第148話 第一想定(7)



「な、なぜみんな下を向くんだ?

 色はアレだが、味はそう捨てたものじゃ無いぞ!」


 俺がプクプクと気泡が出ている植物の素材由来の色素で紫色に染まったスープを、ぐーるぐーると混ぜながら再度問いかけても、一向に返事がない。


 もちろんこの気泡は危険な発酵が為された結果ではなく、単純に沸騰しているだけだ。



「遠慮するな! おかわりもあるぞ!」


 三たび俺は声を張り上げたが、謎の緊張感が高まるばかりで、誰からも返事がない。


 まるで口を開けば死ぬとでも思っているかの様だ。


 ノー天気なアルですら、焚き火の揺らめく火をじっと見つめたまま微動だにしない。



 するとそこで、クラスメイト達を庇う様にライオが決死の顔で立ち上がった。


「何の為に食べるのか、それを明確にしないと覚悟が決まらない。理由を聞かせてくれ」



 ライオは難しい交渉をする外交官の様な顔で、いつか俺がソーラの朝食の前で硬直していたライオに掛けた言葉を口にした。


 なぜ俺のスープを飲むのに覚悟などいるんだ。

 ソーラの朝食と同列に扱うな……


 俺は味の分からない馬鹿舌だと思われているかもしれないが、皆に料理を振る舞ったことなど無いぞ?



 ……あ、そう言えばアルとココには一緒に探索へと行った際に、悪ノリして闇鍋パーティーの文化を教えてあげたことがあったな。



 闇鍋パーティーとは、自分以外は何か分からない素材を各々が持ち寄り、暗闇の中で鍋で煮て食すという遊びだ。


 大抵はあまり鍋に入れられない様な具材を入れて、ネタにして盛り上がる。


 前世の大学で楽しそうに闇鍋パーティーの話をしている奴がいて、羨ましかったのだ。


 そいつはギャグで牛革で出来た靴紐をいれたら大受けしたと言っていたのでパクらせてもらったら、趣旨をよく理解していなかったアルが麺と間違えて勢いよく啜り、笑えない事態になった。


 あれは確かに俺が悪かった。


 その話が変なふうに伝わって、あの鍋が俺の料理の腕だと思われているのかもしれないな……



 俺は皆を安心させる為、丁寧にライオの問いに答えた。


「何の為に食べるか……

 まぁ1番は単純に美味い飯で腹を満たす為なのだが、敢えて理屈を言うと、このスープには体力や魔力の自然回復を補助する素材……俺が道々集めたドラマン茸やオキザリ草の根っこ等が入っている。

 この先も元気に林間学校を楽しみたい奴は、食べておいて損はないと思うぞ?」



 俺がこう言うと、皆は当惑した様な顔をし、ベスターが代表して質問してきた。


「な、何を考えているんだ、アレン?

 回復補助薬は自身が本来持つ成長を阻害する効果もあるから、学園の訓練では使用を禁止されているだろう。

 実際あの装備と備品が置かれたテントにも傷薬はあったが補助薬品の類は置いてなかった。

 下手したら不正で失格になりかねないぞ?」


 かぁ〜相変わらず頭が固い!


 成長阻害と言っても体感でわかるほどではないし、時間経過で補助効果と共に消える。


 プロが調合した薬品を日常的に常用するなら確かに成長の妨げになるが、林間学校で採集し、スープの具材に入れたキノコの成分など問題になるわけがない。


 顔を見るとベスター以外も大体似たような感想を持っているようだ。


 ジジイめ、こいつらの性質を把握した上で、生徒に考えさせるために、敢えて色々と説明を省きやがったな……



「ベスター、安全が担保された学園での訓練と林間学校を同列に扱ってどうする。

 学園の指導要領に、この林間学校の目的はどう位置付けられていた?」



「それは……

 確か『自然に親しみながら生徒の体力の増進と心の育成を進め、仲間との絆を深める』、か?」


「そうだ。

 自然に親しむとはどういう意味だ?

 現地で必要な素材は調達しろという意味だと俺は解釈したが?」


 こう言うと皆は沈黙した。


 明確な答えがないから判断が付かないのだろう。エリートが陥りがちな罠だ。


 まどろっこしいな……


 何なら離れた場所でこちらの様子を伺っているゴドルフェンに直接確認してやりたいところだが、俺以外は完璧に気配を消している先生に気がついている奴はいないようだ。


 意図は分かるが、ゴドルフェンはかなり本気モードで追跡しているようだな……


 確かに、万が一生徒で対処不可能な事態に遭遇したら、ゴドルフェンが何とかしてくれるーー

 そう考えていたのでは本当の意味での実戦訓練にはならないだろう。


 緊張感がまるで違うからな。


 尤も、この世界で街の外を歩けば、たとえ貴族だろうと、そしてたとえゴドルフェンが近くにいようと、運が悪ければ死ぬ。


 もちろんリスクを低減するための手はそれぞれに講じるだろうが、『魔物』というリスクがある以上、それは決して0にはならない。山の中なら尚更だ。


 主な分布域はあるが、ゲームのように明確に出現場所がコントロールされている訳ではないからだ。


 だからこそ、最もリスクを低減させるのに効果的な、『自力』を上げるために、普段学園で徹底的に技能を叩き込まれている訳だが、いつかはリスクを取って外に出る必要がある。


 現場を知らないまま安全地帯から口先だけで指示を出す人間の言葉は、いかに身分や立場が高かろうが、この世界ではひどく軽い。



 それは軍だけでは無く、例えば漁業や農業、商業などの分野でも同様だ。


 ゴドルフェンが入学当初に言っていたように、『初めからデスクに齧り付いて現場で使えない官吏』は、卒業後、即桁違いの権力を握る王立学園生たり得ない。



 話が逸れたが、じじいが忍んでいる以上、俺がその存在を明かす方が、よほど減点の対象になりそうだ。


 勿論皆のためにもならない。



 仕方なく俺は説得を試みた。


「医食同源という言葉を知っているか?」


 俺がこう言うと、皆首を傾げた。

 当然だ。日本、元を辿れば中国の薬膳文化に端を発するこの言葉を知っている奴はいないだろう。


「そもそもの話、食事と薬は元々切り分けが難しいものだ。

 例えば今齧っている肉に特殊な効果は無いのか?

 掛けられている塩が体内でどの様に作用するか全て把握しているのか?

 そんな事を考えていたら、テントに準備されていた携帯非常固形食以外何も口にできないぞ?

 それで自然に親しむという目的を果たせるのか?

 もっと言うと、ゴドルフェンが求めている答えはそれだと思うか?」


「ゴドルフェン先生が、求めている答え……」


 ベスターの呟きに俺は頷いた。


「俺が思うに、この課題は十分なサポートが得られない現場、例えば緊急討伐任務や敵地などで俺たちがどう応用力を発揮するかを試し、同時に何が自分達に足りていないかを考えさせるためのものだ。

 ゴドルフェンは前に一般寮で朝食を共にしていた時に言っていた。

 戦地で野営地を強襲された時に、木の皮を食べて命を繋いで帰還したとな。

 石に齧り付いてでも任務を達成し、無事に帰還する。

 この林間学校では、そういう生命力、強い意志を生徒が発揮する事を期待されている、と俺は思う。

 先程ピスが魔導車をかっぱらったのかと聞いたが、他に手がないと思ったら俺は馬車なり何なりを金で調達してでも任務を達成しただろう。

 ま、流石にそれは減点対象だろうがな」


 俺はそう言って、やばい色のスープを再びぐーるぐーると混ぜた。


 後の判断はこいつらに任せるしかない。


 あり得ないとは思うが、万が一失格などになったら徹底的に抗弁して説き伏せる自信はある。

 だがクラス落ちなどどうでもいいと思っている俺と、こいつらではリスクの判断基準が違う。



 ライオは何かを言いたそうにして、だが口をつぐんだ。


 責任は俺が取るから食べようとか言いかけたのだろうが、これは想定任務の方針ではなく、個人が自分の意思で判断するべき事だ。


 こいつらが例えばこれが原因でクラス落ちしたとして、ライオが自分の責任だと直談判した所で、その結果を覆せるとは限らない。


 すると珍しくいつもは一歩引いて皆を見ているダンが、初めに意見を言った。


「……俺は食べるよ。

 自然を相手にするという事は、運が悪いと命を落としかねないという事だ。

 少しでも万全の体調に近づけておきたい。

 そのリスクに比べたら、失格になって例えばクラス落ちする事など何でもない。

 3年になる時にクラスを上げる自信もあるしな」


「いい事言うな、ダン!

 確かに落ちても上がれば何も問題ない!

 ……俺はまだこの課題をどこか甘く見てた。

 俺も食べる!」


 アルがこの様に相槌を打つと、次々に皆が食べると意志を表明した。


 最も保守的な傾向の強いベスターが、最後に表明し、眼鏡をくいっと上げた。


「出来ることなら、どちらのリスクもごめん被るのだがな……

 アレンの様に、ホイホイとリスクを取るのは性に合わない。

 だが確かに先が見通せない以上、食べる選択肢が最も合理的か……

 俺も食べよう。ただし……」


 そう言って俺がぐーるぐーると混ぜているスープをじっと見て続けた。


「誰かが先に食べて、しばらく待っても身体に異常が出なければだ」



「「…………ず、狡いぞベスター!!」」



 な、なんて失礼な奴らだ……


 俺は意地でも最初には口をつけないと拗ねた。


 するとこいつらは鬼の形相でジャンケンをはじめた。


 負けたのはもちろんベスターだ。


 こういうジャンケンは、負けたらどうしようとの考えが強いやつが負ける事になっているのだ。



 ◆



 食事を終えた俺たちは、交代で30分ずつ仮眠を取って休憩ポイントを出立した。


 スープは大好評だった。


 実はこのレシピはリアド先輩直伝で、不味いわけが無いのだが、じゃんけんに負けて絶望の顔を浮かべているベスターが面白いので、俺はその事は皆が口をつけるまで黙っていた。



「相変わらず人が悪いぞ、アレン。

 リアド先輩直伝のスープだと知ってたら、皆あれほどスープを飲む事にネガティブにならなかったのに……

 俺もすっかり思考がどうやって飲むのを回避するかに向いちまった。

 いやぁ〜食事でこんなに体が楽になるとは、流石はリアド先輩だな」


 アルはそう言って腕をぐるぐると回した。



 体が楽になったのは恐らく仮眠の効果の方が大きいだろうが、黙っておく。

 思い込みの力もあながち馬鹿に出来ないからだ。


 アルなど俺の風魔法を信頼しきって、30分とはいえ熟睡していたからな。



「ポイントはヤンサの木という、柑橘系の植物の葉の葉脈を潰して入れる事だ。

 国内に広く分布しているヤンサは木全体から独特な香りがするから比較的発見しやすい。

 これが肉の臭みを消すと同時に薬効を高める効果がある。

 勿論、きちんとした専門家が調合する薬品に比べたら、効果は今ひとつだろうがな」


 この葉っぱの効果は前世で言う月桂樹ローリエの様なものだ。


 俺と探索者として活動しているアルとココ以外は、軒並みうろんな目を俺に向けた。


 将来が約束されているこいつらからしたら、炊事兵が学ぶ様な知識を保持している俺が不思議でならないのだろう。


 探索者としても、上位探索者であればポーターやコックを雇うなどして金を掛ければ、わざわざ現場で食事を自分で調達する必要はないので、趣味といえば趣味だからな。


 楽しくてやっているだけだから、ある程度合理性に欠くのは仕方がない。


「次は俺が考案した、スペシャルレシピを披露してやろう」


 俺は満面の笑みで皆にそう告げた。



 そんな話をしながら俺たちは夜間の登山道を危なげなく進んだ。


 標高が上がると好戦的な魔物も増えて、俺の風魔法では逃げない魔物も結構いたので流石にハイキングとはいかなかったが、俺たちは夜明け前の朝5時ごろには目標の奪還拠点まであと1キロという場所にまで到着した。


 そこで本隊は一旦停止し、俺とダンで目標へと近づき、外から様子を伺ってから一度報告へと戻る。


 想定では奪われた防衛拠点と言う設定になっていたが、実際は石造りの朽ち果てた建物だった。


 相当前に放棄された物だろう。

 あるいは遺跡と呼べるほど昔の建物かもしれない。


 入り口は表と裏の2つ。


「……奪還が想定なら、夜が明けると同時に強襲した方がいいだろう。

 時間をかけると発見されて対策を打たれる危険が増す。

 中の様子は分かったか?」


 ライオにそう問いかけられて、俺は首を振った。


「いや、外からは分からない。

 索敵防止魔道具が設置されている。ま、恐らくこの課題のために最近設置されたのだろうがな」


 ライオは頷いた。


「ではアレンは敵の増援の警戒と全体のフォローを頼む。

 突入班は俺、ステラ、パーリが表から、ダン、レジー、ピス、ベルドが裏から入る。

 物資はここに一旦置いていく。

 シャル、ケイト、ドル、ララで防衛を頼む。

 残りは目標を包囲して相互フォローの距離を保ちつつ、フェイルーンの指揮で動いてくれ。

 質問は?」


 ライオはこの様に澱みなく指示を出した。


 質問が出ない事を確認して各自が配置につき、夜明けと共に突入班が中に入った。


 中には毛むくじゃらでずんぐりとした三つ目の魔物、ムルソーが何体か巣食っていた様だが、突入班が危なげなく制圧した。


 その後皆で支援物資を目標防衛拠点まで運び込んだ。


 こうして長かった第1想定を1-Aクラスは無事達成した。

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