第196話 メッセージ(1)
アルは、以前アレン達と探索に出かけた際に発見した、とある名もなき滝に来ていた。
傷は十分に癒えているとはいい難いが、言葉にできない焦りにも似た衝動がある。
アルは、あの日のアレンの言葉を思い出していた。
『水の魔法士が、絶対に避けては通れない修行が出来るぞ! タキギョウだ!』
『精神の鍛錬だ!
理屈なんて考えるな! 打たれることに意味がある!』
アルは自分を見つめ直すために、あの日のように滝壺の岩上で座禅を組んだ。
◆
部屋の鍵が開いている事を確認したフェイとジュエが、悪戯っぽく微笑む。
目を見合わせて頷き合った後に、ノックもせずにドアを開いて部屋へと押し入った。
「やっほーアレン! 遊びに来たよー!」
「外はいい天気ですよ、アレンさん!」
そう言って、一般寮のアレンの部屋に許可なく踏み込んだフェイとジュエは、眼前の光景に呆然とした。
アレンは何故か髪を七三に分けて、瓶の底の様に分厚い、古来から日本で使われる由緒正しい表現で言うところのグルグル眼鏡を、チャラ男のサングラスのごとく頭にひっ掛けている。
着用しているのは、見たことのないカラスの様に上下真っ黒でタイトな洋服で、簡素かつ原始的なデザインだ。
あるいは特注品かもしれないほど王都では見ないデザインだが、それにしては生地も縫製も一目で安物とわかる。
机に擦れる袖はテカテカで、率直に言ってダサい上に窮屈そうで、ルームウェアに適しているとも思えない。
アレンが腰掛けている古臭い木製のデスクセットには、分厚い専門書が堆く積まれており、なぜか足の踏み場もないほどに鉱物の原石が床に転がっている。
アレンは、フェイとジュエに一瞥もくれず、さらに机上から目も上げずに言った。
「女子が男子の部屋をノックもせずに開けるな。
何の用だ?」
「…………鍵が開いていましたので、大事故が起きる危険は低いかと思いまして……。
ところでその格好は何ですか、アレンさん」
「ただのノリだ」
「…………今何しているのかも、聞いていいかな?」
「ガリ勉だ」
「「…………」」
◆
「……アレンさんは最近学園でも近寄り難い雰囲気を醸し出していますし、部屋にこもって休日も外に出てこられませんので。
色々と思うところがおありかも知れませんが、気分転換も兼ねて強引にでも外に連れ出そうかと思い、こうしてお伺いした次第です。丁度用事もありましたし」
ジュエがそう来訪理由を説明すると、フェイは足元に転がっている原石を一つ拾い上げた。
「……で、一体これは何かな?
確かサプライズを仕掛けるつもりでここに来て、さっきまでアレンの驚く顔を想像してほくそ笑んでいたのだけど……。意味が分からな過ぎて、何を質問すればいいのかすら分からないよ。相変わらずアレンは僕を驚かすのが好きだね?」
フェイはなぜかジト目で俺を見て苦情を言ってきた。
「……勝手に人の部屋に入ってきて苦情を言うな……。お前を驚かして喜ぶほど暇じゃない。
実は探索者協会のサトワさんから、とある廃鉱山の深層を探査するために同行して欲しいと依頼を受けてな。依頼内容は護衛だが、プロの探索者として鉱物に関しては全くの素人です、では格好がつかないだろう。
どうせ春の長期休暇まで王都を離れられないから、今のうちに勉強をしている所だ」
そう付け加えて俺はニヤリと笑った。
先日、探索者として登録する際に面接を受けたサトワから、護衛の指名依頼があった。
サトワは国内屈指の鉱物探索の専門家として有名らしい。
その廃鉱山遺跡は、昔は貴重な鉱物が採取できるとして有名だったらしいが、ある時期から資源が枯渇して鉱山としては閉山している。
その後長い間放置されていたそうだが、近年では貴重な素材を得られる魔物がたまに出現することが確認されているため、上層は地元の探索者連中の狩場として利用されているようだ。
だが深層に進めば進むほど環境条件が厳しい上に、いくら掘り進めても肝心の貴重な鉱物はもちろん、狩って旨味のある魔物も特に見つからないとの実績があるため、現在では深部を探索する人間はまずいないとの事だ。
ところが、サトワが古い文献を調査したところによると、その鉱山が活況だった時代よりも、さらに古い時代にはその廃鉱山の近郊から今は失われている貴重な鉱物が採掘していた可能性が高い、との結論が出た。
そこで改めて深部の調査を行いたい、というのが今回の依頼の発端だ。
だが、魔物が出現し、且つ光源が全く無いその廃鉱山深部を探索するには、精度の高い索敵魔法が求められる。
そこで風魔法での索敵能力に優れた俺に白羽の矢が立ったという訳だ。
提示された報酬は破格だった。
サトワ曰く『アレン君の索敵魔法の実力は、本来なら金で雇えるレベルではないのだから、当然の金額ですな』との事だ。
いくつも新たな鉱脈を見つけた事のあるサトワは、莫大な私財を保有しているらしく、準備に必要な経費も無制限で使っていいと言われている。
まぁそんな事はどうでもいい。
太古の昔に失われた、貴重な鉱物が眠る
そのロマン溢れる響きに俺はすぐさま食いついた。
せっかく専門家にひっついて現場で学べる貴重な機会なのに、漫然と護衛に徹しているのではあまりに芸が無い。
なので、これを機に徹底的に勉強して、なんならサトワが見つける前にロマン溢れる鉱物でも発見して驚かしてやろうと、人知れず予習しているという訳だ。
遊びの一環と言う勉強するための大義名分を得た俺は、久方ぶりに本気のガリ勉モードに突入している。
ちなみに前世の受験生を意識した服装はただの悪ノリだが、なぜか気合が入るのも確かだ。
初めはメガネも掛けたのだが、字が見えにくいので止めた。
「……で、一体これは何のつもりかな?」
フェイは俺の話を神妙な顔で聞いていたかと思うと、手に取った原石を見ながら同じセリフを繰り返した。
「……何のつもりも何もない。机上で勉強した知識だけではクソの役にも立たたない、というのが俺のポリシーだ。
実際に目で見て手で触るために、基本的な鉱物を下町の行商人から買い集めた。王都内の専門店の相場より3割は安かったぞ?
今フェイが手に持っているそれは、魔法金属の基本にしてロマンの塊、
俺が自信満々にそのように告げると、ジュエがおずおずと口を開いた。
「……私は原石には詳しくありませんが、ミスリル、というには少々輝きに
ジュエは気まずそうにそんな事を言った。
フェイが手元に持っているミスリル、眩しいほどの銀光を放っている岩石を楽しげに指先でクルクルと回す。
「ぷっ! 流石はジュエだね。僕は魔道具士として色んな素材を扱うから分かるけど、これは通称『愚者のミスリル』、銀鉄鋼の原石だね。一応使い道のある素材だけど、ミスリルとは単価の桁が違うよ?」
フェイはニコニコと笑いながらそんな事を言った。
「ぐ、愚者のミスリルだと……」
「そう。ミスリルそっくりに、時にはミスリル以上に鮮やかな銀色に輝くから、その昔はこの原石を見つけて、大きなミスリル鉱石を見つけたと喜ぶ人間が後を断たなくてね。そうしてぬか喜びする人間を、愚か者と呼んだんだ」
…………
あのハゲ親父め!
人の良さそうな顔してやっぱり騙してやがったな……。
「ちなみに、こっちのアマダンタイト風の真っ赤な鉱石は唯の赤銅、そっちのラズレイト鉱石にも見える紫の石は――」
フェイは次々に部屋に転がっている石について解説していった。
その全ては俺がそうだと信じていた貴重な鉱石ではなく、有りふれた物のようだった。
俺がフェイの解説を聞いて呆然としていると、フェイはニコニコと笑いながらキマった目でこんな事を言った。
「……さてと。僕のアレンをコケにしてくれた、その鉱石屋はどこで店を出しているのかな?
誰に喧嘩を売ったのか思い知らさないとね」
「万死に値しますね。2度と王都で顔を見ないように、キツくお灸を据えましょう」
近頃は林間学校の噂が漏れて、『聖女の生まれ変わり』などと呼ばれているジュエも、愛らしい口元を凄惨に歪めてそんな事を言った。
あの行商人はすでに王都にはいないだろう。
もちろん騙された事は腹立たしいが、素人が相場よりも安い金で素材を手に入れようとしたのがそもそもの間違いだったという事だ。
自分の懐が傷んだのであれば一応は探し出そうとするかもしれないが、請求は全部サトワに回しているので、正直どうでもいいし、時間をかける気にならない。
そもそも加工する前の原鉱は、かさの割にはそれほど高いものではないし、実は半ば騙されるのを覚悟の上で、ノリで目利きごっこをしていただけなのだ。
まさか全部偽物だとは思わなかったが……。
それよりもこいつらを介入させて、面倒くさい展開に発展する方が厄介だ。
「何が『僕のアレン』だ……いつ俺がお前の物になったんだ?
……まぁ素人が背伸びして、スラムの露天商で安い素材を買い集めようという発想がそもそも悪い。高い勉強代だが、これも経験だな、うん。あの露天商はもう王都を離れているだろうし、悔しいがここは諦めよう」
俺がこの様に潔く負けを認めると、フェイはその口元を楽しげに歪めた。
「…………へぇ〜? やけにあっさり引き下がるね? で、何が狙いなの?」
フェイとジュエは疑いの目を……
俺が何か悪巧みでも考えていると、疑いなく信じている目を向けてきた。
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