第170話 変事(1)



 短い冬休みも明け、侯爵会合を皮切りに王都での社交シーズンが始まった。



 だが侯爵会合が開催されてからいく日も経たぬうちに、とある報告が極秘裏に王都へと舞い込み、王宮内は緊急対策会議で騒然としていた。



 ◆



 王国騎士団第4軍団よりもたらされた急報。


 それはグラウクス地方ヤブレ男爵領の草原で、ある探索者がヘルロウキャストの卵の異常発生を発見したという内容だ。


 即座に王国騎士団の調査隊が派遣され真偽が確認された第二報によると、情報は真であり、孵化まで残された時間はおおよそ8日から10日、という絶望的なものだった。


 ヘルロウキャストとは大陸全土に生息するごく一般的な虫型の魔物だ。


 だが数十年から数百年に一度、どういう原理か季節を問わずに異常発生し、凄まじい蝗害を引き起こす事で知られている魔物でもある。


 大人の一抱えほどもある一つの卵から100匹前後の個体が生まれ、異常発生時にはこれが数百万匹という数になると言われている。


 特徴は猛烈な食欲で、周囲の森を死滅させる勢いであらゆる植物の葉を喰らい尽くしながら成長し、食べるものを求めて緑の豊かな地域へと移動する。


 群れとして指向性を持って進む事が予想され、北のロザムール帝国の方へと進めば比較的ユグリア王国の被害は軽微で済むが、多くの場合は緑が多く温暖な気候の方へ、即ち南側へ進むと言われている。


 仮にそうなった場合、ライ麦の大産地であるグラウクス侯爵地方はもちろん、小麦の大産地であるドスペリオル地方の穀倉地帯は壊滅的な被害を負うことになる。


 今はまだ頼りない麦の苗を踏んで根を育てつつ分蘖を促す大切な時期で、ここをヘルロウキャストに荒らされたらひとたまりもないだろう。


 もちろん植物以外の生態系への影響も深刻などというレベルではなく、何も手を打たなかった場合、王国は筆舌に尽くし難い食糧難に見舞われる事が予想される。


 過去には小国を何度も滅ぼした悪魔的な魔物災害。


 これがエサの豊富な春以降であれば、王国軍の実力を考えれば殲滅はまだ比較的短期間で可能だったであろう。


 だが今は冬季。


 恐ろしいスピードで群れは餌を求めて移動を開始する事が見込まれる。


 その危難が王国に降りかかれば、国力の低下は避けられず、下手をしたら戦争の引き金にすらなりかねない。


 いや、現下の情勢を考えればロザムール帝国が動かないと期待するのは余りに楽観的と言える。


 卵が孵化したら軍で討滅任務を組む事になるが、数ヶ月に及ぶ大軍の動員が避けられず、どうぞ攻めてくださいと言わんばかりの決定的な隙を生む事態になるからだ。


 これほど厄介な事になる理由の1つは、この魔物は卵の性質が厄介で、孵化の阻止が困難を極めるためだ。


 卵を焼却したり物理的に潰そうと下手に手を出すと、対抗するように孵化を早め、一つ卵が孵れば仲間を呼び起こすように一斉に周囲の卵殻を喰らい孵化を促す為、安易に手出しができない。


 孵化を防ぐのにもっとも効果的なのは、卵を凍らせる事なのだが、氷の魔法士はおよそ千人に1人いるかいないかと言う貴重な才能だ。


 さらに十分な魔力量を持ち、卵を傷つける事なく安定して魔法を行使できる技量のある人材となると、王国全土でも3桁に届くかどうか、という程度しか存在しない。


 また巣の処分に使えるほど出力の高い氷属性の魔石も貴重で、必要な魔道具も地方には十分な数がない。


 現在少しでも卵を減らすべく、周辺から氷属性を持つ騎士や探索者、魔道具を現地にかき集めているが、絶対数がまるで足りておらず、このままのペースでは孵化までに10分の1も処分できないだろう。


 王都には氷属性の魔法士も魔道具も比較的数があるが、余りにも場所が悪い。


 ヤブレ男爵領は王国のほぼ北東端にあり、どんなに急いでも王都から10日はかかる。


 卵の状態からして、孵化までに残された時間はおよそ8日から10日。


 王の御前で行われている緊急対策会議は、重苦しい雰囲気のまま進行していった。



 ◆



 軍事面の実質的な現場責任者であるユグリア王国騎士団の団長、オリーナは軍事面の方針を総括した。


 彼女の生まれは元々王都の平凡な庶民の家であったが、その才覚一つで騎士団長にまでのし上がり、さらに公爵家へと嫁いだこの国においても稀有な経歴を持つ。


 通常であれば庶民がいきなり公爵家に嫁入りと言うのは、流石に身分差にうるさく無いこの国といえど現実的では無く、いったん高位貴族の養子に入って様々な作法を身につけてから嫁ぐ、となるのがセオリーだ。


 だがオリーナにはその様な雑事によって騎士団でのキャリアを停滞させる気はさらさら無かったし、筆頭公爵家の看板もどうでも良かった。


 だが無理を通せば道理が引っ込む。


 オリーナに惚れ抜いた前公爵、ウィリアム・ザイツィンガーはあらゆる慣習を打ち破って、彼女のキャリアを尊重して庶民のままにザイツィンガー家に迎え入れた。


 オリーナ・ザイツィンガー騎士団長。


 ライオの祖母だ。



「……現状、孵化を完全に押さえ込む手立てがない。

 となると孵化に備えて王国全土から人を出し、殲滅戦を行わざるを得ない。

 国境の警備が手薄になるのは仕方がない。護るべき民が生きる術を失っては、国境の維持など虚しいものだ。

 各軍団長が指揮を取り、ロザムール帝国と対峙している北部方面軍以外からそれぞれ一個師団編成し、ヤブレ男爵領へと向え。探索者協会には私から改めて支援要請を出す。

 他国がどう出るかわからん現状、私は王都を離れられん。

 現場の総司令官はすでに現地へと向かっている第1軍団長ヒューゴに任せる」


 作戦完遂まで数ヶ月にわたると見込まれる特別軍の編成は、間違いなく各領の財政に重くのしかかるが、何とかヘルロウキャストの動きを抑え込まない事には、どの様に群れが動くか予測がつかない。

 どの地方にとっても他人事ではない。


 場当たり的な対応をして群れが王国を縦断でもした日には、本当に国が傾きかねない。


 各侯爵を代表とする地方貴族たちを巻き込んだ、大規模な作戦となるだろう。



「内務省として、すぐに各侯爵家へと協力要請を出します」


 そう呼応した内務大臣に続き、商務大臣を務める男が口を開く。


「……商務省は食糧その他物資を確保する手続きを開始する。王国中から人材や物資を集める以上、秘密裏に進めるのは不可能だ。足元を見られて多少高くつくやもしれんが、何としても必要な物資を確保する」


 その後も、農林業や外務などを司る大臣などの、この国の重鎮達が、次々になすべき事を整理していく。


 そこで第2軍団長であるグラバーが何かを逡巡しながら、おずおずと手を上げた。


「……陛下。

 例のアレン・ロヴェーヌを、この場に呼ぶ許可を頂けませんか?

 あくまで……あくまで小さな可能性の話ですが……もしかしたらここから逆転の目があるやも知れませぬ」


 全員が一斉にグラバーへと目をやる。


 アレンは仮の騎士団員とは言え、流石に宮殿の御前会議へ参加する資格はない。


 だが緊急時には宮殿への参内資格自体は持つ身分だし、相応な理由と陛下の承認という超法規的な処置があれば、この状況下で文句の出る事はないだろう。


 そこでアレンの師であるデューは、難しい顔でグラバーへと問いかけた。


「グラバーさん。

 あいつの風魔法は確かに便利だが、広範囲に広がる数百万のヘルロウキャストの方向性をコントロールするのは、流石に無理だと思うぞ?」


 だがグラバーはゆっくりと首を振った。


「そうではない。詳しく説明したいが、わし自身もつい先日間接的に報告を受けただけで、まるで実態が分からんのだ。本人を呼んで確認するのが、1番早い」


 国王パトリックは即座に目に力を込めて宣言した。


「許可する。今すぐに呼べ。

 民の生活が……先々は多くの民の命の分かれ目となりかねん局面だ。どんな小さな可能性も、全て検討する」



 ◆



 俺が放課後に王都中央駐屯所でキアナさんと弓の鍛錬に勤しんでいると、師匠から45分以内に王宮へ来いと魔鳥での伝令があった。


 なんと人使いの荒い……


 俺はうんざりとしながら、近衛軍団とまた合同任務でもあるのかと、王宮へと足を向けた。


 すると王宮の裏門に当たる魔翔門の前までわざわざ師匠が出迎えにきており、俺は『着いてくりゃわかる』と言われて宮殿へと連行された。



 そうして連れて行かれたのは、何と御前会議の場だった。


 俺が入室すると、全員がもの凄い形相で俺の方を一斉に見た。


 会議室は、ドラマでよく見る都市銀行の取締役会でも開かれそうな、品のあるゆったりと広い会議室だったが、気分はお白洲へ引っ立てられた罪人だ。


 殆どは知らぬ顔だが、間違いなく田舎子爵の三男坊の学生が足を踏み入れていい場所では無い。


 奥のお誕生日席には、何と陛下の顔まで見える。


 勘弁してくれ……



 俺が何事が起きたのかと顔を思いっきり引き攣らせていると、帆船部で軍港を使用する事になった際に、一度面談した事のあるグラバーさんという第2軍団長がこんな質問をしてきた。


「久しぶりだな、アレン・ロヴェーヌ。

 時間が惜しいので単刀直入に問うが、君はヘルロウキャストと言う魔物を知っているかね?」


「…………知っています。

 場所はどこです? 孵化までに残された時間は?」


 大体用件が読めたので、俺は要点を質問した。


 グラバーさんは驚いた顔をしているが、別に驚くほどの事じゃない。


 これだけのメンツが集まる会議室へ俺が呼び立てられて、口を開いたのが師匠ではなく、王国の水軍を統括する第二軍団長のグラバーさんと言う時点で、帆船部に関する事だと察しは付く。他に繋がりがないからな。


 そして内容がヘルロウキャストと来れば、なんの会議をしていたかなど決まっている。


 ヘルロウキャストの特異な性質については、その卵の処分方法を含め、有名すぎてわざわざカナルディア魔物大全を引き合いに出す必要もない。


 問題は孵化の前に手当できるかどうかだが、もしすでに手遅れだとすると、帆船部が保有する一隻の船を持ち出してどうこうなる話ではない。


 これらのことから、水上輸送に強みのある辺鄙な場所が目的地の、孵化を阻止する人材資材の輸送任務が用件であることは想像が付く。



「……察しがいいな、アレン・ロヴェーヌ。いくら騎士団員とはいえ、まだこの話は学生の耳に入るはずがないのだが。

 ……場所はグラウクス侯爵地方、ヤブレ男爵領。

 孵化までに残された時間はーー

 長くて10日。最悪の場合は8日後の朝との見立てだ」


 俺は即座に首を振った。


「私ではまず無理です」


 藁にも縋りたい気持ちで俺を呼んだのだろう。

 俺がこう言うと、会議室の面々は息を詰めて目を瞑った。


 俺はその様子を見て、勝手に名前を出す事を頭の中で謝りつつ、続けてついこんな事を言った。



「私には不可能ですがーー

 ダンと一緒なら……

 私が通う王立学園の同じクラスにいる、ダニエル・サルドスが本気で操船したら、間に合う可能性はあります」


 俺がこう言うと、会議室にざわめきが広がる。


 幾人かがチラリと、末席に座っている壮年の男へと目をやった。


 男は一つ咳払いをして自己紹介を始めた。


「こほん。

 私はフィンドール・フォン・グラウクスという者だ。

 此度の変事は我が地方の事なのでな。参考人としてこの大臣会合の末席を汚しておる。

 今言った、ダニエル・サルドスが本気で操船したら間に合うとはどういう意味かな?

 まるで、自分よりもダニエルが上だと言っている様に聞こえたが?」


 あぁこの人か、ダンの親父に妙な圧力を掛けて、間接的に帆船部の邪魔をした人は。


 まぁほとんどはダンの親父が勝手にヒステリーを起こしている様だが。



「……その通りですよ、グラウクス侯爵。私よりもダンの方が上です。ダンが操船した方が速い。まぁ今回は2人で協力する必要がありますがね」


 そう言った俺の脳裏を、外野からの横槍には目もくれず、一心に帆船へと向き合うダンのじゃがいも面が掠めた。


 その血の滲んだ両の手と、見ているこちらが照れそうになるほどの目の輝きを思い出した時——



 俺はうっかり口を滑らした。



「ダンは本物の天才です。なぜなら、あいつには尽きる事のない船への情熱がある。あいつは……王立学園帆船部初代部長、ダニエル・サルドスは、いつか必ず切り拓きます。

 誰も見た事のない、新たなる地平を」



 こう静かに宣言した俺の脳裏を『何言いだすんだアレン! 止めろ!』と俺をはがい締めにしようとするダンのじゃがいも面が掠め、俺はふっと笑った。

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