第199話 第三中隊の鬼軍曹(2)



 川で水瓶みずがめを満たしたペトとコーディは、三十リットルは入るそれを両腕に抱えて、きた道を引き返す。


 行きは結構な下り坂だった分、帰りは必然的に急な登りとなる。


 身体強化魔法で身体能力を強化しているとは言え、疲労困憊の彼らにとって、決して楽な作業ではない。


 ルート上は、一応魔物の駆除はしてあり、巡回の兵士もいるが、それでも万全という訳ではなく、いつ魔物に襲われるかもわからないという意味で、精神的な負担も大きい。


「ぜはぁー、ぜはぁー。畜生、何で俺が……なんでこの俺が!」


 コーディはやけくそ気味にぶつくさと文句を言いながら山道を登る。だが愚痴が言えるコーディは、まだ余裕があると言えるだろう。


 ペトは、魔力が枯渇寸前で、極力身体強化魔法の出力を抑えているので、ぶつくさと煩いながらも一応足を動かしているコーディに、苦情を言う元気もない。



 そのままペトとコーディが300mほど山道を登った、というところでドラグーン地方からの支援部隊が半数ほど現れて、手伝いを申し出た。


「我々がこんな時間に到着したことで、迷惑をかけて悪いな。運ぼう」


 この申し出を受けて、コーディはやれやれと抱えていた水瓶をあっさり地に置いたが、ペトはすぐさま首を振った。


「あ、ありがたい申し出ですが、これは俺らの仕事です。ドラグーン地方からの強行軍で、さらにこんな山奥まで移動されてお疲れでしょう? お気遣いなく」


 だが階級も年齢もペトより上だと思われるその男は、温和な顔で首を振った。


「いや気にするな。あそこにいるのがうちの中隊長なんだが、『俺らはお客さんじゃない』と言っていてな。そちらさんの上官にも話を通しているから、心配は無用だ」


 そう言って、コーディが下ろした水瓶を抱える。


 男が指差した方を見ると、確かに先程野営地で挨拶をしていた男が指揮をとっていた。


 ペトは意味が分からなかった。


「ち、中隊長が自ら水汲みの指揮に……?」


 そんなことをする中隊長は、自分の上官には誰もいないだろう。


 もっとも、それが当然であり、自分の上官が取り立てて酷いとは思わない。


 唖然とするペトを見た男は、苦笑して説明を始めた。


「あいつ……じゃなかった、うちのベック中隊長は、ちょっと訳ありでな。もともと気のいい下士官として他の師団で頑張っていたみたいなんだが、去年の初夏に、訳があってうちの師団に異動させられた。そんでもって、いきなり階級を二つも引き上げられた。そりゃ、あの若さで、しかも本人の功績じゃない所でいきなり中隊長だからな。着任当初は風当たりが、それはもう物凄かった」


 男がそう言うと、話が聞こえていたのか、ベックと呼ばれた男は苦笑しながら振り返った。


「他人事みたいに言うなシウン! お前の当たりが一番きつかっただろうが!」


 ベックはそう言った後も、疲労を感じさせない溌溂とした雰囲気で、常に笑顔をたたえて隊員に声をかけ、冗談を飛ばしている。


 シウンは苦笑しながら話を続けた。


「……本人も辛かったと思うが、中隊長は文句ひとつ言わず、そして誰よりも働いた。それこそ、いつ寝ているのかと思うほどにな。

 中隊長としての任務を必死に覚えながら、下っ端がやるような雑用も、危険が伴う役割も率先してこなした」


 コーディは不機嫌さを隠そうともせず、吐き捨てるようにして言った。


「ふんっ。下っ端の仕事をしたら認められるのか? 重要なのは中隊長として優秀かどうかだろうが」


「お、おいコーディ! すみません、こいつ入隊したばかりで、非常識な所がありまして」


 ペトは慌てて謝ったが、シウンは機嫌を悪くした風でもなく、あっさりと同意した。


「確かにあいつには、まだまだ中隊長として足りない部分がある。でも誰よりもそれを自覚して、俺らが……ドラグーン侯爵軍でも癖の強いやつらが集められた、この中隊を率いようと努力している。

 俺らが何べん他の隊といざこざを起こしても、それがどうしたって、そんぐらいのことで俺が驚くと思うな、なんて笑い飛ばして、裏でこっそり頭を下げて回ってくれる。いつしか俺たちは、よその隊から未だに後ろ指を刺されてるベック中隊長が舐められるのは許せない、何て思うようになってた。不思議な度量を感じさせるやつでなぁ。まぁ端的に言うと、俺らはあいつのことが気に入っているってことだな」


 一歩ずつ山道を登りながら、シウンは噛み締めるように言葉を紡いだ。


 同世代と比較されているようで、コーディは不機嫌だが、性根の真っ直ぐなペトは素直に称賛した。


「へぇ〜俺とそう歳も違わないのに、あの若さで凄いですね。ところで抜擢された理由って何なんですか?」


 シウンは少し言いずらそうにしつつも、声量を抑えて返答した。


「あぁ……どうやらこの春に、弟があの王立学園に合格したらしくてな」


 シウンがそう言うと、コーディは勝ち誇ったような笑みを浮かべた。


 弟であるダンの成績は王立学園で2位なので、マウント合戦になっても負ける要素はほぼない。


 さてどうやってダンの話を開陳しようかと考えていると、シウンは続けてこんな事を言った。


「――だが、あいつはその事を、俺たちに対してただの一度も口にした事はない。だから俺たちも、とっくに噂で聞いて知っているんだが何も言わずに黙ってる。家族がどこの誰かなんて関係ない。優越感も劣等感も感じさせる事なく、一人の人間として頑張ってるあいつの事が、俺たちは気に入っているんだ」


 コーディは意気揚々と開きかけた口をつぐんだ。


 またしても自分がそうと信じていた価値観を打ち砕かれ、顔を真っ赤にして震えている。


 自分がこれまで寄る辺にしてきたものは、何の価値もないもののように思えた。



 ペトは、そんなコーディの様子を見て、これ以上嫌味な言葉を重ねる必要はないと判断した。


「……ベック中隊長殿は、ナイスガイですね」


「ははっ! そうだな、面と向かっては言えないが、あいつはいわゆるナイスガイという言葉がぴったりだ。

 ……実際には色々と思う所はあると思うがな。どうもそのずば抜けて優秀な弟のことは、小さなころから可愛がってきたみたいだし、兄としてのプライドもあるだろう。だが、それらを全部押し殺して、自分のことに集中している。

 あいつは誰もが憧れるヒーローじゃない。でもそんなあいつだからこそ、俺らみたいなはみ出し者の上に立てる。俺はそう思っているよ」


 シウンが笑顔でそう締めくくると、コーディはややあってからペトからふんだくるようにして水瓶を奪い取った。


「ふんっ! お前はもう魔力的に限界だろう! 俺が代わってやる!」


 そう言って、のっしのっしと先頭を歩き始めた。


 その背中を見たペトは、込み上げてくる笑いを噛み殺し、後を追いかけた。



 ◆



 コーディの班を構成するペト、ルカ、エッジの3人は、グラウクス侯爵家に仕える使用人の子供など、グラウクス家にゆかりがあり、かつ将来性のありそうな3人で構成されている。


 コーディが家の身分を振り翳した時に、気後れさせないためだ。



 アレンの次兄、ベック・ロヴェーヌ率いる中隊が、コーディの所属する隊に合流したのも、グラウクス侯爵とドラグーン侯爵が密かに話し合った結果だ。


 アレンが昨春に彗星のように世に出て色々とやらかし、かつ特級魔道具研究学院に籍を置く姉のローゼリアも卓越した魔道具研究者であるという事は、今や王都の上流階級では知らないものはいないだろう。


 ではその兄は? というのは当然誰もが思う疑問であり、グラウクス侯爵はベックのことを徹底的に調査し、その人となりを掴んだ上で、ダンの兄であるコーディに引き合わせるよう、メリア・ドラグーンと交渉している。



 ただし、ここまではお膳立てをしたが、グラウクス侯爵はこれ以上コーディに手をかける気はない。


 グラウクス侯爵がその目でコーディを見た限り、はっきり言って愚物で、期待を持つにはあまりにも足りないものが多すぎる。



 人は簡単には変われないという事を、数多あまたの人間を見てきたグラウクス侯爵は、嫌と言うほどわかっている。


 這い上がってくるのか、それとも潰れるのか。


 ここから先は、全てコーディ・サルドス次第。



 そう、例えば彼が、後に第三中隊の鬼軍曹などと呼ばれ、大隊内で少しだけ有名になったとしても――


 それは全て彼の力。

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