第195話 セシリアの覚悟(2)



「……現在もベルが、全身全霊を掛けて人工栽培手法の開発に取り組んでくれています。まだ確立したとまでは言えませんが、前進している手応えはあります」


 セシリアはそこで話を一度区切った。



 ランディの頭の片隅には、セシリアの生存を聞いた時からその可能性があった。


 恐らくはエディも考えていただろう。だが、それを口にするのは憚られた。


 どれほど待ち望み、期待し、そして絶望してきたか……


 ドスペリオル家待望の魔破病の治療方法が発見されていた。


 それも二十年も前に。


「……なぜ、なぜせめて、この兄にだけは話してくれなんだのだ。人材面や資金面で、ドスペリオル家としてどれだけの支援ができたか――」


 セシリアは首を振った。


「ことクラウビア山林域の固有種において、ベルの右に出る研究者はおりません。また、採取できる株の量が非常に少ないため、情報漏洩のリスクを取ってまで人手を掛けたり、資金を注げば劇的に成果が出ると言う物でもありません。それに――」


 セシリアはその目を僅かに細め、兄の目を見据えた。


「兄上は見殺しに出来るのですか? その存在を知りながら。

 例えばわたくしの出立前にその存在を知ったとして、成るかも分からない未来のための研究を信じ、わたくしを見殺しにできますか?」


 セシリアにこう問われ、ランディは返答に窮した。


「……自らを正当化するつもりは有りません。自分はのうのうと生きながらえながら、わたくしが多くの命を見殺しにしてきた事は事実です。ベルには、何度も念を押されました。本当に知らせずともいいのかと。

 ですが――

 わたくしは何としても断ち切りたいのです。この脈々と続く悲しみの連鎖を。

 その判断が正しいかどうかは分かりません。ですが、それがわたくしの信じる道です。

 ……例えその事で――」


 セシリアはそこで一度息を吐き、覚悟を決めた顔で静かに告げた。



「例えその事が原因で、兄上と敵対する事になろうとも。わたくしは、自分の信じた道を曲げるつもりは有りません」



 ◆



 深く、重い沈黙をランディが破る。


「……駅での態度が余りに冷たかったのが不可解ではあったが、そう言う訳か。確かにこの何十年の間に子や孫を失った者がいる、ドスペリオル家の館で話せる内容ではない。……覚悟は決めている、と言う事だな」


 そう言って、強い眼光でセシリアの目を見た。


 セシリアは真っ向から兄の目を見返して、はっきりと頷いた。


「……なぜこのタイミングで情報を開示したのだ?」


 この質問は予想していたのだろう。


 セシリアは淡々と答えた。


「自らの確固たる意志で、自分の未来を切り開いていくこの子達の将来を制限する事が、わたくしにはどうしてもできなかったからです。

 あの日……

 アレンがあの学園へAクラスで合格を果たした日、わたくしは覚悟を決めました。

 いずれはわたくしの生存が露見するだろうと。

 騎士を目指すアレンを見るものが見れば、ドスペリオル家の血を色濃く継いでいる事は明白です。

 私の予想よりも早くその事が露見しましたが、時間の問題だと思っていました。

 その気になれば、もう暫くは適当な嘘で誤魔化せたでしょうが、秘密と嘘は違います。

 一度でもこの子達が嘘で誤魔化せば、研究が成りいざ情報を開示する際に激しい軋轢を生む事になります。それはこの子達の将来にとって、重い足枷になる。ですので、兄上と子供達には、この段階で話す必要があると判断しました」


 そう言って、セシリアはその顔を白一色に染め、研ぎ澄まされた闘気を全身から立ち昇らせた。


「……わたくしのことはどれほど恨んで貰っても構いません。ですが、どうか何も知らなかったこの子達の事は――」


 空気がひりつき、沈黙があたりを包む。


 父と睨み合う叔母の迫力を見て、エディは息を呑んだ。



 沈黙を破ったのは、意外にもベルウッドだった。


「セシリアは……この間にドスペリオル家をはじめ、王国で亡くなっていく子供達の事から、目を逸らして来た訳ではありませんのう。むしろ真正面から受け止め、皆様と同じ様に深く傷ついております。

 虫のいい話に聞こえるやもしれませんが、その事だけは、どうか理解してやってくだされ」


 そう言って、ベルがセシリアの肩を優しく抱くと、セシリアは闘気を抑えた。



「……私達4人が大きくなれたのって?」


 ローゼリアが遠慮がちにそう聞くと、セシリアは首を振った。


「あなた達はだれも病を発症する事はありませんでした。

 ドスペリオル宗家の例からすると、4人の子を授かり、誰もあの病を発症しない、というのはかなり幸運な部類です。

 ただの偶然かもしれませんが、あの森の素材を永く摂取しているロヴェーヌ家の家系に耐性があるのでは、とわたくしは考えています。ベルに出会った時、不思議と本能的に惹かれる感覚がありましたので。

 ロヴェーヌ家には、その他にも病気への耐性が高い事や短睡眠、豊富な魔力量などの特徴があります。恐らくはかの森と共に生きていることが関係しているのでしょう」


 このセシリアの説明に、アレンは思わず突っ込みを入れた。


「え、ロヴェーヌ家って魔力量多いんですか? 歴代ロヴェーヌ家でも魔力に恵まれたと言われていた私でも、王立学園ではせいぜい真ん中くらいですけど」



「平均値、特に下限が高いのです。あまり目立ちませんが、取り立てて魔法的な素質の高くない者と婚姻を繰り返している貴族家としては、群を抜いています」



 ランディはここまでの話を聞き終えた所で両手を額の前で組み、しばし目を瞑り沈黙した。


「……過去の事はわかった。だが未来のためにもう一つだけ聞かせてほしい。

 研究は前進しているとの事だが、どの程度目処が立っているのだ? 失礼だが、いくら特産素材に関する知識の蓄積があるとは言え、ベルウッド殿の右に出る研究者はいないと言われて、それを鵜呑みにする事は出来ない。

 エディには3つになる子がいる。可愛い孫だ。知ってしまった以上、ドスペリオル家当主として、ただ祈りながら待つ訳にはいかない」


 セシリアはこの質問にも澱みなく答えた。


「昨夏に初めて人工栽培で実を付ける事に成功しています。天然物には及ばずとも、治療に効果が見込めます。ただし、ベルの読みでは実をつけた翌年は連作障害が酷いだろう、との事ですので、来年も実をつけられるかは予断を許しません。土を入れ替えたり、閑散期にさまざまな別の作物を植えるなどして、安定的な栽培手法を確立する必要があります。

 保証はできかねますが、ジュリアが8つになるまでには、何とかするつもりです」



 そのセシリアの説明を聞いて、エディは驚いた様に顔を上げた。


 ドスペリオル家の子達については、病を得る事が多いため、魔力器官の完成する、即ち魔破病を発症する可能性がほぼ無くなる12歳になるまで、その情報は殆ど外に出ることがない。


 よほど有能なものが能動的に情報を仕入れていなければ、ジュリアの名を知るはずがない。



「……ディオ、か」


 ランディの呟きに、セシリアは頷いた。


「ディオにはわたくしは死した事にして、ラベルディンに帰り、自由に生きるよう何度も申し伝えました。ですが、結局今でも任意の探索者として陰に陽にわたくしを支えてくれています」



 ランディは、長い長い溜息をついた後、セシリアに向かって頭を下げた。


「私が不甲斐なかったばかりに、そなたには誠に重い業(ごう)を背負わせてしまったな……。兄として、申し訳なく思う。

 ……私は、ドスペリオル家当主として、兄として、セシリアの信念を支持する。いかに大義名分を述べようとも、我が子を失った者は私を決して許せないだろう。だがこれからは、共にその業を背負う事を誓う。

 だから頼む……どうかこの兄を許してくれないか?」


 ランディが視線を緩めてそう告げると、セシリアはその顔色に血色を戻し、目から一筋涙をこぼした。



 ◆



 ランディさんが、苦しみや慈しみがないまぜになった顔で、ダイニングテーブルから立ち上がる。


 今度こそ感動のハグを交わすのだろうと、俺は涙袋に涙を溜めて、堰を切る準備を整えた。


 だが母上は、両手を広げて歩み寄ったランディさんの顔面をわし掴みにひっ掴み、これをあっさりと阻止した。



 ランディさん、そして俺たち全員が、何が起こったのか分からず呆然としていると、母上はランディさんをぽいっと捨てて、冷たく言い放った。


「わたくしはベルの妻で、淑女ですよ?

 血のつながった兄とはいえ、大人の男性と人前で抱き合うなど言語道断です。それとこれとは話が別でしょう」



 気まずい沈黙が辺りを覆う。


 だがランディさんはまるでめげる様子もなく嬉しそうに泣いた。


「ぐうぅ〜相変わらず冷た……い、いや、それでこそ硬派貞淑で名高いドスペリオル家にあって、至宝とまで言われたセシリアだ。このセシリアからこれ程までに愛されるベルウッド殿は、やはり相当素晴らしい婿殿なのだろうな。おくらばせながら、兄として2人の良縁に祝いの言葉を掛けさせてもらおう」


 母上は、少女の様に口元を綻ばせた。



「ええ、ベルと出会えたのは、わたくしにとって奇跡とも言える良縁でした。……後はその辺の娘に鼻の下を伸ばす癖さえ無ければ言うこともないのですが……」



 温厚篤実な態度に終始していたランディさんは、この母上のちくりを聞いて、途端に殺人鬼の様な顔つきになった。


「なぁにぃ?! ……セシリアを妻に迎えながら、他の女に鼻の下を伸ばすだとぅ?!!」


 慌てて親父が苦し紛れの釈明をする。


「いやいや、それは最近パン屋に入った店員から、よいパンの匂いがしてつい鼻を――」


「傑物と評判の2人の侯爵令嬢から言い寄られながら、心に決めた1人ができるまで一切気を持たせる素振りを見せない硬派の中の硬派、アレンを育てた父君という事で、そちら方面は安心しておったのに!!!」


 いやいやいや! それはただ地雷を避けてただけだから! 


 母上と姉上も『その通り』感を出しながら頷くのは止めて! 


「無骨潔癖を誇るドスペリオルの中のドスペリオル! 三千年の歴史を背負い体現しておるアレンの父として、妻以外の人間に鼻の下を伸ばすなど、恥ずかしくないのか!」



 な、流れ弾で俺の恋のハードルがとんでもない事に!


 俺はどう考えてもロヴェーヌの中のロヴェーヌ、可愛い女の子を見るとつい鼻の下を伸ばす極めて健全な男の子で――


 などとは口が裂けてもいい出せる雰囲気ではない。



「そもそも男というのは――」


 この後、親父が鬼の形相の義兄に情けなく説教される姿を、神妙な顔で2時間見続けた。

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