第172話 使者(1)



 王都にあるサルドス伯爵家の別邸。


 リビングでダンに詰め寄っているのは、ダンの実父であるトーマス・フォン・サルドス伯爵だ。


「まだアレン・ロヴェーヌ君のアポイントは取れんのか! 非公式でいいとは伝えたのだろうな!」



 本人の主観によると、サルドス伯爵は追い詰められていた。


 昨年の末に開かれたグラウクス侯爵地方の有力貴族が集まる会合で、侯爵を始め、同地方の有力者達に散々嫌味を言われたからだ。


 同格である伯爵達の言葉は貴族社会らしい迂遠なものだったが、その趣旨は『息子に舐められている当主失格の人間』という内容だ。


 これだけでもかなりサルドス伯爵にとっては屈辱的だったが、年始に恒例の侯爵会合をひかえた、グラウクス侯爵の言葉はさらに辛辣だった。


 面と向かって『息子が優秀でも親がこれではの……期待するだけ無駄か』などとため息をつかれたりした。


 その侯爵会合はつい先日開かれたはずだが、ダンに関する噂が一切聞こえてこない事も、サルドス伯爵にプレッシャーをかけている。



 ダンの成績は王立学園学年2位。


 本来であればその事だけで賞賛が止まないはずの壮挙だ。


 だが、アレンがやりたい事をやるために、思いつくままに数々の部活動を立ち上げ、期せずして巻き込まれていった周囲の人間から、1年生にして部長個人として名前が売れ始める者がチラホラと出始めた。


 人という生き物は罪深い。


 ダンが、どれほどの努力の上で今の立場にいるかなどには考えが及ばず、ただの・・・学年2位よりも上を期待するようになっていた。


 想像力が欠如しているとしか言いようがない。


 まぁこれは、夏にアレンがダンの実家を訪ねた事を受け、サルドス伯爵が散々親友だ何だとその事を周囲に自慢して鼻を伸ばしてきた事が大いに関係しているので、伯爵の自業自得とも言える。



「調整していますが、何せ忙しいやつなので……」


 ダンは申し訳なさそうに俯いた。

 だがその実、大して調整などしていない。



 そもそも王立学園生に面会依頼やパーティーの招待状を外部の人間が直接出す事は、原則として禁止されている。


 これを認めると、有力貴族が生家の力関係などを利用して、あの手この手で在学生の青田買いをして取り込もうとし、学業に支障が出る事は火を見るよりも明らかだからだ。


 実際、過去にはその様な大人の都合でその才能を潰された学生が何人もおり、この様なルールが制定されている。


 数少ない接触方法の一つは、学園の同窓生を通じてあくまで私的な交流を持つ事だが、アレンは実家のあるドラグーン地方を取りまとめるメリア・ドラグーンを始め、全てのコンタクトをにべもなく断っている。


 ザイツィンガーやらレベランスも好意的な態度を明らかにしているにも関わらず、そちら方面に靡く様子も一切ない。



 アレンは、用も無いのにわざわざ偉い人間に会って、肩の凝るメシを食うほど暇では無いと考えている。


 さらに一つでも面会を受けると、我も我もと他からも依頼が殺到して自分の貴重な時間が浪費されると考えているからだ。

 その予想自体は間違いではないだろう。


 実際に全ての面会依頼を謝絶できる人間がアレンの他にいるかどうかは別だが……



 クラスメイトを始めとした同窓生達も、このアレンを取り巻く危ういバランスについては当然理解しており、これを不用意に崩さない事が暗黙の了解としてある。


 と言うよりも、恐ろしくてとても踏み込めない。


 はたで見ているだけで胃が痛くなりそうなほど、絶妙極まりないバランスの中を、涼しい顔で泳ぎ回る、頭のネジがぶっ飛んでいるアレンに対して、他の勢力を出し抜いて何らかの政治的な動きをするのは、堅実バカとアレンが評するベスターならずとも、慎重にならざるを得ない。


 その点で言えば、アレンの名がまだ売れる前に、ファーストコンタクトで見出し、誰よりも先んじて動いたフェイと、挨拶の言葉すら交わす前にすぐさま追随を表明したジュエは、尋常ではない慧眼と胆力の持ち主と言えるだろう。


 それは女の勘か、はたまた2人の器量のなせる技か。



 話がそれたが、ダンとしてもその不文律を崩して強いて面会などセットしても、話がややこしくなるだけなのは目に見えているので、一応形式的にアレンには伯爵の依頼を伝えた上で、断って貰っている。


 アレンは『それでダンが帆船部に注力できるなら、別に面会しても構わないぞ? 俺が一言言ってやろうか? ビシッとな。くっくっく』などと、ダンにいい笑顔で伝えたが、ダンは慌てて手を振った。


 ダンのバランス感覚からすると、アレンがメリア・ドラグーンを始めとした有力貴族の誘いを片っ端から断っている状況で、これを飛び越して父と面会などあり得ない。



「所詮は卑しい妾ばらの子という事ですよ、父上。あの腹立たしい商会といい、庶民どもには俺たち上級貴族が魑魅魍魎の貴族政治の世界でどれほど苦労しているのか、想像が及ばないのでしょう」


 こう言ったのは伯爵家の跡取りが内定しているものの、苦手な社交からはこれまで逃げまくってきたダンの長兄、コーディーちゃんだ。


 だがダンが突出した成績を収め、夏に帰省した際に散々地方の有力貴族から誉めそやされて、ついでに『グラウクスの未来はサルドス家にかかっております。頼みますぞ!』などとそのおこぼれに預かって味をしめ、調子に乗って新年の社交シーズンに合わせて王都へと出てきている。


 そのコーディーちゃんを、サルドス伯爵はギロリと睨みつけた。


「何が魑魅魍魎だ、コーディーよ。貴様は何もしておらんだろう。せめて外では身の程をわきまえて、その不遜な態度を改めよ」


 サルドス伯爵の頭痛の種は、このコーディーちゃんにもある。


 元々内弁慶ではあったものの、表向きは謙虚な姿勢を保つ程度の知性はあった。


 だが、これまで出来が悪いと後ろ指を刺されてきたコンプレックスが、なぜかダンが優秀な事によって取れて、程度の低さが目に余るようになってきている。


「あなた! それはどういう意味ですか?!

 まさかサルドス家の跡取りであるコーディーちゃんに、庶民の子であるダニエルごときに諂えとでも言うおつもりですか?

 それでは本末転倒ではありませんか!

 コーディーちゃんが王都に来てまだほんの僅かな期間しかたっていませんのに、社交で結果を求めるのは余りに酷と言うものでしょう。違いますか?!」


 サルドス伯爵の頭痛の種は、このコーディーちゃんの実母である、正妻のブリランテにもある。


 何が本末転倒なのかはさっぱり分からないが、伯爵ははっきり言って、この愛息を叱ると途端にヒステリックになるブリランテが苦手だった。


 他地方から政略結婚で嫁いできており、その血筋の高貴さが拠り所のこの妻は、弁が立ち、社交の世界では一定水準の実力はある。


 だが血統主義的な思想が強く、これほど結果を出しているダンを許容できる器が皆無である点、サルドス伯爵としてもやり辛くて仕方がない。


 伯爵は忙しさにかまけてついこれらの問題面倒事から目を逸らし続けてきた結果、すでに夫婦間における威厳などは消え失せている。


 よくあるパターンである。


 伯爵の指摘は回り回ってコーディーちゃんの為になるのだが、いくら言い争っても埒があかない事は、これまでの夫婦喧嘩の実績から目に見えている。


 そうしてサルドス伯爵は、今日も問題から目を逸らした。



 伯爵が言い返して来なかったので、不完全燃焼気味となったブリランテは、矛先をダンの実母であるビーナに向けた。


「それに、コーディーちゃんの指摘も尤もです。ビーナさんの妹の、確かミモザさんと言う方も、随分と無遠慮な輩のようですし。

 まったく……たかだか田舎港町の一商会の分際で、領主家への挨拶もなく王立学園の部活動のスポンサーにつくだなんて……

 庶民は神経が図太くて、本当に羨ましいこと!」


 ビーナは申し訳なさそうに俯いた。

 だがその実、別に何とも思っていない。


 伯爵家での生活は肌に合わないし、いつ叩き出されても一向に構わないと思っているのだから、この程度の嫌味を気にしろと言われても難しい。


 むしろ最近は、器にそぐわない境遇に右往左往させられている夫が可愛らしいとすら思う。


 もちろん口に出してはいないし、なるべく刺激しないように殊勝な態度を崩してもいないが、ブリランテなどはビーナの心中の余裕を正確に読み取っており、一時期のビーナへの風当たりのキツさは相当なものがあった。


 だがいくら嫌味を言ってもビーナから余裕が失われる事がなく、と言って反撃もないものだから、近頃ブリランテはどこか薄気味悪くなっている。


 彼女とビーナでは、価値観が全く違うので、ビーナの心中をブリランテが正確に理解できるはずがない。


「……妹が皆様に迷惑をおかけして申し訳ありません。

 ダンも、父上を困らせてはなりませんよ」


「承知しております」



 そして最後の頭痛の種は、ミモザが王立学園の帆船部に船を供与しているという事実だ。


 普通に考えれば、自領の商会があの王立学園のスポンサーを勝ち取る事自体は、素晴らしい快挙だ。


 だがダンを婚外子として放置していた事を、見栄でつい隠した伯爵としては、その生家で育ちの家でもある凪風商会の名が通るのは、非常によろしく無い。


 実際は、アレンがダンの与り知らぬ所で勝手に観光に来て、ミモザと勝手に知り合って、勝手に交渉してスポンサー契約を交わしただけであり、ダンも繰り返しそう説明しているのだが、余りに出来すぎており、はいそうですかと信じられる内容では無い。


 尤も、仮にそれが事実だとしても、問題となるのは世間がどう見るかだ。


 普通に考えたら、サルドス家と、そしてダンと深い繋がりがあると見るだろう。


 他領の貴族から、『あの商会はサルドス家の隠し球ですかな? わしにだけは真実を教えてくれませんかな』などと探りを入れられ、しどろもどろに誤魔化すのが精一杯となっている。サルドス伯爵としては、まさか知らぬとは言えない。


 一度ミモザを王都の別邸に呼びつけて、脅しをかけて従わそうとしたり、褒美を渡して取り込もうとしたが、サルドス領から出て王都に拠点を移すと腹を括っているミモザは、全て柳に風で受け流した。


 今更サルドス領内で手を広げる事で満足するような、控えめな女では無い。


 あの姉にしてこの妹ありとでも言おうか……サルドス伯爵は目眩がした。


 これで帆船部が何らかの成果を残し、好意的な目で世間に見られているならば、まだ妥協する余地はあった。


 だが、その様な気配は全くなく、寧ろ世間の目は時が経つごとに冷えていくばかりだ。


 ……とにかくこれ以上目立たれては敵わない。


 サルドス伯爵は王都に拠点を移すために近頃進出した凪風商会の王都支店だけでも何とか潰そうと、あの手この手で嫌がらせをした。


 だが後ろ盾についている鶴竜会という団体が厄介で、これもことごとく失敗している。


 特にあの代表のジンという名の男は——



 そこで家令が真っ青な顔で部屋へと飛び込んできた。



「大変にございます!

 グラウクス地方の大事との事で、グラウクス侯爵が自ら使者としていらっしゃいました!」


「こ、侯爵ご本人が、し、使者だと〜!? 一体誰の使者で、何の用件だ!」


 家令は平伏した。


「は、ダニエルぼっちゃまに緊急の要請があるとの事にございます。そ、それが……魔導車には……へ、陛下からの使者である事を示す、ユグリア王家の紋章が掲げられてございます!」


 一同は僅かな時絶句し、そして一斉にダンを見た。


 ダンは思い切り顔を引き攣らせながら、ゆっくりと首を振った。

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