘩を売ったのは入学初日、などの信じがたい噂も数多くありますが……」


 じ、事実ではあるが、微妙にニュアンスが違う!


 俺は目を泳がしながら釈明した。


「そ、それは初登校の直前に母上から『舐められたら、逆にすべてを叩き潰す気概で行け』とか何とか発破を掛けられたのでつい肩をいからせた、ただの恥ずかしい過去で、喧嘩も売ったのではなく買っただけでして――」


 まったく、ゴドルフェン先生が不正疑惑は学科に掛けられていると初めからきちんと説明していたら、もっと冷静に話し合いが出来たのに!


 ディンさんはごくりと唾を呑んで、顎のあたりを手の甲でぬぐった。


「さ、流石はセシリア様、剛担な指導ですな……。

 そ、それではタレント揃いの王立学園教師陣に、林間学校で『不合格』を叩きつけ説教をかました―― などという信じ難い噂も、よもや真実――」


 俺は目眩がした。


「一体何ですかその噂は……」


 初耳にも程があるぞ……。


 その余りに荒唐無稽な内容に、俺が釈明するのもアホらしくなって白目をむいていると、後ろから声が掛かった。


「…………ディン。出迎える準備を終え、先程からわたくしが玄関で立っているのに、いつまでそこで楽しそうに立ち話をしているつもりですか?」


「し、失礼しました!」


 声のした方を見ると、輸送任務の時に港でグラバーさんの応対をしていた、凛とした老婆が立っていた。


 名前は確かフレーリアさん……つまり俺のおばあちゃんだろう。



「……久しぶりですね、セシリア。委細はランディより手紙で連絡を受けております。私の他には詳細を知るものはいませんので安心を。

 長旅……長い長い旅、ご苦労様でした。私は、あなたを誇りに思います」


 そう言って、ゆっくりと母上に近づく。


 そして両手を広げ――



 ◆



 二人は感動のハグを交わした。


 ここにいる誰もが目に輝くものを浮かべている。


 俺は、母上がまた照れ隠しでアイアンクローでもかまさないかとハラハラしながら見ていたのだが、何事もなく感動のハグを取り交わしたのを見て安堵しつつ、ランディさんが不憫すぎて涙が出てきた。


 フレーリアさんは両手で母上の顔を優しく挟んだ。


「『あなたが生きていたら、今頃どんなふうに成長していたかしら……』あの日、貴方を送り出してから、いったい何度こんな事を考えたでしょう。

 ……私が思い描いていた姿とは少し違いましたが、立派になりました。

 ありがとうセシリア。生きていてくれて、本当にありがとう」


 フレーリアさんに再度強く抱きしめられた母上は、静かに涙をこぼした。


 俺の前ではいつも強い、何事にも動じない母だったので少し驚いたが、考えてみるとこのラベルディンから死出の旅の覚悟を決め旅立ったのは、確か16歳になったばかりの頃と言っていた。


 二人の間には、想像もつかないほどの想いが積み重なっている事だろう。


 俺はランディさんの事を頭から追い出しながら、今度こそ感動のもらい泣きをした。


 暫くそうしてから、母上は大きく息を吐いて涙をぴたりと止め、少女のように微笑んだ。


「……お母様も御壮健そうで何よりです。

 沢山ご心配をおかけした事、申し訳なく思います。

 ……私の大切な家族を紹介しますね」


 そう言って、俺たち家族を紹介した。


「あの小さかった娘が、四人もの子を産み立派に育てたのですね。一度に四人も孫が増えるだなんて、何と幸せな事でしょう。今回は来ていないグリム、ベックにもいつか会うのを楽しみにしていますと伝えて下さい。

 ……ところで――」


 そう言って言葉を切ったフレーリアさんは、ビシリと空気を凍り付かせた。


「なぜ連絡もなくいきなり帰ったのですか?

 貴方はロヴェーヌ子爵家の当主夫人でしょう。そのような無作法な子に育てた覚えはありませんが?」


 その感情を全く感じない声音からは、有無を言わさぬ怒気が立ち昇っている。



 母上はフレーリアさんの目をきっかりと見つめ返し、俺の肩へ自信満々に手を置いた。


「アレンが今回は内密に尋ねたいと言ったからです。ね、アレン? 何か考えがあるのでしょう?」



 えーー! ない!!! いや、あるけど騎士団の仕事をサボるためとはこの人には絶対に言えない!


 フレーリアさんは俺へと顔を向け、理由は? とその目で問いかけてきた。


 と、そこで姉上がこうフォローした。


「アレン君が、おばあちゃんを驚かせたいって言って。悪気はなかったと思うから、そんなに怒らないで、おばあ様」



「……おばあちゃんを……このわたくしを驚かせたい、だから連絡をせずに帰る。そう言ったのですか……?」


 フレーリアさんはじっと俺の目を見た。


 俺が何と答えようかとダラダラと汗をかいていると、フレーリアさんは母上そっくりに口を窄めて笑い、緊迫した空気をデレデレに緩めた。


「ふふっ……アレンはいたずら好きなのですね。おばあちゃん相手にはいいですが、貴族として外では最低限の礼節は必要ですよ? ローゼリアも姉なのですから、アレンを導かなくてはなりません。分かりますか?」


「はあ〜い。ごめんなさい、おばあ様」


 姉上がそう言って舌を出すと、おばーちゃんはにへらと笑って頷いた。


 …………孫に甘すぎない?!

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