第183話 胸騒ぎ



 ユグリア王国とロザムール帝国の国境は緊張状態にあった。


 帝国と国境を接するグラウクス侯爵地方ヤブレ男爵領チャロック湿原に、ヘルロウキャストの卵が異常発生しているとの報に接した帝国が、『不測の事態に備えるため』という名目で、国境付近に帝国軍を集結しつつあるからだ。


 ユグリア王国は軍を国境付近に進軍させるために、各国に向けてヘルロウキャスト異常発生を通達してある。


 自ら弱みを晒すことになるが、殲滅戦に向けた大軍を秘密裏に集結することは不可能だし、国境付近に事前通告なく大軍を動かすなどすれば宣戦布告と受け取られかねない。



 帝国は即座に近隣から氷属性の魔法士及び魔道具を供与すると外交ルートを通じてユグリア王国へと申し入れたが、王国はこれを拒否した。


 国境は帝国から見ても僻地で、仮に供与を受けたとして魔法士の数、質などたかが知れている事が予見される。


 それに加え、過去の例から見ても、孵化した群れは温暖な王国の穀倉地帯の方角へ飛来する可能性が高い。


 供与された魔法士が工作員で、事故を装ってヘルロウキャストの孵化を早め、王国へのダメージの最大化を図らないとも限らないからだ。


 もしそのような事をすれば、帝国にとってもコントロール不能なリスクを抱える事になるので、あり得ないとは思われるが、賭けをするには余りにも王国にとって分が悪い。


 無論帝国とて、この国家の危難にユグリア王国がそのような申し出を受けるとは思っていないだろう。


 帝国としては、断られるのを見込んだ上で『人道的な観点から支援を申し出たが、ユグリア王国はこれを拒否した』という既成事実を得て、帝国軍を国境に集結するという流れが大切だ。


 王国としては帝国軍の展開に抗議したが、帝国の建前と本音は別なので外交抗議などでは埒があかない。


 ヘルロウキャストが南側、即ち王国中心部方向へ移動する事が確定すると同時に、どんな言いがかりをつけて国境を越えてくるか分からない。



 右のような理由で、両国の国境付近は現在極度の緊張状態にあった。



 ◆



「えっ? 俺たちは現場には入らないのですか?」


 借り上げている宿でハムとチーズが挟まれたシンプルなパンの朝食を済ませ、食後にコーヒーを飲みながら今後の動きを確認していると、キャスさんは意外な事に俺たちは現場には向かわないと説明した。


「あぁ。ダンはもちろんアレンも今は第2軍団の預かりだし、俺たちの仕事はそこには無い。実際、現場には氷属性持ちの魔法士以外は十分な人数が入っているから、今俺たちが現場に入ってもやれる事はないしな」


 キャスさんはそう言った後、表情を険しくした。


「それに、ロザムール帝国が『不測な事態への対応』を理由に国境へ軍を集結しつつある。どの様な展開に発展するかわからない。

 王国としては次世代を担う君達を失うわけにはいかないし、万が一帝国にアレン・ロヴェーヌがこんな場所で浮いているとバレたら、作戦目標にされかねない。

 将来の憂いを、若いうちに摘み取りたいと考えているだろうからな。

 ここはまだ国境から遠いしもちろん海上も含めて警戒線を張っているけど、こんな漁港じゃ守りも万全とは言えない。

 君達はここから南に30kmほど降った第二軍団直轄の軍港まで下がってもらい、卵の処理段階を終えたアルドーレ・エングレーバー君が他の魔法士達と共に現場を離脱して陸路から合流したら、俺と共に王都へ船で帰還予定だ。

 グラバーさんは水軍の陣頭指揮のために残るがな」



 ……なるほど、現場は戦場になる危険があるという事か。


 新星杯の勝ち方は少々不味かったとは思うが、そんな事ぐらいで帝国ほどの大国が本気で怒って襲ってくるとは思えない。しかし、確かに戦場となると何が起こるか分からないリスクはある。


 探索者としてはヘルロウキャストの異常発生現場を見ておきたい気持ちはあるが、さすがにそんな場所へ興味本位でノコノコ出かけていくほどお気楽ではない。


「南に30kmと言うと、シャロマ湖の近くにあるロマ軍港ですね。了解しました」


 地元が近いダンがなるほどと頷いた。


「行ったことあるのかダン? どんな所だ」


「あぁ、以前デュアライゼ漁をしたコリーダ海峡のすぐ北にある軍港だ。王国海軍の北の要衝だけあって、物凄い数の軍船が停泊していて中々の迫力だぞ。

 ちょうどこの季節は近くのシャロマ湖にブルーフラミンゴがたくさん飛来していて、観光地としてそこそこ有名だな。

 じっちゃんとお袋に子供の頃連れて行ってもらったことがある」


 ダンは郷愁を感じさせる目付きで、懐かしそうにそう言った。


 ブルーフラミンゴと言えば、真珠のような不思議な光沢のある青い羽が特徴の野鳥だ。


 青の発色が濃いものほど繁殖時に番いを得やすく、フラミンゴ・ミルクと呼ばれる栄養価の高い分泌液を授乳する事によって子育てをする、鳥類には珍しい生態が特徴だ。


 雑食性で、たまに体内に魔石を育み魔物化した個体もいるそうだが、その場合でも基本的には人間に害をなさない。


 王国の3大美鳥の1つで、季節に合わせて長距離を移動する渡り鳥でもある。


 カナルディア魔物大全の記述を読んだ時からぜひ1度はこの目で見てみたいとは思っていたし、確かココもいつか自分の目で見てみたい野生動物として名前を挙げていた。


「……どうせアルが戻ってくるまで俺たちは暇なんだ。後で案内してくれダン」


 俺はその様にダンへと頼み、ココに自慢するのを想像して密かにほくそ笑んだ。



 ◆



 3時間程仮眠をとり、食事を手早くとったアルは卵の処理作業に復帰した。


 最も長時間処理作業を継続していたアルの復帰を見届けた、総司令官である王国騎士団第1軍団長のヒューゴは状況を整理した。


 ここまで処理した卵の数は、概算でカプリーヌが1.5万、王都の魔法研究者ルルーシュが1.2万、アルが1万、後はコンペという名の王国騎士団の魔法騎士が8千、ドスペリオル領のBランク探索者であるチャゴーラが5千と続き、その他の新たに加わった魔法士と魔道具で計3万というものだ。


 到着時に残されていた40万個の卵のうち、8万個を18時間で処分したことになる。


 一つの卵で100匹前後のヘルロウキャストが育まれているので、孵化が見込まれていた4千万匹のうち、おおよそ800万匹の孵化を阻止に成功した計算だ。


 残された時間は悪く見ても36時間。


 仮にこのままのペースを維持できるとしたら、卵の半数以上を処理できるというペースだ。


 だが――


 ほぼ万全の状態から作業を開始したこれまでの16時間と異なり、残存魔力量を気にしながら作業するこれからはペースが大幅に落ちるだろう。


 魔力を圧縮しながら作業できるアルでさえそうで、その他のメンバーはさらに落ちると見ていい。


 さらに王都やドスペリオル領から新たに持ち込まれた魔道具が魔力切れで使えなくなる。


 元から周辺地域から集められ作業していた魔法士や、これから加わる予定の魔法士、魔道具を加算して、最終的に孵化するヘルロウキャストの数は……



「おおよそで……2千万強、て所か」


 ヒューゴがつぶやくようにそう言うと、そばに控えていた副官のラヴェルが頷いた。


「……やはり王都からの支援が大きいですね。2千万強なら、孵化後の再増殖を抑え込める可能性がかなり高くなりました。運が良ければ孵化を1日遅らせられる可能性もある。そうなれば短期で殲滅作戦が完遂する、なんて事も?」


「そうなりゃ最高だがな……。

 そこまで楽観できる状況じゃねぇだろう。俺たちができることは、最悪の事態を想定して準備するだけだ。

 まったく、つくづく厄介な任務だな」


 ヒューゴはザワザワと心が騒ぐにもかかわらず、大した手出しが出来ない現実に苛立ったが、その感情を抑え込みロザムール帝国との国境付近の暮れゆく空を睨んだ。


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