第186話 連鎖孵化(1)



「ふぅ~。おうドロワ、お前もそろそろ休憩の時間だろう、無理はするなよ」


 ドンゴが休憩を取ろうと重い足を引きずって仮設テントまで歩いていると、思い詰めた様な表情で作業に当たっているドロワがいた。


 同じ王都を拠点とするドロワの事を、ドンゴは以前から知っている。支所は北と南で異なるが、C級探索者ともなるとある程度数が絞られるので、顔見知りが多い。


 中でも社交的なドンゴは、特に顔が広いと言える。


「あぁドンゴさん。もう少ししたら……休憩しようと思う」


 アルの方を恨めしいような、眩しいものを見るような目で見てそうポツリと言ったドロワを見て、ドンゴは苦笑した。


 ただ疲れているだけではないだろう。


 無理もない。


 40歳も目前になり、とうに自分のを理解していた自分でも、アルを見ているとどこか空虚さとでもいうか、一種のやるせなさが湧き出てくる。


 ……まさか狙ってやった訳ではないだろうが、あのアレン・ロヴェーヌとダニエル・サルドスには感謝しないとな。


 あの船による極限の移動を共に超えていなければ、俺も恐らくは簡単には受け入れられる事ができなかっただろう。



 魔法の才能——


 持つ者と持たざる者を分つ残酷なまでの壁。


 氷の魔法士はその希少性から、はっきりと自他を同じ視座から比較される環境に慣れていない。



 ドンゴには、ドロワの気持ちが手に取るように分かった。



「あの学園は化け物の巣窟だと言われる理由が分かったな……。

 その上、あいつは屈指の世代と言われる今年の1年生でAクラスの所属で、国中からかき集められた魔法士の才能の粋を魔法研究部部長として率いてやがるんだ。

 卑下する必要はねぇ。その歳でCランク張ってるお前は、探索者として十分才能がある。少なくとも俺よりは遥かにな。

 やつらと俺たちとはもともと住む世界が違う。初めから分かってたことだろう?」


 ドロワは奥歯を噛んで、ゆっくりと頷いた。


「そう、だな。……分かってた。分かってたのに、目を逸らし続けてきただけだ」


 俺はその他大勢の1人、ただの凡人だという現実から——


 その言葉を、ドロワは口にすることがどうしてもできなかった。



 ◆



 タイムアップ目前というところで、俺の竿先がククンッと僅かに折れ、これまでと異なる魚信を伝えてくる。


 瞬時に竿を合わせたい所だが、グッと堪える。


 地元のおっちゃん曰く、前当たりに合わせても十中八九レイクパーチは針に掛かからない、との事だ。


 ゆっくりと糸を巻き、逃げるアオサギの動きを演出する。


 この後、いち、にの、さんで合わせれば、3回に1回は掛かる、との事だ。


 極限まで集中力を高め、心の中で時を刻む。


 いち——


 ……かつてこれほどまでの真剣勝負をした事があっただろうか。


 ボクサーなどがたまに言う、『まるで世界がスローモーションの様に感じた』とはこう言うことか、などと冴え渡った頭で考える。


 にの——


 まで数えた瞬間、竿先が先ほどより強くグンと曲がる。俺は反射的に身体強化を発動して、竿を後ろに大きく引いた。


 瞬間、竿は大きくしなり、水面でレイクパーチと思しき大型魚が暴れ回り始めた。



「ひゃはははは! 手応え十分だ、ダン!」



 ダンは目を丸くしていたが、ややあって両手を挙げ、降参のポーズを取った。


「……負けたよ、その執念には」


 この降参宣言に気を良くした俺は、調子に乗ってぺちゃくちゃとこんな事を言った。


「いやぁ流石は港町育ちだけはあるな、ダン! 俺もまさか釣り勝負でここまで追い詰められるとは思わなかった! そうだ、一緒に釣業部ちょうぎょうぶでも創部するか! 伝説のぬしを求めて王国津々浦々を旅する——」


「んっ?」


 ダンは湖の上空を見て変な声を出した。


 俺がダンの視線の先を確認すると、一際青の発色が鮮やかな、いかにも群れのボス、といった様相の大型ブルーフラミンゴが滑空して来ていた。


 そして俺がバラさないよう慎重に格闘しているレイクパーチを、その大きな嘴で掻っ攫っていった。


 すっかり油断して索敵を怠っていた俺は、なすすべなくその様子を見届け、ただ呆然とその場に佇んだ。



「……ぷっ!」


 およそ5秒続いた、気まずい沈黙を破ったのはキャスさんだった。それを皮切りに皆が爆笑する。


「す、すまん! アレンの呆然とした顔が、ついツボに入って! ぷっー!」


「ぎゃははは! 油断大敵だな、坊主!」


「あははは! 伝説のヌシが何だって!? もう一回言ってくれアレン!」


「「ぎゃはははは!!!」」


 俺は涙目でキレた。


「許さん……」


 ゆらり、と風が逆巻いた。


「……お、おお落ち着けアレン! 勝負はお前の勝ちでいいから!」



「絶対に許さんぞーー!!!」



 ◆



 ドンゴは眠りについてから30分もしないうちに、非常呼集の笛の音で叩き起こされた。


 慌ててテントから飛び出すと、先ほどドロワが作業していたほうに人が駆け集まっていく。


 ドンゴは嫌な予感を胸に頂きながら、まだ回復していない体に鞭を打って現場へと駆け付け――


 息を飲んだ。



 中心で倒れ伏すドロワ。おそらくは魔力枯渇で意識を失っている。そしてその下敷きになった卵から、次々に孵化したヘルロウキャストが飛び出し、周辺の卵へと取りついて透明の膜を食い破っていく。



 そこへ、飛ぶように現場へと駆け付けた総指揮官のヒューゴが食い破られつつある卵をハンマーで叩き潰した。


『ドンッ!!!』


「ギィィ!」


 だが凍らさられていない卵からは、数匹のヘルロウキャストが足を捥がれながらも飛び立とうとする。


 そこに向かって再度ハンマーを叩き落とし、なお飛び去ろうとする個体を右手で握りつぶしながら大声で叫んだ。


「何をボケっとしてやがる! ヘルロウキャストが取りついた卵はもうだめだ! 潰して連鎖孵化を抑え込め! 氷属性以外の魔法は使うなよ! 魔法に反応して加速度的に孵化が広がるぞ! ラヴェル!」


「全氷属性魔法士、殲滅班に召集を掛けました!」


「広範囲で索敵魔法を使える奴は索敵を最優先しろ! 絶対に飛び去る個体を見失うな! 連鎖孵化反応がこれ以上広がると手の打ちようがねぇ! それと、1番から5番警戒線までの連中を全員呼び集めて散開させろ! 止められない、と判断したら可能な限り孵化前に潰すぞ!」


「了解!」


「お……俺は分かってたのに……あいつの気持ちが……。なんで、何でもっと、寄り添ってやれなかったんだ!」


 ドンゴは胸に激しい後悔が渦巻き、その場で呆然と立ち尽くした。


 そこへ銀髪を後ろに結ったカプリーヌが現着げんちゃくして、すぐさまタクトを振り翳した。


 付近にある卵が三つほど一度に凍りつく。だが、残存魔力が乏しい状況で、卵を凍らせると言う意味では非効率な大技を繰り出した事で、流石のカプリーヌも息が荒い。


 それでも歯を食いしばり、継続して現場への対処に当たりつつ、ドンゴへゆっくりとした優しい声音で指示を出す。


「動けますか、ドンゴさん。貴方が人一倍責任感が強いということは、これまでの言動から理解しているつもりです。ドンゴさんはもちろん、何日も全力を尽くしてきたドロワさんの事を責めることは誰にもできません。とにかく今は目の前の事態に当たりましょう。手近なものから、一つづつ、確実に。できますね?」


 ドンゴは真っ青な顔で辛うじて頷き、ゆっくりと手近な卵へと近づいて、両手杖ワンドを卵へ向かって振りかざした。


 だが、ぐっしょりと汗をかいた手で握られていた重量感のある魔石のついたワンドは、ドンゴの手から滑り落ちて卵へと直撃する。


 ドンゴは真っ白になった頭で、慌ててワンドを拾い上げ、思い切り魔力を杖に込めた。



「ドンゴさん!!」


 異常を察知したカプリーヌが慌てて制止したが、遅かった。


 性質を氷属性に変化させていない魔力を大量に注ぎ込まれた、ドンゴの杖に付けられていた大きな魔石が白く発光する。


 いかなる時も平静を保っていたカプリーヌは、蒼白な顔で叫び声をあげた。


「ま、魔力暴走です! 止まりません!!!」


 一瞬の静寂ののち、ヒューゴが叫ぶ。


「ん、だとぉ!! ドンゴぉ! 安全装置はどうした!!」


 ドンゴは半ば放心した顔で口をパクパクと動かし、掠れた声を出した。


「俺は……俺はちょっとでも効率よく……一個でも卵を多く処理しようと……

 今更……今更、性質変化をミスる訳がねぇって!!」


 必死に暴走する杖を制御しながら、ドンゴの頬を涙が伝う。


「外しちまったんだ……抵抗が大きいから」


 その手を離した瞬間、杖は大爆発を起こすだろう。そして、離さなくてもドンゴの魔力が枯渇した瞬間――



 ヒューゴは一瞬固く目を瞑り、血が出るほどに歯を食いしばった後、抑揚のない声で静かに告げた。



「……全員一旦退避だ。殲滅作戦は第三段階へと移行する」


 ドンゴは顔に絶望を浮かべ、首をいやいやと振った。


「嫌だ……死にたくねぇ……

 死にたくねぇ! 家内うちのの腹には子供がいるんだ。やっと……やっと授かったところなんだ!!!」


 だがヒューゴはドンゴの方へは視線を向けず、非常な声で『退避!』と再度声を上げた。



 ——そのヒューゴの脇を、水色の髪の少年がすり抜け、一直線にドンゴの元へと駆けていった。



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