第208話 古都ラベルディン(1)



 ロヴェーヌ一家は、ドスペリオル侯爵地方の領都、ラベルディンへと向かう為、ルーン川を下っていた。


 まだ暫くの間、春の社交シーズンは続くのだが、先日の晩餐会で国王パトリックよりクラウビア山林域を庇護してもらう約束を取り付けたベルウッドは、上洛目的は果たしたとして、面倒な面会依頼などが入る前にさっさと王都を離れようと提案した。


 王都滞在の期間が予定より短くなったので、セシリアの亡き父バルディの墓参りをする為に、領地へと引き上げる前にドスペリオル地方の領都ラベルディンへ立ち寄ろうとの事だ。



『当初の予定よりもスケジュールに余裕が出来たからのう。ランディ兄君に打診されていた墓参りもそうだが、セシリアは母君になるべく早く顔を見せた方がよかろう』


 ベルウッドは、淡々とした表情でそうセシリアに告げた。


『スケジュールに余裕がって……。親父、どうしても帰らなきゃ行けない予定なんてあるの? 最近はグリムに領地経営を丸投げしてた印象しかないけど……。この間ランディさんにもらったパンをすごく気に入ってたし、ドスペリオル地方のパンが食べたいだけなんじゃ……?』


 アレンがこの様に疑わしげに尋ねると、ベルウッドは肩を落とした。


『……わしのことを何だと思っておる。遅くとも一月後には領地に着いて、菜園用の種まきと育苗いくびょうをせねば……。特に例のぶどう茄子は、今年が勝負の年だしの』


 ぶどう茄子、と聞いて、アレンもローゼリアもその眉をピクリと上げた。


 確かにベルウッドが昔から育てている茄子に、葡萄のようにコロコロとした実を房でつける野菜があった。


 ……これまでは趣味の家庭菜園に血道をあげている呑気な父親だと思っていたが、事情を知った今となってはアレンもみる目を変えざるを得ない。


 実際、ベルウッドが取り組んでいる魔破病の治療薬に関する研究が身を結ぶと、多くの子供達の命が救われることは間違い無いだろう。


『……まぁ確かに? 古の都、ラベルディンのパン屋には、ちょっとは興味があるがの……。

 昔ながらの簡素なブレッドが、噛むたびにメリメリと音を立て醸し出す、あの控えめながらもいつまでもいつまでも鼻の奥に残る香り…………あぁ! 想像しただけで涎が止まらん!』


 ……と、思ったが、やはり親父は親父だとアレンは考え直した。


『……ベル……ありがとうございます』


 そう小さく呟いたセシリアには、常にセシリアの生家を気にかけていたベルウッドの気持ちが、痛いほどに伝わっていた。



 ◆



 俺は気の向くままに、両親と共にラベルディン経由の帰省旅に同行する事にした。


 輸送任務の途中に寄港した、あの美しい街を歩いてみたいと考えていたからだ。


 当然ながら俺は、貴重な長期休暇を目一杯堪能する為に、春休みについても遊びまくる入念な計画を立てていた。


 その為に騎士団の溜まっている仕事を前倒しして、スケジュールを確保していたのだ。


 当初は春休みに入った直後にロザムール帝国で開催される予定であった昇竜杯 ――夏季に騎士が武を競う新星杯と対をなす、若手魔法士が技量を競う祭典―― へ、体外魔法研究部の監督として同行するつもりだった。


 だが、ヘルロウキャストの魔物災害が運悪く・・・ロザムール帝国にも降りかかったため、春休みの終わりに延期された。


 デュー師匠は、『良かったじゃねぇか! お前にやらせてぇ仕事はたっぷり溜まってるからな! 時給も上がった事だし、たっぷり稼げよ!』などとニコニコ顔で言って、俺をこき使うための綿密な計画を立て始めた。


 なぜあれほど頑張って捌いたのに、すでに仕事が溜まっているんだ……?


 そもそも本来は、仮団員アルバイトの俺がどうしてもやらなくてはいけない仕事など、あるはずが無い。


 だがいろいろ騎士団改革に関して提案してしまった手前、夏休みは心のどこかで日本人のように罪悪感を覚えてしまったので、同じ轍を踏まない為に今回は事前に仕事を整理したのだ。


 これ以上は俺の知った事ではない。


 だが俺は、師匠にどうしてもと言われては何だかんだで断れない。


 一見無茶苦茶に割り振っているように思う任務は、実は俺の実力を伸ばす事に配慮されている事を理解しているからだ。


 その『頑張れば何とか達成できる』絶妙な難易度の任務は、俺も含めて全員の実力を正確に把握して、しっかり労力あたまを使わなくては決して組めない。



 ……だが青春は今しかないのだ!


 俺はまたまた何も言わずに姿を眩ますことにした。



「見えたぞアレン。ラベルディンだ」


 デッキで風の操作をしていると、ダンが操舵室から出てきて声を掛けてくる。


「あぁ。何度見ても綺麗な街だな」


 俺たち家族は、王立学園の風魔法仕様の帆船でラベルディンへと移動した。


 魔道列車で移動してもいいのだが、列車を利用すると騎士団に足取りを掴まれやすいし、母上や姉上に俺が風魔法で船を動かすところを見てみたいと言われたからだ。



 ちなみに、ラベルディンからは王都には戻らず、その昔母上が旅した田舎街道を南下して、ロヴェーヌ領への帰途に着く計画としている。


 もっとも俺は、実家には帰らず途中で家族と別れ、そのままサトワから受託した廃鉱山探索の依頼を履行する為に、ドラグレイドへと向かう予定だ。



「すまんなダン。帆船部を便利使いしちゃって」


「別に構わないさ。みんなアレンの風魔法を見たがっていたしな。それにアレンの家族と一日船に同乗するのは、端的に言ってみんなにもメリットしかないだろう。色んな意味でな」


 ダンが視線を送った先を見ると、帆船部の部員達がうちの家族とやや緊張した面持ちで話している。



 近頃は帆船部への入部希望者も劇的に増えた。


 ダンが一年後期にして王国騎士団入団を果たしたことは、王立学園生にも結構な衝撃を与えたようだ。


 俺の時は、失礼なことに『まぁあいつはアレだから……』みたいな感じで珍獣を見るような雰囲気だったのに、ダンが騎士団入団を果たしたら皆目の色を変えた。


 皆、何が悲しくて在学中に入団など目指すのだろう。


 まぁアルバイト自体は否定しないが、破格の時給に目が眩んで、青春を蔑ろにする様な事のないよう、ぜひ気をつけてほしい。



 話を戻すと、今回乗船している人間は、俺たち家族とダンを除いたらたった五名で、うち二名はグラバーさんのところから派遣されて来た第二軍団の騎士団員だ。



 理由は、練習船がまだ一隻しかない為、船を使った実地訓練をする人間に、制限を掛けてあるためだ。


 具体的には体から10m離れたところで、風速5m以上の風を起こし、且つ風向をコントロールする力……不本意ながらアホどもの基準で言うところの、捲り道有段者スカートを捲れるやつだけだ。


 少なくともこれが出来なければ帆船の揚力コントロールなど不可能だし、適性次第ではいくら訓練しても出来ない可能性もある様子だからな。


 船が出発した当初は、部員達はナゼか猛獣と同じ檻に入れられた兎のように、目をひたすらにうちの家族から逸らして船の操船に邁進していたが、さすがに船という隔絶された空間に長時間いた事で、多少は打ち解けた様子だ。


「本当に帰りはいいのか? 王都からラベルディンは、訓練にちょうどいいから、迎えにきてもいいぞ」


 ダンは、春休みは王都に留まる事にしたようだ。


 騎士団からダンの親父やグラウクス侯爵にまで丁寧な要請があったようで、『春休みの間中船に乗ってることになりそうだ。ま、挨拶回りよりはマシだけどな』なんて頭を掻いていたが、その顔は、長期休暇が楽しみでワクワクしている子供のように輝いていた。



「あぁ。帰りは列車で帰る。ありがとな、ダン」


 最終的には列車で帰る。


 ラベルディンで一旦行方を眩ませるが、春休みの終わり頃には、多分列車でな。



 船がゆっくりと河川港にある桟橋へと付けられる。


 俺たち家族は帆船部の皆に礼を言って、船から降りた。



 ◆



 俺たちが港に停まっていた馬車に乗り、ドスペリオル家の宅邸の前に降り立つと、警備の騎士が厳しい顔で槍を片手に近づいてきた。


「当家に何のようだ? 客人が来訪するという連絡は受けておらんが、ここがドスペリオル家の宅邸と知って――」


 そこまで言って、その壮年の騎士は母上の顔をまじまじと見た。


「ま、まさか――」


 母上はその口元を綻ばした。


わたくしの事を覚えているのですか? ……久しぶりですね、ディン」



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