第184話 ロマ軍港とシャロマ湖
船はゆったりとしたスピードで穏やかな海を南下し、目的地である軍港へと入った。
ロマ軍港は、美しい自然が手付かずの状態で残されている海岸線に、どこか唐突感のある人工的な港湾基地だった。
切り立った崖に抱かれている入江の内部は外からは見え難く、風や波を避けるのにももってこいだろう。
大小様々な軍船が停泊しているが、その殆どは船の腹からオールが飛び出しているガレー船だ。
通常の港湾設備のほかに兵舎や工廠などと思われる建物があり、沢山の人間が忙しく働き回っている。
軍港基地には将官にあたる王国騎士団員だけではなく、一般の水兵もたくさん駐留しているためレストランなどもあり、一種の街の様相を呈している。
流石は仮想敵国であるロザムール帝国に相対する前線基地の中でも要衝と言われるだけはある。
「さて、私はここで失礼する。
なにぶんやらなくてはならない事が山積していてね。もしかしたら見送りはできないかもしれないが、またその内に王都で顔を合わせることになるだろう。その時はよろしく頼む」
グラバーさんがマントを翻して船を降りると、到着予定を聞かされていなかったのか、働いていた一般兵は一瞬ギョッとした表情を浮かべた後、慌てて右手を胸に当てた敬礼の姿勢をとった。
「お久しぶりですな、キャスター様」
グラバーさんが歩み去り、暫くの間俺たちが下船の準備をしていると、勲章や技能章を胸に山ほどつけた軍人が出迎えにきた。
いかにも現場で叩き上げられましたという、潮焼けした赤黒い肌に、筋肉質なずんぐりした体つきの鋭い目つきのおじさんだ。
「久しぶりだなヤックル。
レヴォルさんは?」
「レヴォル基地司令は執務室でグラバー軍団長と情報の整理に入っております。ロザムールの奴らは水軍も徐々に集めておるようですので、司令も神経を尖らせておいでです」
「無理もないね。
あぁ、紹介しよう。
ヤックルの耳には入っていると思うが、この度の緊急輸送任務で主だった働きをしたアレン・ロヴェーヌとダニエル・サルドスの2人だよ」
ヤックルさんは一つ頷き鋭い眼光を俺とダンに向けた。
「このロマ軍港で副基地司令をしておるヤックル・フォン・ファーステルです」
「第3軍団所属の仮団員、アレン・ロヴェーヌです」
「第2軍団所属の同じく仮団員、ダニエル・サルドスです」
そう言って差し出された手を握った俺は驚いた。
恐らくはガレー船を漕ぎ抜いて培われたのであろう分厚い手の皮。
ブレのない出力の安定したその力具合からは、騎士団員に勝るとも劣らない、練り上げられた身体強化魔法の練度を感じた。
そして、その右手はがっちりと握りしめられて、なぜか離す気配がない。
「……短い間ですが、お世話になります、ヤックルさん」
「おや? まだ若いとはいえ王国騎士団に名を連ねるアレン様に、さん付けさせたのでは、普段から規律に口うるさく言っておるわしも立つ瀬がありません。
かの『常在戦場』に育てられたというアレン様らしくもない。
どうぞ気兼ねなく呼び捨ててくだされ」
なにが『かの常在戦場』だまったく……。
噂が一人歩きしすぎだろう……。
「それはそうと、時代に取り残された哀れなおいぼれに1つ帆船の新たな可能性とやらを見せてはくれませんかな?
ああいや、輸送任務で国を救うほどの成果を出された。その事にけちをつけるつもりはありません」
そう言ったヤックルさんは、俺の手を握っている手に力を込めた。
「ですが……近頃進化の目覚ましい魔導動力機関すら積んでいない単純帆船がガレー船に勝るなどと言われましても、おいぼれの凝り固まった頭では理解が及びませんでな。
わしを含め、船乗りというのは何事も己の目で確認せん事には信じられん頑固者が多くて……ほんの少しで結構です。わしと若いのを何人か乗せてそこらを少し走ってくれはしませんかな」
そう言ったヤックルさんの口元は笑っているが、目は笑っていなかった。
俺が困惑してキャスさんのほうをちらりと見たら、キャスさんは難しい顔で間に入ってくれた。
「アレンは帆船の新たな可能性について、情報を秘匿するつもりはないと言っているが、今はまだ駄目だ。
間違いなく王国軍にも取り入れられ、行く末は他国も含めた民間にも広がっていくであろう技術だが、あくまで王国が主導して技術革新していかなくてはならない。
不用意に見せびらかせるような内容ではない。
……ヤックルでも抑え切れないのか?」
そういってキャスさんは目をヤックルさんの後方へと向けた。
よく見ると後ろの水兵たちもこちらをやや剣呑な顔つきで見ている。
……なるほど。
この人たちは人生をガレー船に捧げてきたのだろう。そしてこのような人は軍にはたくさんいるに違いない。
いきなり自分たちの積み上げてきたものが崩れ去る恐怖心や不条理と必死で折り合いを付けようとしている、と言ったところか。
本来であれば時間をかけて進化するはずの技術革新が急激に、不意に進んだ形だからな。こうした歪みが生じるのは想像に難くない。
例えば操船している所を見せて実力を理解させるのは可能だろうが、感情の処理を誤ると禍根を残す。
それがどれほど後に悪影響を及ぼすかは分からない。
下手をすると風魔法を使った帆船の発展に多大な影響を及ぼす可能性もある。
いや、この分別のありそうな人が、わざわざこの状況下で強いて確認などと言い出したという事は、すでに士気などへの影響が無視できない、と言うことか。
……まぁ俺の知ったことではないが、さてどうしたものかと俺が頭を働かせていると、ヤックルさんの擦り切れた手をじっと見ていたダンが静かに間に入った。
「俺は王立学園帆船部部長のダニエル・サルドスです。
乗船いただくのは難しいとのことですので、俺が操船する帆船とスピード勝負、というのではいかがです?
このロマ軍港からコリーダ海峡を抜けてコリーダ島を一周して戻ってくる速さを競う、という内容です」
ダンがこのように提案すると、ヤックルさんは怪訝な顔を浮かべた。
「さすがはそのお歳で騎士団に名を連ねるだけあって、勝負とは剛毅な提案だ。
ですがコリーダ海峡とは……かの海峡が『帆船の墓場』と呼ばれている事はご存じでしょう。 シーファルコンへの対処はどうされるおつもりで?」
「ええ、存じています。
ですので、操船は俺が引き受けて、シーファルコンへの対処はアレンが弓でやります。こいつは中々にえぐい弓を使いますので」
そう言ってダンはにやりと笑い、こう言葉を添えた。
「船乗りは海の上でぶつかり合うのが手っ取り早いでしょう」
このダンの言葉を受けて、ヤックルさんは快哉の笑みを浮かべた。
「さすがはグラウクス地方が誇る鬼才、ダニエル・サルドス様! 王立学園上がりのエリート騎士団員とも一味違う。いや実に頼もしい!
今日はまだお疲れも残っているでしょう。勝負は明日の午後1時からにしましょう。その時刻に巡回の船が出ますので、共に出航を。
この基地には私も含め、グラウクス地方出身者が多い。これは皆勇みますぞ!」
小難しい顔をしていたヤックルさんが、途端に顔を輝かせたのを見たダンは、苦笑してこれを了承した。
◆
明朝。
俺はダンとキャスさんと共に軍港基地ロマの近くにあるシャロマ湖へと観光に来ていた。
キャスさんは、『それはどうしても今じゃなきゃいけないのか?』と言って、かなり難色を示していたが、俺は絶対に譲れないと断言した。
キャスさんは万が一の事故を懸念しているようだったが、そんな考慮に値しないほど低確率の『もしも』を心配して、2度とあるか分からない野生のブルーフラミンゴを見る機会を逃す俺ではない。
何か俺がやるべき事があるのなら我慢もするが、今自分に出来ることなど何もないのだ。
これが俺が偉くなりたくない理由だ。
立場のある人間なら不謹慎だなんだと騒がれ、『暇だったから』などと言ってもとても許されるものではないだろうが、俺は今仮団員とは言えただの学生だ。
キャスさんが警護兼、保護者として帯同しているが、俺はそれだって不要だと伝えたのだ。
『二人だけで基地の外に出るのは絶対に認められない。本当は警護の隊を付けたいが、大量の護衛を付けて目立つと、逆に危険が増す』
忙しいであろうキャスさんは、そう言って頭を抱えながらついてきた。
まぁ少しだけ申し訳ない気もしたが、ここは絶対に譲れない。
こういった場面で協調という名の妥協を繰り返していては、俺が心に誓った『今世では自分が本当にやりたい事は何かを見つめ、自分の心に正直に生きる』と決めている人生観がぶれる。
それは俺にとって何よりも恐ろしい。
そんな訳で、俺はシャロマ湖観光を楽しんでいるわけだが……
はっきり言って、来てよかった。
王国三大美鳥の一つ、ブルーフラミンゴ。
重なり合ったブルーの羽は、淡い水色から濃紺までまちまちで、その青みの深さは個体によって異なる。
さらに光の当たり具合で赤みや黄みがかった青という、なんとも言えない色合いとなり、かれこれ2時間近くも見ているが全く飽きない。
そしてそのくの字に折れ曲がった特徴的な嘴から発せられるクワワ、クワワという甲高い鳴き声が、静謐な朝の湖に響きわたっている。
大きさとしては地球のフラミンゴと同じぐらいだが、中には2回り以上大きい個体が混じっている。これが魔物化した個体だろう。
世情が世情なので、観光客はまばらで、従来では考えられないほど少ないらしいが、それでもちらほらと人はいる。
俺が身元を隠すための平服で、食い入るように湖を見つめていると、後ろから地元のおっちゃんに声を掛けられた。
「熱心だな、坊主。ブルーフラミンゴを見るのは初めてか?」
瞬間、キャスさんが俺とおっちゃんの間に入ろうとするが、俺は手で制した。
「えぇ、私は初めてです。この情景の美しさは、言葉では言い表せないですね。ただただ胸を打たれ、時が経つのを忘れます」
俺がそのように答えると、おっちゃんは嬉しそうに笑った。
「ははっ! なかなか素直な坊やだな。気に入ったぜ。俺は普段この辺で観光案内しているもんだが、例の事件でこの書き入れ時にとんと客が付かなくてなぁ。ブルーフラミンゴに餌やりしてみたくねぇか? ただし——」
おっちゃんはそう言って、1.5mほどの釣竿を俺へと差し出して、ニヤリと笑った。
「餌の調達からしなきゃならねぇがな?
普段は1時間30リアルなんだが、半額でいいぜ!」
俺はすぐさま食いついた。
「いいんですか?! ありがとうございます!
おいダン、どっちがたくさん釣れるか勝負しようぜ!」
「……別に構わないが……俺は山育ちのお前と違って港町育ちだぜ? アレンは釣りをやった事あるのか? 無ければはっきり言って、勝負にならないと思うぞ」
くっくっく。
意外かもしれないが、俺は釣りが好きだ。
もちろん前世では全く縁がなかったが、記憶が覚醒する前の俺は勉強をサボって遊ぶ事ばかり考えていたし、中でも釣りには相当凝っていた。
海釣りと川釣りでは勝手が違うかもしれないが、おっちゃんが持つ竿の短さ、仕掛け糸の細さ、釣り針の小ささなどの道具類から察するに、どう考えても今からする湖での釣りは、繊細さが求められる釣りだろう。
であれば、魚がスレにスレた地元の城郭都市内を流れる小川で釣りの腕を鍛え上げた俺にも勝機はある。
と言うか、勝つビジョンしか見えない。
「ん、あぁ。まぁ実家の近所の小川でちょこっとはな。
海育ちのダン相手じゃ流石に厳しいだろうが、お手柔らかに頼むよ」
俺が努めて平静を装って、この様にダンの油断を誘おうとすると、ダンは目を細めて暫く俺を見ていた後、おっちゃんに言った。
「……道具を吟味したい。
竿、仕掛け、餌を全種類出してください。もちろん金は払います。
……本気でやらしてもらうぞ、アレン。文句はないな?」
ば、バカな?!
今の感情を消した顔から何を読み取ったんだ……長年連れ添った女房かお前は……。
「……お前ら、今どういう状況か分かってる?」
キャスさんは全身から力が抜けた様に肩を落とし、遠い目をして呟いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます