第203話 晩餐会(4)
「ふん。まぁよかろう。足を引っ張るなよ」
「……ベストを尽くします」
無事オリーナさんの許可を得たところで、俺は母上を見た。
これほど本気の母上と対峙するのは初めてかもしれない。
俺の風魔法が、わずかに母上の息遣いを捉える。
すー、ふーっと一定のリズムで浅い呼吸を繰り返しながら、だがその足は地に根が生えたように動かない。
意識の端に俺の存在はあるのだろうが、その目は真っ直ぐにオリーナさんを見据えている。
レベルが高すぎて分からないが、動きの無いなりに高度な駆け引きをしているのかもしれない。
「どうした? 来ないのならば――」
しばし沈黙が続いた後、オリーナさんが口を開き、ゆらり、と体を揺らした瞬間、姉上はくすりと笑い、明後日の方向へと一足飛びにすっ飛んだ。
それを見たオリーナさんが、先程までの余裕の笑みを掻き消して、驚愕をその顔に浮かべる。
「――――そう来ると、思っていましたよ!!! 姉上!」
俺はすかさず姉上から見た左前方、即ち陛下と姉上の直線上に体を入れた。
俺が逆の立場で、オリーナさんに隙を生もうと思ったらどう考えるか。真正面からでは二対一でも無理だろう。
ならば周囲の状況を使うしかない。
そしてこの場には、オリーナさんが自分を犠牲にしてでも護らなければならない
もちろん良識のある俺なら、そんな事を思いついても、流石にそれはヤバすぎると思いとどまるだろう。
だが姉上ならやる。
姉上も陛下に本気で危害を加える気はないだろうし、もちろん陛下の側には警備の騎士が二人控えており、姉上と言えど刃の潰された鉄剣ではそう簡単には抜けないはずだ。
だがそれでも、姉上の瞬発力を見たオリーナさんは、平静ではいられまい。
まさか――
そう頭をよぎった時点で、精神面に決定的な隙を生む。
万が一、そんな形でオリーナさんから勝利でももぎ取ろうものなら、一族郎党にどんな沙汰を言い渡されても不思議ではない。
だからわざわざ自分から首を突っ込んで参戦したのだ。
いかにオリーナさんと言えど、二対一では対処するのが難しいだろうからな。
「さっすがアレン君! でも……邪魔だからそこにいて!」
姉上は迷う事なく鋭く進路をオリーナさんの方へ切り返し、俺に向かって剣を投擲した。
陛下からは逸れているが、後ろに招待客がいる俺はこれを無視できない。
俺が投げられた剣を捌きながら、姉上が向かった方を見ると、姉上の動きに気を取られて隙を見せたオリーナさんに向かって、母上が右片手上段から鬼神の如き一撃を振り下ろすところだった。
ガンッ!!!!!
俺が姉上の狙いに対応したことで、オリーナさんは辛くも体勢を立て直し、この一撃を受けた。
びしりとオリーナさんの足元にあるウッドデッキに亀裂が走る。
そして、まずいことに鍔迫り合いになっている。
あっという間に距離を詰めた姉上が、拳をオリーナさんの顔面へと振るう。
「ぬぅぅうううう!」
オリーナさんは、溢れる魔力で不利な体勢から迫り合いになっていた母上の剣を押し返し、同時に額で姉上の拳を受けた。
ゴンッ!
鈍い音が響き、姉上の拳から鮮血が舞う。
骨に異常が出てもおかしくない音だが、姉上はまるで気にする事もなく途轍もないスピードで連続して拳を繰り出し、オリーナさんに立て直す隙を与えない。
姉上は、剣の腕でいえば大した事がないだろう。ロヴェーヌ領で鍛錬していた頃から大して進歩していないのは、構えからも何となく分かる。
だがそれは大した問題ではない。
姉上の真骨頂はスピードだ。そしてそれをもっとも活かせるのは、あらゆる武術の中で、もっともリーチの短い体術であり、そこに弟の俺から見ても、理不尽としか言いようのない天賦がある。
姉上も
オリーナさんは、姉上の拳の弾幕を、母上に気を払いながら魔力ガードで受けていたが、堪らず半歩下がった。
もちろん前に出て、姉上を切り伏せる事はオリーナさんなら出来るのだろうが、その瞬間母上がオリーナさんに強力な一撃を振り下ろすだろう。
「お母様!」
姉上の言葉に呼応するように、母上はほんの一瞬、フォローに走っている俺の顔を見た。
そして、口の端を僅かに上げてから、遠慮のかけらも感じない横薙ぎを繰り出した。
ちょっと待て、勝つ気かあの人?!
そこは手加減する所だろう!
「ぬぅぅうううう!」
母上の横薙ぎを受けたオリーナさんが、ぐらりと体勢を崩す。姉上は、母上が横薙ぎを繰り出す前からこの形が見えていたかのように、すでに下段後ろ回し蹴りを繰り出していた。
だが、オリーナさんは信じ難い反射速度で、この姉上の足払い気味の後ろ回し蹴りを飛んでかわした。
母上は、初めて剣を両手に握り、容赦のない幹竹割りを繰り出す態勢に入っている。
足を浮かしたオリーナさんと母上の視線が交錯し、互いに笑みを交換する。
いやいや、何楽しんでいるんだあの人たち?! 余興か!?
体勢は明らかに母上有利――
フォローしようとそちらへ向かっていた俺だが、下手をすると母上と姉上の勝利という大事故が発生する可能性があると判断し、風魔法を繰り出した。
「鳴き龍」
囁くように魔法名を口にする。力強く叫ばなかったのは、大物感を出すためだ。
本当はかっこいい詠唱もつけたかったが、忙しかったので無念の詠唱破棄だ。
俺の魔法を受けた母上と姉上が、僅かに体を硬直させ、ぐらりと体勢を崩す。
オリーナさんは、その僅かな隙を見逃さず、母上の剣を叩き折り、姉上の頭を掴んで地へと叩きつけた。
「…………参りました」
母上は、半分ほどになった剣を放し、両手を上げて降参の意を告げた。
◆
オリーナさんの額には汗が滲んでいる。
勝負が決した後も、誰一人として口を開かない。
試合の顛末を考えたら当たり前だ……。
だが、そんな気まずい沈黙を破ったのは、沈黙の犯人である姉上だった。
姉上はぴょこんと飛び起きて、清々しい笑顔を浮かべ、流血している額をドレスの袖で拭った。
「あちゃ〜負けちゃったかぁ。アレン君にかっこいいところ、見せたかったんだけどなぁ」
母上がため息をついて、姉上を嗜める。
「ローザ? 何ですか、あの最初の動きは。余興と言ったではありませんか。時と場合を考えなさい」
姉上は口を尖らせた。
「えぇ〜? 便乗したお母様がそれを言う?
『相手が何であれ勝つ。その覚悟を持たねばなりません。それが護る者の気構えです』とか、三歳くらいの時から散々聞いたけど?」
だが母上が尚も姉上を見据えていると、姉上はうっと怯んで指をツンツンとした。
「やり過ぎました、ごめんなさい」
その呑気なやり取りに、我に返った招待客の一人、確か名前はアンドリューさんが声を荒らげた。
「ご、ごめんで済むか! 一体どう言うつもりだ、ベルウッド・フォン・ロヴェーヌ子爵!」
いきなり名を呼ばれた親父は、観葉植物から目を離し、心底驚いた顔で振り返った。
「ややや、しまった、余りに枝ぶりの見事な
親父はしらばっくれて、しかもゾルドに話を振った。
「なるほど……貴様の指示か、常在戦場! 格調高い礼の精神とやらはどうした?! 答えよ!」
アンドリューさんは、なーんにも関係がない、ゾルドを詰め始めた。
会場の隅で控えて立っていたゾルドは首を傾げた。
「ふむ。武才のない私にきかれましてもお答え致しかねますな。そもそも礼の精神は、アレンぼっちゃまが考案し、これから育てていくものですしな……」
ゾルドは険の無い顔でニコニコと微笑みながら、続けてオリーナさんにこう問うた。
「……オリーナ様は先程、こう言っておりましたな。
『何が起こっても局面を制圧できる状態を維持する事が、警備を預かる者の責任。だから力を見ておきたい』と。目的は果たせましたかな?」
ゾルドのあまりにも呑気なセリフに皆は愕然とした。
だが、そこで陛下が笑い出した。
「くっ。がっはははは! 面白い! これほど楽しい余興は初めてだ!」
「よ、余興ですと? そこの小娘は、あろう事か剣を握って陛下に突撃しようとしたのですぞ!」
「たまたま進路の先にわしがおっただけで、わしに害意を示した事実はない。さらに王国騎士団員のアレンが早々に進路を塞ぎ、危険を未然に防いでいる。十分余興の範疇だ」
「しかし、そのアレン・ロヴェーヌに至っては、『そうくると思っていた』などと、言語道断の――」
「そこが面白いのではないか。見たか、あの時のオリーナの顔を? くっくっ。……いずれにしろわしが不問と言っている。これ以上この件は蒸し返す必要はない。
さてオリーナよ。警備を預かるものとして、力は測ったな?
よもや晩餐会は中止、などとは言わんよな?」
陛下がこの様にニヤニヤとオリーナさんに聞くと、オリーナさんは息を吐いた。
「…………ええ陛下。もちろん問題ございません。
カプリーヌ! 警備の騎士を六名追加せよ! 陛下とユア様の重点警護を! ちょうど明日から陛下は外遊だ。敵国での外交交渉と同等の緊張感を持って警護に当たれ! 万が一賊が出た場合、時を稼げ。その間に私が切り伏せる。
ローゼリア、貴様は10m。セシリア、貴様は15m以上陛下とユア様から離れろ」
オリーナさんはそう指示を出した後、『これで完璧です』と真面目な顔で陛下に断言した。
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