第194話 セシリアの覚悟(1)



 時は戻り、ロヴェーヌ夫妻とゾルドが王都へ到着した日の駅前広場。


 ランディはすぐにでも、何なら今日にでも王都にいる主だったドスペリオル地方ゆかりの者を呼び集めて晩餐会を開き、セシリアの生存を共に喜びたいと申し出た。


 だがセシリアはこの申し出を断った。


「わたくし達は、ドラグーン地方のロヴェーヌ家の人間です。お館様へ正式な挨拶訪問すら済ませる前に、他の侯爵家が主催する晩餐会になど出席出来るわけがないでしょう。順序が違います」


 セシリアがピシャリとこう言うと、苦虫を噛み潰したような顔で成り行きを見守っていたメリアは笑顔を取り戻した。


「流石はセシリアじゃ! 私が見込んだだけの事はあって、物の道理がよくわかっているね」


 そう言って、ぎろりとランディを睨むと、ランディは肩をすくめた。


「ふむ。どうしてもこの目でセシリアの顔を見たく、矢も盾もたまらずこうして横紙破りも承知で参上したが、元よりメリアさんと敵対するつもりはない。

 今更数日ばかり伸びたところでどうと言うこともないし、むしろ盛大な晩餐会の準備を――」


 その様に言いかけたところで、セシリアはさらに首を振った。


「今更わたくしのために華美な晩餐会などを開く必要はありません。これからの主役はこの子たち。ロヴェーヌ家の行く末は、優秀な子供達に委ねる。それがベルが定めたロヴェーヌ家の方針です」


 そう言ってアレンとローザの肩にそっと手を置いた。


 アレンは当然『クソ親父、ぶん投げやがった』と思ったが、子供の頃そのままに笑うセシリアを見たランディは、また涙ぐみつつも、その余りにとりつく島もない態度に閉口した。


「……便りすらなかったという事は、何か事情があるという事は予想がついていた。

 先にアレンを通じて伝えている通り、今更ドスペリオル宗家としての務めを果たせと言うつもりはない。本当にこの兄は、セシリアが生きていてくれたその事が、ただ嬉しいのだ。

 だから……せめてその事情を聞かせては貰えんか? なぜ連絡すら寄越さなかったのか、その訳を」


 セシリアの生存が判明した今、勢力を率いるランディとしては、事実を正確に把握して内外に説明可能なシナリオを用意しておく必要がある。


 セシリアは一瞬悲しげに目を伏せ、それからメリアの顔を見た。


「…………セシリアがスジを通すというのなら、細かな事情にまで立ち入るつもりはないよ」


 メリアは子細を把握しないまま、その場で断言した。


「…………分かりました。ですが、この場で話せる内容ではありません。明日ベルと2人でお館様へ正式にご挨拶へと伺います。明後日以降に家へ来ていただけたら、その場で説明いたします。できれば、なるべく大事おおごとにならないよう、非公式にお尋ねいたければ嬉しく思います」


 ……当然ながらドスペリオル家の屋敷に招こうと考えていたランディは、ロヴェーヌ家に来るように、との提案に疑問を持ったが、妹の強い眼差しを受けて言葉を飲み込んだ。


 やはり何か事情があるのだろう。


「分かった。それではまた日時などについては連絡をする」


 そう決めて、野次馬が膨れ上がり騒然としているその場は、一旦解散となった。



 ◆



 ランディは、セシリア達が王都に到着した3日後の夜に、王都のロヴェーヌ子爵邸を非公式且つ秘密裏に訪問した。


 供に連れているのは、例によってエディだけだ。



 当主であるベルウッドとセシリアが出迎えにでる。


 ちなみにアレンは、面倒な話になりそうだなと、しらばっくれる気満々だったのだが、セシリアに『貴方はどうなさいますか、アレン? 出来れば貴方にも聞いて欲しいと母は考えていますが』と言われ、『もちろんです!』と爽やかに答えてしまったばっかりに、わざわざ放課後に帰ってきている。



「このような粗末な家にお招きいたしまして、恐縮ですのう。どうぞお上がりくだされ」


 妻を溺愛している義兄との改っての対面とあってか、さすがのベルウッドも表情がやや硬い。


「身内なのだから堅苦しい気遣いは不要だ。

 そうそう、可愛い妹の婿殿は、パンが好きだと小耳に挟んだので、土産に用意した。近頃王都では、角パンと言われる柔らかいパンが流行っておるが、私はどうも好きになれなくてな。

 我が地方で栽培しておる小麦で、昔ながらの製法で焼いたブレッドだ。口に合えばいいが……」


 ランディに促されたエディがパンが詰められた籠を差し出すと、何とも芳しい香りが鼻をつき、ベルウッドは目を輝かせた。


「おおっ! 流石は王国の食糧庫、ドスペリオル地方のパンだけあって、いい香りですなぁ。わしは流行り物も好きですが、こうした昔ながらのパンも大好きですわい」


 そう言って、受け取ったパンをいきなり2つに割り、断面に鼻を押し付けた。


「う〜む、この挽きたて焼きたての香り……堪らん! これだけ複雑で豊かな香りを醸し出すとは……3種……いや4種の麦がブレンドされておる。いかがですかな?」


 ベルウッドがこう問うと、ランディ達はポカンとした。



「……無作法ですよ、ベル。それに小麦の配合など、ドスペリオル家の当主が知るはずがないではありませんか」


 セシリアに嗜められ、ベルウッドが気まずそうに頭を掻くと、ランディ達は揃って破顔した。


「わっはっは! いいのだセシリア。これほど喜んでもらえれば、こちらも用意した甲斐があったと言うものだ。

 そのパンは、うちの料理長が、今日のために精魂を込めて焼いたパンだ。気に入って貰えた様で嬉しく思う」


 ランディがセシリアをチラリと見てこう言うと、セシリアは少しだけ驚いた風にして聞いた。


「……メサイはまだ現役でパンを焼いているのですか?」


 ランディは苦笑して手を振った。


「いやいや、流石に弟子へ料理長の座は譲っておるが、今日のために王都へ出てきておる。あやつに話したら、セシリアの生存を発表する晩餐会の料理は、何としても自分が指揮を取るとごねてカムバックしてな。晩餐会は流れたが、そのパンはあやつが焼いた」



 そう言ったランディは、表情を引き締めた。


「……話してくれるか、セシリア。何があったのかを」


 セシリアは一つ頷いて、決意を固めて話し始めた。



 ◆



 わたくしはあの日、ラベルディンを出立した後、南にあるドラグーン地方へと向かいました。


 冬も目前で、北へ向かうのは体に負担が大きいと感じていましたし、西の王都方面よりも、ドスペリオル以外の地方の人々の暮らしを見て回りたいと考えていました。


 ですが……慣れない旅により、わたくしの身体を蝕む病は思った以上の早さで進行しました。


 あてどもなく南へと続く街道を進んでいたわたくしは、春を迎える前には自身の死期が近い事を感じていました。



 そんな時、ムーンリット子爵が治める、取り立てて特徴もない、とある田舎の宿場町で、ある噂話を耳にしました。



 その宿場町から山をいくつか超えた先に、クラウビア山林域と呼ばれる、ほぼ手付かずの広大な原生林があると。


 太古の昔からその姿を変えぬまま、特殊な生態系が営まれているという、その森の話を聞いた時、わたくしは不思議な運命を感じました。


 まだドスペリオル家の権勢も強かった、はるか昔と変わらぬままの自然がそこにある。


 ……わたくしの死地はそこだと考えました。


 そして――


 訪れたその美しい森の中で、わたくしはベルと出会いました。



 これより先は詳細は伏せますが、ベルは滋養にいいと言われる、クラウヴィアの森で取れた様々な素材を使った薬湯(スープ)を振る舞ってくれました。


 その甲斐もあり、何とか命を永らえて夏を迎えたある時。


 わたくしとベルはそれを発見しました。


 発見してしまったのです。



 夏に、稀にクラウビアの森から収穫されるとある野菜素材が、魔破病の治療に効果がある、と言う事を。


 ベルは、ロヴェーヌ家に残る記録を徹底的に調査し、私のためにその素材をかき集めてくれました。


 そして定期的に服用できるよう、塩漬けや粉末などさまざまな形へと加工してくれました。



 そうした偶然と、ベルの介抱もあって、わたくしの病気は次の夏を迎える頃……約一年でほぼ快癒しました。


 ……当然ながら、すぐに手紙を書こうと思いました。

 我が身におきた奇跡について。ドスペリオル家の悲願を発見した事について。


 ですが……翌夏に問題が起きました。そのクラウビアの森の固有種である素材が、殆ど発見されなかったのです。


 明らかに、私を助けるために乱獲した事が原因でした。


 そこからはベルが指定素材として、採取を厳しく制限しました。


 その甲斐あって、現在では以前の分布量に近づいています。


 ですが、わたくしは、この事実を秘する事にしました。


 わたくしの時は、たまたま素材を絶滅させずに済みましたが、次同じ事をしても大丈夫かは分かりません。


 王国全土で分かっているだけも毎年数百人の子供達がこの病気で尊い命を散らしています。他国を含めると、さらに多くの子供達が犠牲になっているでしょう。


 広く一般に知られると、間違いなく天文学的な金額で取引される素材になります。


 そうなるともう乱獲を止める術はないでしょう。


 一度失われた素材は、二度と戻らない。


 これがわたくしが、これまで生存を秘していた理由です。

 何せ、治癒例が皆無と言える病です。


 奇跡、などでは決して済まされず、徹底的に調査される事は目に見えていましたので。



 ◆



「……現在ベルが、全身全霊を掛けて人工栽培手法の開発に取り組んでくれています」


 セシリアはそこで話を一度区切った。


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