第200話 晩餐会(1)
王都は春の社交シーズン。
ロヴェーヌ夫妻は王都へ到着後、まずは寄り親であるドラグーン侯爵へと正式に挨拶を済ませ、その後ドスペリオル侯爵から非公式の訪問を受けた。
だが、その後は拍子抜けするほどに面会申し込みなどがない。
妻であるセシリアから、『今回の王都上洛では、いつものように物見遊山をして回る時間はないと思います』などと警告されていたベルウッドは、拍子抜けしていた。
「暇だのう。セシリアが散々脅かすから戦々恐々としておったが、全くもって平和だの。明日も予定はないし、王都郊外にでも足を延ばして、
ベルウッドはすっかり気を緩め、遊びまわるための予定表を頭の中で練り始めている。
元々ロヴェーヌ夫妻は、貴族の勤めとして出席しなくてはならない会合に出る他は、最低限の社交しかしていない。
子の王立学園受験など特別なテーマがない時は、理由をつけて春の社交に出てこない事も多い。
もちろん、その辺の有象無象たちが近寄って来ないのは、先のロヴェーヌ家が駅に到着した際の話……あの家はヤバいという話が、王都を瞬く間に駆け巡ったからなのだが、それだけでこの静けさには説明がつかない。
例えばジュエの実家であるレベランス家のような、これを機にロヴェーヌ家と直接縁を結びたい、その程度の事では引くつもりはないと考えている真の実力者たちも、王都には存在する。
ではなぜ訪問者がいないかと言うと、
「……確かに少々意外でした。お館様が手を回してくださったのかしら。……予定が入らないのであれば、いつまでも家に引きこもっていても仕方がありませんが……」
セシリアが悩まし気にそう呟くと、気を効かしたゾルドが背中を押した。
近頃は地元のロヴェーヌ領にいても、他領、下手すれば他国の情報部門所属と思しき見知らぬ顔がうろついており、外出する際も気が休まらない。
「どうぞお二人でお出かけになってください。明日もローゼリアお嬢様は学校ですし、私は来訪者に備えてこの別邸にて留守をいたします。ゴドルフェン様のご厚意で、貴重な書物に触れられるチャンスですからな。なんともありがたいことです」
ベルウッドと出かけるのが大好きなセシリアが、現状に密かなストレスをためている事を、ゾルドは察していた。
そしてそのゾルドは、ゴドルフェンの計らいにより、王立図書館より図書を借り出せる権限を得ている。
ある程度印刷技術などが普及しているとはいえ、日本と比較して本の貴重なこの世界では、誰でも簡単に無料で図書館から本を借り出せるという訳ではない。
さらに言うと、閲覧制限が掛けられている貴重な書物などにもアクセスできるように、特別な権限が付与されている。
田舎子爵領では決して触れることが出来なかった、最新の研究成果や貴重な資料等に触れられるこの機会を、アレンに触発されて学ぶことの楽しさを思い出したゾルドは謳歌している。
「……では、久しぶりに二人で王都歩きでもしますか、ベル」
ゾルドからそのように促されたセシリアは、嬉しそうに顔を綻ばしてベルウッドに応じた。
◆
明朝。
この世界でもパン屋の朝は早い。
主人たちが市井の焼きたてパンを目指して、朝も薄暗いうちから出かけたのち、ゾルドがコーヒーを飲みながら優雅にダイニングで本を読んでいると、呼び鈴が鳴った。
貴族の訪問客にしては少々早すぎるな、などと首を傾げながら、しおりを挟んで玄関へ出ると、そこには品のいい洋服に身を包んだ年齢不詳の女性が立っていた。
「いらっしゃいませ。
私は当家の執事を務めますゾルドと申します。どちら様ですかな」
ゾルドがニコニコとそのように応対すると、女性もまたにこやかな笑顔で挨拶をした。
「突然のご訪問失礼致します。
私はユグリア家で執事長を務めますスピンと申します。御高名な『常在戦場』ゾルド・バインフォース殿にお目に掛かれて光栄です。本日は主人より晩餐会の招待状を預かってまいりました」
そう言って、恭しく差し出された質のいい厚紙でできた招待状には、王家であるユグリア家の家紋が蝋印されている。
宛名はベルウッド・フォン・ロヴェーヌであり、差出人としてパトリック・アーサー・ユグリア、この国の王の名が記されている。
近頃はすっかり人生を達観している感のあるゾルドであるが、その予想だにしないビッグネームには、流石に狼狽した。
「こ、これは驚きましたな……まさかユグリア王家から晩餐会の招待とは。とても光栄な事ですが、あいにく当家の主人は現在留守にしておりまして……」
スピンは残念そうに頷いた。
「左様ですか。いや、ロヴェーヌ子爵が目の回るほどお忙しいであろう事は予見しておりましたし、無理のあるお誘いだと言う事は、パトリック様も承知いたしております。
王としての招集ではなく、あくまでユグリア家の私的な晩餐会へのお誘いですし、いきなり今日の明日でご招待したのではお断りされても致し方なしと申されておりました」
「あ、明日ですと?!」
ゾルドは再び招待状に目を落とした。
よく見るとそこには明日の夕方、王宮敷地内にあるユグリア家の私邸にて開催される旨が記載されている。
よく貴族間の常識が分かっていないゾルドであるが、流石にこれほど慌ただしい招待状が非常識だということはわかる。
「陛下は明後日より外遊に出ます。
できるならその前に会っておきたい、ダメ元で誘ってみよと仰られて……。その、一度スイッチが入ったらどうにもお諌めするのが難しいお方でして。
スピンは申し訳なさそうにそう言い添えた。
「……畏まりました、お受けいたします」
ゾルドは少し考えて即答した。
昨夜まで散々暇でしょうがない、などと愚痴をこぼしていたのに、王家からの誘いを断る選択肢は流石にないだろう。
だがスピンは、ゾルドのこの即答に息を呑んだ。
「ろ、ロヴェーヌ子爵の了解を得なくてよろしいので?
いや、もちろんお受けいただいた方が当方としては助かりますが……。
いくら王家からの誘いとはいえ、貴族は体面を重んじます。表立って非難する者は流石にいないでしょうが、十分な調整なく予定をキャンセルなどすると、ロヴェーヌ子爵は信義を軽んじた、などと噂になってご迷惑をお掛けするのではないかと。特に執事が独断で判断を下した、などという話が万一漏れると、余計な軋轢が生じるのでは?」
ゾルドはおかしそうに笑った。
「ほっほっほ。お気遣いありがとうございます。ですが、当家の主人は現在暇ですので、全く問題ございません」
スピンは絶句した。
時の人であるロヴェーヌ子爵が、言うに事欠いて『暇』などということが、あるはずがない。
普通に考えて分単位のスケジュールが向こう何日も、下手したら王都滞在中すべて予定が敷き詰められているはずだ。
だからこそ、せめて子爵本人が直接判断を下せるよう非常識な早朝に訪問したのであり、にも関わらずすでに子爵が不在と聞いた時、これは調整がつかないだろうなと確信したのだ。
だが目の前の老人は、執事の領分を軽々と踏み越えて、事もなげに判断を下した。
「さ、流石は『常在戦場』ゾルド・バインフォース様、お見事な覚悟ですね。招待状にある通り、明日の晩餐会はゾルド様も正式に招待されております。異例のことですが、どうぞよろしくお願い致します」
スピンがこのように頭を下げると、ゾルドはこれをキッパリと断った。
「実に光栄ですが、私の席は不要ですな。私はあくまで執事。くれぐれも誤解なきよう。付き人としては同行することになるでしょうが、然るべき場所に控えさせて頂きます」
まるでとりつく島を感じさせないこの厳然たる物言いに、スピンは舌を巻いた。
その声音にも、表情にも毛先ほどの野心も感じない。
仮に本人が主張する様に、全ては誤解であり、目の前の老人が唯の老人であったとして、これだけ世間に称賛されて、ここまで自分を律することが自分にできるだろうか。
自然と、ユグリア王家情報部がロヴェーヌ領まで派遣した、敏腕調査員シザーの人物評価報告書が頭を掠める。
ゾルド・バインフォース。
その人物評価は市井の人物としては破格のS。
清廉潔白な人格者にしてその器量は遠大。
改めて目の前の老人を見ると、まるで毒気のない顔でニコニコと微笑んでおり、なぜかスピンの背中はぞくりとした。
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