第185話 熱い勝負



「よう。もう起きてきたのか」


 ドンゴはチャゴーラに声を掛けた。


「……ふん。あいつを見てたら、流石に悠長に寝ている気にはならねぇ」


 チャゴーラは優れない顔色でぶっきらぼうにそう答えた。


 魔力を枯渇寸前まで使用する無茶を繰り返していることによる倦怠感で、たまに仮眠を取っているとはいえ全身が鉛の様に重い。


 2人が目を向けた先には、水色の髪をした少年がいる。


 丸半日以上ぶっ通しで卵を処理し、たった3時間やそこらの睡眠で現場に復帰したアルは、そこからまた、6時間近く卵を処理し、小一時間ほど瞑想をしながら魔力を圧縮してまた作業に復帰している。


 魔力枯渇の苦しさは皆と同じはずだが、毎日坂道部で限界ギリギリまで振り絞ってからゴドルフェンによる実技授業を受けるという、傍から見たら常軌を逸しているとしか言いようがない日常を過ごしているため、苦しさに耐性がついている。


 アルは、考えるエネルギーが惜しいとでも言うように、ただひたすら作業に没頭している。



 坂道部で培っている運動下での魔力圧縮は、作業の無意識化が鍵となる。


 アレンはこの作業を『型に落とし込む』と表現したが、頭で考えるのではなく、通常の意識下とは異なる情報処理回路で体を動かすことで、普通は難しい動作を実現する。


 どんなスポーツでも似たような事は目にするが、例えば野球で時速140㎞で飛んでくる変化球に、投手がボールを手放したのを見てから頭で思考してバットを合わせられる人間はいないだろう。


 予め組まれていたプログラムに沿うかの様に、体の反射を利用して打撃するはずだ。


 こうした能力の伸長には、およそ日常生活では身につかない特殊な反復訓練を積む必要がある。


 アルとしては鍛練の成果を発揮しているだけだが、ドンゴやチャゴーラから見たら異様な光景だ。


 あの王国騎士団員のカプリーナや、シンプレックス魔法塾の副塾頭、氷の妖精ルルーシュ・シンプレックスですら一度魔力が枯渇してからは小刻みに休憩をとっている中で、考えられないスタミナを持つ化け物。


 実力から考えると酷く緩慢な、だが尋常ではない集中力で機械仕掛けのように同じ動きを繰り返すその奇怪な作業風景も、異様な雰囲気を助長している。



 残された時間はおおよそで24時間。


 運が良ければさらにもう1日猶予が取れる可能性もあるが、いずれにしろ全ての卵を処理するには圧倒的に時間が足りない。


「……まぁな。あの二人もやばかったが、あいつアルもやっぱりやべぇな。雰囲気醸し出しやがって、あの学園生はみんなこうなのか?

 ……ま、何にせよ卵一つにつき50リアルだ。ここは人生最大の稼ぎどころだろうから、俺も負けてられねぇぜ。

 家内うちのに、王都の下町に家ぶっ建てるって啖呵切って出てきたからな」


 ドンゴが気を取り直した様にこう嘯くと、チャゴーラは苦笑した。


「欲を掻いて、つまらねぇヘマをするんじゃねぇぞ」



 ◆



 俺とダンの釣り勝負は白熱していた。


 序盤戦は、勉強をほっぽらかして子供のころから鍛え上げていた、魚の『当たり』をとる感覚と、お得意の繊細な魔力コントロールにものを言わせて『掛ける』釣り、即ち『動』の釣りをしていた俺に対し、ダンは王道の魚に『食わせる』釣り、即ち『静』の釣りをしていたので、俺の手返しが圧倒的に早くリードを奪っていた。


 俺は『ひゃっひゃっひゃっ! 本気出していいよ? 港町で育ったダン君?』などと、寮母のソーラの悪影響で身につけた笑い方でダンを煽った。


 するとダンは『どうもタナが安定しないな……』などと呟いたかと思うと、卑怯にも仕掛けを改造し始めた。


 タナというのは、魚が群れている水深を指す。


 そして『胴付き3本針仕掛け改・凪風スペシャル』とかいう、オリジナルの仕掛けを投入して、多点掛け、すなわち1度の投入で複数の魚を釣り上げる手法を編み出した。


 街中の川釣りしか経験していない俺には、ダンが作った仕掛け ——竿から垂らされた幹となる糸から、横向きに枝となる針のついた糸を30cm間隔に3つ飛び出させる—— の結び方は分からない。


「ず、ずるいぞダン! 俺にもその仕掛けの結び方を教えろ!」


 俺はすぐさま抗議したが、ダンはにやりと笑い、『見て盗め』、などと時代錯誤な職人のような事を言った。


 俺はダンが仕掛けを結び直すたびに凝視しているのだが、ダンの流れるような手さばきが鮮やかすぎて、どのように仕掛けを結んでいるのかまるで見えない。


 ダンは瞬く間に釣果を伸ばし、俺も2本の竿を左右の手で別々に操作する奥義を繰り出したのだが、ジリジリと差を詰められ、2時間の時間制限まで残り15分という所で、ついに俺は逆転された。


「いやぁ、お前らやるなぁ。というか、ほんとにアオサギ釣りは初めてか? たった2時間でそれだけ釣る奴は地元民にもいねぇぞ?」


 様子を見にきたおっちゃんは、俺たちの釣果を確認して呆れたようにそう言った。


 獲物であるアオサギは、すでにてんこ盛りのバケツが2人で計4つできるほど釣れている。


「な、何かいい手はないのかおっちゃん! このままじゃ負ける! ん? このでかい針はなんだ?」


 ずらりと並べられた道具の中には、アオサギを釣るには明らかに適していない、でかくてきつく屈曲した針が混じっていた。


「ん? あぁそりゃ釣ったアオサギを泳がせて、レイクパーチというこの辺りでたまに取れる大型肉食魚を釣るための仕掛けだな。

 かなり美味い魚だが、そんなでかい獲物を食うブルーフラミンゴは、せいぜい魔物化した群れのボスくらいで、餌やりには適さな――」


 俺がみなまで聞かずにそのレイクパーチとかいう魚用の仕掛けを手に取ると、おっちゃんは慌てて俺を止めようとした。


「おいおい、悪いことは言わないから止めておけ! レイクパーチはこの季節はあまり取れない。地元の人間でも1日粘って一匹上がるかどうかってところだぞ? 釣果を伸ばすには堅実に確実に――」


「ほっといてくれ! 俺の家庭教ゾルド師は言っていた。『諦めたらそこで勝負あり』だとな!!」


 俺はまたまた前世の名言を微妙にもじってゾルドの言葉として開陳しつつ、釣ったばかりでまだ生きのいいアオサギの上顎にデカい針をかけ、遠投用の竿で湖に向かって投げた。


「くっくっく! 確か勝負の内容は『どちらがたくさん釣れるか』だったな……。

『たくさん』とは数や分量・・が多いことを指す言葉だ! 楽に逃げ切れると思うなよ、ダン!」


 だがダンは、俺の苦し紛れの屁理屈を聞いて、勝ち誇ったように唇を歪め笑った。


「ふっ。よく陥りがちな過ちだな。素人が」


「の野郎! 余裕をこいていられるのも今のうちだぞダン!」


 遠い遠い目で湖を眺めていたキャスさんが、『……お前ら、今どう言う状況かわかってるよな?』とか再度呟いたが、俺たちは構わず最後の熱い15分へと突入した。



 ◆



 現場には、王都から輸送された3名とは別のルートで参集されている、王都所属の探索者がもう1人いる。


 たまたまグラウクス侯爵地方で発生していた高難度依頼に、王都から応援に駆けつけていた彼の名前はドロワ。


 弱冠24歳の若さでCランク探索者として活躍している彼は、王都でも将来を嘱望されている若手探索者である。


 だが本人の中では伸び悩んでいる感覚が強い。


 地元であるヴァルカンドール地方の名門、マスキュリン伯爵領で探索者としてスタートを切った彼は、18歳の若さでDランクにまで上り詰めた。


 地方では異例の出世と言える。


 当然彼はこう考えた。


『自分はもしかしたら天才かもしれない』


『少なくともこんな田舎で収まる器ではない』


 そうして彼は18の春に単身王都へと上る事を決意する。


 以来6年、順調に実績を重ね、24歳になると同時にCランクにまで昇格した。


 だが——


 十分立派なキャリアではある。しかし、類を見ない天才かと王都で問われれば、多くの人は首を振るだろう。


 この手の地方の才能が集結する王都では、24歳でCランクまで昇格する探索者は一定数おり、そこまで珍しいという訳ではない。


 事実、将来的にAランクにまで上り詰めるほどの傑出した才能は、押し並べて早熟型が多く、ドロワはそれらの人間が若い頃に成し遂げた様々な事績と比べて、自分の実績が見劣りする事を知っている。


 天才と呼ばれたかった彼は、特に王都に出てからこちら、人には見せない陰で十分な努力も積んできた。


 さらに、周囲が止めるほどのペースで依頼をこなし、さらに氷属性持ちの魔法士というアドバンテージがありながら、24歳で未だCランクになったばかり。



 田舎で天才と呼ばれた彼は、現実を知った。


 だが……心のどこかでは、天才と呼ばれ、もてはやされる未来にまだ焦がれていた。


 自己を達観するにはドロワはまだ若く、真面目で、そして才能がありすぎた。



 伸び悩み、焦燥感に鬱屈としている時、旅先でこのヘルロウキャスト殲滅作戦に関する緊急依頼が舞い込んだ。


 これは僥倖かもしれない。


 なぜなら今回ほどの重要な依頼で手柄を立てれば、Bランク探索者への道が開けるかもしれないからだ。


 さらに、自分はたまたま近くにいたが、どうやら現場はかなりアクセスの悪い地域らしく、多くの優秀な氷属性持ちの魔法士は孵化に間に合わないらしい。


 となると、相対的に自分の実績は際立つ事だろう。



 他人と差別化されるほど卓越した能力や実績を示す必要のあるBランク昇格を、24歳で達成したとなると、王都でもそこそこ異例の出世と言える。



 そんな未来を夢想しながら依頼を受託した彼は……


 出会ってしまう。


 自分は学力と魔力量の総合指数で足切りラインに届かず、受験することすら叶わなかった、真の天才だけが集まる学園。


 その中にあって、Aクラス頂点に君臨するという本物の才能に。


 そして嫌が応でも理解させられた。


 自分は凡人なのだという現実を。


 学園卒業生が探索者登録すれば、即Cランク——


 自分はあれほど苦労したのにもかかわらず。


 王立学園生何するものぞと考えていたドロワは、遅れて現場へとやって来た13歳のアルドーレ・エングレーバーを見る事で、正しく理解した。


 王立学園でAクラスに所属する、その意味を。



 ……そのドロワの心の揺れは、この後、誰もが恐れていた最悪の事故を引き起こす。


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