第119話 王宮(2)


 ……嘘だろう……


 ドスペリオル家の出身だとは聞いていたが、宗家でしかも当主の妹だと?


 なぜそんな人が、あのうだつの上がらない親父の妻になどなるんだ?


 俺が愕然としていると、ゴドルフェン先生は表情ひとつ変えずに答えた。


「いいや、全く知らんのう。

 そうなんかの?」


 そして意外な事でも聞いたとでもいいたそうな顔でそう俺に問いかけて来た。


 この嘘つきめ!

 少なくとも予想はついていただろう!


 これが腹芸……


 どう答えるかは俺の判断に委ねると言う事か。


 まぁ別に口止めされている訳じゃ無いし、ここまで確信を持たれているなら正直に知っている事を話すより他ない。



 それほど機嫌の悪い様子もないし、そもそも俺はほとんど何も知らない。



「……母上の名前はセシリアですが、ランディ軍団長の妹様本人かは、正直俺には分かりません。

 父から母上はドスペリオル家の出身らしいが、訳あって生家との縁を絶っているらしいと聞かされただけで、本人は何も言っておりませんでしたし、俺も聞きませんでした。

 あの、何か問題になりそうですか?」



「……ふむ。

 やはり何か理由がありそうだな。

 だが何も問題などない事を、このランディ・フォン・ドスペリオルの名にかけて、ここにはっきりと明言する。

 もし可能なら、伝言を頼む。

 この兄は、セシリアが生きていてくれた奇跡を心より嬉しく思っていると。

 今更ドスペリオルの人間としての責任などを要求するつもりはないから、出来れば顔を見せて欲しいと。

 無理なら手紙だけでも貰いたいと、そう伝えて欲しい」



 余りの毒気のなさに俺は逆に不安になった。


 はっきり言って、もっと面倒な事になるものとばかり思っていたからだ。


 その俺の心中を見透かす様に、ランディさんは再び苦笑した。


「君は今こう考えているな。

 そんな事でいいのかと。

 もっと貴族世界のドロドロした問題に巻き込まれて、面倒な事になると思っていたのに、と」


 俺も苦笑しながら頷いた。


「君はもう少し母君セシリアや、このゴドルフェン翁に感謝した方がいいだろう。

 君は恐らく守られていたのだ。

 私や他の有力貴族が簡単には手を出せないほど、君という人間の存在が大きくなるまでな。

 もしドスペリオルが、君をもう少し早い段階で見出していたら、多少汚い手を使ってでも陣営に引き込む為に暗躍しただろう。

 他領とは言え、たかが田舎子爵の三男坊だ。

 手段を選ばなければ何とでもなる。

 例え私にその気がなくても、勢力としてはそうせざるを得ないし、私もそれを止める事は出来ないだろう。

 だがーー

 君は大きくなりすぎた。

 こうして陛下から直接名指しで呼び出しを受けるほどにな。

 今日の新星杯の一件もあり、もはや小細工でどうにかなるレベルを超えている。

 さすがはゴドルフェン翁、としか言いようがない。

 全ては貴方の親友、我が父バルディとの約束の為ーーですか?」


 少しだけ非難めいた目線をランディさんはゴドルフェン先生に向けたが、先生は表情1つ変えずに『何の事かのう』と言った。



 ランディ軍団長は『翁には敵いませんね』と言って、そして俺を優しく抱きしめた。


「ドスペリオルは、遺伝的な要素の強い魔力操作の絶対的な才能を維持するために、血の濃さを保ってきた。

 そのせいか、宿命的に子の数が少ない。

 また魔破病と言われる、おおよそ17歳頃までしか生きられない、不治の病を発症する例が極めて多い。

 可愛い妹が遠い地で奇跡的に大人になっており、しかも初めての甥っ子ができて、本当に嬉しく思う。

 色々な王国内のパワーバランスを考えると、残念ながらドスペリオル侯爵勢力としてはまだ明言できる段階にはないが、少なくとも私は陰ながら後ろ盾にならせて貰おう」



 ……母上病気で死んだ事になってたの?

 体が弱いなんて話は聞いたこともないが……


 別に後ろ盾など特に必要性を感じていないが、いい歳したおっさんにこうして目に涙を浮かべながら宣言されたら断りようが無い。


「ありがとうございます。

 母上には連絡するように、手紙を送っておきます」



 そこへ、トントン、とドアがノックされ、これまた母上とランディ軍団長と目元がそっくりの、20歳過ぎ位の男が入って来た。


「エディです。

 陛下がお見えになりました。

 父上?

 やはり予想通りだったのですね……」



 そしてそのすぐ後ろから50過ぎくらいの、ビロードの様な質感の深みのあるワインレッドの生地に、黄金の刺繍が入れられたマントを無造作に羽織った男が続く。


 第58代ユグリア王国国王。


 パトリック・アーサー・ユグリアその人が。



 ◆



 ランディ軍団長の副官、エディさんが退出した後、顛末を聞いた陛下は豪快に笑った。


「がはははは!

 ランディが泣きながらアレン・ロヴェーヌを抱きしめておるから、流石のわしも何事かと驚いたが……そう言う事か。

 それは感動の場面を邪魔して悪かった。

 もう少し廊下で待っていようか?」


 パトリック陛下はいい笑顔で廊下を親指で差した。



 何というか、フランクな王様だな……


 俺が緊張しない様に配慮してくれているのかもしれないが、イメージ崩れまくりだ。



「め、滅相もありません!

 任務中に私用を挟み、誠に遺憾でございました。

 ご処罰はいかようにも」


 ランディさんが頭を下げるとパトリック陛下は手をパタパタと振った。



「よいよい、処罰などと面倒くさい事をいうな。

 実直はそちの美点だが、欠点でもある。

 処罰しようにも、この場にこの者アレンが立ち会っていた事が表に出ると、色々とややこしいぞ。

 ときにランディよ。

 この者がドスペリオルの血を色濃く継いでいるならば、その器をドスペリオル家当主としての視点で測っただろう。

 今日の試合をどう見た?」



 なんか気まずいから、そう言うのは俺のいないところで聞いて欲しい……

 とても胸を張れる内容では無いし……



「……魔力操作という意味では、ドスペリオル宗家の人間として世に出しても恥ずかしくない水準に達しております。

 流石はあの天才の妹が仕込んだだけはある。

 その器量までは、流石にまだ測りかねますがーー」


 そう言って、言いづらそうに唇を少し舐めたランディさんは、続けた。


「ドスペリオルが待ち望んでいた、アイオロス様の片鱗を感じております」



 そのとんでもない名前に流石の陛下も、先生も、もちろん俺も絶句した。


 アイオロスと言えば大昔に歴史上唯一この大陸を統一した記録の残る、伝説の皇帝の名だ。


 何で風でスカートを捲っただけなのに、伝説の皇帝の名が出るんだ……


 陛下は少し悩ましげな顔をし、ついで俺に目を向けごくあっさりとこんな事を聞いてきた。



「ふぅむ。

 アレン・ロヴェーヌよ。

 そちはこの国の玉座に興味はあるか?」


 ……頼むから勘弁してくれ。

 このとんでもない質問を、俺は即座に否定した。



「あ、ありません!

 冗談にしても、その様な事を聞かれては困ります!」


 いかにこの場にはゴドルフェンと陛下、そしてランディ軍団長と俺の4人しかいないとは言え、冗談でも口にしていい内容ではない。



 だが陛下はその『透徹』としか表現しようの無いブルーの瞳を真っ直ぐに俺へと向け、不思議そうな顔で重ねて質問してきた。



「なぜだ?

 そちはすでにドラグーンから明確に支持を取り付け、ザイツィンガーやレベランスとも懇意にしておるだろう。

 そこにドスペリオル家も後ろ盾に入る。

 それ程の器で、これ程カードが揃えば、うまく立ち回れば玉座にも手が届くやもしれんとは考えんのか?

 まぁクーデターは極端にしても、真にあの『神眼通しんげんつう』アイオロス級の器量を備えおれば、ユグリア家で養子に取ることも十分検討に値する。

 そちに国を背負う覚悟があり、それがこの国にとって最善だと判断したら、わしはそれをやるぞ。躊躇なくな。

 重ねて問う、アレン・ロヴェーヌよ。

 この国の玉座に関心が、王になる気概がーー

 そちにはあるか?」



 ほんの僅かな嘘や欺瞞も決して許さないーー


 そのどこまでもどこまでも透き通った瞳は、そう雄弁に語っていた。


 先程までの気のいいおっちゃんの様な雰囲気など微塵もない。


 そこにいるのは、その背に途轍もない責任を負っている、この国の『王』そのものだった。



 俺は深呼吸を一つして、はっきりと自分の言葉で答えた。

 とても言葉遣いに気を使う余裕などない。



「玉座に関心などありません。

 俺は偉くなんてなりたくない。

 自分がやりたい事を突き詰めて、面白おかしく生きる。

 それが俺の生きる道だと、それは決して変わる事はないと、そう確信しています。

 国を背負うなど冗談じゃない。

 頼まれたってごめんです」


 俺がそう断言しても、陛下はその目を俺の目にきっかりと固定したままだ。


 だがここは絶対に引けない。


 俺は陛下の目を真っ直ぐに見つめ返した。


 たっぷり5秒ほど俺の目を見ていた陛下は、緊張を解き、気のいいおっちゃんの雰囲気に戻った。


「……ふっ。

 がはははは!

 残念、振られてしもうたか。

 その歳でそこまで自分の『道』がはっきりと見えておるとは、これはいよいよアイオロス級やもしれんな!」



 本当に勘弁してくれ……


 試されているのは分かっているが、心臓に悪い。


 俺は力無く項垂れた。


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