第175話 輸送任務(2)
一行が王都ルーンレリアを出立して3時間。
まずは俺が風を操作して、ダンがコックピットで操船をする形で船を進めている。
辺りは真っ暗だが、俺とダンはもちろん、騎士団のグラバー軍団長とキャスさんの2人も夜目はかなり利く様子なので、夜間の航行に不自由は無い。
さらに、グラバーさんの頭には今回の航路上にある暗礁などの危険地帯は全て頭に入っているとの事だ。
凄いとは思うが、職人の勘と経験ではなく精緻な河川図や海図を作るべきだと思う……
グラバーさんとキャスさんの2人は、この3時間、まずはダンの側についてこの船の操船方法を確認している。
今回の輸送任務中に騎士団の2人が風魔法を習得するのは流石に難しいだろうが、2人がコックピットで操船してくれれば、その間に俺とダンが交互に休めるので、全体の行程を詰めるにはどうしても操船できる人間が俺とダン以外にも必要となる。
だから操船の補助をできる人間を頼んだのだが、2人とも帆船の操船レベル自体は俺よりも高そうだ。
特にキャスさんは個人で趣味の帆船をいくつか所有しているらしく、ダンと比較しても遜色ないレベルで船を縦横無尽に操っている。
尤も、俺とダンはこれまで部活動を通じてじっくりと呼吸を合わせているので、俺との連携という意味ではまだまだだ。
風魔法を使って船を速く走らせるには、前と後ろの連携が重要だからな……
そんな事を考えていると、何度かダンと船の操縦を交代しながら基本的な操作を覚えていたグラバーさんとキャスさんが、船の中央に立って風の操作をしていた俺に近づいてきた。
「今基本的な原理をダニエル君に聞いてきたが……この目で見ても信じられんスピードだ……明らかに吹いている風に対して速度がおかしい。
かれこれ3時間は経つが、魔力の方は大丈夫なのかね?」
グラバーさんは、呆れたような顔でそう俺に質問してきた。
「ええ。風を起こして船を押している訳じゃないので、魔力的には問題ありません」
風は現在左斜め後方、つまり北西から風速10m /s程で吹いている。
これを時速に直すと36km /h程で、例えば完全に真後ろからの順風で、揚力を使わず風が帆を押す力だけを用いた場合の最高速度は、どう足掻いても36km以下という事になる。
もちろん実際には水の抵抗などの様々なロスが加わるので、これよりトップスピードは落ちる。
だが今船は時速36kmよりも速度が出ているだろう。
直感的には理解し難いかもしれないが、揚力を上手く使えば吹いている風以上のスピードが出せるのが帆船の面白いところだ。
風魔法の点から見たポイントは二つある。
一つは順風を俺が操作して横風に変え、揚力を使いながら走っている事。
これは結構難易度が高く、広い範囲の空気の流れを操作する必要があるので、ダンにはまだ出来ない。
俺でも流石に風向きを180度変えるような事は効率が悪くて実用的ではないが、離れた場所から風を回して角度を30度ほどずらす事は、ほぼ魔力のロス無く出来るようになった。
翼のある魔導車の開発でも、翼に風をどう当てるか、つまり
もう一つのポイントは、帆から風が乖離しないようにギリギリのラインを見極めて揚力を発生させる事だ。
帆の内側を通る風の速度を抑えて、外側を通る風との速度差を広げる事で通常よりも大きな揚力を得るのだが、やり過ぎると空気の流れが乱れて帆から離れ、いわゆる飛行機でいう失速状態に陥る。
この乱れを魔力操作で押さえ込む事も出来なくはないが、難易度が高いし当然限界もあるので、自分がコントロール出来るギリギリを見極めて揚力を発生させる必要がある。
そして、これらの点について俺がコントロールできる限界を、船の舵を取る
自然が相手だと急に風が回ったり、あるいは抜けたりといった事が頻繁に起こるので、その度に魔法と操船の両面から呼吸を合わせて微調整をし、船を立て直す必要があるからだ。
勿論能動的に船を回頭させる時なども、高いレベルで船を運用しようと思うと一糸乱れぬ連携が必要になる。
このように、風魔法を使った帆船の操船は実に奥深い。
そして、だからこそ楽しい。
キャスさんは興奮した様子で目を輝かせ、だが声量をギリギリまで絞って声を掛けてきた。
「間違いなく世界が変わる大発見だね。
すでに実用化も成っているし、この技術を発表したら歴史に名を残すのは間違いない。
一般化に課題があるから秘匿してた、なんてダンは言っていたけど、到底そんな説明で納得できるレベルの内容じゃないぞ?
あぁいや、隠していた事を責めるつもりは無い。
むしろ賢明な判断だと思うよ。海運史を塗り替え兼ねない程の影響が見込まれるんだからな。
だがどんな風にこの技術を育てるつもりなのか……
そもそも世に大々的に出すつもりはあるのか……
その辺りを確認させてくれないか?
アレンの意向を知っておけば、俺もグラバーさんも、ある程度は力になれると思うぞ?」
「その辺りの判断はダンに任せています。俺としては、
俺がごくあっさりとそのように言うと、2人は口をあんぐりと開けて顔を見合わせた。
グラバーさんが苦笑しながら自分の額を手で覆って首を振る。
「……君はキャスの話を聞いていたかね?
水軍の運用方式が根本からひっくり返り兼ねない大発見を……この程度……?
王立学園のAクラスに在籍する君に、この価値が分からないはずがあるまい」
う〜ん、分からなくもないのだが、俺は金や名誉に興味ないしなぁ。
しかも自分で発見したのではなく、ただの前世カンニングだし……
前世はバカ真面目な日本人だったし、とても調子に乗って鼻を伸ばす気にはならない。
「……グラバーさんの言わんとする事は分からなくもないのですが、俺は金や名誉に興味がないですからね……
それよりも、この技術が広まって、
「……何かね、その『風友』というのは……」
「え? え〜っと、魔法で風を操って、共にロマンを追い求める友達です!」
俺がこのように思いつきで適当な返答をすると、キャスさんは楽しそうに笑った。
「くくっ!
……俺も小さい頃は体外魔法の才能に憧れたもんだ。アレンの歳になる頃には諦めていたけどな。
いいねぇ、燃えてきた。
俺たちも近頃名高い王立学園体外魔法研究部が中心となって研究を進めている、噂の『
あのムジカ先輩が顧問を務め、『修羅の道』と評したという深淵に……
ね、グラバーさん?」
キャスさんはムジカ先生と知り合いなのか? まぁ歳も近そうだし、学園時代の顔見知りか何かだろう。
こうキャスさんに話を振られたグラバーさんは、肩をガックリと落とした。
「避けては通れない事は分かっているのだがね……
私には、結婚を控えた娘がいるんだ……頼むから『
俺はポリポリと頬を掻いた。
あの魔法研のバカどもには、『何が捲り道だ!』と何回も雷を落としているが、一向に改める様子がない。
それどころか、『それが拙者の生きる『道』でござる!』などと裂帛の気合と共に宣言されて、こっちがアホらしくなって根負けしている。
「あはは、それは俺が言い出した事じゃありませんからね……
つまり、お二人は王立学園の帆船部に所属するという意味でしょうか?」
そんな事できるの?
俺が不思議そうに首を捻っていると、グラバーさんは首を振った。
「私たちは卒業生だが、学園の部活に加入する権利はないし、その時間もない。
現実的には王立学園の帆船部と王国騎士団で共同研究契約を締結して、研究成果を共有する……と言ったところかね。
それなら例がない事もない。あの学園に所属する研究者は優秀だからね。
尤も、学生主体の部活動と、王国騎士団が共同研究をするという例は、いかに王立学園とはいえ聞いた事もないがね」
なるほどね。
確かに学園所属の魔道具研究者であるエミー先生は、俺がうっかり口を滑らせて始まった表計算ソフトの開発プロジェクトに入っているから、それと似たような物だろう。
こちらのメリットはどうせ名誉や資金力で、全く必要性を感じないが、敢えて断って敵対する必要もない。
技術が発展していくのはいい事だし、風魔法人口が増えるのは俺にとっても歓迎できるしな。
「まぁ帆船部については部長に方針を一任しているので、ダンと話を付けてください」
俺はめんどくさそうな手続き関係を、さり気なくダンに丸投げした。
因みに、俺が先程『
実はダンは、今乗っている従来型の帆船とは、設計思想が根本から異なる新たな帆船の可能性に気がついている。
俺が前世の流用でこの物理現象のことを『流体力学』などと便宜的に呼びながら意見交換していると、勘のいいダンは『流体? つまりこの現象は空気だけじゃなく、流れのある……例えば水なんかにも応用できるってアレンは考えているのか?』なんて聞いてきた。
そうダンに指摘されて、俺は『可能性はあるんじゃないか?』なんて誤魔化しつつ、ある事を思い出していた。
日本にいた頃、とある離島に出張で行く客船が、ジェットフォイルと呼ばれる方式の高速船だった事がある。
水中に小さな翼を入れる事で船体が浮き上がり、翼以外の部分が離水して水の抵抗を受けずに進むという、言わば空飛ぶ船だ。
水と空気では密度が何百倍も違うので、発生する揚力も桁違いでこんな不思議なことがおきる。
興味本位でネットでざっと調べたところ、前世のヨットの世界大会ではこのフォイリングと呼ばれる船体を浮かして走る方式が主流となっており、その最高速度は確か時速100kmを超えていたはずだ。
もちろん魔法無しで、風の力だけで進むにも関わらずだ。
風魔法を組み合わせたら一体どれだけ速度が出るのか、想像もつかない。
まだ魔導船よりも身体強化魔法で必死こいて船を漕ぐ方が速いような世界に、あんな物が導入されたら、間違いなく世界が一変するだろう。
現行船はまだその要素技術を研究している、ただの一里塚という事だ。
だが、ダンならばいつかその新たな世界を切り開くと見ている。
「アレンとダンには差をつけられているけれど、俺たちはこの国を背負う王国騎士団だからな。
決して与えられるだけじゃなく、君たちにとっても価値ある研究成果を示して見せるさ」
そう闘志を感じる目で不敵に笑うキャスさんを見て、俺はにっこりと笑った。
船は大河ルーンを順調に下っていった。
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