第117話 新星杯(4)


「それまで。

 勝者、アレン・ロヴェーヌ」



 審判であるゴドルフェン先生が宣言した。



 会場は割れんばかりの大歓声だ。



 大歓声の隙間から、いくつか知人と思われる人の声が聞こえる。


「あっはっは!あ、パッチさんが、笑い過ぎて過呼吸に!

 この麻袋を使って呼吸してください!」


「こひゅー、こひゅー」


 警備の仕事中なのに清々しいほど楽しんでるな、あの人ら……

 ちょっとはプルプル震えながら笑うのを我慢している近衛軍団を見習え……



「あっはっはっはっ!

 面白すぎるぞ、弟君!

 あ!ローザが何か怒ってるぞ〜!

 あんなエッチな子に育てた覚えはない、とか言って!」


 ……いや、そりゃ身内は恥ずかしいかもしれないが、他に勝てる手が思いつかなかったのだからしょうがなくない?!


 もし俺が意識を失った後に蹴りでも入れられて、切れた姉上が乱入でもしてみろ!


 もっととんでもない事になる。



「監督〜!!我ら魔法研の男子一同、今日という日の伝説を生涯忘れません!

 流石は王立学園体外魔法研究部が誇る『捲り職人』!

 監督は我らが誇りです!」


「刮目せよ!これが『風とパンティの仲人なこうど』、アレン・ロヴェーヌだ!」


「伊達や酔狂で『捲り道まくりどう10段』は到達しえぬぞ!」



 あの大馬鹿ども!

 この大観衆の前で、言うに事欠いて何が捲り道まくりどうだ!

 今度部活でこってり絞ってやる!



 俺はやるせなくなって、とりあえず言葉にできない怒りを身の内に感じながら、虚無の顔で帰り支度を始めた。


 チラリとグラフィアさんを見ると、こちらも虚無の目で立ち尽くしていた。


 このお面を貸してあげたくなるな……



「あんな適当な謝罪では、シルフの怒りは収まらなかった様ですね?

 もっと敬意を込めないと……

 では失礼をば」



 俺がとりあえず設定を守り、前世の癖で空中に手刀を切りながらその場を辞そうとすると、グラフィアさんが目に涙を浮かべながら呟いた。


「嘘だ……」


 流石に精霊なんて俺の嘘っぱちだって気がついたかな?


「私が、お前みたいな凡顔に負けるはずがない!

 私は、私は特別な人間なんだ!

 そうだ!お前が使ったのは風を起こす精霊の魔法だろう!

 卑怯だぞ!

 四大精霊しだいせいれいが一柱、自由の乙女、レ・シルフィを、武術の大会に持ち出すだなんて!!!」


 記憶力いいな?!



 才能ゼロの俺が、性質変化を伴う魔法など使えるわけもないのだから、ルール上問題ない事は明白だ。


 だが俺は、別にこんな模範試合の勝敗など、ど〜〜でも!いい。


 それでこのしつこそうな人が納得するなら、俺の負けでも一向に構わない。

 また悪目立ちしそうだし、むしろそっちの方がありがたいくらいだ。



「なるほど、グラフィアさんの言う事はもっともですね!

 ゴドルフェン先生!この試合は僕の反則負けです!」



 俺がそう朗らかに同意すると、先生は顎髭を撫で、困った様に顔を顰めた。


「ふうむ。

 しかしこの新星杯のルールに明記されておるのは、性質変化の使用禁止じゃからのう。

 精霊などと言われても、セーフかアウトかの判断をしようもない。

 ここでお主らの主張を認めてしまうと、索敵魔法はもちろん、もっと根本的な身体強化魔法にまで話が波及し、ルールそのものが崩壊しかねんのう」



 ちっ。

 勢いで押し切ろうかと思ったが、流石にゴドルフェン先生は甘くないな。


 だが先生が言っている事は尤もなので、反論しようもない。


 そこで俺はある事を思い出した。


「そうだ!

 私はうっかり、このお面を付けたまま試合をしていました!

 このお面は木製ですが、この部分が陶器でできています!

 これは防具のルールに抵触しますよね?

 これで私の反則負けです!」



 先生は目を細めて俺を暫く見ていたが、やがてこの主張を認めた。


「……防具としての性能を具備してはおらん様じゃったから、あえて指摘はせなんだのじゃが……寧ろ視覚が遮断されて不利な要素しか無いと思うがの。

 まぁお主がそれでいいのならよかろう。

 先程の結果を訂正する。

 アレン・ロヴェーヌは反則負け。

 よって先程の試合の勝者はグラフィア・インディーナ」


 よかった、これで丸く収まった。

 俺は胸を撫で下ろした。



視覚を塞いでいた見えていないだと……

 この私相手に、始めからハンデを背負って戦ったとでも言うつもりか!!

 しかもお情けで勝ちを譲るだと?

 許さん……絶対に許さんぞ、アレン・ロヴェーヌ!!!」



 何やら後ろでグラフィアさんが血涙でも流しそうな声で怒っていたが、流石にこれ以上は付き合っていられない。


 俺は何を言っても地雷を踏み抜く呪いをかけられている疑いすらあるのだ。


「アレンさんが、あのアレン・ロヴェーヌさん……」


 呆気に取られているオリビアさんに礼を言ってレイピアを返し、装備を受け取ると、一応後ろを警戒しながらそそくさと仕事へと戻った。



 ◆



 アレンがグラフィアの槍を叩き落とし、会場が大歓声に包まれていた時。


 観衆は誰1人として何が起きたかを正確には理解していなかったが、一体彼が何をしたのかを、その難易度を、誰よりも正確に理解出来る男がこの会場にはいた。



「信じられん…………」



 声の主は、『落日の侯爵家』ドスペリオル侯爵家の当主であり、普段はいかなる時も冷静沈着、謹厳実直を地で行く近衛軍団の軍団長、ランディ・フォン・ドスペリオル。


 彼の常にない狼狽した様子を見て、彼の息子であり、副官でもあるエディ・ドスペリオルが声を掛けた。


「あの身の程知らずがどうかなさいましたか、父上?」



 彼らはこの国の教育システムとは一線を画す、独自の教育理論を持ち、王立学園を卒業していないドスペリオル宗家の人間だ。


 とはいえ、一勢力を抱える侯爵家として王立学園坂道部さかどうぶと、それを立ち上げたアレンの噂は当然耳に入っているし、それなりに情報収集もしている。


 だが、ドスペリオル家秘技の基本でありまた奥義でもある瞬間魔力圧縮を、父の親友であったゴドルフェン翁より中途半端に教わり、得意げにそれをふれ回っている小器用で身の程知らずの小僧がいるーー


 その程度の認識だったし、そのうち機会があれば『本物』がどう言うものかを教えて、図に乗っている様子ならば灸を据えてやろう。


 ほんのついさっきまでは、そんな風に考えていた。



「……我らドスペリオル家が、この大陸に覇を唱えた黄金期は2つある」


 エディは父が何が言いたいのか分からず戸惑った。


「ええ、勿論存じております。

 一つは2200年前、『神眼通』と言われた半ば伝説のご先祖様、アイオロス様がこの大陸を史上唯一統一された時代。

 そしてもう一つは時代が下って1600年ほど前、他の始まりの五家オリジナル・ファイブ4家の連合軍により、ドスペリオル家が消滅の危機に瀕した際にお立ちになった、身体強化魔法の稀代の天才、『鉄拳の魔女』カナリア様の時代」


 ランディは頷いた。


「その通りだ。

 その神速の鉄塊と言われた両の拳で持って、他の4家の連合軍を叩き潰したカナリア様には及ばずとも、類似の才能を感じさせる人間はごく稀にドスペリオルには現れる。

 魔力器官の成長と共に『例の病』を発症し、早世したわしの妹、セシリアも、わしには理解不能と言える程の天才だった……」


「お噂は聞いています。

 その武の才は勿論、何より心が強かったと。

 近衛軍団長を務める父上がそこまで言うほどの人物だったのですね。セシリアおばさまは……」


 ランディは悲しそうに頷いた。


「ーーそして、アイオロス様がお隠れになって2200年、未だその才能を受け継いだと見られる人間は現れておらん。

 唯の1人もな。

 ドスペリオル当主が受け継ぐ伝承書によると、アイオロス様はドスペリオルにあっても突然変異と言える、神がかった体外魔力循環の才能の持ち主であったと伝わっておる。

 耳を凝らせば街中の会話を拾い、目を凝らせばその視野は全方位数百メートルにも及んだとな。

 それ程の索敵魔法を使えたとしたら、体外魔力循環を応用して自由自在に風を起こす事も出来たであろうな」


「風をーー

 まさか?!」


 エディは父が何を言わんとしているかをようやく察し、信じられない思いで少年を見た。


 ランディは首を振った。


「……まだ確信は無い。

 あくまでも可能性の話だ」



「刮目せよ!これが風とパンティの仲人なこうど、アレン・ロヴェーヌだ!」



 間のいい事に、こんな声援が耳に入り、エディは力が抜けそうになるのを何とか我慢して、刮目した。


 いそいそと帰り支度をしてその場を辞そうとする少年に、槍の女グラフィアが後ろから飛び掛かろうとタイミングを計っているが、都度動きで牽制し、まるで隙がない。


 観客達はこの高度なやり取りに誰も気が付いていないだろう。

 だが、もう15mは距離があるが、明確に見えている。


 来たら撃つーーその背中はそう語っていた。


 槍の女は結局最後まで動けなかった。


「……今思い出したのですが、情報部の調査報告書によると、あの者の母親の名は、セシリア・・・・・ロヴェーヌと申したはずです。

 偶然でしょうか、父上?」


 あり得ないーー

 そう言いたいが、少年は呼吸をする様に魔力を圧縮して溜め戻している。


 どう考えてもドスペリオルの血の成せる技だ。


「……まずはゴドルフェン翁に面会を申し込む」



 ◆



 ロザムール帝国が誇る鬼才、グラフィア・インディーナが、ユグリア王国に突如現れた12歳のホープに、借り物の武器で視覚を封じるというハンデをつけられた状態で、子供扱いされて敗れた挙句、お情けで勝ちを譲られた。


 各国にもたらされたこの報告に、大陸中の国々が激震した。


 だがその評価は『保留』とした国が殆どであった。



 各国首脳が目にした報告書は、どれも詳細に事実を記した渾身の出来であったが、その内容が混迷を極めていたからだ。



『グラフィア・インディーナの敗因は、四大精霊しだいせいれいが1柱、風の大精霊レ・シルフィの怒りを買ったこと』


『アレン・ロヴェーヌは、学友から『捲り職人』『風とパンティの仲人なこうど』『捲り道まくりどう10段』などと崇められている模様』


『グラフィア・インディーナの勝負パンツの模様は『うさちゃん』で、色は白だった』


『彼が着用していた、虚無としか言いようの無い、全てを達観したようなおじさんが唇を歪ませているお面、だが何処か底知れぬ怒りを感じるそのお面からは、何かを訴えかける様な深いメッセージ性を感じた』



 これらの報告は、各国首脳を大いに悩ませた。


 特定条件下での風魔法の恐ろしさは十分伝わったが、ズボンを穿くという誰でも考えつく対応策がある事は明白だ。


 精霊云々はブラフはったりの可能性も高いが、仮に精霊がいたとして、スカートが捲れるほど風が強く吹いた、だから何?という話でもある。



 仮に噂通り、部活動を通じて体外魔力を操作してスカートを捲る事に血道を、しかも現下の情勢下で王立学園に入学したにも関わらず、そんな事に血道を上げているとすると、はっきり言って馬鹿の所業だ。


 想定される苦労と成果があまりにも釣り合わない。



 そして報告書をどう読み返しても、アレン・ロヴェーヌが女の敵である事は分かったが、その強さの程はまるで分からない。



 そこへ、新星杯3連覇を成し遂げたグラフィア・インディーナを撃破したという途轍もない名誉など、まるで眼中になかったという話が加わり——


 とんでもない馬鹿か、途轍もない天才。

 そして間違いなく変人、下手したら変態。


 各国はアレンをそう評価し、結論を保留した。


 当然軸足は馬鹿な変態に向いている。



 そして彼らは見落とした。


 虚無——


 後の世で『アレン・ロヴェーヌの警告』と呼ばれる事になる、この世界一有名なお面。


 そこに込められた、アレン・ロヴェーヌからのメッセージを。


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