第154話 グレた男



 俺はグレた。


 誰よりもこの林間学校を楽しみにしており、かつ誰よりも楽しむ自信があった俺が、たった1人で深夜に断崖絶壁を見上げている。


 高低差が数百メートルもありそうなその崖は、幅が20〜30cmほどしかない山道?が一応ジグザグに走っており、崖に張り付くようにしてそろそろと進むと、一応は精鋭で無くとも山を越えられる様にはなっている。


 いわゆる鼠返し的に飛び出した岩も多く、ある程度練度の高い人間、例えばダンでも道具無しでの垂直登攀は不可能だろう。


 通過する人間は下からは丸見えで、弓矢や魔法で狙われたら終わり。

 魔鳥系の魔物に狙われても終わり、滑落しても勿論終わりだ。


 十中八九、このルートを越えようなどと考える工作員などいないだろう。


 つまり、現れる可能性が限りなく低い敵を、広範囲を1人でカバーできるからと言うだけの理由で抜擢された俺が、念のため座って待ち構えているだけだ。


 さらに腹立たしいのは、俺にはゴドルフェンや恐らくは騎士団から派遣されている腕利きっぽい監視がついていないという事だ。


 そりゃ俺は仮とはいえ王国騎士団員であり、単独での討伐任務など師匠にいくらでもやらされているが、林間学校での俺の立場は生徒だぞ!


 それをこんな森の中で1人ほっぽらかしやがって……


 これでは見る必要がない、即ち暫くこちらのルートには誰も来ないと言われているようなものだ。


 クラスメイト達が全員想定工作員を捕縛したら知らせが来るだろうが、じじいの想定だ。


 それほど早く決着が付く事は無いだろう。


 このままでは、あれほど楽しみにしていた林間学校が終わってしまうーー


 焦燥感を募らせた俺は、自業自得な部分がある事は棚に上げて、全てゴドルフェンが悪いと恨みを増幅させ、風に任せて山を降り始めた。


 暇つぶし用に持参した手鍋でスープでも作ろうかと思ったが、この辺りは標高が高い分冬が近く、素材になる様な物も殆どなかったのだ。



 その間に工作員に突破されたらどうするかって?


 そんな事は俺の知ったことでは無い。


 これはただの訓練だし、もとより俺はスコアなどどうでも良く、この林間学校を誰よりも楽しみ、その後誰よりも早く温泉に行き風呂を堪能したいと考えていただけだ。

 今はそれにゴドルフェンに目に物を見せたいと言うのも加わっているが……


 仮にここを突破されたらクラスの皆には迷惑だろうが……


 俺はグレていた。



 ◆



「頃合いだね……袋の口を閉じて絞ろう。

 合図を」


 ココがそう言うと、ライオは空に向かって火球を上げた。


 天然の地形や構築した柵や岩などの障害物などを用いて工作員の通るルートを誘導しつつ、山狩りをして袋小路へと追い込み、伏せていたメンバーで捉える。


 3のゼッケンを付けた仮想工作員は呆気なく追い詰められ、両手を上げた。



 ◆



「ダーレー山脈の国境付近で大規模な軍事行動の兆しありとの情報だったが……ガキどもの訓練か」


 森によく馴染む、オリーブグリーンの装束を身に纏った、怪しげな人間が3人。


「だがあの歳にしては、信じられない程の使い手の集まりだ。恐らくはあの名高いユグリア王国王立学園の生徒達……

 この辺りは、近頃学園の理事になったという、あの『百折不撓』の出身地だから、演習に自領を開放しているのだろう……」


「あの学園の情報、即ち次世代にこの王国を担うホープ達の情報はガードが固く手に入りにくい。

 が…………だからこそ無理をする価値があるとも言える」


「……どうする、ゼツ?

 俺たちは全員斥候スカウトだ。万一戦闘になった時、あのレベルの人数を相手にできるほどの技量はない。

 今は絶対に捕まるわけにはいかんぞ?」


 ゼツと呼ばれたリーダー格の男はしばし沈黙した後、口を開いた。


「やつらは1-Dクラスだと言っていた。

 1年の下位クラスでこの練度とは恐れ入る。

 ……近くにあの天才と名高いライオ・ザイツィンガーや、噂の『やつ』がいる可能性が高い。

 出来ればこの目で見ておきたいが……

 不測の事態に備え、王国騎士団員が周辺に配置されている可能性もある。

 流石にそこまでのリスクは取れない。すぐに国境の向こうへ退避しよう」


「あれで1年生でしかもDクラスだと?!

 化け物どもめ……ルートは?」


「ここからだと……

 ロードリア山を目指すのが最も目に付きにくいだろう。

 念のため『八鬼古道』を越えよう。あそこなら今は使われていないルートだから、まず見つかる可能性はない」


 ゼツの結論に2人は頷いた。



 ◆



「4人目も呆気なくケイト・サルカンパが指揮するチームに捕縛されました。

 ……信じられませんな。

 ここまで来ると、第4想定の内容が漏れていたとしか考えられません」


 ティムのその指摘に、ゴドルフェンは首を振った。


「発表前の課題内容は秘匿レベル4、上から2番目じゃ。

 大袈裟では無く、彼らの能力や成長、そして評価はこの国の行末に影響を与えかねんからの……

 その情報を盗み出すのはほぼ不可能じゃし、後で調べられ、露見するリスクを考えても割に合わん。

 うっかり漏らす様な人間が関係者にいるとも思えん」


「しかし……

 第4想定の発表とほぼ同時に全員が動き出し、3グループに分かれて各グループが迷いなく一貫性のある障害物を構築しつつ、一糸の乱れなく工作員を追い込んでいく様は、どう考えても事前の準備があったとしか考えられません。

 構築している障害物の作りや配置にはまだ甘い所も見受けられますが、『相互理解』などと言う言葉で片付けていいレベルではないでしょう」


 ティムにこう抗弁されて、流石のゴドルフェンもその表情は苦々しい。


「…………小僧はどうしておる?

 わしが第3想定についておる間は素材集めに終始しておったという話じゃが、第2想定の国境防衛拠点強化の進捗はどうじゃ?」


「……アレン・ロヴェーヌは1人でトボトボと八鬼古道の方へと向かいました。

 恐らくはあの抜け道を1人で潰す役割かと。彼の能力を考えると、確かにこの選択は理にかなっている。

 国境防衛拠点の方は、その周りをぐるりと丸太で囲み、中の様子が分からない様にされていますが、かけている人手や運び込まれている資材からは、それ程手をかけているとは思えません」


「ふ〜む。

 あの子達に限って、第2想定が単に努力目標のボーナス課題、などと楽観視するとは考え難いが……

 あの子達が想定外の事態に見舞われておるのか……あるいは……」


 ゴドルフェンはその口元を楽しげに歪めた。


「わしらには見えておらん狙いがあって、わしらがこれから想定外の事態に見舞われるか、の、どちらかじゃろうのぅ……」


 そう言って闘気を隠そうともせずその体から立ち昇らせるゴドルフェンを見て、ティムはこの老人の現役時代をありありと脳裏に想起し、つい体を震わせた。



 ◆



 第4想定の開始からまる1日が経った午後10時。


 林間学校の開始からすでに4日と半日が経過している。



 俺はあらかた素材を集め終わって、持ち場へと戻り、スープのついでに集めた素材で悪辣な薬品類の調合をしていた。


 勿論あのくそじじいをギャフンと言わせる為だ。


 リアド先輩から教わった、本来は対魔物に使用される代物で、人への使用は制限されているが、楽しい林間学校を軍事演習に変えたのはゴドルフェンだ。


 致死性の物ではないし、まさか卑怯だ何のとは言わないだろう。


 他の教師からは苦情が出るかもしれないし、下手したら失格だ何だと騒ぎ出すかも知れないが、どうでもいい。


 なぜなら俺はグレているからだ。


 くっくっく。


 ひゃっひゃっひゃっ!



 こんな感じで手鍋の中身をぐーるぐーると混ぜながら、俺が闇堕ちムーブに陶酔して自分を慰めていると、何と3人もの仮想工作員が現れた。


 てっきり俺のルートは無視すると予想していたが、たった1人で守ってる所に5人中3人も寄越すとは、あのじじいのバランス感覚はどうなっているんだ? 


 他のクラスメイト達の方がぬるすぎるだろう。



「あんな所でガキが1人で鍋を並べて料理だと……?」


「あの揃いのマントから察するに、王立学園の生徒だと思うが……」


「……邪魔だな。

 あの位置に居られるとこっそり八鬼古道には入れても、下から発見される恐れがある。

 しかもあのガキ、弓を持ってる」


 ?


 ゴドルフェンから俺の索敵範囲を聞いてないのか? あんな距離で堂々と話して。

 だがやはりこの崖を超えて国境を跨ぐ想定らしい。


「寂しげな背中だな……見ているだけで涙が出そうになる……迷子か?」


 ほっといてくれ! 

 傷口抉りやがって、その煽りもゴドルフェンの指示か!?



 こちらから先制してもいいが、俺は1人だし散り散りに逃げられるのが1番まずい。


 とりあえず隙を見せて引き込み、戦闘に持ち込むのが正解だろう。


 そんな事を考えながら、とりあえず薬品の調合を続けていると、工作員の1人が『どうするゼツ?』とリーダー格と思われる人間に問いかけた。


「……おそらく朝までは動きそうもないな。

 慎重にここまで来たが、かなりの人間がこの付近の山脈に入っている様子だし、いつ追手が掛かるか分からん。

 なるべく痕跡は残したくなかったが……殺ろう。

 この時期のダーレーなら、死体は魔物がすぐに処理してくれる」


 やはりゴドルフェンから俺の話を聞いているのだろう。


 わざわざ設定を小声で説明してくれた仮想工作員のゼツさん(仮名)は、おもむろにショートボウを構え引き絞りはじめた。


 そして残りの2人が左右に分かれて展開した所で、ゼツさんは僅かに殺気を漏らして弓を放った。


 俺はその急所を狙い澄ました遠慮のない奇襲に仰天し、転がる様にして矢を避けた。


 流石に当てるつもりは無いだろうと、高を括っていたのだ。

 少なくとも急所以外を狙うだろうと。


 もし避け損なっていたらどうするつもりなんだ……?



「「ちぃっ! 殺るぞ!」」


 俺が矢を躱したのを見て、3人は同じデザインの、飾り気のない短剣ダガーを抜いて躍りかかってきた。


 逆手に持った独特の構え……

 恐らくは同じ流派で訓練を積んだのだろう。


 それほど身体強化の練度は高くないが、見事な連携だ。


 だが……その動きは完全に俺を殺すつもりとしか思えないし、殺気の質も本物だ。


 ゴドルフェンから『殺すつもりでいってかまわん』とでも言われているのかと思ったが……


 俺は念のために確認する事にした。


「すみません、係の人ですよね?」


「か、係の人だと?!

 舐めるな!」


 ……違うんかい! 何て間の悪い……


 だがそうなると、いきなり殺そうとして来たこいつらは、どう考えても碌な人間では無いだろう。


 これは王国騎士団員として捕縛せざるを得ないな!


 俺は隙を見て飛び下がり、先程から濃縮していた痺れ薬を鏃に付けて3連射した。


 矢は3人の足を正確に撃ち抜いて、3人は即座にその場へと倒れ伏した。


「申し訳ありませんね、手頃な捕縛用の紐がなくて。

 後で解毒するので、少々そのままお待ちください」


 ゼツさんがピクピクと痙攣しながら俺の方を睨んでくるのを見て俺はうーんと首を捻った。


「あのじじい、耐性高そうだしなぁ……

 ……もう少し濃縮しちゃお」


 俺は痺れ薬の手鍋を一混ぜしてから火加減を落として、その隣の小鍋に枝をつけた。


「すみません、生憎傷薬がないのですが、睡眠薬ならあります。

 すぐ眠くなりますからね〜」


 そう言って3人の口に枝を順番に入れて、それぞれが何秒くらいで眠るのかを確認し、『う〜ん』と腕を組んだ。


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