第177話 輸送任務(4)



 アルめ!


 俺がこの国に生きるすべての人の笑顔を守るという崇高な目的のために、無私の心で必死に船を進めている時に、何をイチャコラしているんだ?


 しかも銀髪サラサラヘアーの超絶美人お姉様と、ちびっ子魔女っ子お姉さんだと?!


 全くもって不条理だ!



 俺は即座にダンへと限界ギリギリの全力航行へ切り替える旨のハンドサインを送った。


 くっくっく。


 許せアル……皆の笑顔を守るため、体力が万全な今のうちに、少しでもときを稼ぐ必要がある……



 ダンは即座に親指を立てて了解の意を返して来た。


 そして次の瞬間、船が軋むほど鋭く船を切り返した。


 帆桁ほげたが回転した瞬間、俺は風向を最適な角度に回し、さらに帆の内側を通り抜ける風の速度を瞬時に下降させ、ダンが急激に巻き上げるラインの引き締めに風速をビタリと合わせて揚力をぐんと引き上げる。


 たちまち船は大きく傾きながらアクセルを踏み込んだかのように鋭く加速し——



 次の瞬間、アルはちびっ子で魔女っ子なお姉さんの、ふくよかな胸へとダイブした。


「す、すみません!」


「いいよ、気にしないで。

 それよりも早く元気になって、色んな話をしたいな」


 魔女っ子お姉さんが優しくアルを抱き止めて背中をさする。



 な、なんだと……?!


 俺は、いつのまにかラブコメ主人公のような特殊技能を身につけていたアルに驚愕した。


「ちっ、船酔いとはな……それならそうと言えばいいのによ……何で王立学園のAクラス生が探索者なんてやってやがんだ」


 さっきアルに物の道理を教えていた、いかにも探索者然としたおっちゃんがブツブツと愚痴をこぼしながら後部デッキのトイレの方に歩いて行く。


「全くですね、ドンジさん。

 あのガキいっぺん締めて、探索者の流儀を教えた方がいいんじゃねぇですか? イチャコラしやがって、仕事を舐めてますぜ」


 俺がこの国の笑顔のために厳しく注意するようおっちゃんに促すと、おっちゃんは一瞬憮然とした顔をしたが、すぐ気を取り直すように首を横に振った。


「俺はドンジじゃなくてドンゴだ。

 いや、乗り物酔いは仕方がねぇんだけどよ。

 俺も若い頃に初めて遠出の依頼で乗合馬車に乗った時に吐いて、先輩達に大目玉食らった事があるしよ……辛えのはわかんだ。

 ……と言うか探索者の流儀も何も、あんたはそのマントからして第三軍団の騎士団員様だろう。

 随分とわけぇ……ん?

 お面した若い第三軍団員で、アレンと言えば——」


 おっちゃんはそう言って、珍獣を見つけたような顔で静止した。


 しまった、いかにも気のいい探索者の空気を醸し出すおっちゃんの雰囲気に釣られて、ついうっかり探索者モードで話をしてしまった。


 因みに、俺は騎士団員として活動する時は、だいたい身バレ防止のためにお面を付けている。


 今日のお面は、ミモザに頼んでわざわざキリカの街で買い付けて来て貰った、例のおじさんシリーズの新作で、お値段49リアルだ。


 これまでの物とは趣向が異なり、目の部分が空洞になっているので、物理的な視覚も確保されている。


 由緒ある仏像を思わせる、薄くて深い微笑を浮かべるそのお面を掲げ、ぽっかりと空いた目の空洞を見ていると、違う宇宙へ吸い込まれそうなほどのスケールを感じる。


 着けた時の気分は、釈迦の腕の中から飛び去ろうとする孫悟空だ。実にいい買い物をした。



 しかし……強面こわもての割に気の優しい人だな。

 もっと厳しくていいのに……


お面これはただの趣味です。

 ところでこれから少々荒れそうです。しっかり掴まっていてください——

 ね!!」


 俺がそう言って右手を真横に振ると同時に、船は再びジャイブ回頭した。



「おわぁ!」


 おっちゃんはよろめいて、船の側壁へとしがみついた。


 ちぃ! 鋭い!


 ダンめ、本当に秒単位で時間を削りにきているな。油断してると転覆しかねないぞ……



「ぐうぅぅ」


 前方でアルが呻き声を上げた。


「大丈夫ですか? このミント系の薬草を噛んでください。少しは胃のムカつきが取れて気分がすっきりすると思います。

 ……暫くは荒れそうですね。

 膝を枕に使ってください」


 な、何だと?!



「えぇ!?

 いや、万が一吐いたらまずいので! うわぁっうぷっ」


「別に構いませんよ。汚れたら着替えて洗えばいいのです。大事の前の小事です。

 皆さんを可能な限り万全な状態で現地入りさせるのも私の仕事です」


「……あの〜、カプリーヌさん。俺もちっと酔っちゃったかな〜……」


「お酒の飲み過ぎですね。ドンゴさんはどうぞもう今日はキャビンでお休みになってください」


「…………」



 ◆



 東の空が白み、朝日が昇る。


 それでも俺とダンは手を緩めない。


 祈るように……何かの壁を打ち破るように。


 だが祈りは届かない。


 胃の中の物を全て出し尽くしたアルは、未明から船首に向かってひたすらに座禅を組み、そしてなぜかそのアルを支えるように2人の美女が両脇を支持している。


 暖かそうなブランケットに仲良く包まって、神々しくルーン川の先から立ち昇った朝の日を浴びている。



 なぜ船酔いすると美女と一緒にブランケットへと包まる事になるのかはサッパリ分からない。


 だが俺とダンが手荒な操船をすればするほど、北風と太陽の物語の如く3人の絆は強固になっていった。




 午前8時。


 最初の寄港地であるドスペリオル領の河川港、マイノアが見えて来たところで、俺はようやく船足を落とすように、ダンヘ向かってハンドサインを出した。


 死力を尽くし切った俺が呆然と立ち尽くしていると、コックピットからキャスさんが顔を引き攣らせながらやってきて、俺の肩に手を置いた。


「いやぁ〜凄まじかった……

 言葉が見つからないね」


 とたんに膝からかくんと力が抜け、俺は膝をついた。このまま崩れ落ちて灰になりそうだ。


 魔力的なロスはほぼ無いとはいえ、風や波を見極めながら、ダンと呼吸を合わせ、一歩間違えたら転覆につながりかねないほど繊細な風の制御をぶっ続けで8時間。


 出航は夜の20時だったので、操船自体は12時間ぶっ通しでしていた事になる。


 当初俺が想定していたよりも、2時間以上は時間を詰めただろう。


 ……体力というよりも、精神面がもう限界だ。色んな意味で。



「大丈夫か?

 いやぁ〜鬼気迫る、とはこの事だ。

 神話に出てくる破壊を司る神『シド』でもその背中に宿ったのかと思うほど、攻撃的な操船だった。

 ……接岸から積み込みまではこっちで責任を持ってやっておくから、2人は少しでも休んだ方がいい」


 そう言って、キャスさんはダンと操船を代わりに再びコックピットへ帰って行った。


 俺とダンが世のため人のために全力航行を繰り広げた事で、船の上は異様な雰囲気になっていた。


 グラバーさんとキャスさんこそ流石に船酔いするような事は無かったが、その他の魔法士7名は押し並べて顔色が悪い。


 何人かはアル以外も、川に向かって吐いていた。



 キャスさんと入れ違うように、グラバーさんか神妙な顔つきで近づいてきて、重々しく頷いた。


「すべて君の狙い通り、なのかね。

 出港前のあの学生然としたチャラついた雰囲気は一体何だったのか……

 急拵えで集められた立場の異なるメンバーで、いかにもチグハグだった皆を、どうやって一纏めにするかと頭を悩ませていたのだがね。

 君達の、生きるか死ぬかの戦場を思わせる操船に当てられて、皆の顔が見違えるように引き締まった。私も含めてね。

 我々はすでにチームだ。

 この国の守護を請け負う騎士団を代表して……そして、この国に住まう者として、君達の覚悟に感謝する」


 グラバーさんが意味のわからない事を言い始めたので、俺はとりあえず当たり障りのない返事をした。


「…………宇宙の平和のためです」



 するとそこへ、なぜか清々しい顔をしたダンがやってきて、嬉しげに両の掌を上に向けた形で前に出し、ゆっくりと開いたり閉じたりした。


 その手は擦り切れて血が滴っており、プルプルと小刻みに痙攣している。


「気合い入ってたなアレン。

 だが随分と息が合った。

 俺たちが比較的波が穏やかな川でここまで仕上げておかないと、この先きついか?」


 ダンはいかにも満ち足りた、キラキラと輝くじゃがいもスマイルをその顔に浮かべた。


 眩しい! じゃがいもの笑顔が眩しすぎて、俺はクラクラと目眩がした。


 どう見てもアドレナリンが出まくった、ランナーズハイの様な状態になっている。


「ば、馬鹿なのか?!

 あれをよく見ろダン!」


 俺は慌ててアルのイチャコラを指差した。


「ん?

 あぁ、分かってるさ。アルは自分のやるべきことをやっている。

 俺たちの仕事は、アルの船酔いを気遣って妥協することじゃない。皆を少しでも早く現地へと送り届けることだ。

 その為にやれる事は全部やる! 

 俺も覚悟は決まってる」


 ダンは力強く頷いて親指をびしっと立てた。


 イチャコラあれのどこがやるべき事なんだ……その親指へし折るぞ……

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