第205話 晩餐会(6)
親父は一つ深呼吸してから、その望みを口にした。
「それでは……わがロヴェーヌ家が代々守ってきたクラウビア山林域。これを王家の直轄領として召し上げ、ロヴェーヌ家を代官として任命していただきたい」
この親父の要求を聞いて、一同は耳を疑った。
それも当然だろう。
王家直轄領の代官。
その意味するところは、子爵から男爵への
どこの世界に褒美を取らすと言われて、降爵を願いでる人間がいるんだという話だ。
子爵家と男爵家には決定的な違いがある。
それは男爵領は領地経営の自治権に制限がある、という点だ。
経済的な理由などで領地を独立して維持できない男爵家は、王家や寄り親である侯爵家と権利を分け合い、その代わりに税の減免や資金人材面の支援などを受ける形で維持されている。
要は領地運営に公金の性格を有する資金が入っている分、貴族としての権限が弱い。
当然ながら、何らかの罪状に問われたり、領地経営に行き詰まり爵位を落とされた降男爵、しかも領地を完全に召し上げられて代官にまで落とされた代官男爵など、貴族社会では嘲笑の的だ。
流石の陛下も二の句を告げられずにいると、アンドリューさんが声を荒げた。
「な、何を言っている、ロヴェーヌ子爵! 血迷ったか!!!
…………わしは、失礼ながらロヴェーヌ家などという聞いた事もない領地からいきなり傑物が出た事に疑問を持ち、貴家の事を徹底的に調べた。
707年前に開祖、アルザス・ロヴェーヌが彼の地を切り開いて以来、派手さは無いものの堅実に領地を運営し、一度も降爵する事なく少しずつ領地を開発してきたのではないのか?!
ロヴェーヌ家の過去の納税記録を調べるだけで、その実直な歴代領主の人となりが伺える。
そして領民の領主一族への感情はこの上ないほど良好で、一度居ついた領民の永住率は、王国全土を見渡しても破格といえるほど際立っている……。
あの様な僻地に似つかわしくない立派な城壁は、僅かな私財を何百年も投入して魔物から民を守ってきたロヴェーヌ家のあり方そのものだろう!
調べれば調べるほど、わしは聞いたこともない、などと疑ってかかった自身の不明を恥じた。
ああ、この様に真面目で堅実で、民思いの領主一族が王国の土台を支えてくれているからこそ、我が国は長い間この大陸で覇を唱えていられるのだと思った。
長年の努力が身を結び、ようやく世に花を咲かそうとしている一貴族家を素直に称賛しようと、後押ししようと、そう思っておったのだ……。
それを貴殿は――」
アンドリューさんは、目に涙を滲ませて言葉を詰まらせた。
自分には関係ないだろうに……。
先程姉上がやらかした時は、いの一番に糾弾の声を上げていたので少々意外だが、上級貴族には珍しく直情的な人柄なのだろう。
「……そのようにアンドリュー様に言っていただけただけで、わしは先祖の墓の前で胸を張れますわい。
……もちろんわしも、先祖代々が開発してきた領地に愛着はありますのう。ですが……
親父は目を細め、訥々と自身の考えを話し始めた。
◆
クラウビア山林域は、太古の時代の動植物、それも固有種を未だたくさん抱える、実に不思議な森でしてな。
わがロヴェーヌ家は、その森の恵みを受けながら今日まで領地領民を維持してきました。
あの山林は、何に代えても後世へと残さなくてはならないこの国の宝だと、わしは考えております。
これまでは、余りにも立地的に不便なために緩やかに領地開発をできておりましたが、昨今の魔導動力機関を始めとした物流技術の進歩には目を見張るものがありますのう。
陸の孤島として世から隔絶されていた我が領地は、いつか世間の一部として飲み込まれるのではないかという危機感が、歴代の当主以上にわしにはありました。
何とか、かの森のポテンシャルに世の中が気がつく前に、貴族家として実力をつけ、持続可能な形で法とそれを遵守させるための体制を整備したい。
その為に、子供たちには国の中枢で身を立てて、経済力だけではない、領地を護れる力をつけてほしいと願っておりました。
ですが皮肉な事に、アレンがわしの予想を遥かに超えて世間の耳目を集めた事で、今ロヴェーヌ領にはかつてないほど優秀な人間が集結しております。
皆さんのところにも報告が入っているのではないですかな? 我が領地の稀有な特性について。
事ここに至れば、田舎子爵家が独自に設けている採取制限などのルールなど大した意味をなしません。
広大な森を取り締まる人員を雇う余裕などどこにもありませんし、情報を遮断しようとすればするほど、耳目が集まる事となるでしょうな。
一度失われた種は二度と戻らない。
この恐ろしさをいくらわしがここで主張したところで、世間一般に浸透させることは難しいでしょう。
人は欲望に抗い難い。
金のなる木がそこにあると知りながら、そして自重を知らない輩がいいように食い荒らしている様を見て、どうして自分だけは我慢できましょう。
そんな訳で、我が領地にはすぐにでも強力な庇護者が必要なのです。
誰も手出しできないほどに、強力な庇護者が。
どうかユグリア王家の名を持って、かの森を庇護していただきたい。
親父はそう言って、頭を深く下げた。
◆
しばしの沈黙。
その後アンドリューさんが絞り出すように声を上げた。
「し、しかし、その為に降爵などしては、貴族家としては本末転倒ではないか……。ロヴェーヌ家にはアレンやローゼリアといった、優秀な人材がおるのだ。その将来性を思えば融資などいくらでも集まるだろう? いや、たとえ集まらなくても、わしが喜んで融資する! それで十年乗り切れば、必ずや貴家は伯爵家への陞爵すら見えるほど力をつける! 何より、ロヴェーヌ家を慕いこれまでついてきた領民に、何と説明するつもりだ?!」
顔を真っ赤にしているアンドリューさんに、親父はあっさりと首を振った。
「ローザやアレンの生きる場所は、あの田舎ではありません。興味がないのです。あの森にも、田舎での生活にも。わしらも子供の頃から好きなことを見つけ、自立して自由に生きろと言って育てて来ましたしな。
……関心のない事に力を使う事の虚しさは、誰よりもわしが分かっております。
そんな子供達の力を当てにして、身の丈に合わない陞爵などしても、数十年後には領地運営が立ち行かなくなるでしょう。
……ロヴェーヌ家は、王立学園に子が入り、権力を握れば何とかなると漠然と考えてきました。
いつしか合格する事そのものが目的になっておりましたが、それは間違いだったと気がつきました。
一方で、何としてもあの森を守らねばならない。その事が、結果的には領民にとっても王国にとっても最良の判断だと確信しております。
その為の最適な解が、先ほど申し上げた願いです」
だ、誰なんだ、あれは……?
突如前世の記憶でも思い出したのか……?
俺は見た事もない親父の真剣な顔に、半ば呆然とした。
まぁ確かに、俺は森の保全に人生を懸ける気など全くないが……。
真正面から親父の目を見ていた陛下は、真正面から見つめ返し目を逸らさない親父に向かって破顔した。
「ぷっ! がはははは! なるほど、よく分かったベルウッド。
くっくっく。どうすればアレンの様な子が育つのかと不思議に思っておったが……お主とセシリアの子、という訳だな」
陛下が空気を緩めた事で、親父は俺のよく知るうだつの上がらない雰囲気に戻り、張っていた胸を丸めて頭をポリポリとかいた。
「実はわしが決めたのは、ロヴェーヌ家の行く末は子供達に任せる、という事だけでしてな。この案も世継ぎのグリムが言い出した事です。
思わず止めようとしたら、『この森を後世へと残せるのであれば、ロヴェーヌ家の爵位など取るに足りない瑣末』などと断言されて、わしはひっくり返りましたわい。
まぁそんな訳で、今言ったことはわしの思いつきではありません。
まさか陛下に直言できる機会が得られるとは思っていませんでしたがなぁ」
これを聞いた陛下は目をキラリと輝かせた。
「ほほう? ……アンドリュー。世継ぎのグリムについては、何か聞いておるか?」
アンドリューさんは少々苦いものを噛んだ様にして答えた。
「……領民思いの、見所のある好青年……と、聞いており
「くっくっく。そちの提案を受けた場合、これまで領地経営を支えて来たその世継ぎのグリムが、最も貧乏くじを引く事になるであろうに。
親父は首を傾げた。
「……まぁあやつは、領地と領民を愛しておりますな」
「ふむ。貴族として誇るべき事だ。アレンはその長兄をどう評しておる?」
いきなり話を振られた俺は、うーんと首を傾げた。
歳が離れていた事もあり、小さな頃からひたすらに可愛がってもらった、という印象だけが強い。転生して改めて考えると、仕事ができそうだなぁ……とも思ったが。
だが余計な事を言うと、またまた口が災いを呼びそうだ。
「……俺にとっては、小さな頃から無条件で可愛がってくれた優しい人です。うちの四兄弟は……父もですが、皆ゾルドに教育されましたので」
俺は当たり障りのない事を言いつつ、強引にゾルドへとぶん投げた。
困った時は、信頼と実績のゾルドに投げれば何とかなる! たぶん! きっと!
分かってるなゾルド?! 目指すはポテンヒットだぞ!
皆が一斉に、俺は祈るような気持ちでゾルドを見る。
ゾルドは作法通り、頭を下げて口をつぐんだ。
「直言を許す。忌憚のない意見を申せ」
陛下の許可を得て、ゾルドは頭を下げたまま、俺の投げた球を打ち返した。
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