第122話 エレヴァート魔導工業(1)


 建国祭が終わり、ようやく体が空いたので、俺は勇気を振り絞って王都の子爵別邸へと帰る事にした。


 姉上が怒っていることは間違いないが、俺の読みではまだギリギリ許容範囲の内にいるはずだ。



 このまま嫌なことに蓋をし続けた結果の惨状は、前回のバーベキューで嫌と言うほど味わったし、まぁ単純に申し訳ないと言う気持ちもある。



 夏休みに入って既にかなりの時間が経過してしまっているが、そもそも今回はあえて避けていた訳ではなく、本当に夏休みになったら王都の子爵別邸へ顔を出そうとは思っていたのだ。


 ところがいきなりリアド先輩との探索が決まって、勢いでそのままサルドス観光へと赴き、ノリで温泉にまで立ち寄った為、流石に連絡も無しにずっと騎士団を不在にしてヤバいと思い騎士団へと顔を出したら、案の定仕事に忙殺される事になった。



 俺は深呼吸を一つして、子爵別邸の玄関のドアを開けた。



 ◆



「あ、アレン君?

 いきなりどうしたの?何かあったの!?」


 俺が家へと入り『ただいま帰りました』と言うと、姉上は幽霊でも見たかの様に驚いた。


 時刻は朝の8時。


 おそらくはまだ寝ているであろう時間に突撃して、寝起きでぼーっとしている間にあらゆる事を有耶無耶にしようという作戦だったのだが、意外な事に姉上はすでに起きており、ちょうど出かけようとしている所だった。


「あ、いきなり帰ってすみません姉上。

 今日は何かご用事のある日でしたか?

 では私は掃除でもしながら明日まで家でゆっくりさせていただきますので、どうぞお構いなく」



 俺がそう言うと姉上は再度驚いた。


「ええ?!

 アレン君が特に用もなく、自発的に家に帰ってきたの?

 ……本当に?

 お家はフェイちゃんのお掃除魔道具を借りてるから、アレン君が掃除しなくても結構綺麗だよ。

 あの魔道具、物を出しっぱなしにしてたらすぐ動けなくなるから、床だけは散らかさない様に気をつけてるんだ。

 フェイちゃんにフィードバックしなきゃいけないし。

 掃除魔道具のために、人間が掃除するようになるなんて皮肉だよね。

 魔道具に腕とか付けて、物の片付けとかもしてくれるようにフェイちゃん改良してくれないかな〜」



 これからはちょくちょく顔を出す、何て宣言したにも関わらず、夏休みになっても一向に帰らなかったから、ただでさえ地を這っていた俺の信用は地の底にまで落ちているな。


 だが俺が自発的に帰ってきたからか、想定よりも姉上の怒りのボルテージは低いようだ。


 言われてみれば、床はフェイが開発しているお掃除ロボの、ルンボ君v4プロトタイプのお陰もあってピカピカだ。


 俺の知らないところで2人がコミニュケーションを取っていそうな点はやや気になるが……



 残念ながらソファーの上には脱ぎ散らかされた洋服が山となっているが、姉上にしてはかなり頑張っている方と言えるだろう。



「顔を出すのが遅くなってすみません、姉上。

 本当はもっと早くに顔を出したいと思ってーー」



「ところでアレン君?

 この前の試合は、一体どういうつもりだったのかな?

 お姉ちゃんは恥ずかしくて、顔から火が出そうだったよ」



 すかさずご機嫌取りをしようと試みた俺の言葉を制して、姉上は笑顔で俺に問いかけてきた。


 もちろんその目はキマっている。



「は、話せば分かります、姉上!

 あの試合は実は国を背負っていてですね、どうしても負けるわけにはーー」


「負ける?

 ふ〜ん、アレン君、あんなのに負けるんだ?

 そりゃあのオレンジの髪の子も?アレン君の事を馬鹿にするような事を沢山言ってたから?アレン君が怒る気持ちも分からないでもないかなぁ〜なんて気持ちも少しはあったよ?

 でも、あの子に負けそうだからスカート捲りして勝ちました、なんて言われたら、流石に優しいお姉ちゃんも、ちょっと我慢できないな〜。

 それなら正直に、パンツが見たくて捲りましたって言ってくれた方がまだましだよ?」


「パンツが見たくて捲りました!」


 このままでは残りの夏休みが地獄の特訓になる。

 そう判断した俺は、即座にプライドを捨てて話を合わせた。


 お面をつけて索敵魔法で動きを捉えていたので、当然ながらパンツの柄やら色やらなんて何も見えないけれど。



「えぇ?!

 そんなはっきりと認めると思わなかったな……

 うーん。

 ふーちゃんは年頃の男の子だから仕方ないって言ってたけど、お姉ちゃんは2度と許しませんからね!

 次からはとりあえず血祭りに上げて、きちんとお付き合いを申し込んで、その上でパンツが見たいならきちんとお願いする事!

 いいですね!」


 ふむふむ、あの大観衆の面前でまず血祭りに上げて、その後お付き合いを申し込み、さらにパンツを見せてとお願いするという事か。


 何を言っているのか全く理解できなかったが、俺は『はい分かりました!』と素直に答えた。



「ところで姉上、お出かけする所だったのでは?

 お時間は平気なのですか?」


「あ、そうだった!

 今日はふーちゃんの実家の工場こうばを見せてもらう約束してるんだ〜。

 でも折角アレン君帰ってきたからなぁ。

 今から断るのも悪いし、もしよかったら一緒に遊びにいかない?

 魔導車とか沢山あるらしいから、アレン君でも結構面白いと思うよ?」



 確かフーリ先輩の父親は、魔導動力機関の権威とか言われていたな。


 魔道具には大して興味のない俺だが、動力機関と言われると多少は興味がある。


 俺が断ったらじゃあやっぱり工場見学は延期して今日は街でお買い物地獄……なんて事になりそうだし。



「それは面白そうですね!

 ぜひご一緒させて頂きます!」



 ◆



 フーリ先輩の実家、エレヴァート魔導工業は、予想していたよりも小ぢんまり、とまでは言わないが、そこそこの大きさのいかにも町工場まちこうばといった様子の建物だった。


 聞けばフーリ先輩の父親アシム氏は、その研究開発の功績が認められて王国直轄の研究所に研究拠点を移しており、こちらの工場は魔導車の修理工場兼アシム氏とフーリ先輩の趣味である魔導車の開発実験用に維持しているとの事だ。



「よう弟君!よく来たな!

 ぷっ!

 この間の試合は傑作だったよ。

 あの後、ローザがむくれてね。

 弟君の文句を言いながらドカ盛りかき氷を3杯もやけ食いするのに付き合ったぞ?

 その様子だと仲直りしたようで良かったよ」


「ふーちゃん、シー!」


 先程まで『かっこいいお姉ちゃん』をやっていた姉上は、アワアワしながら慌ててフーリ先輩の口を押さえた。



 先輩はゆったりとしたベージュのオーバーオールを着て、黒いキャップのツバを後ろに向けてかぶっている。


 いかにも『私は技師です!』といわんばかりのシンプルな出立ちだが、そのスラリとした長身の上に乗っかっている物凄く小さな綺麗な顔が、この町工場とは余りにアンバランスで、ある種の芸術性を感じるほどだ。



 俺と姉上は、フーリ先輩に引っ付いて工房を見学して回った。


 先輩は急に俺が姉上に引っ付いて来たにも関わらず、『遠慮せずに、気になった事は何でも聞けよ〜』と言って、魔道具ど素人の俺に丁寧に解説してくれた。


 色んな意味でぶっ飛んでいる姉上と仲良くしているだけあって、器がでかいというか何というか、本当にいい人だな。



 と、そこで工場の隅で埃をかぶっている、懐かしく、だがこの世界に於いては大層意外なものを発見した。



「あ、あれは何ですか、フーリ先輩!」


 俺が指差した方をフーリ先輩はチラリと見て、肩をすくめた。


「ああ、あれは父さんと私が一昨年頃にスピード性能を追い求めて試しに開発してみた魔導2輪車さ。

 どうすれば車体を小さく、軽くできるかと言う事をとことん突き詰めていったらあの形に落ち着いた。

 ま、見たら分かると思うけど、余りにもバランスを取るのが難しくてすぐ転倒しちゃうから、実用化は難しいという結論になったんだけどね」



 ……この世界では、王都近郊ですら郊外に行くと道が舗装されていない為か、バイクはおろか自転車すら見ない。


 あんな不安定なものを、地球では皆が当たり前のように乗っていたのが逆に不思議だったんだな、なんて妙な異世界ギャップを感じたものだ。


 確かに2輪車はバランスを取るのに一定の鍛錬が必要なのは誰しもが納得する所だろうが、逆に鍛錬さえすれば誰でも乗れるという事を俺は知っている。


 そして、アウトロー路線の青春とは何か?という事を考えた時、アウトローの青春を描いたいくつかの漫画が俺の脳裏を掠め、そこから連想するのはいつもバイクだった。


 前世では全く縁が無かったが。



「……あれを俺に試乗させてください!

 スピードこそは青春です!」



 俺がそう頼むと、先輩は引き気味に頷いた。


「え、あぁうん、ゆっくり真っ直ぐ走るだけなら大丈夫だと思うけど、本当にすぐ転ぶから、無理はしないでくれよ?」

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