第176話 輸送任務(3)



 アレンとダンが操船をしながら、第二軍団の2人へと船の操船や原理などの説明に勤しんでいる間、同乗している魔法士のメンバー7名は思い思いの場所で過ごしていた。


 皆あまり帆船に乗ったことがないのか、興味深げに船を見て回る者や、ダンを中心に操船をしているコックピットを食い入る様に見ている者がいる。


 その内に船と流れていく景色に皆飽いて、日が変わる頃には甲板の操船に邪魔にならない場所に設置された魔導ストーブの近くで体を休め始めた。


 水上は障害物が無いため風が通りやすい事に加えて、夜遅く季節も冬季とあって、その空気は刺すように冷たいが、皆それなりの装備を付けているし、かなり質の良さそうな魔物素材の防寒ブランケットも支給されている。


 もちろん魔力ガードがある分、個々人の寒さへの耐性も高い。


 それでもやはり寒いのか、それとも真っ暗な川を下る船上で暇を持て余しているのか、一人二人と魔導ストーブの近くに集まって、ぽつりぽつりと会話を始めた。



 ちなみに、このサイズの帆船には、とても人数分のベッドが入る船室キャビンなどはない。


 前後のキャビンは輸送物資と生活用品が埋めていて、船の中央にあるメインキャビンなら、7名くらいなら横になるスペースは有るだろうが、キャビンで休む人はまだいない。


 船を進めているアレンたちに気を遣っているのか、それとも国の未来を左右する重要な任務に流石にプレッシャーがあるのか、皆どことなく表情が硬い。


 こういう時に頼りになるはずのムードメーカーのアルは、ストーブからやや離れた場所にポツンと座り、思い詰めたような表情で流れゆく景色を睨みながら立てた片膝を抱えている。



 もうすぐ日も変わるという頃になって、アルと共に今回のメンバーに加わった探索者の一人、30後半ごろに見える1人の男が胸ポケットから出した酒精の強そうな酒を呷りながら、こう独りごちた。


「とんでもねぇ額の報酬に目が眩んで、つい2つ返事で受けちまったが……

 天下の王国騎士団員様や、あの王都一の氷魔法使いと名高いシンプレックス魔法塾の副塾頭、氷の妖精ルルーシュ・シンプレックスまでいやがるたぁ、一介のCランク探索者の俺にゃ場違い感が半端ねぇ。こりゃ早まっちまったかなぁ……

 万が一魔法をしくじって卵割ったらやっぱり死刑か?」


 それを聞いて、近衛軍団から派遣されてきている、今回の作戦の魔法士部隊の責任者でもあるカプリーヌが、生真面目そうな顔で答えた。


「Cランク探索者、ドンゴ・イリッシュ。

 探索者協会の査定は信用できます。

 今回の任務に参加するに足ると協会が判断し、あなたに声が掛かったのなら、能力にも人物にも問題ないかと思われます。

 不安なら実力を見ましょうか?」


 そう言って場を立ったカプリーヌは、後部キャビンから地球のものより一回り大きな鶏卵の入った籠を取り出してきて一つを甲板へと置いた。


「この卵を魔法で凍らせ、できるだけ短い時間で殻を割ってください。このように」


 そう言ってカプリーヌは、青々とした魔石のついた短杖タクトで、甲板に置いた卵を指した。


 パリッ!


 わずかな時間で卵に一筋のヒビが入る。


 凍った事で中の白身の水分が膨張したのだろう。


 だが一瞬で完璧に凍らされているため、その中身はいささかも零れない。


「中身が零れてしまったら、ドンゴさんは明日の朝、卵抜きですよ?」


 カプリーヌは生真面目な顔でそう言って、ドンゴへと卵を1つ渡した。


 ドンゴはもう一度酒を呷ってから、卵を受け取った。


「ふんっ! こちとら育ちの悪い不良探索者だ。

 零しちまっても舐めて今夜の酒のつまみにしてやらぁ」


 そういってドンゴは、腰ほどの高さのある両手杖ワンドを振り翳し、卵へと指し向けた。


 ビシィッ!


 2、3秒の後、卵に勢いよくヒビが入る。僅かに白身が四散したが、卵は形状を保っている。


 カプリーヌは卵を手に取った。


「……制御は少々荒いですが……

 十分及第点です。私はヘルロウキャストの卵を凍らせた事があります。もちろん異常発生時ではない通常時のものですが。

 この出力なら事故の心配はないでしょう。魔力量は?」


「本当か?! へへっ。天下の王国騎士団員に認められると自信になるぜ。こりゃ俺も諦めかけてたBランク探索者への道が開けるかもな……

 ちなみに魔力量は1200ほどだ。コツコツ毎日魔力圧縮の鍛錬をして、基礎魔力量の3倍ここまで伸ばした」


 ドンゴは鼻の下を指でさすりながら笑顔で答えた。


「そうですか。

 ……次の寄港地で訓練用の鶏卵を準備させます。最低限の魔力で同じ事が出来るように訓練しましょう。出力はヘルロウキャストの卵を凍らせる時と同じくらいですから、訓練に丁度いい。

 いかに短時間で沢山の卵を処理できるか。ドンゴさんの働きにこの国の未来が掛かっています。

 今回の任務で十分な成果を残せば、カプリーヌ・ヤクーツクの名においてドンゴさんはBランク探索者に足ると探索者協会に推薦状を書く事を、ここに明言します」


 カプリーヌが右手を胸にふわりと当ててそのように宣言すると、ドンゴはその顔に喜色を浮かべた。


「ほ、本当か?!

 天下の王国騎士団、しかも近衛軍団員であるあんたの推薦を貰えるのはありがてぇ!

 こりゃ気合いも入るってもんだ!」


「お、俺も実力をみてくれ!」


「私もお願いします!」


 そばで様子を見守っていた、同じくCランク探索者のケイファと中央部軍から派遣されてきているパニーが追従する。


 彼らから見たら、王国騎士団員はAランク探索者や軍の将軍よりも立場が上の、雲の上の存在と言える。


 いきなりの任務で船に同乗したものの、どのように接するべきか距離感が掴めず、思いっきり気後れしていたのだが、ドンゴが口火を切って、カプリーヌが特に選民意識を見せなかった事で、いくらか壁が低くなった。


 いや——


 あの王国騎士団が、本当に自分達の力を必要としている。


 カプリーヌの口調からそう肌で感じた事で、彼らの士気は一気に上昇した。


「おいお前、アルって言ったか?

 お前も見てもらえよ! こんなチャンス滅多にねぇぞ!

 こいつはこの歳でDランク探索者らしいので、見どころはある筈ですよ、カプリーヌさん!

 もしかしたら将来は王国騎士団に入るほどの逸材かもしれません!」


 気のいいドンゴは先程から難しい顔で虚空を睨んでいる水色の髪の少年に声をかけたが、少年は虚空を睨んだまま反応を示さない。


 ドンゴは苦笑した。恐らくは余りにも任務の内容が重すぎて、プレッシャーに押しつぶされそうなのだろう。


 確かに普段当たっている依頼に比して、余りにもその内容は重い。すでにベテランの域に達している自分でさえも、酒を飲まねば眠れないほどに。


 カプリーヌの足元にある籠から一つ鶏卵を取ったドンゴは、酒の匂いを漂わせながらアルへと近づいた。


「今からそう硬くなってても仕方がねぇ。肩の力を抜くのが今のお前の仕事だ。

 ほらやってみろ。中々いい杖持ってんじゃねぇか」


 そう言って、鶏卵をアルに握らせた。


 ピシッ!


 アルは目を暗い岸辺へと向けたまま、杖を使わずに手の中で卵を凍らせて、ドンゴへと返した。


 ひび割れた卵はかちこちに凍っており、先程カプリーヌが凍らせた卵のように、その中身はいささかも零れていない。



 それを見て、それまでいかにも興味がなさそうな顔つきで、拳大で球形の魔石が付いた手元の杖を磨いていた、ルルーシュ・シンプレックスが口元を楽しげに歪めた。


 いかにも魔法士という鍔広のとんがり帽子、いわゆる魔女帽子を被っている。


 彼女は王都でも随一の塾生数を誇る、シンプレックス魔法塾の副塾頭じゅくとうを、弱冠20歳にして務める才媛である。



 アルが凍らせた卵をドンゴから受け取って、子供が虫をいたぶるようにツンツンと楽しげにつつく。


「……君……アル君だっけ。

 面白いね。フルネームはなんて言うのかな?」


 だがアルはこの問いかけをも黙殺した。


「ふふっ。

 とんがっている子は嫌いじゃないよ。あたしもやろうかな?

 見ててねアル。君が口を開く価値があるかどうか」


 そういったルルーシュは、アルと同じように片手で卵を握った。


 そしてアルの目の前で凍らせる。


 ピシリと音を立ててたちまち凍りついた卵は、こちらも握られた手に一切卵の中身が付着する事はないほど、瞬間的に凍らされている。


 だが——


 アルは尚も口を開かない。それどころか顔を向けることすらしない。


 流石に見かねた先輩探索者のドンゴが色をなした。



「おい坊主!

 偉い人間にへつらえとは言わねぇが、せめて返事ぐらいしやがれ!」


「ふふっ。良いんだよ、ドンジ。彼にはきっと常人には計り知れない拘りがあるんだ。拘りは研究者には必要な資質の一つだよ」


「誰がドンジだ! 俺の名前はドンゴだ!

 いや、おんなじ探索者としてこいつの態度は許せねぇ!

 信用ならねぇ奴と仕事をすると、簡単に命を落とすのが探索者だ! いくら才能があっても実力があっても最低限のマナーはぜってぇに必要だ!」


 そう言ってドンゴは、アルの肩を掴んで、『まずはこっちを向きやがれ!』と、強引に振り向かせた。


 それまでゾルドの教えを忠実に守り、心頭を滅却していたアルは、そのドンゴが漂わせる酒の匂いに、つい意識を取り戻した。


 そしてよろめきながら立ち上がり、頭を下げ——



「オロロロロロロッ!!!

 ……はぁー、はぁー……

 よ、酔っちゃいました……」


 自分の両手に盛大にリバースし、血走った目で謝罪した。



 だがそのブツはパキパキと音を立てながらたちまちのうちにアルの手の上で凍りつき、甲板にはいささかもこぼれない。


 アルは手のものを川へと投げ捨て、魔法で出した水で手を洗い口をゆすいだ。


「きゃっはっはっ! 自分の吐瀉物を掌から溢さずに凍らせるなんて、ちょっと信じられない変換効率だ! 練習したら出来るの? あたしも練習しようかな! で、君の名前は?」


「アルドオロロロロロロッ!」


 パキパキパキッ!


「きゃっはっはっ!

 凄い凄い凄ーい!」



 嬉しそうに手を叩くルルーシュを見て、カプリーヌが溜息をつきながら横から口を挟んだ。


「彼はDランク探索者アル……と言うよりも、今年のあの・・王立学園1-Aクラス所属にして、体外魔法研究部の部長、アルドーレ・エングレーバーと言った方が話は早いでしょう」



 そう言って、アルが先程凍らせた鶏卵を拾い——


 ?? 


 首を傾げた。


「……冷たいですね……異常なほどに……

 あの一瞬で、杖を使わずにここまで冷やしたのですか。特殊な訓練無しで出来ることではないでしょう。何のためにこのような訓練を?」


「へぇ〜君があの魔法研の部長さん? 塾頭がこぼしていたよ。今年は君の部活動のお陰で王立学園から例年なら来るはずの優秀な塾生が少ないって。ま、どうでもいいけどね。

 で、どんな訓練してるの?」


 2人はドンゴを押し退けて、ずいっとアルへと迫った。



「はぁー、はぁー。おえっ。

 まさか口から氷のビームを出す練習が役に立つ日が来るとは……

 す、すみません、後にして貰っても良いですか? うっぷっ」


 カプリーヌは目の血走った蒼白なアルを見て、『仕方ありませんね』とハンカチを取り出して、魔法で濡らし、失礼、と一言断ってからアルの首筋を冷やし、背中をよしよしとさすった。


「乗り物酔いには頭や首筋を冷やすと効果があるといいます。少しは楽になりましたか?」


 アルは蒼白な顔で頷いた。


「は、はい。ありがとうございます」


「服で体を締め付けるのも良くないって言うよ。そのベルト、少し緩めてあげる」


 ルルーシュはアルのベルトを緩めはじめた。


 そこで船が急に切り返され、ルルーシュはガッチリとよろめくアルを抱き止めた。


「す、すみません!」


「いいよ、気にしないで。

 それよりも早く元気になって、色んな話をしたいな」


 ルルーシュはアルを抱きしめながら、背中を優しくさすった。



 船は大河ルーンを順調に下っていった。


 いや、ナゼか操船は、鬼気迫るほどに鋭くなっていた。


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