第173話 使者(2)
「こ、侯爵閣下直々にお出ましいただき、恐悦至極にございます。ささ、碌な準備もございませんが、どうぞお上がりくだされ」
サルドス伯爵は汗をダラダラとかきながら、ダニエルを伴って出迎えに出た。
国王陛下の使者という事は、それに準ずる応対が必要だが、なにぶん急な事で碌な準備がない。
「緊急時ゆえ
学園に問い合わせたらこちらと聞いたのでな。
夏休みぶりだなダニエル。壮健そうでなによりだ」
そう切り出した侯爵は、1つ咳払いをした後、一段低い玄関で直立したまま、使者として現状を淡々と、だがはっきりとした声で説明し始めた。
「……そんな訳で、陛下をはじめ、この国の首脳陣の面前で、彼は高らかに宣言した訳だ。今この国の窮状を打破できるのは、自分の友人であるダンをおいてほかにないとな……
……ダニエルよ。
帆船部を快く思っておらなんだわしが、いまさらこの様に頼むのは虫のいい話だ。わしを許せなどと都合のいい事は言わん。だがどうか、グラウクス地方を……この国を救うと思うて、どうかこの要請を受けては貰えんだろうか」
グラウクス侯爵は玄関に直立したまま、真っ直ぐにダンの目を見て、最後に頭を下げた。
ダンはその余りに凄まじい
すると、離れた場所で話を聞いていたコーディーちゃんが揉み手をしながら現れて、こんな事を言った。
「何をぼけっとしてるんだ、ダニエル! 否も応もないだろう! すぐに承諾しないか! ささっ、頭を上げてください、グラウクス侯」
だがこのコーディーちゃんの発言は、完全に無視された。
意識を取り戻したダンは、その場で片膝をつき右手を胸に当てた。
「……謹んでお受けいたします」
ダンがそう言うと、グラウクス侯爵はやっと頭を上げて息を吐いた。
「これで安堵した。
……ダニエルよ、良き友を得たな。
アレン・ロヴェーヌは明らかに怒っておった。先入観を捨ててダンを見てみろと。あいつはダニエル・サルドスだと……居並ぶ陛下と重鎮の面前で、あの様な子供に説諭され、わしは一言も言葉が出なんだわ」
そう言って侯爵は苦笑した。
「……あいつの言う事をいちいち真に受けてはなりませんよ、侯爵。あいつは……アレン・ロヴェーヌですから」
ダンは頭がクラクラとしていたが、辛うじて持ち堪えてそうやり返すと、侯爵は愉快そうに笑い、サルドス伯爵へと向き直った。
「……お主も中々のたぬきよな。
あれだけ皆に責められても子息を守り抜き、信じて育てあげる胆力は見事と言う他ない。
おっと、嫌味を言うておるのではない。はたから見ておる他人は、すぐに結果を出せと無責任な事を言いがちだ。このわしを含めてな。
お主の我慢は貴族家当主としても、父親としても正しい。
してやられたぞ、トーマス」
こう朗らかに言われ肩を叩かれた伯爵は、しどろもどろになりながら、辛うじて答えた。
「わ、私がたぬきだなど、とんでもない。侯爵を謀る意図など、つゆほどもございません」
侯爵は笑った。
「わっはっは! グラウクスの情報部を甘く見るでないわ。ダニエルの生い立ちから凪風商会とやらの関係性まで、わしが把握しておらん訳がなかろう。全てお主の計算通り、そうだろう?
いや、見直したぞトーマス。ダニエルがこの国で唯一無二——
この
先日の侯爵会合の内容からしても、間違いなく国中の貴族が帆船部を笑うておるだろう。くっくっく。
さぁダニエル、出立の準備をして来い。わしの魔導車で港まで送ろう」
ダンは一礼して、荷物を纏めにその場を辞した。
それをニコニコと見届けたグラウクス侯爵は——
笑顔を吹き消した。
いつのまにかそこには、魑魅魍魎の貴族政治の世界で、切った張ったを繰り返しながら生き抜いてきた大貴族が立っていた。
「そうそう——
王の名代としてこの場におるわしが、ダニエルに頭を下げておる最中に、何を勘違いしたのか口を挟んだ輩がおったのう」
侯爵はそう言って、虫けらを見る目で口を挟んだ輩を睨み倒した。
コーディーちゃんと、その後ろで彼を支える様に立っているブリランテは、そのあまりの迫力に戦慄した。
「ダニエルは王立学園1年生にして、すでに御前会議の場でその名が出るほどの傑物だ……
己の分をわきまえよ!」
侯爵は、若い時分に軍で鍛え上げた大きな身体を震わせる様にして、大喝した。
「ひぃっ!」
可哀想なコーディーちゃんは、その場で尻餅をついた。
その目にみるみる涙が溜まるのを見て、侯爵はため息をついて語気を緩めた。
「貴様もグラウクス地方の貴族の端くれならば、此度の変事で貴族としての価値を示せ。
わしと口を利きたくば、ダニエルのように相応の実力をつけるか、実績を残すのだな」
サルドス伯爵は慌てて頭を下げた。
「はっ!
コーディー・サルドスは、此度の変事に従軍し、必ずや貴族としての価値を示してみせまする」
この夫のいきなりの発言に、ブリランテは目を剥いた。
「あなた! いきなり何を血迷っておいでなのですか!
この子は気心が優しく、とても従軍などできる人間ではありません! サルドス家の跡取りにもしもの事があったらどうするおつもり——」
だがサルドス伯爵は、キッパリと首を振った。
「ならん!
これはグラウクス候の温情ぞ。コーディーが今何をしたのか、分からんお前でもあるまい……
コーディーは、王の名代として侯爵が要請を述べておられる最中に横から口を挟んだばかりか、顔を上げろと言ったのだ。恐れ多くも王の名代に、だ。
勘違いも甚だしい。そもそも途中で口を開く資格があるのは、ダニエルだけだ。
貴族学校を卒業した貴族が、知らなかったで済まされる話ではない。
今すぐ貴族籍を剥奪されて鉱山送りにされて当然、侯爵の腹づもり一つでサルドス伯爵家そのものにも累が及んでも不思議ではない。そうなればコーディーは、貴族として死んだも同然ぞ」
そう言ったサルドス伯爵は、『ご温情、感謝いたします』と言って、改めて侯爵に頭を下げた。
「……ダニエルを育て上げたお主には期待しておる。
世継ぎの方も、ダニエルの足を引っ張らぬよう、いちから鍛え上げよ。
特別にわしの方から、一際厳しい現場で一兵卒として従軍できる様に、手を回しておいてやろう」
「あ、ありがたき幸せにございます!」
◆
港への移動の車中。
「……父上の立場を守っていただき、ありがとうございます」
ダンはそう言って頭を下げた。
グラウクス侯爵が、敢えて『全て
ちなみに、荷物を纏めて玄関へと戻ると、コーディーちゃんとブリランテがなぜか放心していたが、何があったのかは知らない。
大体予想はつくが、確認する気にもならなかった。
グラウクス侯爵はダンをじっと見た。
「お主も苦労するのう……
ダニエルよ。正直に答えてほしい。お主は父親のことをどう思っておる?」
侯爵に見つめられ、その意味を正確に把握したダンは、一度息を吸ってから訥々と答えた。
「正直に言って、父親という感覚はあまりありません。
ですが……感謝しています。
伯爵家に俺を迎え入れ、徹底的に鍛えてくれた事を。
あの学園に、俺を送りこんでくれた事を。
俺に、生きる場所を与えてくれた事を。
……
ダンが侯爵を真っ直ぐに見てそう返答すると、侯爵は一つ頷いて更に問うた。
「お主をグラウクス家で養子に取りたいと言ったら?
もちろん、お主の母であるビーナもきちんとした待遇で迎え入れる」
これが本題だろうと予想していたダンは、すぐに首を横に振った。
「ありがたいお話ですが、俺にとってはあの生まれ育った街は特別な場所です。
……きっと母上にとっても。俺たちが帰る場所は、
侯爵は苦笑した。
「青臭いのう……だが嫌いではない。
貴族にとって、己の育った領地への執着は重要だと、わしは思う。
まぁその件は一旦忘れよ。
……それと、ミモザと言ったか? お主の叔母が営む商会に出資したいのだが、紹介しては貰えんかな?」
ダンは苦笑して首を傾げた。
「……俺には商売の事は分かりませんが、紹介はさせていただきます。ですが、出資については、例え侯爵の打診でもミモねえ……叔母はおそらく断る気がします。独立に拘る気風の強い人なので」
グラウクス侯爵は目を丸くした。
「ふ〜む。調査した所、中々気骨が有りそうではあったが、わしからの要請でも断るか……
まぁそういう商売人を無理に飼い殺そうとした所で、持ち味を殺してしまうだけだの。
では、対等に商いの話をしたいゆえ、紹介だけを頼む。強引な事をして、お主と敵対するのは得策ではないしのう」
ダンはやや気まずそうな顔で頷いた。
「しかし……時代かの。
そう言って、眉をハの字に落としたグラウクス侯爵は、子供の様に口を尖らせた。
侯爵と2人きりの車中で流石に硬くなっていたダンは、誰かのことで愚痴を漏らすドラグーン侯爵を想像して、つい笑みをこぼした。
◆
帆船部の船が係留されている、王宮近くの軍港へと到着したダンが魔導車を降りると、荷の積み込みを暇そうに座って見ていたアレンがいた。
背には第3軍団の漆黒のマントを着けている。
「よぅアレン……」
ダンがそう声を掛けると、アレンは悪びれる様子もなく、笑顔で『よ、ダン。いい風が吹いてるな』などと返事をした。
ダンはガックリと肩を落とした。
「お前……なにか俺に言わなきゃいけない事はないのか?」
ダンがそう言うと、アレンは一瞬目を泳がせた後、いい笑顔で親指を立てた。
「ダンの代わりに、1発かましておいたぞ。かる〜くな」
それを聞いたダンはニコリと笑い——
たっぷりと魔力を込めたチョップをアレンの顔面に振り下ろした。
「ぶぇっ!
ななな何すんだ、このじゃがいも!」
「それはこっちのセリフだろうが! おまえ、よりにもよって、陛下の面前で何を意味不明な事を宣言してるんだ! いい加減にしろよ!」
「うるさい、俺がお前をどう評価しようが、俺の勝手だろうが!
元はと言えば、お前がいつまでもタラタラ誤魔化してるのがいけない。
お前は俺よりも操船の腕が達者で、俺より速く船を動かせる。お前がいなきゃ間に合わない。俺は何も間違えた事は言っていないぞダン!
覚悟を決めろ!」
「それはそうかもしれないが……それでも、陛下の面前で、そんな大風呂敷を広げる必要はどこにもないだろうが……」
「ふんっ。うっかり口が滑ったんだから仕方がないだろう。
普通に『ダン君と頑張ります』なんて言ってみろ。また俺にばっかり注目が集まって、こちらに皺寄せが来るに決まってる。お裾分けだダン」
そう言って、いい笑顔で親指を立てようとしたアレンの顔面にダンは全力チョップを振り下ろした。
「ぶえっ!」
「語るに落ちてるじゃねぇか! 何がうっかり口が滑った、だ! わざとぶちかましやがったな!」
「加減しろ、このバカ! ぶっ飛ばす!」
アレンがおでこをさすりながらゆらりと風を辺りに循環させると、ダンは停泊している帆船の
「やってみろ」
……ところで、止めが入った。
「……元気なのは結構な事だが、出来れば出発まで力は温存しておいてはくれんかね……」
声のかかった方を見ると、第二軍団のシアン(水色)のマントを羽織ったグラバーさんと、同じ色のマントを羽織った第二軍団員と思しきお兄さんが呆れた様子でこちらを見ており、その後ろでグラウクス侯爵が楽しげに笑っていた。
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