第207話 始まりの儀



「さて、諸君らは明日から2か月ほどの春休みじゃ。

 この一年で諸君らは、この名門王立学園の歴史においても過去例がないと言われるほど、劇的に成長した。

 ひとえに、諸君ら自身が目標を高く持ち、己を律し、そして重ねた努力が結実した結果じゃと考えておる。

 ふぉっふぉっふぉっ!

 諸君らの活躍もあり、来年度の王立学園入試は例年よりも難易度が高くなりそう、との事じゃ。

 皆、諸君らと同じ学舎まなびやに通いたいのだろうのう。

 休みが明けたら諸君らは上級生となる。引き続き後輩たちのよき目標となってくれる事に期待する。

 ……では、皆で三年生の門出を見送りにいこうかのう」



 1年後期最後のホームルームが終わり、俺たちは白亜の学舎を出た。


 日本で言うところの卒業式は、この世界では『始まりの儀』と呼ばれる。


 学生生活を終えた日ではなく、新たなる世界へ旅立つ日と捉えられているからだろう。



 王立学園内にある第一闘技場の客席に移動すると、しばらくして卒業生たちが颯爽と現れた。


 外部の人間の入場が厳しく制限されているこの王立学園ではあるが、この日ばかりは卒業生の両親兄弟などの肉親またはそれに準じる保護者など一人につき四名まで入場が許可される。


 その他にも関係者や各界の重鎮と思しき招待客が招かれている。


 それらの人間から、卒業生達に惜しみない拍手が注がれた。



 この王立学園理事長、ミハル・シュトレーヌさんより、祝辞が述べられた。


 その後、卒業生一人一人に、この王立学園卒業生の証であるユグリア王国旗と卒業年次が刺繍された揃いの漆黒のガウンを手渡される。


 王立学園卒業生の証であるこのガウンは、その辺の貴族であれば額縁に入れて玄関に飾るほど名誉あるものらしい。


 などと、聞いてもいないのに隣でフェイが解説してくる。



「みんな、いい顔してるなぁ〜」


 フェイの事は無視しつつ、先輩達の誇らしげな顔を見て俺は思わずそう独りごちた。部活動などを通じて親交のある先輩も多い。



「それでは成績優秀者を発表します。

静岩せいがん』。

 …………ロンディ・フォン・マーゴット」


 ミハル理事長がもったいをつけた後こう発表すると、会場からは割れんばかりの拍手が注がれた。



「静岩……?」


 俺が聞き覚えのない言葉に首を傾げていると、フェイは『ぷっ!』と吹き出し、逆隣に座っていたベスターが顔を引き攣らせた。


「う、嘘だろうアレン。……知らないのか?」


「あぁ知らん。全くもって初耳だ」


 俺がフェイの足を蹴飛ばしながら首肯すると、べスターが解説してくれた。


「『静岩』、『暁月ぎょうげつ』、『探花たんか』は、それぞれ騎士コース、魔法士コース、官吏コースの成績最優秀者に贈られる特別な呼称なんだ。

 民衆が呼び習わしたのが起源とされるただの慣習だが、いつの時代からか、王立学園でもその呼称を使うようになった。

 世代の頂点を極めた者だけに許される、めっっっちゃくちゃ名誉な事なんだぞ?! 王立学園に入学したら、いや入学する前から誰もが憧れる!」


「ふーん」


 何というか、おしゃれな文化だな。


 どうやら該当する成績優秀者には、特別なタイの様なものが授与されるようで、ロンディさんは真っ黒なガウンに映えるシルバーの布を首に掛けられている。


 ロンディさんは、坂道部の先輩で、新聖杯にも三年代表として出ていたから、順当な結果なのだろう。


「ふーんって……」


 ベスターが愕然とした所で、ミハル理事長は続きを発表した。



「続いて『探花』。

 …………リアド・グフーシュ。

 Bクラスからの探花獲得は、実に80年ぶりの快挙です。貴方のたゆまぬ努力と不屈の精神に敬意を表します」


 ミハルさんがこう言うと、会場が、ざわり、とざわめいた。


 俺はすぐさまその場で立ち上がり、手が腫れ上がるほどの拍手を先輩に送った。


「流石です先輩〜〜!

 俺には分かっていました! 先輩なら必ず『探花』を獲得すると〜!!!」


 嘘ではない!


 俺はベスターの説明を聞いて、理事長が『探花』を発表するまでの二秒間で、探花に相応しいのはリアド先輩だと考えていたのだ!


 俺が声を張り上げると、先輩は驚いたように振り返り、苦笑を漏らした。そして理事長の方へと向き直り右手を遠慮気味に突き上げた。


 それをみた会場から、惜しみない拍手が注がれる。


 周囲に座っていた1-Aクラス生達は、先程まで探花のの字も知らなかった俺のあまりに無節操さに呆然としていたが、そのうちに我に返って拍手を送った。



「最後に『暁月』。そして総元そうげん

 …………プリマ・テスティ」


 最後に残された、魔法士コースの主席が発表される。


 プリマ先輩は、体外魔法研究部に所属していた先輩だ。


 魔法研に、スカート捲り研究部などという不名誉な噂が立って、とくに上級生には辞める人もちらほら出てくる中、『真面目にやってください、監督!』なんていつもぷりぷりと怒っていたが、最後まで辞めずに部に前向きな推進力を与えてくれた人だ。


 俺が『先輩なんですから敬語は不要です』と何度伝えても敬語を貫き通す頑固な人で、ダンと俺が輸送任務を終えた後は、『何で説明してくれないんですか!! あんなに怒ってた私がバカみたいじゃないですか!』と、これまたぷりぷり怒っていた。


「……総元?」


 俺はまたまた出てきた謎の言葉に首を傾げた。


「…………全コースを合わせた総合順位での首席の事だ。現三年生の年次に生まれた人で、現時点で頂点に君臨する人という事だ!」


「へー。それは凄いな」


 説明を聞いて、俺はプリマ先輩へ心から祝福の拍手を送ったのに、ベスターはなぜかガックリと肩を落とした。



 ◆



 成績優秀者が発表され、改めて卒業する三年生に皆が拍手を送った所で、ミハルさんは話を進めた。


「それでは今年のゲスト・スピーカーをご紹介いたします」


 ゲスト・スピーカーとは、校外からこの『始まりの儀』に招かれてスピーチをする人の事だ。


 軍人や文官の重鎮など、王国政府関係者が呼ばれる事もあるが、それよりも大商会の会長や音楽家、絵師などの芸術関係の著名人などが選ばれる事の方が多いらしい。


 王立学園生は、何だかんだで良家生まれで絵に描いたようなエリート街道を歩んできた生徒が多いし、どちらかと言うと自分たちと異なる価値観に触れる機会をセッティングした方が、喜ばれる傾向があるとのことだ。



 なぜそんな事を知っているかと言うと、今年のゲスト・スピーカーは俺がよく知っている人物であり、そのオファーの場面に立ち会っていたからだ。



「ドラグーン地方の山奥で静かに……ですが瞠目すべき思想を積み上げて来られた隠れ龍――」



 ……この紹介では誰の話かさっぱりわからないが、答えはゾルドだ……。



 晩餐会の日。



 王立学園理事長のミハルさんと同じ、シュトレーヌ公爵家の人間であるアンドリューさんは、何を血迷ったのか、今年の『始まりの儀』ゲスト・スピーカーにゾルドを推薦したい、などと言って交渉し始めた。


 当然ながらゾルドは固辞した。


 だがアンドリューさんが尚も粘っていると、その内に陛下が『何の話だ?』などと興味津々に話に加わってきて、ゾルドの主張をふむふむと聞いてから口を開いた。


「評価というものは、自分ではなく他人が決めるものだ。

 そしてそれは、噂などでは決して確定しない。人間は、自分自身の心で納得せねば、評価を確定できない生き物だからな。

 今そちは注目されておろうが、それはあくまで『何やら凄そうだ』と言う程度の、曖昧なものでしかない。

 そちの言う通り、そちが真に何者でもないのであれば、どこかで実態と乖離した評価の帳尻を合わせる必要がある。

 それをせずに隠れておるうちは、そちが望むアレンやローゼリア自身の力が、正当に評価される形には至らんだろう。良い機会だと思うがな」


 陛下にこう言われ、流石のゾルドも迷いを見せた。


 その様子を見た陛下は悪い顔でニヤリと笑い、こう追い討ちをかけた。


「どうしても受けられぬのであれば、やはりわしがロヴェーヌ家への褒美を増やそう・・・・か?

 ただでさえ満足な褒美を与えておらんのに、そちが評価されておる分ロヴェーヌ家が過小評価されておるならば、さすがにそれを看過するのは王として情けない」


 ……なんでそうなるんだ……。


 この陛下の褒美ハラスメントを受けて、親父と俺は慌ててゾルドを説得した。



 ◆



「優れた教育者であり、思想家でもあられる、ゾルド・バインフォース氏です。皆様拍手を」


 シュトレーヌさんがこの様に発表すると、会場には今日一番の拍手と驚き混じりの歓声が注がれた。


 いつから俺の家庭教師が思想家になったのかは知らないが、まるでスーパースターだ。



 あの日の帰宅後――


 陛下のゴリ押しでゾルドがスピーチをすることに決まり、流石のゾルドも気が重そうな顔をしていた。


「私の妙な噂が落ち着く事は何の問題もありませんが……。内容如何ではアレンぼっちゃま、ローゼリアお嬢様にご迷惑がかかる可能性もありますし、何より苦節の日々を乗り越えて晴れの日を迎える三年生の方々に申し訳ないのです」


 ゾルドがこう言うので、俺は首を振った。


「難しく考える必要はないと思うぞ。

 そもそも俺も姉上も、世間にどう思われるかなど、全くもってどうでもいいしな。

 ね、姉上?」


 俺が姉上に話を振ると、姉上は一分の迷いもなく『うん、どうでもいい』と断言した。



「ゾルドが生きてきて考えてきた事を、正直に話せばいいんじゃないか? 言語化するのが難しいのなら、そこは一緒に考える。一応、スピーチの作法や王都で伝わりやすい独特の言葉遣いなどもあるだろうしな」


 俺がこう言うと、ゾルドは嬉しそうに笑った。


「ふむ。ぼっちゃまと膝を詰めて意見交換をするのは久しぶりですな。それでは家庭教師を務めた立場で恐縮ですが、今回はご助力願います」


 くっくっ。


 陛下はゾルドが過大評価されているのであれば、適正に近づけねばならない、などと言っていたが、そうはいかない。


 俺はこの一年間、困った時の『ゾルド曰く……』を、数えきれないほど使ってきた。


 これほど便利な言い訳道具を易々と手放すわけにはいかないだろう。



「まず伝えなくてはならないのは、私は皆様のように、順風満帆の人生を歩んだ来たわけではない凡人だと言う事ですな。と言うよりも、常に暗中模索し、無我夢中で生きてきただけでして。

 振り返って見てすら、情けない事に果たしてそれが正解だったのかのすら分かりません」


「なるほどなぁ。まぁ俺たちは詩人じゃないんだ。かっこいい事を言おうとせずストレートに。

 ――――こんな感じでどうだ?」


「ふーむ……いささか詩的でストレートな感じはしませんが……なるほど、確かに私が伝えたい事はそう言う事です。

 次に言いたいのは――」


「そうだな、そこはちょっと比喩表現を交えてシンプルに、こんな感じで――」


「……少々カッコ良過ぎませんかな?」


「王都のスピーチでは、こんな感じでも十分シンプルだ。次は?」


 この様に俺とゾルドは一緒にスピーチの骨子を考えていった。


 もちろん前世で聞いた偉人の名言をパクりまくって、ゾルドの言いたい事をそれなりの雰囲気に仕上げてある。


 名言はなぜ名言なのか。


 そこには、多くの人間が聞いて、なるほどと思わせられる『普遍性』があるからだ。


 だから後世に残る。


 つまりゾルドとしても共感できるから自分の言葉として心を込めて話す事が聞き、誰が聞いてもなるほどと思うと言う事だ。


 くっくっく! 


 ……ちょっとクサすぎる気もするが、まぁ大丈夫だろう……。



 ◆



 ゾルドは登壇し、先ずは招かれたゲストが座る来賓席に、次にこの学園の教師陣に、そして三年生の親御さんが座る観客席に、最後に主役である三年生に向かって、深く頭を下げ、たっぷり10秒も静止した。


 俺は冷や汗をかいた。


 そんな作法を教えた覚えは無いのに……オリジナルか……? 


 ま、まぁそれだけゾルドが、本日の列席者に敬意を持っている、という事だろう。


 この美しいお辞儀は、ざわざわと騒がしかった会場を沈黙させた。


 すでに辺りにはただならぬ雰囲気が立ち込めている。


 もちろん俺は、悪ノリしすぎた事を後悔し始めており、嫌な予感をひしひしと感じていた。


 会場が静まるのを待って、ゾルドはおもむろに、だが心からの祝福の念を感じさせる声音で口を開いた。



「……人の一生は重荷を負うて遠き旅を行くがごとし。急いではなりません。不自由を常と思えば不足はない。

 目の前の勝利に固執するものは真の目的地には至れません。及ばざる事は過ぎたるを凌ぎます。

 ……新たなる旅に出る皆様の眼前には道はありません。しかし勇気を持って踏み出さなくてはなりません。皆様が踏み慣らしたその足元が道となり、その道はいつか光を放つ――」



「…………おい、アレン、どこに行くんだ? ゾルドさんのスピーチ聞かないのか?」


「……トイレだ。ゾルドの話はわざわざ聞かなくても分かる。骨の髄まで染みているからな……」


 これ以上、このゾルドのパクリの詰め合わせセットを、真面目な顔で聞く自信はない。


 何なんだこの厳かな雰囲気は……。


 海外の大学の卒業式の様に、もっと和やかで陽気な雰囲気だと聞いていたのに!


「……夢を持たねばなりません――」


 俺は顔を引き攣らせながら、早足に会場を後にした。



 ◆



 このゾルド・バインフォースのスピーチは、その場にいた誰もの胸を深く打ち、万雷のスタンディング・オベーションはいつまでもいつまでも続いた。


 ゾルドはその間、頭を下げ続けた。


 国王パトリックの命で派遣されていた一等書記官によって、スピーチの内容はもちろん、その入場から退出までの様子が克明に記録されており、後にゾルドのプロマイドと共に卒業生へと配られた事もあり、世間にあっという間に漏れた。



 いつしかこの伝説のスピーチには、『旅路』などとタイトルがつけられ、ゾルド七戒として平易な言葉に纏められ、王国中の飲み屋のトイレにまで飾られるほど普及したという。


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