第169話 侯爵会合(2)



「そう言えば、うちの孫娘がアレン・ロヴェーヌ君のファンだそうじゃ……ほっほっほっ」


 全員がギロリとエンデュミオン侯爵を睨む。


 朝食が並べられた円卓にバチバチと火花が飛んでいるのが見えるかのようだ。


「……そういえば、彼は林間学校最終日の夜に、Eクラスの男子生徒の部屋へと訪れて、Eクラス生の男女関係について精力的に情報収集したそうですね。

 Aクラスの仲間達が常軌を逸した想定を超えて、泥の様に眠る中、『これを聞くまでは林間学校は終われない』と言って1人1人確認して回ったとか。

 内容を聞いても急所がどこなのかまるで分かりません。皆様の見解は?」


 こうおっとりとした口調で問いかけたのは、この場の最年少、王国北部に領地を持つセレナード侯爵だ。


 彼女の領地は極めて緊張状態にあるロザムール帝国と大きく国境を接する地ではあるが、夫が王国騎士団第4軍団の要職を務め、彼女の留守を守っているので、内政面を受け持つ彼女は新年の社交に合わせて領地を離れている。


 そして彼女の質問に答えられる者はいない。


 まるで年相応の少年が、お泊まり会の夜に恋の話を楽しんだとしか思えないほどに、巧妙にその狙いは隠されている。


 あれほどの想定をこなして限界を超えたその夜に、無理を押して動いたからには、相応の狙いがあるはずだが、この場の9人をもってしてもまるでその狙いが分からない。


 当ったり前である。



「……そうそう、ベスターが彼と2人で夜を徹して語り合った時も、婚約関係について確認されたと言っておったな。

 いや、彼は政治がわかっておる。

 余談に紛れて実に面白い話を、うちのベスターにだけ・・は漏らしてくれたそうですぞ?」


 そう言って、ダイヤルマック侯爵はじっとドスペリオル侯爵を見た。


 もちろんこの視線は、アレンの母であるセシリアの出身について、ベスターがダイヤルマック侯爵に報告をした内容を受けてのものだ。


 ベスターとしては勿論胸の内にしまいたかったが、彼の立場でこの件を握り潰せというのは余りに酷と言えるだろう。


 万が一後から自分だけは情報を掴んでいたと露見した時に、とても責任が取れる内容ではない。


 それほどとてつもない情報だが、ダイヤルマック侯爵としては、ここでこのカードの価値を、そしてその情報を掴んだベスターの価値を計りたい。


 ベスターが引き換えに求められたらしい情報。

 それは、ベスターの婚約者は誰かというものらしい。


 ダイヤルマック地方の生徒なら誰でも知っている、情報とすら言えない物だ。


 セシリアの話は嘘や冗談と言われても文句が言えないほどに、まるで交換条件になっていない。


 ダイヤルマック侯爵は、ランディ・フォン・ドスペリオルの反応を正確に見極めるため、その目を、顔を、全身をしっかりと視界に入れて目を細めている。


 そして、ダイヤルマック侯爵の意味深な視線に気がつかないほど愚鈍な人間は、もちろんこの場にはいない。


 会場の空気は張り詰めた。



 これまで無表情とでも言いたくなる色のない微笑で、歓談を見守っていたランディ・フォン・ドスペリオル侯爵は、暫く真顔でダイヤルマック侯爵を見つめた後、ふっと口元を弛めた。


 そしてこんな事を言った。


「あのアレン・・・が『受け師』と評したと聞いて、興味は持っておったがな。

 そこまで評価しておるとはいささか驚いた。

 建国以来1200年。

『王国の盾』を自任するドスペリオル家として、一度ベスター君とはじっくり話をする機会を持ちたいものだ」



 この返答に、やりとりを見守っていた他の侯爵達も、そして問いかけたダイヤルマック侯爵自身も、流石のポーカーフェイスを保ちながら内心では仰天した。


 近衛軍団軍団長にして『王国の盾』ドスペリオル家当主、ランディ・フォン・ドスペリオルが……

 王立学園の絡む政治力学から超然としているドスペリオル侯爵家の代表が、アレン・ロヴェーヌを親しげに呼び捨てた。


 まるで繋がりは見えないが、『あのアレンが』と言う切り出し方は、余りにも重い。


 もちろんそれに付随して、ベスターの価値が各侯爵家にとっても跳ね上がった。


 ダイヤルマック侯爵は予想していた最高の反応の上を得られた事に内心歓喜し、密かに笑いを噛み潰しながら『喜んで機会を設けましょう』と答えた。


 ある意味危険とすら言える情報だが、ドスペリオル侯爵のこの反応からしても、『陛下にすでに話を通している』という信じ難い根回しの周到さも嘘ではないだろう。



 そこで、これまで一切の発言をしていなかったグラウクス侯爵が口を開く。


 彼が執念で仕入れた情報の出しどころは、ここをおいてない。


「……私がかき集めた情報によると、アレン・ロヴェーヌ君は非公式に一度陛下に謁見しておるな。

 そして恐らくは……その場でうちの地方のサルドス伯爵の子息、ダニエルダンが部長を務める帆船部について、陛下に便宜を図ってもらう様に直言したはず。

 夏季休暇中にわざわざ実家にまで遊びに来た、親友のダニエルと立ち上げた帆船部のためにな。

 そしてーー

 その場にはランディ殿も同席しておった……そこでアレン・ロヴェーヌと交流を持った……そうだろう?

 彼は……アレン・ロヴェーヌは何か申しておりませなんだかな? 彼はどの様にして帆船などと言う時代遅れなものを陛下に認めさせたのか」


 会場は再び静寂に包まれた。


 皆が能面の様に微笑んではいるが、空気はビキビキと割れる音が聞こえそうになるほどに張り詰めている。



 アレン・ロヴェーヌが精力的に時間を使っている帆船部は、その狙いが見えないものの最たるものだろう。


 帆船部が王国騎士団の軍港を利用している事はここにいる皆も把握しているが、てっきりゴドルフェン辺りが便宜を図ったものと思っていた。


 だが陛下が直接お墨付きを与えたとなれば、まるで話の意味合いが異なる。


 ちなみにアレンは、めんどくさくなりそうなので陛下にお墨付きを貰った云々の話は誰にも話していない。



 皆の刺す様な視線を受けて、ランディはしばし沈黙した後、ため息をついて答えた。


「……謁見自体は王宮の駐屯所で極秘裏に行われたが、そこまで掴まれておるのなら隠しても仕方なかろう。

 内容自体は他愛のないものだ。

 新星杯でアレンを見た陛下が、例の人間好きの癖を発動させて会いたいとおっしゃってな。褒美をとらすので望む物を申せとおっしゃった。

 その褒美にアレンが所望したのが、学園の近くで帆船の練習ができるよう、軍港の利用とルーン川の通行許可だった」


 皆はアレンの意図がわからず、ランディの言葉の続きを待った。


「もちろん陛下もお尋ねになられた。なぜ今の時代に帆船なのだとな。

 アレンの答えは……その……

『楽しいからです。ただの遊びです』との事だったな……

 二心のない、朗らかな笑顔でそう言った。

 あの陛下も流石に虚を突かれたのか、大笑いしておった」


 皆は一瞬ポカンとした。


 そして一拍おいたのちに、大笑いした。


「かっかっか! 『楽しいから!』 かっかっかっか!」

「陛下を前にして遊びとは! さすがジュエが見込んだ男だけあって、見所がありやがる! だっはっはっは!」

「あの陛下が大笑いをのぅ。ほっほっほ! 二心のない少年の笑顔が目に浮かぶ様じゃ!」

「くすくす。いや、失礼」

「もしかして嫌われているんじゃないかい? ひゃっひゃっ!」

「ぷっ! それはさすがに失礼ぞ、ヴァルカンドール侯。

 わざわざプライベートで領地まで遊びに行ったという親友のダニエル君に限ってそんな訳があるまい! 親友の! はっはっはっ!」


 グラウクス侯爵もまた、笑いながら『ただの遊びとは、これは参ったわい』と苦笑して、頭を掻いた。



 だが、テーブルの下で握りしめているもう一方の手は、血が滲むほどに握りしめられていた。



 ◆



 その頃、王国北東部、グラウクス地方のとある領地で、王国が激震する大事件が発生していた。

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