第204話 晩餐会(5)



「だから言っただろう。俺はまともだが、うちの家族はやばいとな……」


 ダンがポツンと自席に腰掛けて、思いっきり顔を引き攣らせてこちらを見ていたので、俺はやれやれとダンの隣の、空いている席に腰掛けた。



「…………アレンがまともじゃない理由は何となく分かったよ。おい、隣に座るな! 知り合いだと思われるだろ!」


「あっはっは! 俺になんて事を言うんだ? 泣くぞ?」


 ふう。自分で言ってて本当に涙が出そうになる。



 ちらりと姉上達の方を見ると、オリーナさんと感想戦をしている様子だ。


 姉上はやはり右手を痛めていたらしく、王国騎士団所属の聖魔法使いの人に治療をしてもらいながら、楽しげに談笑している。


 姉上が初対面の人にこれだけ心を開くのは、やはりオリーナさんの強さを肌で感じたからだろう。


 いや、そういえば、フェイたちがうちに来た時も意外とあっさり仲良くなっていたな。


 地元では家族以外と仲良くしていた印象は全くないが、意外と気さくな一面もあるのか?


 見目だけは麗しい姉上が、拳を繰り出す時に反対の脇を締めて、などと普通の技術論をニコニコと聞いている様は、まるでダイエット目的でボクササイズの講義を受けている女の子のようだ。


 周りを鬼の形相の騎士が取り囲んでいなければ、とても平和な光景だっただろう。


 俺はその光景から目を逸らして、ダンに最近の恋の調子を聞いた。



 ◆



「アレン! ちょっと来い!」


 いつまでたってもダンの隣の席に腰掛けて、中身の無い恋バナを止めようとしない俺は、その内にオリーナさんから呼び立てられた。


「セシリアとローザが僅かに硬直した、最後のあれはお前の仕業だろう? 確かあの瞬間、何かを口走っていたな?」


 そうだった! 精神面の疲労が酷過ぎて、すっかり俺が初めて名をつけ、披露した技の蘊蓄うんちくを開陳するのを忘れていた!


「よくぞ聞いてくれました! あの技の名は『鳴き龍』……。俺が目指す風魔法の鍛錬過程で生み出されたデバフ魔法でして、とある(栃木県にある)歴史ある建造物からその名を拝借しました! いやぁ〜その寺院の音響には実に興味深い秘密がありまして――」


「アレン? オリーナ様は、あなたが考えた技名の由来に興味がある訳ではありません。どういった技なのですか? あの時、冷たい風が吹き抜けたと思ったら何やら急にキーンと耳鳴りがして耳が詰まり、目の前がぐらりと回るような感覚がありましたが」


 俺が技名の由来をたっぷり説明しようとすると、母上はこれをバッサリと切り捨てて結論を求めた。


「……私が研究しているデバフ系の風魔法で、空気の濃度気圧を薄くしただけです。耳の中に溜まっている空気と、外部の空気の圧力に差が生じて耳鳴りがしたのでしょう」


 話をぶった斬られた俺は、しぶしぶ極めてシンプルな回答をした。


 鳴き龍の原理は、飛行機や高層エレベーターに乗ると耳がキーンとし、耳に閉塞感を覚えるあれだ。


 飛行機やエレベーターのない世界ではまず経験することのない感覚だろうし、飛行機などでもこれほど急激に減圧される事は無いだろう。


 雨の日、つまりちょっとした低気圧環境でもめまいや頭痛を発症する人がいるが、あれは環境の変化に体の自律神経が対処しきれなくなって起こる。


 これを極端にした例としては、高山病がある。エベレスト山頂では気圧が平常時の三分の一にまで下がるらしいからな。



 俺は相変わらず真空の刃を飛ばす風魔法の基本中の基本、『ウインドカッター』を何とか実現できないかと悪戦苦闘している。


 今はまだ体から離れた場所に、それほど気圧差を生み出す事はできないが、体の周辺では結構立体的に減圧することが出来るので何度か制御をしくじってぶっ倒れた……。


 その過程で生まれたのがこの技という訳だ。


 今はまだ大気圧を加圧するトレーニングはしていないが、理論的には出来そうなので、究極の形としては例えば水深50mから一瞬でエベレストの頂上へ環境を移動させるような魔法と言えるだろう。


 そんな事が仮に実現出来たら、もはやデバフ魔法でも何でもないが……。



 ちなみに技名の参考にした本家の鳴き龍は、音響が要因で起こる不思議現象なので、パクったのはカッコいい名前だけだ。


「デバフ系?の風魔法?で……空気の、濃度ですか……。

 言っている意味はほとんど分かりませんが……。なるほど、毒物では無いのですね?

 あの瞬間……わたくしは体に異常を感じ、咄嗟に体内で魔力を練って毒物に対処しようとしましたが、まるで効果を感じませんでした。技量の高いものほど咄嗟の場面では混乱をきたすでしょう。いい技ですね」


 そして少女の様に口元を綻ばせて笑い、こう付け足した。


「活動不能になるほどでは有りませんが……初見で対処するのは難しいでしょう。実戦では出しどころに気をつけて、初手で確実に仕留め殺りなさい」


 オリーナさんが、これまたライオにそっくりなクソ真面目な顔で腕を組み顎に手をやる。


「ふむ。どの程度魔力を消費する? 余裕があるのであれば、私も体験したい」


「はぁ。今はまだ鍛錬が足らず結構魔力の消費が激しいのですが、あと何回か使っても活動に支障はありません」


「あ、私ももう一回経験しておきたいかも〜」


「わたくしもお願いします」


 皆がこう言うので、俺は改めて技を披露する事にした。



 先程と同じく皆から五メートルほど離れた場所に立ち、両手を鷲のように広げる。


「自由を愛する乙女、四大しだい精霊が一柱、レ・シルフィ……。風の契約に基づき、古の嵐龍の息吹を借り受ける! 集え、大気の小径! 巡り――」


「アレン? あなたは何をしているのですか? ……この吹いている風に何の意味が?」


 俺がこのように適当に風を巡回させながら、練りに練った詠唱呪文を口にしようとすると、母上はキョトンとした顔で質問してきた。



「えーと、これは詠唱です。吹いている風も含め、雰囲気を盛り上げるための演出です。これが無いと絵面が地味極まりないという問題が生じます。…………集え、大気の小径! 巡り巡り悪しきものを戒めの鎖で――」


 俺が続きの呪文を口にしようとすると、母上は非常に白けた表情でこれを遮った。


「悪しきものとは私たちの事ですか? 先程はその様な隙だらけの行動はしていなかったと思いますが?」


「い、いえ誰がどうと言いたい訳では無くてですね……そうだ! 一見意味のない反復行動ルーティーンには集中力を高めるという効果がありまして――」


「時と場合を考えなさい」


 ……。


 …………。



 俺は泣く泣く詠唱を破棄した。



 ◆



「オリーナめ……。ホストである国王わしを遠ざけておきながら、自分はきゃっきゃきゃっきゃと楽しそうに談笑しおって……。

 ベルウッド! いつまで木を眺めておる! 話があるからこちらへ来い!」


 国王パトリックはベルウッドを呼び立てた。


「は、ははぁ!」


 ベルウッドは罪人の如く今にも膝をつきそうなほどに平身低頭した。


 ちなみにベルウッドは、先ほど衆目環視の元で剣の素振りを三分もさせられ、変な汗をかきながら剣の腕を披露した結果、パトリック及びユアインとの距離制限は設けられない事となっている。


 真剣な目でその様子を見つめていたオリーナの評価は、『体は丈夫そうだが武の才も魔法の才もゼロ』との事だ。


「あー、そう畏るな、ベルウッド。そちが貴族社会の小難しい作法を苦手としておることはメリアから聞いておる。今日は謁見では無く私的な会だ。小難しい事を言う者はいない」


 そう前置きしてから、パトリックは先日のヘルロウキャストに関する輸送任務についての話題を切り出した。



「さて、今日無理を押してこの会にサルドス家、ロヴェーヌ家を呼んだのは、先日の輸送任務についての話をしたかったからだ。アレン、そしてダニエルの両名が、どれほど壮絶な覚悟を持って、何を成し遂げたのかは、グラバーより詳細に報告が上がっておる。正式な論功行賞は、現在も継続しておる殲滅任務が完了してからになるが、この国の王として二人が成し遂げた事について、わしの口から両家に感謝の言葉を述べておきたい」


 パトリックがその様に述べると、会場からは拍手が起こった。


 サルドス伯爵は顔を紅潮させながら胸を一度張り、『勿体無いお言葉にございます!』と頭を下げた。


 それを見たベルウッドは、見様見真似でサルドス伯爵にならって頭を下げた。


「勿体無いお言葉にございます!

 …………して、その輸送任務とは一体どのような任務だったのですかな? 確か先ほどサルドス伯も、帆船部がどうのこうのと言っておりましたが。

 アレンは昔から勉強もせずふらふらとその辺に遊びに出掛けては、怪我をして帰ってくるわんぱくでしてな。一体どこで何をしておるのかも全く分からん奴で……」


 このベルウッドの呑気なセリフに、一同は沈黙した。



「…………アレン・ロヴェーヌよ。話しておらんのか?」


 パトリックは深いブルーの瞳を、真っ直ぐにアレンへと向けた。


「……ここにいるダンをはじめ、皆が力を合わせた結果ですし……もう忘れていました」


 アレンはそう言って、気まずそうに頭を掻いた。


 その顔は照れて恥ずかしがっているような表情ではなく、心から恥じているかの様に見える。


 しばしアレンの目を見つめていたパトリックは、長い長いため息をついた。


「事情は聞いておる。アルドーレ・エングレーバーの事故については、そちが責任を感じるべきことではない。何でもかんでも、その小さな背に背負おうとするな。

 ベルウッド、そしてセシリアよ。アレンはこの国の窮地を救ったのだ。世間から後ろ指を刺されても信念を貫き、その努力を結実させてな。

 この子達は、次代のこの国を照らす新たな光――」


 国王パトリックは、自ら、ヘルロウキャスト殲滅作戦における緊急輸送任務と、その後に起こった事故についての子細を説明した。


 ブルーフラミンゴに関する話は伏せられたが、それを聞いたセシリアはアレンの頭に優しく手を置いた。


「……偉かったですね、アレン。もっと胸を張りなさい。あなたは私たち家族の誇りです」



 ◆



 母上に褒められても、俺は気まずすぎて頭を掻くより他ない。


 見てきたように陛下は語ったが、あの輸送任務は実はいちゃこらしているアルにイライラしていただけだ。

 言える訳ないが……。


 そもそも帆船部も風魔法もただの趣味、遊びなんだと陛下を始め、みんなに明言しているのに、何で壮絶な覚悟なんて話になるんだ……。



 陛下は一つ咳払いをしてから話を戻した。


「話を戻す。その歳で、それほどの成果を挙げた両名を輩出した両家に、正式な論功行賞の他に、特別に褒美を取らせたい。その為に今日は両家を招待した。望む物を申せ。可能な限り配慮する。トーマス?」


 陛下に名指しされたサルドス伯爵は、ダンの実家があるソルコーストの港湾施設の拡張と、海運に関する許認可権の一部を申し出た。


 恐らくは招待を受けた時点で用件に察しがついていて、予め検討していたのだろう。


「ほほう? 成し遂げた内容を考えると、随分と控えめな事だ。では今のトーマスの希望に加えて魔銀ミスリルを100kg。グリファイト鉱を5000kgを取らす。今後の新たな帆船運用の進捗次第ではさらなる褒美を取らすので、どうかこの国のために励んでほしい」


「あ、ありがたき幸せにございます!」


 次に陛下は親父の方へと顔を向けた。


「して、ベルウッドよ。そちは何を望む? アレンは此度の任務の他にも、仮団員の身でありながら、王国騎士団での活動を通じて様々な形でこの国に貢献しておる。この際じゃ、遠慮なく申せ」


 いきなりそのように問われても、あのうだつの上がらない親父じゃ答えようもないだろう……。


 俺がこのように考えていると、親父は意外な事に、これまで見たこともないほど精悍な顔つきでしばし沈黙したかと思うと、覚悟を決めたように陛下へと問い返した。



「……アレンへの論功行賞は別にあり、あくまでロヴェーヌ家への報奨、と捉えて宜しいのですな?」


 先程まで覇気のかけらもなかった親父の目力と緊迫感に、一同が息を呑む。



 陛下は目を細めて親父をじっと見つめてから、唇の端を楽しげに釣り上げた。


「その通りだ。遠慮なく望みを申せ」



 親父はちらりと母上を見た。


 母上は笑って『ベルに全て任せます』といった。


「それでは――」


 この親父の要求を聞いて、一同は――俺も含め――誰もが耳を疑った。


 

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